エピローグ

エピローグ1

 アニソン戦争でOP曲を掴んだあの日から。

 恵麻のアニソン歌手としての忙しい日々が始まった。

 何てったって、所属レーベルの違う結野紗々里と加島恵麻が一緒に歌うことが急に決まってしまったのだ。バタバタと色々なことが決まり、恵麻はしばらくの間シトリンレコードでお世話になっていた。そりゃあ元々は紗々里の曲なのだ。全体的にシトリンレコード方面で話が進み、何度も景に「緊張するよぉ」と泣き言を言われたりもした。

 でも、緊張するのも無理もない話だ。レコーディングやジャケット・MV撮影はもちろん、ラジオやインターネット番組に出演したり、色んな媒体でのインタビューがあったり……。学業と両立するのは難しいんじゃ? と思うくらい忙しい日々を送っているらしい。

 囚われのエリオットのOPを掴んだことによって、確実に恵麻の知名度は上がった。SNSは特にやっていない恵麻だが、唯一ブログはやっている。普段は一桁しかなかったコメントが三桁も来るようになって、「正直怯えた」というのが恵麻の正直な感想だ。


 バタバタと忙しい日々を送っているうちに、季節は巡り……。

 十月上旬になった。そんな今日は、囚われのエリオットの第一話の放送日だ。


「ほ、ほ、ほ……本当に今日放送されるのかなっ、けーくん!」


 第一話、一緒に観ない?

 そう提案してくれたのは恵麻だった。放送は深夜だが色んな意味で大丈夫なのだろうかと不安には思った。しかし、恵麻は軽く「けーくんなら別に家に泊まってっても大丈夫だよ。もちろん別の部屋で寝てね?」と言ってくれたため、お言葉に甘えさせてもらうことになったのだ。

 時刻は夜の九時。放送はまだまだ先のはずなのに、ドキドキが止まらない。先週アニソン戦争の特番も観たはずなのに、未だに夢なんじゃないか? なんて思ってしまう。

 しかし、テレビに出たりラジオに出たり、羽ばたいていく恵麻は普段よりもキラキラと輝いている――訳ではないのだ。いつも通り緊張でおどおどしている部分も多々あって、よく紗々里に「落ち着きなさい」と突っ込まれている。でも、いつかそういった場面でも緊張しないようになるのかも知れない。なんて思うと少し寂しくなった。


「先週特番が流れたじゃないですか。恵麻さんと結野さんの姿がずっと映っていたんですよ? 今更何を緊張してるんですか」


 内心の寂しさがバレないように、景は冷静を装う。


「……けーくんの後頭部も、ちらちら映ってたね」


 と思ったが、冷静になるのはどうやら無理そうだ。恵麻の言葉に、景は眉間にしわを寄せる。最前列に背の高い男性が一人いれば、そりゃあ目立って目立って仕方がなかった。景も先週放送された特番を一人で観て、頭を抱えたものだ。


「それは……何かすみません。背が高くて……ははは」


 苦笑しながら、景は恵麻から視線を逸らして別の人物を見る。

 そこには、男子高校生にしてはこじんまりとした人物がいた。


「何だよ、俺に対する皮肉か?」

「ああ、宇多さん。いたんですね」

「いたんですね、じゃねーよ! 最初からいるだろーよ馬鹿っ」


 二十畳程の広いリビングに、恵麻と景と宇多の三人は座っている。前回と違って恵麻の部屋ではないのには、理由があった。大きなテレビがリビングにあるというのもそうだし、夜に自分の部屋にいられるのはなんとなく恥ずかしいから、という恵麻の乙女的な理由もある。

 しかし、理由はもう一つあるのだ。


「そういえば、結野さんはいつ頃来るのでしょうか?」


 今日は三人の集まりではなく、紗々里を加えた四人の集まりなのだ。

 最初は紗々里が恵麻を「一話、二人で観ない?」と誘ったらしいのだが、同じくらいのタイミングで恵麻も景に同じ提案をしてしまった。

 だから三人で……と思ったら、何故かそこに宇多も加わることになったのだ。


「んー、そろそろ連絡来ると思うんだけどねぇ」


 何気なく携帯電話をいじる恵麻。

 その横で、宇多の表情に焦りの色が浮かんだ。


「ほ、本当に俺……ここにいて良いのかっ? ゆゆゆ、結野さんが来る前に帰った方が良いんじゃ……ほら、今ならまだ全然、終電に間に合うし……」


 当然のように、宇多は戸惑いと緊張を爆発させている。

 景は喫茶店や茶谷の件で顔を合わせているが、宇多はもちろんプライベートで会ったことなどないのだ。ただのファンと会ってしまうのと同じことで、宇多はだいぶ罪悪感を覚えているらしい。

 しかし断り切れずにここにいるということは、会いたいという下心も確かにあるということで……。


「宇多さん、いい加減諦めてくださいよ」

「そうだよ犬間くん。今回は茶谷プロデューサーの件でお礼が言いたいって、紗々里さんから言ってくれてるんだから」


 どうやら、恵麻から「けーくんの友達も茶谷プロデューサーのことで協力してくれたんだ」と紗々里に伝えたらしい。それで今回紗々里と宇多が会う運びとなったのだ。

 まぁ、そんなことより、景的には恵麻が「紗々里さん」と呼んでいることに対してニヤニヤしてしまうのだが。


「あっ、ちょうど紗々里さんから連絡きたよ。今最寄り駅に着いたって。迎えに行ってくるから、ちょっと待っててね」


 恵麻は「何でニヤニヤしてるの」という目で景を一瞬だけ見つめ、外へ出て行こうとする。でも、もう外は真っ暗だ。


「僕もついて行きましょうか?」


 立ち上がり、景は訊ねる。しかし、恵麻は首を横に振った。


「あー……いや、なんとなく犬間くん一人を残しておくのもあれだし、一人で行ってくるよ。駅、すぐ近くだし」

「な、何か俺の扱い酷くないか……? 親御さんとか弟さんも、別の部屋にいるんだよ……な?」

「いるよ。けーくんは昔から顔見知りだからともかく、犬間くんじゃ気まずいと思って」

「ああ、そういうことか。じゃあ俺が加島さんと一緒に……」

「あっ、それは嫌」

「のおおおおおおっ」


 きっぱりと断る恵麻に、宇多は両手で顔を覆って叫び出す。いつもよりもオーバーリアクションな気がするのは、やはりもうすぐ紗々里と会えるからだろうか。

 まったく、羨ましい奴め。なんて思いつつも、内心では宇多の誘いも断ってくれた恵麻に安堵感を覚える景なのであった。



「ただいまー」


 十数分後、恵麻が紗々里を連れて帰ってきた。

 宇多はリビングで動けないままなので、景一人で玄関まで出迎える。


「おかえりなさい。……結野さん、お久しぶりです」

「……久しぶり。まさか、またあなたと会うことになるなんてね。……まぁ、恵麻がいればあなたがついてくるってことか」


 いつも通りの冷静な対応をしながら、紗々里はロックな雰囲気の厚底ブーツを脱ぐ。今日は黒いパーカーワンピースでいつもよりラフな印象だ。ちなみに恵麻もカーキ色のパーカーにデニムの短パン(+いつもの黒タイツ)で、図らずともペアルックみたいになっていて、景は思わず笑ってしまう。


「……何」


 すると、紗々里にジト目で睨まれてしまった。


「いえ、その……。お二人が仲良くなられて嬉しいな、と思いまして。いつの間にか名前呼びになってますし」


 ますます睨まれてしまうだろうか。と思いきや、紗々里は何故か残念そうに小さくため息を吐く。


「……恵麻はあたしが年上だからって、さん付けしてくるけどね」

「そっ、それは、いきなり呼び捨てはハードルが高いって言うか……ね?」


 ごにょごにょと弁解をし出す恵麻を、紗々里はスルー。

 景が「おっ、スルーするーですね」という暇すらなく、リビングに向かって歩き出してしまった。


「ああっ、ちょっと待ってよー、さ、紗々里……さん!」

「……駄目でしたね」

「うるさいなぁ。あっ、紗々里さん、リビングの場所はそこのドアを開けたところでね!」


 何とも言えない微妙な表情で景を見つめてから、恵麻は紗々里を追いかける。もちろん、景もリビングへ向かった。そして、ふと気が付く。


(宇多さん、心の準備……大丈夫でしょうか)



「あっ」


 景がリビングに入ると、ちょうど宇多と紗々里が見つめ合っている瞬間だった。二人とも一言も発さず、何やら気まずい空気が流れている。


「宇多さん、とりあえず挨拶挨拶!」

「あ、ああ……は、初めまして! ええと、俺は仁藤景の友達で、一応茶谷プロデューサーの件で協力させてもらった者です!」


 どこからどう見てもガチガチに緊張している宇多は、直立不動のまま紗々里に挨拶をする。一方で紗々里はいつも通り冷静に……と思いきや、そうでもなかった。


「紗々里さん? どうしたの?」


 不思議に思った恵麻が声をかけると、紗々里はどういう訳か気まずそうに顔を強張らせながら口を開く。


「…………あなたの、名前は?」

「はっ! す、すいません。犬間宇多です」

「そう」


 小さく呟き、紗々里は眉間を押さえる仕草をする。紗々里の中にいったいどんな感情が渦巻いているのか、正直よくわからない。


「……勘違いだったら、悪いんだけど」

「は、はい」

「あなた……ワンソン君っていうハンドルネームで活動してたり……する?」

「……えっ」


 ――まさか、紗々里の口から「ワンソン君」というワードが出てくるとは。


 あまりにも予想外すぎて、宇多本人は唖然。景と恵麻は思わず顔を見合わせてしまった。恵麻は口をぽかんと開けている。でもどこか「面白そうな展開!」とでも思っているのか、緋色の瞳が輝いている気がした。


「や、その、あの……その通り、なんですけど。……も、もも、もしかして、結野さん」

「……動画とか、たまには生配信とか、観させてもらってます。その……コミュニティのメンバー、です」

「ひえぇ……」


 少々気恥しそうに小さくお辞儀をする紗々里に、宇多は悲鳴を上げて固まってしまう。しかし、頬は嬉しそうに紅潮していた。

 今まであまり気にしていなかったが、宇多はわりと有名な生主なのかも知れない。アニソン戦争の会場でも声をかけられていたし、今回はまさかの紗々里がコミュニティメンバーだと発覚した。


 一応景もメンバーではあるが、動画や生配信はほぼほぼ観ていない。これからはちょくちょく観てみようと心に決める景であった。


「私、犬間くんが生主だってことは知ってたけど、顔出しまでしてるんだ?」

「マスクはしてるけど、生配信はだいたい顔出ししてる……かな」

「まぁ、その容姿だもんねぇ。普段は嫌がってるのに、可愛さは武器だって思ってるんだねぇ。へー、なるほどねぇ」

「……何も言えねぇっす」


 恵麻がニヤニヤと笑いながら宇多を攻めている。

 そんな中、紗々里はそわそわと落ち着かない様子だった。


「犬間さん、だっけ」

「はっ、はい、そうです!」

「改めて、ありがとう。茶谷さんのこと、協力してくれたみたいで。あなたや仁藤さん、それと恵麻のおかげで、この結果に繋がったと思うから」

「いやぁ、俺は別にすぐに出てくる情報を伝えただけで……へへへ。いやあの、本当にビックリしました。俺、結野さん……ささりんのファンなので、まさか俺のことを知ってくれていたなんて」


 早口になりながらニヤける宇多だったが、紗々里は引く様子がない。むしろ微笑みが漏れているくらいだ。

 よくよく考えれば、お互いファン同士なのだ。

 もしかして、このまま恋愛に発展――


「ファンの子に手を出す訳にはいかないし、だいたいあたしには恋愛禁止令が……はああぁぁ」


 する訳がなかった。紗々里の口から思わず本音が漏れ、景と恵麻は苦笑する。


「……ごめん、つい本音が」

「え? ……え?」

「宇多さんに説明しますと、今フラグが立とうとしてすぐに折れた感じですね」

「……へぇっ?」


 紗々里はこう見えて恋愛に飢えているタイプだ。景と恵麻が幼馴染というだけでリア充扱いをして、妬んでくる。普段は冷静なはずなのに、恋愛が絡むとすぐにやさぐれてしまうのだ。


「でも紗々里さんって本当に真面目だよね。確か、二十歳まで恋愛禁止なんだっけ? 律儀に守ってる訳でしょ?」

「……別に真面目じゃない。当たり前のことをしてるだけ。……あたしはアイドルじゃないけどビジュアルは意識してるし、ファンの皆も少なからず容姿に注目してると思うから。ちゃんと一人前のアニソン歌手になるまでは、浮ついた話が漏れたら駄目だと思ってる。ただ、それだけだから」


 それだけ、という割には表情がやばい――というか、目が死んでいる気がする。宇多はそんな紗々里を困惑気味に見つめている。


「あ、あの……俺。知っててくれたのは嬉しいんですけど、今はまだただのファンなので。こうして会えただけで光栄っていうか」

「……大人な対応、ありがとう」


 緊張に耐えながらも必死に紗々里を見つめて言葉を紡ぐ宇多に、紗々里は恥ずかしそうに苦笑を向ける。


「あの、変なことを言いますけど……。俺のことを知っててくれてるってことは、俺が声優志望だってことも知ってるんですよね?」

「? ええ、そうだけど」


 小首を傾げる紗々里。

 一方で、宇多は額に冷や汗を浮かべていた。


「俺、絶対いつか声優になるんで! なので、その……いつか別の形で会えたら良いですね! こんな役得の一般人じゃなくて、ちゃんとした形で!」

「……っ!」


 宇多の精一杯の発言に、紗々里は思い切り目を丸くさせた。景の気のせいかも知れないが、ほんのりと頬が嬉しそうに紅潮しているように見える。


「そ、そうね。あたしもあなたの声は好きだし、デビューできると思う。……その日を楽しみに……して、あげても良いわよ」


 震え声で、何故かツンデレ風味になる紗々里。

 紗々里の珍しい姿が見られて、景と恵麻は顔を見合わせて微笑んだ。


 ――しかし。


「おや? そういえば宇多さん。結野さんと左山先生のどちらが好」

「あっ、ちょおまっ、それは今関係ないだろ!」

「……左山、先生……?」


 思わず口から零れてしまった景の発言により、空気は一気に崩れていくのだった。

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