5-4 アニメソングの形
まるで、このままアニソン戦争が幕を閉じてしまいそうな綺麗な空気。
この空気を断ち切るのは、凄く勇気のいることだっただろう。
でも、最後の審査員――鶴海は、まっすぐ手を上げた。
「すみません。結果が見えていることはわかっています。……ですが、私からも一言良いですか?」
恐る恐る鶴海が訊ね、会場中が温かく頷く。
鶴海は緊張した面持ちのまま、両手でマイクを握り締めて発言する。
「単刀直入に言います。曲は「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」が良いと思いました。皆さんが言った通り、囚われのエリオットの世界観がすべて詰まった楽曲だと思います」
顔を強張らせつつも、鶴海はすらすらと感想を述べた。
恵麻の眉が下がり、紗々里の口角が上がる。
しかし鶴海は、「でも」と言葉を続けた。恵麻に希望を持たせるかのように、恵麻を見つめながら鶴海は自分の意見を発する。
「私は、加島さんの歌声も凄く好きなんです。実は、アニソン戦争の選出にも少し関わらせていただいて、加島さんの歌声は格好良さの中に優しさが見え隠れしていて……ミリナのように感じていました」
「あ、ありがとうございます……」
どこか残念な気持ちを隠せないまま、恵麻は小さく頭を下げる。
恵麻の歌声はミリナっぽい。それは景も前々から思っていたことで、紗々里に対してもミクスっぽいと思っている。
「……少し、わがままを言ってもよろしいでしょうか?」
小さく深呼吸をしてから、鶴海は視線を会場全体に向ける。景を含む観客は、最初はざわざわしつつも拍手で答えた。
「ありがとうございます。……先程も言いましたが、曲は結野さんの「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」が良いです。ですが、私は……すべてが完璧な楽曲とは思いませんでした。……いや、言い方が悪いですね。そうではなくて、私は聴いてみたいんです」
言いながら、鶴海は恵麻と紗々里を交互に見る。
「結野さんと加島さん、お二人で歌う「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」を」
鶴海の発言に――会場中が震えるのを感じた。
もう結果は見えている。というか、決まっている。三票全部が紗々里なのだ。会場全体が、すでに「紗々里おめでとう」という空気だった。
そんな中でこの発言をするのは、相当勇気のいることだっただろう。でも鶴海は発言した。原作者としての正直な意見を。
「えっ? いやあの、でも、私……」
恵麻はその場に立ち上がり、動揺を露わにしていた。「負けたし」とでも言いたいように、眉が元気なく垂れ下がっている。
「……落ち着いて」
「って、言われても……本当ならこのまま結野さんが勝っているはずで……っ」
「そんなのどうでも良いでしょう」
困惑する恵麻とは打って変わって、紗々里は驚く程冷静だ。しかも無表情ではなく、どこか楽しそうに微笑を浮かべている。
「ちょっと格好付けた言い方になるけど」
前置きをしてから、紗々里は恵麻に言い聞かせる。
「アニソン戦争って勝敗を付けるためのものじゃないから。相応しい曲をタイアップに付けるためのものだから」
「……だから結野さんの曲が相応しいって。私も、思ったし……」
「本当に? あたしはそうは思わない。左山先生の言葉ではっとした」
視線を恵麻から観客に移し、紗々里はきっぱりと言い放つ。
「あたしと加島さんで歌えば、凄いものができると思う」
――だから、一緒に歌って。
観客の表情を見て満足したのか、紗々里は恵麻に手を差し伸べる。
「もしかして歌えない? テレビサイズとフルサイズで二回も歌ったのに、全然メロディー覚えられなかった?」
煽るように、紗々里が問いかける。
恵麻は――すぐに首を横に振った。
「ううん、歌えるよ。歌詞カードがあれば大丈夫」
「ん、よろしい。あたしはミクスとして歌う。あなたはミリナとして歌って」
満足気に、紗々里は頷く。こんなにも嬉しそうな紗々里の表情を見るのは初めてかも知れない。審査員の資料としてあった歌詞カードを取りに行ったり、監督に相談したりしている紗々里の瞳は爛々と輝いていた。
「皆様、改めて大変なことになってしまいました! これは嬉しいハプニングです!」
監督も、観客も、どこか興奮気味で。
景も心の中でこんな展開にしてくれた鶴海に感謝していた。でも当の鶴海はきょとん顔で、景は思わず笑ってしまう。
「お二人とも、テレビサイズで大丈夫ですか?」
監督の問いかけに、恵麻と紗々里は同時に頷く。
想定外の展開だったはずなのに、着々と二人で歌う準備が進んでいく。と同時に、景は自分の鼓動が高鳴っていくのを感じる。それは景以外の観客も同じ気持ちのようで、まったくの初対面の隣の女性に「凄い展開になりましたね!」と興奮気味に話しかけられるくらいだった。きっと、最後列にいる宇多のテンションも上がっていることだろう。
準備が整い、恵麻と紗々里は再びステージの中央に立つ。
打ち合わせをしたのかしてないのか、恵麻と紗々里は背中合わせで構える。
先程と同じように、紗々里のアカペラから曲が始まった。バックに映るミクスとミリナの映像と、恵麻と紗々里の姿が重なる。
たったそれだけで、想像以上に感動してしまった。紗々里が一人で披露した時も充分鳥肌が立ったはずなのに。恵麻が隣にいるだけで景色がまるっきし変わって見える。
でも、恵麻は黙って立っているだけではない。紗々里がそっと手で合図をすると、恵麻は歌い始めた。紗々里の歌声とは違う、荒々しさには欠けた優しい歌声。印象がガラリと変わったけれど、イメージをぶち壊している訳ではない。むしろ、恵麻と紗々里が交互に歌ってこそ完成形だと思わせてくれた。
そんな二人の歌声が、サビで重なる。いつの間にか、背中合わせをやめて見つめ合って歌う二人。思わず微笑んでしまっている姿も、たまらなく眩しかった。
二人の姿も、歌声も、映像も、メロディーも。
すべてが、完璧すぎて。もはや意味がわからなかった。アニソン戦争に加島恵麻と結野紗々里を選んだこと。勝敗に拘らず、二人で歌うという道を見出した原作者。奇跡が重なりすぎて、思わず笑ってしまうくらいだった。
テレビサイズだから、終わるのはあっという間だ。
観客の拍手喝采を聞きながら、恵麻と紗々里は放心状態で会場全体を見つめている。気のせいか、恵麻の瞳が潤んでいるように見えた。
「あの……監督さん」
恐る恐る、恵麻が監督の顔を見る。
訊ねられて、監督もはっとしたようにマイクを握った。
「そうですね。まずは、結野さんに聞きます。「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」はお一人で歌いたいですか? それとも、加島さんとお二人で歌いたいですか?」
どこか緊張した面持ちで、紗々里に訊ねる。
紗々里は――すぐに頷いた。
「それはもちろん一人の手柄にしたいですけど。……でも、二人で歌うのが完成形だとわかってしまったので」
悔しそうに苦笑しながらも、紗々里はきっぱりと言い放つ。
すると、観客の歓声はより大きなものになった。と、同時に。恵麻が「でも」と困惑気味になってしまう。
「まぁ、細かいことはたくさんの大人と相談しなくちゃわからない。でも、周りを見れば結果なんてわかるでしょ」
まるで「諦めなさい」とでも言いたいように、紗々里はニヤリと笑う。
恵麻は鶴海を見て、監督を見て、観客を見渡して、最後に景と目を合わせた。景が頷くと、恵麻の表情がほっと和らいだ。
「本当に、良いんですか……?」
震えを帯びた声で、恵麻が問う。
その問いかけには、鶴海が答えてくれた。
「アニソン戦争は、戦うのが目的ではないと思うんです。その作品に合った曲を見つけるためのもの。……ですよね、監督さん」
いつもよりも緊張していなくて、清々しい笑みを向ける鶴海。問われた監督も、すぐに頷いてみせた。
「その通りです。なのでもう一度皆さんにはご協力願いたいと思います」
監督は、観客にもう一度ペンライトを用意するように指示する。
「最後に皆さんにお聞きします。「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」、結野さんだけの歌唱が良い人は赤に、二人で歌う方が良い人は青にしてください!」
監督の言葉とともに――会場が青に染まる。もちろん会場中が真っ青という訳ではなく、赤い色も見えるような気がした。でも結果として出た数字は、青が七九五票、赤が五票だった。五票だけ反対派がいるというのも、それはそれでリアルな結果なのかも知れない。
「……と……」
「いうことは……」
恵麻と紗々里が、自然と目を合わせる。
二人の瞳がキラキラと輝いて見えて、喜びが溢れて止まらないように見えた。いや、もう言うまでもないだろう。見ているだけの景だって、こんなにも嬉しい気持ちになっているのだから。
「囚われのエリオットのアニメタイアップ争奪戦、結果が決まりました!」
辺りが暗くなり、マイクを握る監督にスポットライトが当たる。
「曲は、「背中合わせの共同体 ―ジェミニ―」。そして……」
スポットライトが監督から紗々里の元へ。
そして、もう一本が恵麻の姿を照らした。
「歌唱は、結野紗々里と加島恵麻!」
監督の言葉とともに、会場中から拍手が巻き起こる。景ももちろん笑顔で拍手をしたが、恵麻はこちらを見る余裕すらないようだ。隣の紗々里に寄りかかるようにして泣き崩れている。そんな恵麻を「やれやれ」といった様子で見つめつつも、紗々里の瞳も潤んでいるように見えた。
「皆様! これからの囚われのエリオットの展開にご期待下さい!」
そんな監督の言葉で、アニソン戦争は幕を閉じる。
――期待。言葉通り、景の心も期待で溢れていた。一人の囚われのエリオットファンとして、完成版のOPを観るのが楽しみで仕方がない。
もちろん、自分の曲で勝てなかった悔しさもあるだろう。「本当に良いの?」という気持ちが恵麻の中には渦巻いているのかも知れない。でも、良いのだ。
ここに集まるファンの笑顔が輝いている。
納得する結果に導いたのが紗々里と恵麻、二人揃った歌声だった。それを見つけた鶴海も、二人を選んだ関係者も、皆、最高だ。
あとは――最後に一つ、隠し通せない気持ちがある。
(恵麻さんが、アニソン歌手になる……!)
その事実が、幼馴染として……大好きな人として、嬉しくて仕方がない。そんな、景なのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます