第13話 声を信じて

真夏の朝、絢子は、勝と慎太郎と一緒に漁船に乗って、神楽島に向かった。

勝と慎太郎はすっかり怪我も良くなり、漁の仕事を再開した。

盆が明けた頃から、絢子は週2日程度、勝たちの漁船に同乗し、漁の手伝いのアルバイトをしている。


「絢ネエ、ちゃんと腰を据えて、網にかかった魚をきちんと外してください。」


「ほら!魚をきちんと掴まないとあっという間にすり抜けて逃げちゃいますよ。」


勝と慎太郎は、網にかかった魚をうまく掴めない絢子を見て、呆れつつも、何とか掴めるよう色々アドバイスを送った。


「ああ~!やばい、どうしてうまく掴めないの?」

なかなか上手くいかず、絢子は焦りが募った。

勝たちが送るアドバイスを聞いても、どうしたら上手く出来るのかわからず、頭を抱えた。


「もっとグッと、力を入れて掴んで、そのままポイっとクーラーボックスに放り込むんですよ。」


「そんな、口だけで説明されても分かんないわよ!」


「あ・・そろそろ神楽島が見えてきましたね。サボり・・いや、休憩しますか。」

勝は、絢子と慎太郎を振り向き、尋ねたが、本音らしき言葉がチラリと出てしまったようである。


「今一瞬、本音言ったね?」

絢子は勝を指さし、ニヤリと笑った。


「じょ、冗談言わないでください。ボクはいつも真面目で実直な漁師ですから。」

勝は必死に弁解しようとしたが、絢子のニヤニヤした顔は変わらなかった。


漁船は急カーブを描きながら旋回し、神楽島に到着した。

丘を越えると、漁師たちの絶好の「サボり場」である海岸が広がる。


「ふぁ~・・昨日は夜勤だったし、今日も朝から仕事で、疲れたなあ・・。

そういうと、勝はポケットからタバコを取り出し、火をともした。


「こっちは病み上がりというのにさ、うちらのボスは容赦しないというか、会社の利益のことしか考えてねえよな。」

慎太郎はタバコを取り出すと、勝のライターから火をもらうと、ふーっとため息を付くかのように煙を吐き出した。


「あれ?絢ネエ・・水着?」

勝は、絢子がいつの間にやら作業衣であるシャツと胴衣を脱ぎ捨て、グレーのホルターネックのビキニ姿になっていたことにビックリした。


「わあ。絢ネエ、いつのまに!?体が細いわりに、結構胸大きいじゃん。なかなかグラマーだなあ。」


「絢ネエ、セクシーすぎますよ。やばっ、俺、鼻血でそう・・・」

勝は、絢子の水着姿を直視しすぎたのか、思わず鼻の辺りを押さえた。


「フフフ、ここに初めて連れてきてくれた時、こんなきれいなビーチが目の前にあるのに、泳がないなんて損だ!と思ってさ。今日はこの島に来れるかなと思って、水着を着てきたの。どう?セクシー?」


そういってニコっと微笑むと、絢子は、波に向かって走り出し、笑い声を上げながら、押し寄せる波と戯れた。


「あんたたちも、泳いだら?水着ないなら、下着だけになっておいで!」


「ま、まずいっすよ。替えのパンツなんて持ってきてないから、パンツ濡らしたらノーパンで帰るしかないでしょ。それに俺たち、体に「御絵描き」があるから・・」


「え~、そんなの気にもしないけど。もう、私一人で泳いでもつまんないじゃん。」

絢子は不満そうな顔で、波打ち際から、砂場で休んでいる勝と慎太郎の元へと戻った。


「あれ、絢ネエ、髪切ったんだね。」

慎太郎は、絢子の髪型がいつもと違い、きちんと整えらていることに気づいた。


「やだ、今気が付いたの?」

絢子は無造作に伸ばしていた髪を、肩より少し上辺りまで短くし、髪の色も淡い栗色に染め直し、ゆるやかなウェーブをかけて、クールな大人の雰囲気の髪型へと変わっていた。


「どうしたんですか、髪型と言いビキニといい、ひょっとして・・・これ、ですか?」

慎太郎は、小指を立ててニヤッと笑った。


「バカ!・・あんた達は何ですぐ男の話になるのよ。今度新しく、仕事を始めようと思ってね、身なりもきちんと整えたのよ。」


「仕事?この町で新しく仕事やろうとして、おまけにそんなに小奇麗にして・・ひょっとしてお水関係?」


絢子は、無言で慎太郎を小突いた。


「いててて・・冗談ですよ、冗談だって!」


「ネットビジネスだよ。自分が微笑堂時代に作った人脈を頼りに、化粧品を仕入れて、インターネットで販売するんだ。微笑堂にいた頃、取引先の工場で新製品を出して、私が、これいいなって思って導入しようとしても、会社で採用されなかったものって結構あってね。そういうものを、工場と直接取引してどんどん発信していこうと思うの。海外からの輸入品なんかも取り扱うつもりだし。だから、お盆明け位から、昔の得意先のところに足を運んで、参入しませんか?ってお願いしてるんだ。」


「すごい・・さすがは営業のプロだけあるなあ。」


「プロってわけでもないけど。ただ、自分が良いと思うものを、諦めたくないだけよ。今はまだ始まったばかりだから、取引先の反応は鈍いけど、興味を示してくれる会社もあるから、そこから徐々に開拓していけば・・・って感じかな?」


「ひょっとして、俺たちの船のアルバイトって、会社立ち上げる資金稼ぎで始めたの?」

勝は、たばこを加えながら、訝し気な顔で尋ねた。


「まあね。だって私、居候だから食事は世話になってるけど、一文無しだもん。この船の仕事以外にも、栄一の干物会社のアルバイトもしてるし。・・・あ、そうそう、栄一の会社の商品も、せっかくだから一緒に売ろうと思ってるんだ。これだけネットが普及してるのに、いまだに昔からの取引先にしか卸さないなんて、考え方がアナログすぎるし、ビジネスチャンスを失ってどんどん取り残されていくだけだと思うの。居候の私が生意気かもしれないけどさ・・でも、これが、居候である私ができる最大の貢献だと思ってるんだ。」

絢子は、青空を見上げながら、しんみりと語った。


太陽は夏空に大きく輝き、浜辺をじりじりと照り付けているものの、時折吹いてくる涼しい海風が心地よく感じる。


「ねえ、二人とも「海の声」、聞こえる?」

絢子は、勝と慎太郎に尋ねた。


「まあね。この仕事を長くやってたら、聞こえてきますよ。嫌が応でも、ね。」


「じゃあ、「心の声」は?」


「はあ、心の声?何ですか、それは・・。」


「ちひろママが言ってたのよ。心の声を大事にしなさいって・・。今は、その言葉を信じて、自分の心がやりたいって叫んでることに耳を傾け、これからの人生、がんばろうかなって思ってる。」


「ふうん・・・だから、ビジネスを始めたわけですか。そうですねえ・・なあ慎太郎、お前の心の声って、何?」

勝は、自分なりの答えが見つからず、慎太郎に回答役を振ろうとした。


「う~ん・・とりあえず、いい仕事をして、帰ってからお好み焼き屋で浴びるほど酒飲んで、その後はママの店で飲んで、休みの日は絢ネエとデートしたい。」

慎太郎は、あごを手に乗せて、うんうんとうなずきながら自画自賛気味に答えた。


「あははは、いいねえ!俺と一緒じゃん。・・というか、絢ネエとデートするのはこの俺だよ。ざけんじゃねえよ。」

勝は、ちょっとムッとした顔になった。


「何言ってんだよ。俺だよ!」

慎太郎は、勝の挑発的な口ぶりに激高した。

二人は、しばらくお互いの顔をにらみ合った。


「じゃあ、腕相撲で勝負だ。こないだは俺、負けちゃったけど、今度は本気で行くぞ!絶対勝って、絢ネエを独り占めするからな。」

慎太郎は、前回のリベンジとばかりに、勝との腕相撲で決着を付けようとした。


「全く、あんた達には付き合いきれない!あ~聞いた私がバカだった。私とデート?100年早いわよ!」


絢子は、やれやれ・・と言わんばかりの呆れ顔で立ち上がり、脱いだ胴衣とシャツを拾うと、背中を向けて港へと早足で歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!絢ネエ!冗談ですって、冗談!」


勝と慎太郎の二人は、慌てふためいて、絢子を追いかけた。

絢子は早足で歩きながらも、慌てて追いかける二人の姿を見て、クスクスと笑った。


神楽島を出発した漁船は、うなるようなジェット音を上げ、青い海に真白い水しぶきを上げながら今浦港を目指した。

真夏の海は、波もほとんどなく穏やかである。

絢子は、目を凝らし、海をじっと見つめた。


『・・風は穏やかだし、流れも穏やかになってるよ、行くなら今だよ。』


絢子の耳に、「海の声」がそっとささやくように聞こえてきた。

絢子はその言葉にうなずき、勝と慎太郎の二人を手招きし、大きな声で叫んた。


「おーい!行くなら今だってさ!海の声がそう言ってるわよ!」


「は、はーい。大丈夫ですよ。もうあと少しで港に着きますから。」


「船だけじゃなく・・私の人生もね。」


「え?」


「ううん、何でもない。そうそう、来年もいかだ競争、みんなで出ようね。

体力作り、直前に慌ててやるんじゃなくて、今からやらないとダメだよね。今度は絶対、優勝しないとね!」


勝と慎太郎は、顔を合わせてニヤリと笑い、うなずいた。


「じゃあ、来年の優勝に向けて、みんなで気合入れますか。絢ネエ、かけ声お願いします!」

慎太郎は、どうぞ!と言わんばかりに両手を絢子の胸もとに伸ばし、頭を下げた。


絢子は、え、私が?という顔をしつつも、咳ばらいをして、大きく息を吸って、

真上に広がる真っ青な大空に向かって、思い切り声を張り上げた。


「さあ、今度こそは優勝狙うよ!「海の声」と、そして自分の「心の声」に耳を傾けて。みんなでかけ声かけて、力を合わせて!せーの、そーりゃ!」


「そーりゃ!」


「そーりゃ!」


「そーりゃ!」


かけ声が終わると、拍手と歓声と、お互いに冗談を言い合って笑いあう声が今浦の入り江に響き渡った。

夕暮れ時を迎え、海は夕陽の放つまばゆいオレンジ色の光に包まれた。

船に時折吹きつける風は以前よりも涼しく感じ、暑い夏が終わり、秋がすぐそばまで来ていることを感じさせた。


(おわり)

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海の声が、聞こえるかい? Youlife @youlifebaby

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