第12話 自分探しの中で

「絢子ちゃん、起きて・・。」


いかだ競争終了後、お好み焼き屋「えびす亭」を貸し切り、オールナイトで行われた打ち上げパーティ。

ビール瓶や焼酎瓶が沢山転がっているテーブルの上に、絢子は一人突っ伏していた。

顔のすぐ脇には、ちひろがニッコリ微笑んでいた。


「あ・・ちひろママ、起きてたの?」


「うん。途中で宴会を抜け出して、お店に仕事に行って来て、さっき戻ってきたところ。他のみんなはベロベロになりながらも帰っていったけど、絢子ちゃんは

ずーっと熟睡していたから、起こさないで、そっとしていたのよ。」


「あ・・はは。あれ?ひょっとしてもう、朝になった?」

絢子は目をこすると、店のガラス越しに、まばゆい朝の光が差し込んでいることに気づいた。


「そうだよ・・もう、朝8時半かな。」

ちひろは、腕時計を見つめながら、つぶやいた。


「ええ~・・もうそんな時間?ずっと寝てたの?私・・」

絢子は、いつの間に寝過ごしてしまったことに驚いた。


「だって、ビール瓶を何本もラッパ飲みしてたのよ、絢子ちゃん。あれだけ飲めば、相当な酒豪じゃなければ、さすがにダウンするわよ。」

ちひろは、絢子の額辺りに人差し指を突き立て、笑った。


「あはは・・何というか、いかだ競争が終わって、緊張感が解けて、とことんまで飲んじゃった。」

絢子は身につまされたのか、ちょっと照れ笑いした。


そんな絢子を、ちひろは横目で見ながらボソッと話した。

「いいんじゃない?絢子ちゃんらしくてさ。」


「ど、どういう意味よ!」


「あはは・・ねえ、今日は海風も心地よくて、気持ちいい朝だよ。一緒に散歩でも行こうか。」

ちひろは、長い髪をなびかせながら椅子から立ち上がり、絢子の背中を押した。


「う・・うん。まだ、酒が抜けなくて、頭が痛いんだけどなあ・・。」


表に出ようとしたとき、カウンターの下で大の字になって鼾をかいたマスターの姿があった。こちらもマスターの立場でありながら絢子たちと一緒に酔いつぶれ、熟睡しているようである。


「あれ、マスター・・起こさなくていいのかな?」


「ほっときましょ。マスターは一度寝だすと昼過ぎまで起きない人だから。」

ちひろは、リスのように口を押えて、いたずらっぽく笑った。


絢子はちひろと一緒に「えびす亭」を出ると、海岸沿いを散歩した。

空は真っ青な夏空、風も波も穏やかで、さわやかな空気が漂っていた。


「はあ・・気持ちいいなあ。私、こんな早い時間に散歩したこと、無かったかも。」


「そうなの?勿体ないなあ。私はこの時間の海が好きだよ。」


「でもちひろママだって、夜のお仕事じゃない?この時間って家で寝てるんでしょ?」


「ううん。店の仕事を終えて家に帰るのが、朝6時頃かな?ウチのお客さんって、結

構遅くまで飲むからね。この朝方の空気がすごく心地よくてね、最近は運動を兼ねて家まで歩いて帰ってるのよ。」


「あはは・・やっぱり飲み屋の仕事って大変ね。この世に私みたいな呑み助がいる以上、しょうがないのかな。」

絢子は笑いながら言うと、


「あははは・・そうだね。絢子ちゃんみたいな人がいっぱいいるからねえ。」

と、ちひろは思いっきり笑い転げた。


やがて二人は、絢子の「くつろぎ場」である端の埠頭に到着した。


「私はいつも、ここでタバコ吸って何も考えず、ボケーっと過ごすのが楽しいの。ねえ、タバコ吸っていいかな?」


「どうぞ。あ、そうそう私にも一本ちょうだい。」


絢子はポケットからセブンスターの箱を取り出し、ちひろに差し出すと、ちひろは1本取り出し、手持ちのライターで火をともした。


「セブンスターか…濃いけれど、美味しいねえ。こんな気持ちいい朝に吸うタバコ、格別だね」


「うん。昔からこれが一番好きな銘柄なんだ。ちひろママもたばこ、吸うんだ?」


「まあ、付き合い程度、だけどね。昔、店を始めたばかりの頃は結構吸ってたかもね。色々ストレスたまってたからかな。」


ちひろは、たばこをふかしながら空を仰ぎ、つぶやき始めた。


「私ね・・出身、横浜なんだ。本牧って知ってる?そこから来たんだよ。」


「ええ?ほ、本牧?じゃあ元町の近く?」


「私が育ったのは、漁港が近くて、そんな小洒落たところじゃなかったけどね。でも、周りに結構お金持ちとか外国人が住んでてね、私も親の薦めで、私立のミッション系の女子高に通ってたんだ。」

ちひろは、目を瞑り、1つ1つ記憶をたどりながらつぶやいた。


「そうなんだ・・だから、ちひろママってこんな荒くれた田舎の港町にしては、垢抜けた雰囲気の人だなあって思ってた。」

絢子は、羨望のまなざしでちひろを眺めた。


「大学も、女子高からエスカレーターで上がってね、就職も東京の貿易会社に内定して、あとは会社でカッコいい外国の人と知り合って、結婚すれば、それなりに良い人生になったんだけど・・旦那との出会いで、人生が大きく変わったかな。」


「え?旦那、横浜にいたの?」


「ううん、私が大学生の頃、たまたま実家の近所の港に停泊していた時に知り合ったの。東京湾の近くで漁をしていたら、台風が近づいてきて横浜まで避難してきたんだって。私その頃、長年付き合ってた彼氏と別れた直後で、すごく落ち込んでてね。漁港の埠頭でボケーっと何も考えず、うずくまっていたの。その時、旦那が声をかけてくれてね。」

ちひろは、頭を掻きながら、舌を出し、おどけた表情をして笑った。


「うわ~!何という奇跡的な出会い。で、ちひろママは旦那とその場で駆け落ちしたんだ?」


「まあね。廃人みたいだった私を見て、声をかけずにいられなかったって。旦那は、根っからの漁師で言葉や態度は荒っぽいけど、心根はホントに優しい人だった。」


「けど、そんな見ず知らずの漁師と駆け落ちして、親とかは反対しなかったの?」

絢子は、漁師である旦那と、お嬢様育ちのちひろの衝撃的なエピソードに驚きつつ、違う環境で育った二人の結末が気になった。


「反対・・したよ。それもただの反対じゃない、猛反対!」

ちひろは、大笑いしながら答えた。


「うわあ、それで認めてくれたね。結婚とか・・」


「うん。まあ・・最終的にはそうだけど、認めるまで時間はかかったかな。私、大喧嘩して出て行ったから、ね。大学を卒業後、彼とは何が何でも結婚するって宣言して、就職は内定を辞退して、荷物をまとめて家出同然に出て行ったからね。」

家出の話をした後、ちひろは、少しうつむいた。


「じゃあ、スナックを始めたのも、結婚してすぐ?」


「旦那の仕事は収入不安定で、借金作ったこともあった。だから、家計を支えるために、子育てしながら缶詰や干物の工場で働いたけど、なんだか窮屈に感じて・・・。その時、旦那の知り合いの人で、スナックを辞めて店を譲りたいという話があったから、飛び乗って、今のお店を始めたの。もちろん、順風満帆ってわけじゃなかった。旦那の借金返済しなくちゃいけないのに、余計に借金増やしちゃったこともあったし。」


「・・結構、紆余曲折あったんだね。」


「・・まあ、ね。でもさ、私は自分自身にウソはつきたくない、ウソをついて、自分の人生後悔したくないって、それだけはずっと貫いてきたんだ。その結果、安定した人生を捨てて、凄くつらい人生を選んでしまったけど、思い返すと、そんなに後悔はしていないのよね。」

うつむき加減だったちひろは、次第に顔をもたげ、空を仰いだ。


「・・・」

絢子は、自分が経験した以上に厳しい人生を歩んできたちひろに対し、返す言葉が見つからなかった。


「絢子ちゃん、いかだに乗って「海の声」が聞こえたんでしょ?」

ちひろは、吸い終えて短くなったたばこを、絢子の吸い殻入れに入れながら、尋ねた。


「うん。聞こえたよ。」

絢子は、ニコッと笑いながらうなずいた。


「「海の声」が聞こえるのならば、きっと自分の「心の声」も、聞こえるはず。」


「心の・・声?」


「絢子ちゃん、いかだ競争で勝つため、ライバルの元同僚の子に勝つため、いかだ作りや体力作りに躍起になってたじゃん。好きなたばこも控えてさ。絢子ちゃんには、ライバルに勝ちたいっていう、「心の声」がちゃんと聞こえていたんだと思うよ。」


「ああ。そういわれれば、何となく理解できる・・かな?」


「絢子ちゃんがやりたいって思うことが分からない時、今回のように、「心の声」に耳を傾けてみたら?私はずっと自分の「心の声」を大事にして、今の自分があると思ってるから。」


「うん・・・まあ、今はとりあえず、何もやりたいと思わない。ただ、ボケーっと過ごしたいんだ。」

絢子は頭の後ろへと腕を伸ばし、大きく深呼吸しながら話した。


「そうかな?」

ちひろは、クスっと笑って、絢子の顔を見つめた。


「え、そうかな・・って?」


「昨日の打ち上げで栄一さんが言ってたよ。絢子ちゃんの部屋には、化粧品がいっぱい飾ってあるって。まだ、どこか未練、あるんじゃないのかって。」


「え、栄一・・!あいつ、どうしてそんな、余計なことを。」


「微笑堂は、色々事情があって辞めたのかもしれない。でも、化粧品の仕事そのものにまだ未練があるなら、その気持ちは大事にしてほしい。」


「・・・」


「あ、余計なこと言いすぎたかな。それじゃあ、私、そろそろ寝る時間だから、帰るね。」


ちひろは、長いスカートをひるがえしながら、そそくさと埠頭を走り去っていった。

真夏の強烈な太陽が、真上からじわじわと地面を照り付けていた。

カモメたちの声がこだまする中、ジリジリと蝉たちも負けずに鳴き始めた。

絢子は、強烈な太陽の下、熱中症にかかったのか、二日酔いが醒めないのか、頭の中がボーっとして、全身にけだるさを感じ、しばらくは立ち上がることが出来なかった。

しかし、ぼんやりとした意識の中でも、ちひろの言葉が、何度も繰り返しこだました。


『「海の声」が聞こえるなら、きっと自分の「心の声」も、聞こえるはず。』


「フン!余計なお世話だよ。私の一体何が分かるっていうのよ・・。」


絢子は目を瞑り、怪訝そうな表情をしながら立ち上がり、頭を掻きむしりながらズボンに手を突っ込み、家路についた。


家に帰ると、部屋の中に並べられた沢山の化粧品を眺め、1つ1つを手に取った。


絢子は、工場や得意先を廻る中で、製造者側の新商品にかける熱い思いに触れてきた。また、新しい商品を開発する中で、ライバル会社の商品や、海外ブランドの商品で、自分が参考にしたいと思うものに出会うと、躊躇なく買っていた。買った時の色々な思い出が、それぞれの化粧品に詰まっていた。


自分の琴線に触れた化粧品たちを、もっと多くの人達に知ってもらいたい・・実際、微笑堂にいた時には、取引先の工場の新商品で、自分が良いと思ったものを上層部に自社ブランドとして発売することを持ち掛けたことがあった。


しかし、上層部にその思いはなかなか通じなかった。


絢子は、営業担当をしていた時代に買ったまま、本箱にしまっていたビジネス関係の本を片っ端から取り出し、読みふけった。


その中で、絢子は1つのキーワードに注目した。


「インターネット販売・・か。」


絢子がビジネス関係の本を読みふける中、栄一が階段を上がってきた。


「絢子さん、もうそろそろご飯っスよ。二日酔いだから、無理しない程度に。俺も今日は食欲無いっス。」


栄一の声は、いかだ競争の疲れや二日酔いもあってか、いつもより張りが無かった。

しかし、絢子はそんな栄一の登場を待ちわびたかのように、読んでいた本を捨て、

立ち上がった。


「あ、栄一、良いところに来たね。あんたの会社、パソコンある?余っていたら、貸してほしいんだけど。」



「ああ、古い機種で、処分しようと思ってたのなら1台あるっスよ。」


「今すぐ、今すぐここに持ってきて!セッテイングもお願いね!」


「え、え?今すぐっスか?」


「そうよ!ボケっとしてる時間はないから。さっさとやってちょうだい!」

絢子は鬼のような形相で、栄一を睨みつけた。


「は・・はいっ。き、急にどうしちゃったんスか?」


栄一は、階段を駆け下り、会社へ戻っていった。


絢子は、海を見渡せる窓を開け、大きく深呼吸した。

時よりそよ吹く海風が、二日酔い気味の体にはとても心地よかった。

その表情は、不思議と安堵と希望に満ちていた。


「心の声・・かあ。ひょっとしたら、私、今、聞こえた・・かも。」

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