第11話 デッドヒート
絢子のチームは、やっとの思いで折り返し地点の神楽島に到着し、神主さんからお札を頂いた。
ここから再び、いかだを漕いでスタート地点へと戻ることになる。
絢子は、栄一と一緒にいかだを引っ張り上げると、再び波の中に浮かべた。
「ねえ栄一、さっきから潮の流れが南西から北東の方に向かっているの、分かる?だから、私たちがこの島からゴールまで、つまり南から北へ向かう途中、潮の流れが通り道を横切るような形になっているのよ。普通にここから真正面方向へ漕いでいたら、流されてゴールからほど遠い所に流されちゃうか、流れに抗ううちに、いつまでも前へ進めず時間ばかりかかると思う。」
「そうなんスか・・?波も無い、穏やかな海に見えるんスけど。」
「波が少し立ってるのが見えるでしょ。その波はどっちの方向に向かってる?ねえ、ちゃんと見てよ!」
「あ・・・確かに、波はゴールとは全然違う、入り江の端の方に波が向かってるっスね。これじゃあ、気が付いたら後戻りするのが大変かもしれないっスね。」
「だから、いかだを浮かべる場所を工夫するのよ。潮の流れが北東に向かうのなら、この島の少し南西側からいかだに乗ると良いかもね。途中、潮の流れの中を突っ切って行くよりも、むしろ流れに乗った方がゴールの近く位まで私たちを連れてってくれると思うから。で、ゴール近くまで来たら、上手く方向転換するのよ。」
「な・・なるほど!」
絢子たちは、神楽島の砂浜の南端からいかだを浮かべた。少し沖の方へ漕ぐと、潮が、徐々にいかだを北東の方へ押し流すかのように流れ始めた。
「すごい。ほんの少しオールを動かしただけで、どんどん進んでますね!」
「絢子ちゃん・・あんた、潮の流れが読めるの?それとも・・海の声が、聞こえたの?」
「ちひろママ・・そうかもしれない。さっき、海におぼれた時、何やら声みたいなものが聞こえたんですよ。その声が、潮の流れを教えてくれたの。」
「やっぱりそうなんだ・・あんた、漁師でもないのに、凄いわね!」
絢子たちのいかだは、折り返し地点では後ろから2、3隻目ぐらいであったが、いつの間にやら、中位の4、5隻が並走する集団に並び、そして、追い越していった。
「すごい!あっさり抜いちゃった。あ、あそこに微笑堂のいかだがありますね。もう背中が見えてきたっスよ。」
栄一は、大声を上げて斜め前にいるいかだを指さした。
微笑堂チームは、潮の流れに翻弄され、なかなか進めないでいる様子だった。
しかし、いつの間にか絢子たちのいかだは微笑堂チームに並び、そして、あっさりと追い抜いた。
「やった!」
絢子は思わず、ガッツポーズを見せた。
美玲は、すぐ左側を猛スピードで走り抜けていったいかだを見て、驚いた。
「・・・あれ?弓野さんのいかだじゃない?さっきまでずっと後にいたはずなのに?」
「あ~。そうだ!そうよね。さっきおっかない顔で私たちを睨みつけてた人だよね?やだ~どうしよう、このままじゃ負けちゃうよ。」
麻里奈は、首を何度も横に振り、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んだ。
「それだけじゃないわよ。負けて帰ったら、せっかく微笑堂チームの顔として参加してくれた麻里奈さんに、恥をかかせてしまうじゃない?何モタモタしてんのよ?もっと力を入れて漕ぎなさい!」
美玲は、男性陣を睨み、唸るような声で指令を下した。
「お、おう!このまま負けたんじゃ、俺たちも会社に支援してもらえなくなりますからね。必死でがんばります!」
「まずは、弓野さんのいかだの後を付いていって!あのいかだ、多少コースからずれているけど、上手く潮の流れに乗って、あれだけスピードが出てると思うから。」
美玲は、目ざとく絢子のチームのいかだの動きを見定めていた。
そして、男性陣は、オールの動きを潮の流れに合わせ、スピードを上げて絢子のいかだへの追走を開始した。
「や、やばいッス!絢子さん。微笑堂のいかだ、すぐ後ろに付けてきていますよ!さっきまで立ち往生していたはずなのに・・。」
栄一が、すぐ真後ろに微笑堂チームのいかだを見つけ、慌てふためいた。
「ねえ絢子ちゃん、このまま潮の流れに乗ったままでいいの?このままじゃ、岬の方に流されて行っちゃうわよ。どこかで方向転換しないと!」
ちひろは、潮の流れに乗ったまま、ゴールとは違う方向にいかだが進んでいることを心配していた。
「どっかで、方向転換したいけど・・どうしていいか、わかんない!」
絢子は「海の声」に従い、潮の流れに乗ってここまで進んでは来たが、ゴールはだんだん迫ってきたものの、流されていくうちに、段々とゴールから遠ざかっていくように感じた。
絢子は、思わず頭を抱えてしまった。
「海の声」を信じたはずなのに・・信じた自分が浅はかだったんだろうか?
その時、絢子は、出発前に勝が言っていた言葉を思い出した。
『悩んだ時は、落ち着いて、海を眺めて下さい。そして海の声を聞いて下さい。目をそらさないで、ずっと海を眺めていたら、ある時突然、海の声が聞こえてくると思います。そしたら、その声を信じて、オールを動かしてください。』
「あ・・そうだ。勝が私に言ったあの言葉。すっかり忘れてた。」
絢子は、焦る気持ちを抑え、心頭滅却し、水面をじっと見つめた。
「絢子さん、もう5メートル足らずの所に、微笑堂のいかだが来てるっス!抜かれるのは時間の問題っス!どうしよう・・。」
栄一の泣き叫ぶ声が聞こえたが、絢子は振り向かず、ひたすら水面を見つめていた。その時、突然、耳元に何やらささやき声が聞こえた。
『もう少し進むと、風向きがちょっと北寄りになってるね。』
『ぼくらも、風と一緒に、北に流れて行こうかな?』
どこからか、絢子が海に沈んだ時に聞いたのと同じ、「声」らしきものが聞こえたような気がした。
「あれ・・?あそこ、流れが少し変わってる。方向を転換するのは、あそこしかない!」
絢子は、すぐ目先に、潮の流れの一部がやや左寄りに逸れていくのを発見し、オールを振りかざし、他のメンバーに向かって叫んだ。
「私と同じ方向にオールを動かして!決して違う方向に動かしちゃだめだからね!」
「お・・おう⁉どうしたんですか?何かわかったんですか?」
「絢子ちゃん・・どうしたの?急に。」
「つべこべ言わないで!さ、行くわよ!そーりゃ!」
「そーりゃ‼」
絢子は、オールを左から右へ掻きだすように動かした。
栄一とちひろも、同じ方向にオールを動かした。
すると、いかだは、潮の流れる北東方向から逸れて、次第に北側へと転換していった。
「すごい!やった!」
潮の流れの強い所から離れたいかだは、次第に流れの弱いおだやかな波打ち際の方向に進んでいった。
そして、もう目の前にゴールが迫ってきている。
「さあ、あと一漕ぎだよ!みんな、気合入れて!」
絢子は、親指を立てて微笑み、大声で他のメンバーを鼓舞した。
「よーし、もう少しだ!そーりゃ!」
「そーりゃ!」
その時、ゴールの辺りがにわかに沸き立っているのが聞こえた。
目を凝らすと、何隻かのいかだが、すでにゴールに到着したようである。
「ああ・・優勝は、ナシ。かな。」
栄一は残念そうにつぶやいた。
「まあね・・私たちが折り返しに来る前に、すれ違ったチームがいたもんね。往路でモタモタしたのが大きかったのかな。」
その時、ちひろがすぐ後ろから、オールで水をザブン、ザブンと何度も掻きだす音を聞き、驚いて振り向いた。
「ウソっ・・!?」ちひろは思わず大声を上げた。
「どうしたの?ちひろママ・・。」
「微笑堂さん、すぐ後ろまで来ている・・。」
「え~!?さっき向きを転換した所で、引き離したと思ったのに。」
絢子の顔から、一瞬にして安堵感が消えた。
「まずい、まずいっスよ絢子さん!とりあえず、みんなで最後の力を振り絞りましょう!」
栄一は、オールで力強く水を掻きだし、少しでも引き離そうと試みた。
「フフフ・・ここからは力勝負よ。そうなったら、オリンピック候補の力自慢がいる私たちが勝つに決まってるわよ。」
美玲は、不敵な笑みを浮かべながら語りかけてきた。
「美玲、あんた・・どうやってここまで来れたのよ?潮の流れがあんなに速いのに、どこで方向転換したの?」
「弓野さん達がずっと潮の流れに乗ってきたのに、急に向きを変えたから、あれ?怪しいな・・と思ったから。だから、一度立ち止まって、弓野さんのいかだと同じところで向きを転換しようと試したんですよ。そしたら案の定、流れから逸れて、ここまで来ることができた・・ってわけです。」
そういうと、美玲はニヤリと笑い、男性陣の方を振り向いて、拳を振りかざした。
「さ、もうすぐゴールよ。麻里奈さんに最後には笑顔になってもらわなくちゃね。カメラマンもゴールに待機してるし、良い写真を撮ってもらわなくちゃね。さあ、最後にあなたたちの持ってる力をすべて解放してちょうだい。」
「オッス!西村さん。任せて下さい!」
ゴールでは、松葉杖にもたれかかる勝と、絢子たちがスタートした後、車いすに乗って病院から応援に駆け付けた慎太郎が待機していた。
「絢ネエだ!絢ネエが帰ってきたよ!」
勝が目ざとく絢子たちの姿を見つけた。
「本当だ・・ただ、すぐ後ろにいるいかだが、スピード上げてきてるな。ゴールまですぐとはいえ、まだ気を抜けねえな。」
慎太郎は、注意深く様子を伺っていた。
勝は松葉杖を下に置き、自分たちの船の大漁旗を持ち上げ、ギブスをしていない左腕だけで力強く振りかざした。
「絢ネエ!負けんな!俺たちがついてるぞ!」
絢子は、水面をじっと目を凝らて見つめた。
「絢子さん、もう水面を見てる余裕なんてないですよ!ひたすら漕ぐしかないんですよ!」
栄一は慌てふためきながら、絢子の顔を覗き込んだ。
『大丈夫・・ぼくらはこのまま、砂浜に向かってまっすぐ進むだけだよ。ただ、砂浜に打ち上げる時、波が一度盛り上がるから、気をつけてね。』
絢子に、再び「声」が聞こえた。
「よし!行くか。砂浜に向かう途中、波が少し高くなるから、しっかりいかだに掴まって、バランス崩さないで必死に漕いでね。」
「絢子ちゃん・・すごいわあんた。海の声が聞こえてるんだね。」
ちひろは、うっとりした表情で絢子の横顔を見つめた。
「さあ、もうゴールはすぐそこよ!みんな、最後の力を出し切って!そーりゃ!」
「そーりゃ!」
いかだは全速力で前に進んだ。しかしすぐ後ろに、微笑堂チームのいかだがしっかり後を付けていた。
すると、海面が突然盛り上がり、大きな波となって、砂浜に向けて一気に沈みかけていった。
「うわ!怖い!し・・沈んじゃう。」
「いかだから手を絶対離さないで!そのままの姿勢で、いかだと一緒に砂浜まで流されていって!」
絢子の指示通り、栄一とちひろはいかだの丸太の端に掴まり、押し寄せて行く波に流されて、そのまま砂浜にたどり着いた。
「や・・やっと・・着いたっス。」栄一は、青ざめた顔でため息をついた。
「最後・・波がジェットコースターみたいで、超怖かった・・。」
ちひろは、あまりの恐怖感で、しばらく表情が固まっていた。
「あはは・・最後、どうなるかと思ったけど、みんな、無事みたいだね。」
絢子は、みんなに笑いかけた。
その時、勝と慎太郎が、ゴールした3人の元に近づいてきた。
「やった~!おめでとう、うちらのチーム、総合5位入賞だって。すごいじゃん。絢ネエ、栄一、そしてママ、やったね!」
「ご・・5位?じゃあ、私たちの前に何組かいたの?」
「ああ、優勝は、消防団チームだよ。あいつらは何度も優勝経験あるから、今回もさすがだったな。でも、5位はすごいよなあ。旦那がいた去年ですら8位なのに。」
「あれ?・・微笑堂チームは、一体どうなっちゃったの。」
「ああ、あそこにいますよ。」
勝が指さした先に、沢山の人だかりができていて、救護係が駆け付け、応急手当をしている様子である。
「何とかゴールはしたみたいだけど、最後の波でバランスを崩して、メンバーの誰かが海の中に転落し、おぼれちゃったみたい。」
「え?・・そ、そうなんだ。」
絢子たちは人だかりの所へ近づくと、多田麻里奈が、青ざめた顔で救護係の手当てを受けていた。
その隣で、美玲と男性陣2人が、心配そうな顔で見守っていた。
「麻里奈ちゃん・・かわいそう。折角こんな田舎町のイベントに来てくれたのに。」
「この件で、もうこの町には二度と来ない!なんて言わないでほしいけど・・。」
彼女のファンらしき人達のがっかりした声が聞こえた。
その時、カメラを抱えた、アロハシャツ姿の大柄な男性が、不機嫌な表情で絢子たちの所に近づいてきた。
「ああ、あんた達だね。最後に多田麻里奈ちゃんのいかだとデッドヒート繰り広げたのは。もうちょっとさ・・空気を読むことはできなかったのかな?」
「空気?」
絢子は、訝し気な顔で男性を見つめた。
「私は微笑堂の専属カメラマンの土井というんだが、今回、ウチの顔である多田麻里奈ちゃんがこの大会に出るというから、彼女が夏空の下、いかだを楽しんでる写真をいっぱい撮ろうと思ってここまで来たんだ。微笑堂の広告誌に使おうと思っていたからね。それが・・おぼれて青ざめた写真なんて、まさか撮れるわけないだろう?一体どうしてくれるんだ!?」
絢子は、考え込むような表情で土井の言うことを聞いていると、人だかりの中から美玲が走り寄り、二人の間に割って入ってきた。
「弓野さん。私たちはあなたとの勝負に負けました。けど、これはいくら何でも、やりすぎじゃないですか?微笑堂の広告塔としてCMや雑誌で活躍してる麻里奈さんが・・これでもし入院して仕事が出来なくなったら、誰が責任を取るんですか?うちの会社を辞めたあなたには、もう関係ない話かもしれないけど、ものすごい損失なんですよ。」
絢子は、しばらく考え込むと、フフッと笑い、やがて髪を振り乱して大笑いした。
「責任?一体、何言ってんのよ。今日の私は「いかだ競争」に参加していただけだよ。ひたすらゴールを目指して、ただひたすら、自分の信じる道を選んで、いかだを漕いでいただけだよ。あんた達は、私たちのいかだに勝手についてきただけでしょ?」
そう言うと、絢子は美玲に背を向け、片手を振って、とぼとぼと歩き始めた。
そして、ある程度歩いたところで振り向き、微笑みながら口を開いた。
「私は、もう自分にウソはつきたくないんだ。ただ、信じてみたいんだよ。自分の素直な気持ちと、自分の信じる道と、「海の声」を・・ね。」
そう言うと、再び背を向け、歩き出した。
土井と美玲は、絢子の言葉を聞いた後、しばらくの間その場に立ち尽くした。
「何言ってんだ、あの女・・。「海の声」とか、寝ぼけたことぬかしやがって。自分のやったことを、きちんとわかってんのか?」
土井は、怪訝そうな表情で口をとがらせた。
一方で美玲は、しばらく黙った後、何かを悟ったような表情で、ポツリと口を開いた。
「いや・・私たちが、自分たちの判断で弓野さんのいかだを追走していったのは、まぎれもない事実なんで。」
「はあ?西村さん、あの女の言うことを認めるのか?会社の上の方の人達が聞いたら、きっと黙っていないと思うぞ。」
「その時は、私が謝ってきますよ。」
そういうと、美玲は微笑んで、救護を受けている麻里奈の所へと戻っていった。
絢子の元には、一緒にいかだ競争を完走した栄一とちひろが近寄ってきた。そこに、勝と慎太郎も加わり、お互いに讃えあい、ハイタッチを交わし、一緒に顔をくしゃくしゃにして笑いあった。
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