Part 6 私たちの旅は続く!(姉ルベラの冒険記)
「では、そろそろ行きましょうか」
私がシンの体を抱きしめると、シンは、体を硬直させた。
あらあら。
シンちゃんったら、久しぶりの転移魔法で、緊張しているのかしら?
いやいや。
こういう時に、いくら心の中だけとはいえ『シンちゃん』と呼ぶのは失礼ね。子供扱いするのは、彼がオネショした時だけ。それが、二人の間のルールなのだから。
だいたい、緊張しているのはシンだけではないはず。きっと、私だって同じ。そしてそれは、触れ合った体を通して、シンにも伝わっているはずだ。
前に立ち寄った村で買い込んだ食料や備品は、あと数日分しかない。節約しても一週間、無理に頑張っても二週間、といったところか。転移魔法を命綱として旅している私たちにとって、この魔法をシンが忘れたままだというのは、大問題だったのだ。
「ふうぅ……」
シンが深呼吸している。
私もそれに合わせることで、一緒にリラックス出来た。
ありがとう、シン。
さあ、近くの村まで転移しましょう!
「イアンヌ・マジカ!」
私たちは無事、オンザウ村の前まで瞬間移動できた。
「大きな村だ……」
シンが、感嘆の声を上げている。
確かに、彼の言う通りだ。
目の前に広がる村は、完全に『村』と呼べる規模を超えていた。これはもう『町』だ。
入ってみると、通りも賑わっていた。行き交う人々の数も多いし、活気にあふれた表情を見せている。
「姉さん、あれ!」
シンの指し示す方向に目を向けると、大きな看板が目に入った。『総合案内所』と書かれている。すぐ下に、窓の大きな小屋もあるので、それが『総合案内所』なのだろう。
旅行者や冒険者向けの施設だと思うが、そんなものをわざわざ用意するとは、配慮の行き届いた村のようだ。
「とりあえず、あそこで宿の場所など聞いてみましょう」
私たちは、案内所へ向かった。
案内所の係員に、冒険者であることを告げると、まずは冒険者組合に顔を出した方が良い、とアドバイスされた。
なるほど、これだけ大きな村ならば、冒険者組合の支部も設置されているわけだ。言われた通りに、まずは冒険者組合オンザウ支部へ行き、そこで話を聞く。窓口では、ちょっとした書類――冒険旅行の経過報告など――を書かされたが、その後すぐに、宿の場所とか冒険旅行の買い出しに適した店とか、必要な情報を教えてもらえた。
その途中で、
「そうそう、風魔法の異常の話、聞いていますか?」
窓口の受付嬢が、雑談として、興味深い世間話を持ち出してきた。
「風魔法に異常?」
私は、思わずシンと顔を見合わせる。シンも、不思議そうな表情だ。
「ああ、やっぱり。お二人は魔法士ではなく竜剣士だから、影響なかったのですね」
受付嬢の話によると。
一週間ほど前に、一時的に、風系統の魔法が一切使えなくなったらしい。
「ええっ? それって、風しか攻撃手段のない白魔法士には、死活問題じゃないですか!」
驚いたシンが、思わず口を挟む。それまで、受付嬢との対応は、私に任せていたのに。
「そうです。まあ、白魔法士の冒険者の方々も、少しくらい黒魔法が使えたり、武器を持っていたりで、他に攻撃方法があるのが普通ですが……。それでも、いざ使おうとしたら魔法が発動しない、なんて事態は困りますよねえ」
「大丈夫なのですか? 戦闘中に気づいても、すぐに対処できなかったら……」
私が尋ねると、
「ああ、はい。今のところ、これのせいで亡くなったとか大怪我したとか、そういった報告はないので……。とりあえず、しばらくの間、組合の方でも冒険者の方々に注意を呼びかけることになっています」
「先ほどの話では、少し前の、一時的な話らしいですが……。もう異変は収まったのですか?」
弟が、再び会話に加わってきた。
「ええ、それはもう。風魔法が使えなくなったのは、数時間程度なので。ただ同じことがもう一度あるかもしれないので、一応は警戒を……」
「他の系統の魔法も、突然使用不能になるかもしれない、ってことかしら?」
私は、急に心配になった。特に氷魔法が使えなくなったら、冒険旅行は俄然、不便になるからだ。
「いえいえ。今のところ、そんな予兆はありません。でも『風』は問題なのですよ。何しろ……」
「まさか、東の大陸に異変が?」
私は、受付嬢の言うことを先読みしてしまった。
我らが北の大陸が『火の大陸』と呼ばれているように、四大大陸それぞれに異名がある。その中で『風の大陸』となっているのが、東の大陸だった。
しかし、ここ北の大陸からでは、東の大陸の様子はわからないはず。四大大陸は、それぞれ分断されているからだ。大陸全土に広がる冒険者組合や教会だって、それぞれの大陸ごとに独立した組織となっているくらいだ。
一応、どの大陸も、地図の上では他の大陸と隣接した地域がある。例えば北の大陸の場合、南東部にある海峡を越えれば東の大陸へ渡れるし、南西部では西の大陸と地続きになっている。しかし南東部の海峡は、いつも暴風の渦巻く嵐の海域であり、船が通るどころか、海峡の向こう側を視認することすら出来ない。
また、西の大陸との間は、灼熱の火山地帯に遮られていた。常に噴火し続けている山々が連なるという危険地帯であり、とても山越えなど出来やしない。冒険者の間では『魔の溶岩地帯』として恐れられていた。
「いえいえ。私たち北の者には、東の大陸の様子をうかがい知ることは無理ですよ。でも、例の『海峡の魔風』が消えたのでねえ。これは『風』に何かあったぞ、と。もっぱらの噂です」
南西部の山脈を『魔の溶岩地帯』と呼ぶのに合わせて、南東部の嵐も魔に属する者の仕業と考えて『海峡の魔風』と呼称する人々もいた。特に、冒険者の中には、その通称を用いる者が多い。
つまり、東の大陸への渡航を遮っていた風の障壁が、ついに消えたということになるのだが……。
「やあ、いらっしゃい! ああ、お客さんたち、冒険者だね? じゃあ、もう『海峡の魔風』が消えたって話、知っているかい?」
宿に入ると、女将さんも、同じ話題を持ち出してきた。
「ええ、冒険者組合で聞きました」
「そうかい、そうかい」
女将さんは、私たち二人を部屋へ案内しながら、
「それにしても、素晴らしい話だねえ。これで東の大陸と行き来できるようになるから、大陸間の旅行なんて話も持ち上がるよねえ。お互い、長い間、連絡も途絶えていた未知の大陸だ。きっと物珍しさから観光客もたくさん……」
「ああ、そうなるでしょうね」
一応は、女将さんに頷いておく。実際は、そんなに急に旅行客が増えたりはしないと思うのだが。そもそも、村の外にはモンスターがたくさんなので、大陸の中を旅するだけでも危険なのだ。
まあ、それでも宿屋としては「観光客が増えるかも!」と期待するのも悪くないだろう。それに、もし女将さんの思い描く通りに旅行客が増えるなら、その警護役として、冒険者の仕事も増えるかもしれない……。
「これも全ては、風の神様のおかげだよ!」
おや?
女将さんが、先ほど組合の窓口で聞いた話とは、少し違う内容を口にし始めた。新たな情報を引き出すために、私が続きを促すと、女将さんは喜んで語り始めた。
「だって、そうだろう? 東の大陸で暴れまわっていた風の魔王を、ついに風の神様が滅ぼしたって噂だよ! さすがの神様でも、魔王との戦いに集中するために、魔法士たちに風の魔法の力を貸せなかった、って聞いたけど……」
ああ、そういうことか。
風の魔法の一時的な消失が、村人たちの噂話には、そう組み込まれているのか。風の魔法を使えなかった期間は、神様が頑張って魔王と戦っていた、ということになっているらしい。
「……でも、その結果、魔王が作っていた『海峡の魔風』も消えたわけだからね! いやあ、本当に素晴らしい話じゃないか!」
どうも女将さんの言葉からは、神様に対する敬意が感じられない。人々の利になることを為したから神を賛美する、というのは、信仰とは少し異なる。たとえ何も与えられずとも、それでも神様を崇めるのが、信心深い者なのではないだろうか。
それに、敬虔な信者であれば口にするのも汚らわしいはずの『魔王』という言葉を、さっきから平然と連呼しているし……。まあ、魔法の恩恵をダイレクトに受けている冒険者よりも一般庶民の方が信仰心が薄い、というのは、どこでも見られる光景だ。ある意味、仕方がないことかもしれない。
しかし……。
もしも教会関係者が、この宿に泊まったりしたら、あまり良い気はしないのではないか。特に、異端審問にも関わる調査官あたりが女将さんの話を聞いたら、どうなることやら。
「なんだか、疲れましたね」
案内された部屋で、二人きりになった途端、シンが呟いた。
まあ、久しぶりに合体魔法を使ったのだ。無理もないだろう。私だって、魔力残量がゼロに近いため、凄まじい疲労感がある。
「そうね。今日は早く寝ましょう」
私がベッドに横になると、真似するように、シンも隣のベッドに寝転んだ。すぐに、彼の寝息が聞こえてくる。
あらあら。
テント生活では、いつも寝つくまで時間かかるのに……。やっぱり、ふかふかのベッドは、寝心地も違うのかしら。
ベッドといえば。
シンには、オネショという悪癖がある。寝ている間に排尿して、宿のベッドを汚したりしたら大変だが、たぶん今晩は大丈夫だろう。シンのオネショは、かなり定期的なもので、だいたい月に一度か二度くらい。少し前にオネショしたばかりだから、しばらくは心配ない。
まあ、そもそも。
オネショといっても、小さな子供のオネショとは違う。ズボンやベッドをビショビショに濡らすようなものではなく、あくまでも、下着を少し汚す程度だ。
まだ私が冒険者になる前のことだが……。
たまたま知り合った女性冒険者から、こんな話を聞いたことがある。
「ここだけの話だけど……。私の
私は驚いた。当時は、シンも今のようなオネショなどしておらず、大人がオネショするという話自体、初耳だった。
「それって、小さい頃から続いてる、ってことなの?」
私が尋ねると、彼女は首を横に振った。
「違うわ。オネショが始まったのは、二人で冒険旅行をするようになってから。まあオネショといっても、チビッと漏らす程度だし、匂いも子供の小便臭さとは違うから……。普通のオネショとは別物で、大人のオネショね」
そう言って笑う彼女に対して、その時の私は、よく理解できなかった。
でも、今ならばわかる。
シンも同じだからだ。
彼の『大人のオネショ』が始まったのは冒険旅行に出てからだし、その悪臭もシンがオムツをしていた頃とは違うし、漏らす量も少しだし。
だから、きっと男性冒険者には結構ある話なのだろう。
ちなみに、シンには、この女性冒険者から聞いた話は告げていない。そもそも、シン自身は、自分のオネショの詳細を知らないはず。だって、シンが寝ている間に、着替えとか掃除とか、私が全部やってしまうのだから。
もちろん、私だって、若い男の子であるシンの下半身を拭いたりするのは、少し恥ずかしい。でも『姉』として、これくらいやってあげたいと思うのだ。一応、その間にシンが、下半身丸出しの状態で目を覚ますことのないように、いつも私は、睡眠魔法をかけることにしている。
睡眠魔法ソムヌムは、闇の系統に属する魔法なので、魔法学院では教えてもらえない。ダンジョンの宝箱から出てきた『魔法の書』のおかげで、私たちは、これを知ることが出来た。入手して早速試した時には、シンも私も、上手く発動しなかったのだが……。
少なくとも、私の場合。起きている相手を眠らせることは出来ないが、眠っている者の睡眠をさらに深くして、しばらく起こさないようにするくらいならば、なんとか使えるようだ。まあ、それではモンスターとの戦闘では役に立たないので、用途は非常に限定的になってしまうけど。
とりあえず今のところ、私の睡眠魔法は、オネショの処理の際に使う、専用の魔法となっていた。おかげで、途中でシンが目覚めて二人が気まずくなる、という事態は避けられている。それに、この睡眠魔法のために、オネショした後のシンは必ず寝坊することになっていた。でも、その分、いつも以上に疲労も取れて、シンはスッキリした気分で起きてくるから、これはこれで良いことだと私は思っている。
そうやってシンのことを考えながら眠りについた私は、翌朝、いつも通りシンより少し早く目が覚めた。
とりあえず、ベッドの中に入ったまま、隣のベッドで眠るシンの寝顔を眺めていると……。
まるで私の視線に気づいたかのように、シンが目を開けた。ぼんやりした目つきで、こちらを向いて、
「ああ、姉さん。おはようございます」
「おはよう、シン」
さあ、また新しい一日が始まる!
宿屋の食堂で朝食をとりながら、今後の予定について、少し話し合う。
「この村、かなり広いみたいね。しばらく滞在するのも、悪くないんじゃないかしら」
「村に滞在?」
サラダを口に運ぼうとしていたシンは、その手を止めて、
「……ああ、ダンジョン探索ですか」
「そう。これだけ広い村ならば、村の中に色々なダンジョンがあるでしょうし。一応、後で冒険者組合で、確認しないといけないけどね」
私たちは冒険旅行をしているので、いつもは野外をうろつくモンスターと戦っている。経験値稼ぎという意味では問題ないのだが、それではダンジョンと違って宝箱がないので、金やアイテムが得られない。もちろん野外に存在するダンジョンもあるのだが、何もないところより、村や町の近くにあるダンジョンの方が圧倒的に多い。この村の中のダンジョンにせよ、近隣のダンジョンにせよ、それらの情報は冒険者組合で得られるはずだった。
「冒険者組合といえば……」
頬張ったサラダを飲み込んだシンが、思い出したように話を始めた。
「……昨日あそこで聞いた『海峡の魔風』の話。あれ、なかなか興味深いですよね」
「あら、シンも私と同じことを考えているようね」
私たちは『姉弟』として合体魔法を使えるくらいの、強い結びつきがある。ある程度は、互いの考えもわかる関係だった。
「行ってみませんか?」
どこへ、とは口にしなかったが、シンの想定している場所は想像できた。
「そうね。ちょうど私たちは、東へ向かっていることだし……。渡るかどうかは別として、見に行くだけでも面白そうね」
東の大陸との間に位置する、南東部の海峡。
かなり遠いけれど、この村を出た後、ずっと先の目的地として、そこを目指すのも悪くない。
だって。
私たちの冒険旅行は、まだまだ、これからなのだから!
それにしても。
意識不明から回復したシンが「なぜ弟と姉なのに姓が異なるのか」と質問してきた時は、本当に驚いた。
私は正直に答える代わりに、ちょっとした
まさかシンが、それを素直に信じてしまうなんて!
呆れたというか、笑いたくなったというか……。まあ全てを『思い出す』には時間がかかる、という話もあるから、仕方がないのかもしれないけど。
よっぽど深い記憶の奥底にしまいこんでいるのかしら?
それとも、事実を捻じ曲げるほど強く思い込んでいるのかしら?
だとしたら、このままシンは、本当のことを思い出さないかもしれないわね。
……今でこそ互いに『姉弟』のような感覚だけど、実際のところ私は貰われてきた子供だから、シンとは血が繋がっていない、という真実を。
(『姉弟二人旅 ――火の大陸の物語――』完)
姉弟二人旅 ――火の大陸の物語――(「ウイルスって何ですか?」外伝) 烏川 ハル @haru_karasugawa
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