雪化粧

すごろく

雪化粧



 これは今よりずっと昔のことですが、雪には毒があると信じられていました。

 これはなぜかと言いますと、春になり、雪が溶けると、雪の下に埋もれていた死骸らが露わになるからです。

 人々はその死骸らを見て、雪に殺されたのだと信じ込んでしまったのです。


 その上、これまた不思議なことに、その死骸らはとても美しいのです。それらは近くで見ても、ただ目を瞑っているだけかのように見えるのです。死骸の肢体を染める真白さは、その美しさを一層際立たせました。



 人々は、死骸を包む優艶な白さを雪化粧と呼びました。



 少女が一人おります。そして、その少女の御付きの男が一人おりました。


 少女は兄の死骸と対面しています。この死骸は昨夜、雪の下に埋もれていたのを庭師が発見したものです。

 美しい真白さに包まれた死骸。

 周りの人は皆、口を揃えて言いました。

「雪に殺されたのだ」と。


 彼らは、兄の、抉れた傷跡について何も言いませんでした。

 ただ少女に、雪には気をつけなさい。そう言うのです。


 悲劇が起きてしまった、とでも言うように悲痛な表情を浮かべる人々。少女の目には、それらの不気味な仮面の奥にある、醜悪な鬼の面が映っていました。


 次は自分の番。少女はそれを分かっていました。



 その日の晩のことです。都に雪が降りました。雪が降ると、都は静寂に包まれます。人々が雪を恐れて家へと避難するからです。


 雪が都を白く染め上げ終わった頃です。少女は雪降らす夜空を見上げながら、御付きの男に言いました。


「雪に毒なんてありませんよ」


 そう言うと、少女は真白の世界に向かって駆け出しました。男は急いで少女を追いかけます。

 すると、少女は立ち止って、男の方へくるりと振り返り、両手を広げてみせました。


「ほら、言った通りです。雪に毒なんてないんです」

 髪に雪を纏わせた少女は無邪気な笑顔を浮かべました。そして提案しました。


「いま、人々は皆、雪を恐れて、家に隠れています」

 少女は夜空を指差します。



「一緒にここから逃げてしまいましょう」



 真白さに包まれた都、雪降らす夜空の下には少女と男だけがいます。真白の地に、二つだけ足跡が残りました。少女はそんな初体験を楽しみました。


 雪は翌朝まで降り続けました。




 少女と男は二人で暮らし始めました。その生活は二人にとって、幸せなものでした。しかし、二人は表に出ることが出来ません。次第に生活は困窮していきます。

 いよいよ、どうすることも出来なくなった頃でした。


 雪が降りました。

 少女はそれを見て、男に言いました。


「ねぇ、一緒に悪党になりましょう」


 男は困惑して、どういうことかと問います。少女は微笑を浮かべます。


「盗みに出かけるのですよ」

「雪が降っています。みな、雪を恐れて逃げてしまって、都には誰もいません。きっとそれは成功しますよ」


 真白の世界を背にして男に微笑みかける少女の姿は、ただひたすらに優艶なものでした。頰に垂れた美しい黒髪、濁った大きな瞳、真白の肢体。どういうわけか、男にはその美しさが、どこか雪に似ているように思えるのです。


 二人は邸宅に忍び入り、宝石や着物などを盗み出しました。


 少女はそれらを盗み、手にしては、微笑を浮かべました。それが宝石らを手に入れたことへの満足感によるものなのかどうか、男には分かりませんでした。

 しかしそれが、少女が男によく見せる、無邪気な笑顔とは明らかに異なっていることは分かりました。


 二人は雪が降るたびにそれを続けました。二人の生活は困窮から抜け出しました。しかし少女の欲は、盗みを続ける毎に増していっているように、男は思いました。



 ある、雪降る夜のことです。

「雪が降っていますよ」

 少女は男に言います。しかし、男は聞こえないふりをします。

「外に出てみてはどうですか。美しいですよ」

 男は黙ったままです。少女の目は曇っていきます。

「今日は都に行きたくないのですか」

 男は黙って頷きます。

「分かりました」

 女は静かに言いました。


 凍えるような夜です。男は家で暖を取っていました。その温もりがあまりにも心地いいのでいつのまにか寝てしまっていました。


 氷のような、冷たいものが男の頬を撫でました。男は驚いて飛び起きました。男の頬を触れたのは少女の手でした。

 はじめ、少女は男の反応に困惑しましたが、その後、笑顔を浮かべて言いました。


「これを見てください」


 少女が男に見せたのは、雪で作られた大小異なる二つの玉でした。大きい玉の上に小さい玉が乗っかっているのです。これは何かと男が問うと、達磨だと少女は言いました。よく見ると、それには目と鼻が付いていて、面白おかしい顔をしているのです。


 男は笑いました。少女も無邪気な笑顔を浮かべます。その純真な瞳は男に安らぎを与えました。


 その晩、少女と男は話をしました。面白いこと、悲しいこと、みんなについてです。


 男は女が欲しいものについて尋ねました。女は答えます。


「私は一つを除けば、他は何もいりません」

 女は続けます

「でも、貧が富を、醜が美を、愚が知を、要らない、なんて言えば不細工でしょう」

「だから、私は全てを否定したいから」

「何もいらないから」

「何も欲しくないから」

「何もかもが欲しい」



 空を覆う雲が晴れ、月が顔を覗かせます。外は月光で明るくなりました。


「ねぇ、遊びましょう」


 少女は真白の世界へ駆け出します。男はそれについていきます。男が外へ出ると、少女は男に向かって雪玉を投げつけました。お返しだと言って男も少女に雪を投げつけます。少女は笑い、男も笑いました。そうやって、二人は、二人だけの真白の世界を祝福しました。



 それ以降、雪は降りませんでした。



 桜が咲き始めた頃です。

 少女は病に倒れました。家に薬はありませんし、この時代、薬を取り扱っているのは寺の僧侶です。家から逃げ出した身である二人は、それを貰うことは出来ませんでした。


「都に行ってはいけませんよ」

「雪が降るまでは」

 少女は男に何度もそう聞かせました。


 男は雪が降るのを待ちました。しかし、一向にその気配はありません。

 日が経つにつれて都は暖かくなります。

 日が経つにつれて少女の容態は悪くなります。

 痩せ細っていく少女の姿に、男はついに耐えられなくなりました。そして、薬を盗みにいってしまいました。


 寺に忍び込み、ただ、薬だけを探しました。一部屋全てを探し終え、次の部屋に向かおうと振り向いたその時でした。


 男の肩を刀が貫きました。肩から血が噴き出します。その刀の持ち主はお前は誰だと男に問いました。

 男は絶叫しました。朦朧とする意識の中で無我夢中に走りました。逃走途中で背中を斬られ、左手を斬られました。

 とうとう男は倒れこみました。男は這って、家へ帰ろうとします。幸せなあの場所へと戻る為に。


 次第に体が冷たくなります。地を掴んだ指が動かなくなります。視界から色が失われていきます。


 地面が白く染め上げられていきます。


 雪が降ったのです。


 雪は男の体を覆っていきます。男の目はゆっくりと閉じていきます。


 その時、暖かいものが、男の頬を触れました。それは、少女の手でした。

 ありえない。そう言いたげな目をする男。それを見て少女は小さく笑い、男の頰を撫で、顔の上の雪を払いました。


「私の為に、ありがとうございました」


 少女はそう言って、男の手を握りました。


「たった一つ、欲しかったものを手に入れられた。だからこれで良かったんです」


 少女は男の横に倒れ込みました。


「私の顔は酷く醜くなってしまったのでしょう」

「ですから、雪に化粧をしてもらわないと、いけませんね」

 雪は、少女の白い肌を、さらに淡い白に染め上げていきます。


 少女は真白に染まった首を曲げ、男の方へ顔を寄せました。

「こうする他、どこに私たちの幸せがあったのでしょう」

「だからこれで良いんです」

「私たちは何も間違っていません」

「私たちは確かに幸せでした」


 二人は、雪の毒に侵された手を重ね合わせます。


 優艶な白さは二人を包み込んでいきました。





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雪化粧 すごろく @meijiyonaga

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