性欲のお強い黒一輪珍太郎のあゆみ

桑原賢五郎丸

性欲のお強い黒一輪珍太郎のあゆみ

 黒一輪くろいちりん珍太郎ちんたろうは極めて旺盛な性欲の持ち主であった。

 人間のおしべとめしべの関係を知った小学校6年の時、家の鍵穴に何度も鍵を出し入れして親に怒られた。

 中学生になると天気予報での「台風はますます勢力を強め」に鼻息を荒くし、高校を卒業する段階になっても、辞書の性的な言葉のみを熟読して受験に失敗した。


 一度社会人になったことがある。

 居酒屋で行われた珍太郎の歓迎会で悲劇は起こった。

 女子社員が景気よく注文する「なまちゅう!」という言葉に過敏反応した珍太郎の珍太郎は怒張し、暴発した。それ以後出社することはなかった。



 もちろん無職のままでいるわけにもいかない。

 趣味の欄に「映画鑑賞」と書いた履歴書を持参し、面接を受けた。


「黒一輪さん、趣味は映画鑑賞とありますが、どんな映画をお好みで」

「すみません、それは嘘です。世間体の良い趣味を書いておけば面接を受けさせてもらえるだろうと考え、偽ってしまいました」


 面接官は珍太郎に好感を持った。素朴で嘘がつけない男であるという印象を抱いたのだ。

 それは間違っていないが、珍太郎は素朴で嘘がつけない以上に、愚直な男だった。中学生の頃から好んで聴いているミュージシャンの「どんなときでもキミらしく〜♪」「キミの個性が光る世界〜♪」という安っぽいフレーズを何より大事にしてしまうほどの愚直さだった。


「では、今一度伺います。黒一輪さん。あなたの本当の趣味は?」

「手淫です。一芸でもあります」

「は? シュイン……? ああ、御朱印集めですか」


 珍太郎はそんなことも知らんのかと言いたげに苦笑した。


「いえ、おわかりになりませんか。自慰のことです」

「いや、わかりますが、それは何の例えですか」

「例えではありません。マスターベー」

「結構です。お引取りください」

「お疑いでしたら今ここで」


 珍太郎はズボンを下ろして珍太郎を構えようとしたが、警備員によって強制退出させられた。



 珍太郎は愚直で、稀に見る旺盛な性欲の持ち主であったが、善良な人間でもあった。性犯罪を企てたことなど一度もなく、そういうお店に行くカネもなかった。

 その為、右手のみが徹底的に鍛え上げられた。右手の上腕のみが左手の倍以上に太くなり、カニのシオマネキのようなフォルムになった。右手の平のみ細かなヒダが生じ、それは常にしっとりしていた。

 時間も制限した。即ち、5秒で一回。しばし間を挟んで15分で一回。そして就寝前のOne Hour Ejaculationいちじかんたいきゅうと一日三回、珍太郎は珍太郎を鍛え上げた。


 心を許した友人はいない。

 映画、本、乗り物や旅行といった会話は珍太郎にとって苦痛であった。見栄で飾った趣味の話になんの意味があるのかも理解できなかった。珍太郎の頭の中にあるのは、ただひたすら一途な放出欲求だけである。

 幾度か「趣味」の話に興味を持ってくれる奴もいたが、熱意を持って屹立させながら話をした結果、珍太郎は孤立した。



 動画サイトに投稿してみてはどうだろうかと思い立った。

 最初の1本は予告編だ。


「このチャンネルでは、私、黒一輪珍太郎が、5秒から1時間まで、寄せられたコメントに応じてピッタリのタイミングで果ててみせます」


 再生回数は5回、コメントはゼロ、更にチャンネルは凍結された。



 この右手の特徴を活かして商売にできないだろうか。そう思い立った珍太郎は親にカネを借り、実家に大きな看板をこしらえた。



 し こ り ま す



 と隷書体でデカデカと書かれた横には、無愛想な珍太郎の顔写真が印刷されていた。

 客は来ず、黒一輪家は町内会から村八分にされた。取り外すのもめんどくさく、看板はそのまま放置されたのだった。



 珍太郎は徐々に、というか順調に狂い始めた。「おれの個性を認めないのは日本が悪い」病が発症したのである。

 海外ならば個性を尊重されるに違いないと思いたち、泣いている親にカネを借りて海外へ飛んだ。

 街角でズボンを下ろすやいなや通行人たちから袋叩きにあった。逃げた先でまたボコボコにされた。


 もはや珍太郎は女性にすら興味がなかった。

 ただあるのは、ひとえに放出への欲求だけだった。


 やがて両親が亡くなり、僅かな遺産を手に入れた珍太郎は、家を道場に改装した。

 自慰道じーどーの開祖となった珍太郎は入門者を待ったが、誰も来なかった。柔道と間違えやすい名前を付けたせいだと確信していた。

 ある日、道場の軒先に転がったサッカーボールを追いかけてきた子供と珍太郎の目が合った。

 子供は訊ねた。


「おじいちゃん、ここは何を教えてる道場なの?」

「うむ、ここは」


 珍太郎は身振り手振りを交えて丁寧に説明した。いつか門下生になり、次の国際オリンピュッピュに出場するような選手になるかもしれない。


「じゃあおじいちゃんは子供がいっぱいいるんだね!」


 子供の容赦ない質問にえぐられるような柔らかい心は、だいぶ前に捨てていた。


「おらん」

「じゃあなんでそんなに子作りの練習してるの?」

「そりゃおまえ」


 珍太郎は少しだけ笑ってこう答えた。


「趣味だからよ。自己満足以外の何物でもねえよ。だから一生懸命やるんだろ?」

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