第10話
その森の奥の、万年樹の根元に、彼は倒れていた。
「ゴルドーさん……!」
へとへとに疲れ切った足を何とか引きずって駆け寄る。周囲の緑はところどころが焼けこげ、彼の持つ魔剣による被害の跡をうかがわせていた。
今しがた最大の難所を乗り切り、身も心もギリギリまですり減らした後に、この惨状。ここで何が起こったのか、それはともかくとして、これ以上の困難は勘弁してほしいところ。
けれどその心配はたぶん要らない。
なぜなら、既に終わっている。終わった気配、終わった静寂だけが、ここにある。
離れたところに、煌々と燃えさかり、今にも空気に融けようとする巨大な物体。
あの茨をも超える脅威が現れ、彼は致命傷を受けながらも打ち倒した。そう容易に想像できるほど、ここにあるのは残骸ばかり。
冒険の後。夢の跡。
ゴルドーさんはうつぶせに倒れながらも、右手を万年樹の根元につかせていた。辿り着いたと、言わんばかりに。
成し遂げて、勝ち誇るように。
これが彼の成れ果てだというのなら――。
「本当に馬鹿な人」
ゴルドーさんの体を裏返して、その胸に耳を当ててみる。脈は弱々しい。息は……ほとんどしていない。今にも命尽きようとする、生命の最期のあがき。
いや、あがいてすらいない。生に固執せず、安らかに死を受け入れようとしている。意識のない彼の表情に、一片の苦痛も滲んではいないのだった。
ただひたすらに宝だけを求め、他の一切を切り捨てた。それは全く後悔の残らない生き方で、だからこそ満足なのだろう。
「気に入らないんですよ」
私は巨大な万年樹を上がっていった。窪みに足をかけながら根をよじ登り、ゆるやかに上へ螺旋状に伸びる、人が歩けるほどのツルを歩いていく。
一つだけ分からなかったことがある。それは彼が、どうして私と同行したのかということ。秘宝にしか興味のない彼が、どういう理由で私を導くような真似をしたのか。
そこらへんもちゃんと問い詰める必要がありそうだ。
万年樹の幹に一つ大きな
「霊薬……」
何でも治すという、伝説の霊薬。
本当にこれがそうなのかと疑うより前に、幹の窪みに足を掛け、
広い樹洞空間には、薄緑色の液体と、数万年を生きた大樹の香り。くらくらするほど濃縮された空気に、私は早く事を済ませようと思ってツールバッグから水筒を取り出し、水面につけた。
薄緑の中にぶくぶくと気泡が現れ、水面が躍る。
筒が霊薬に満たされたところで、撤収。
慎重に来た道を引き返す。力の入らない体が最後の最後でつまずかないようにだけ気をつけ、そしてゴルドーさんの元へと。
すぐ傍に膝を着いて、
「どうです? あなたが欲しがってた宝ですけど、私が先に頂いちゃいましたよ。残念でしたね」
思い切り意地悪な言葉を吐きながら、水筒を意識のない彼の口もとまで持っていった。
霊薬が飲ませるものであるのか、とか、死にかけの怪我人にも効果があるのか、とか、そもそもこれが本物であるのか、とか。
今は、考えられなくて。
飲ませた。
薄緑色の液体が彼の喉を潤してから風が吹くまでと数瞬余り。
ゆっくりと瞼が開く。
茜空の瞳に光が浮かび上がることで外の情報を捉え始める。すなわち目の前の真正面から見下ろしている私を。
「オマ……エ、……な…………ぜ……」
なぜここにいるのか。なぜ助けたのか。
「借りを返しに来ました」
そういえば、と私は言った後で思い出していた。勝手に借りなんてものを感じていたのだっけ。確か沼の辺りで。
ずる賢くも私はこの機に乗じて貸し借りを清算したというわけだ。まあこれで、気後れすることなく言いたいことが言える。
「そう……か……」
「ゴルドーさん」
強いるような口調で、
「私、あなたのことが嫌いです」
告白する。
「だから否定します。邪魔します。最後の最後であなたが命を投げようとしたなら、私が残らず拾ってやります。宝の方が大事だと言ったあなたの命の価値を、私が何よりも保証してやります」
畳みかける。叩きつける。相手の生き方に真っ向から逆らって、尊厳を傷つける。
ただ認められないために。
目の前の宝のみを求める不屈のトレジャーハンターを、最後の一線で引き留めるために。
「思い通りになんてさせてあげない。この無様な現実が私を拾っていった代償です。勘弁して、もうちょっとだけ生きなさい」
「……ちくしょー」
彼は私の向こう側にある空を眺めた。あるいはすぐ側の万年樹を。
「覚悟が、濁っちまうだろうが……」
それは呆けたような、諦めるような、降参だった。
また大樹を揺らす、風が吹く。
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