第8話
「いつから、気づいていたんですか……?」
「レイシー、オマエにこの森の話を聞いた時点で、なんとなくは予想していたさ」
「そんなに前から」
この人は始めから分かっていて飛び込んだのか。いや、それだけでなく、分かっていて、私すらも巻き込んだのか。
「だが、確信したのはついさっき。オマエと同様、オレも意識を失い、あの茨に飛び込みかけた。そこで気づいたよ。どうやらこの森自体に流されているようだってな」
流されている。右から左に。上から下に。口から胃を過ぎ、腸に。
流されて、運ばれる。食事行為。
「最初に手ひどく痛めつけたのは、ある程度の血を流させて体力を奪うためだったんだろうな。そうして毒沼の精神汚染に抗えなくする。正気を失った獲物は自分から茨に突っ込み、万年樹の栄養になるって寸法よ。いやー、よくできてるよな」
「ここまでは誰もが通る道だと……?」
「通るだけならな。まあその後は、分かるだろ?」
「
「並の冒険者ならそんなとこだろうな。オレたちはまだ体力を残せている方だから、まだどうなるか分からんがな」
「楽しそうですね」
「楽しいからな」
「死ぬかもしれないのに?」
「それこそ初めから分かっていただろう?」
その通り、分かっていた。たとえ予想以上に森が狡猾で、まさか万年樹の悪意がこもった罠だと知らずとも、死ぬかもしれないことだけは織り込み済みだったはずだ。
だから違う。この胸を激しく打ち、迫るように訴える違和感は、そんなことではなくて。
「罠、なんですよね。それが本当なら、霊薬が存在するかどうかすら、分からないってことじゃないんですか?」
「そうだな」
その可能性は私も疑っていた。だって未だ誰も手にしていない宝があるなんて、誰が保証してくれるのだろう。
なら誰がそんな噂を広めたのか。明白だ。数少なくとも、森から帰った人がいたと知っているじゃないか。そして彼らの大半が精神に異常をきたしていることも、知っている。
彼らの誰一人として霊薬を手にしてはいない。けれどその人たちは口走ったのではないか。あの万年樹のうろには霊薬がある、と。何の根拠もないのに。
万年樹に精神を壊された挙句に、わざと返されたのではないか。噂を広める役目を背負わされて。
果たしてこれは、考えすぎなのだろうか。
「ゴルドーさんは――」
私は彼を睨んだ。多くを知っていて、しかし語らず、なおも前を向き続ける彼の目を覗いた。
「それでも、進むんですか?」
「ああ。当然だ」
変わらぬ平然とした口調。尽きぬ瞳の光。ただただ遠くへ向かう姿勢。それらこそが違和感の正体。
私には理解できない存在への恐怖だった。
「存在するかどうか分からない? 宝箱を開けてみりゃあスカだった、なんてことは日常茶飯事だ。存在なんざ、オレが宝を求めない理由にはならねえ」
怖い。
常軌を逸した探求心が、怖い。
「そこにあるというなら。一欠けらでも可能性があるというなら、迷うなんて無駄を挟む必要はねえ。行って確かめればいいのさ」
無意味を微塵も恐れぬ心が、気持ち悪い。
「私には……罠だと知って、存在すらも分からなくて、それでも追い続けることは……命を賭けることは、できません」
たとえそれが、病気の母親を助けるためだったとしても、自分の身よりは軽い。
「オレにとっては屁でもない。単純な話さ。オレが求める宝は、オレの命より価値あるモノってだけだ」
気持ち悪い。気持ち悪い。真っ当すぎて、眩しすぎて、吐き気がする。
価値基準が致命的に狂っている。
命より大事、なんて言葉は、使ってはいけないのに。あってはいけないのに。理想の中だけに存在する言葉なのに。
簡単に言ってのけて、体現してしまうのは、人として狂っている。
「そんな生き方は、全然よくない……」
以前に私は、彼を止めるべきなのかもしれないと思った。ドラゴンと剣のたとえ話の中、彼の振舞いが悪いとされる人間のそれに近いと感じたから。
でもそれは違った。彼を止めるべき理由は、その価値観にある。宝を前にしては全ての価値は暴落し、貶められる。そういった在り方は、無差別の破滅しか生まないから。
だから私は、許せないのだ。
「やはり、オマエもついてこれないか」
ゴルドーさんは立ち止まったままの私を捨て置き、また進もうとする。
待ち受けるのは苦難の道。報酬は仮想上の霊薬。それでも構わないと、茨の道へ。
「オマエは迷い過ぎている。この程度の事実に意志が揺らぎ波風が立つようでは、決定的な場面で必ず折れる……行き掛けの駄賃のつもりだったが、結局はこうなったか」
期待、なんてものをされていたかどうかは分からない。けれど裏切った私に、彼が落胆を示すことはなかった。ただ当然とばかりに通り過ぎ、そして振り返らない。
腰の剣を抜き払った。
「ドラゴンと封印の剣の話をしただろう。あれは作り話じゃないんだが、事実でもない」
「火炎の滅亡を再現する魔剣を封印していたのは竜種の方――」
その刀身にため込んだ破壊のためだけの火炎を、薙ぎと共に解き放つ。
瞬間、彼の眼前にあった茨は膨大な熱量を叩きつけられ、灰塵と化した。
「――ま、器が足りないせいでいくらか格落ちだがな。…………できれば使いたくなかったさ」
彼は歩く。暴威で蹂躙してこじ開けた道を踏みしめ前進する。
地中から新たな茨が出現し、あろうことか彼に襲い掛かったのだが、その一切合切は再度火の中に消えていくのだった。
いつの間にか私は膝を着いていて、立ち上がることも出来ず見送っている。今まで以上に豪快に切り払われた道を、どうしても私は歩く気になれない。ゴルドー・ワースと同道することが躊躇われて。
火炎が残した色のない世界。その上を行く後ろ姿。
どんな顔をしているのかは、最後まで見えなかった。
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