第3話
嘘なのだった。
私に関するあらゆる事情が、口から出まかせなのだった。
母親は二本の足でしゃんと立っているし、病気など微塵も感じさせないほどの快活さだし、何なら村を出る私に「気を付けてね」なんて言って、そりゃあもう元気に手を振っていた。遠くの町に行った、という部分さえ嘘。
嘘、嘘、嘘。
ただ、霊薬が欲しいというのは本当。
誰もが欲しがるという霊薬だ。一介の村人である私だって例外じゃない。
治したい病気は、目下のところない。将来的にはあるかもしれないけれど、今の私には関係ない。多くの人がそうであるように。
霊薬にはとんでもない価値がある。それはもう、空前絶後の希少価値だ。それでいて需要も多い。
売るべきところに売れば、お金になる。
「しかし名前も分からないが不治の病とは、難儀だな。随分と入念に救いがないもんだ」
「ですよね」
「それはもう霊薬に頼るしかないわけだ。おあつらえ向きにな」
「……ですよねー、近い場所にあって助かりましたー」
道中でそんな
冷や汗ものだ。妙に的を射たことを口走っている気がする。もっと計画を練るべきだったかも。
これでも一応、悪い事をしているという自覚はある。ばれた時のことを考えると、胸の辺りがむかむかするのだ。
「良薬は口に苦い、なんて言うが……噂の霊薬はどんな味がするんだろうな?」
しかし心配は杞憂に終わりそうだ。都合のいいことにゴルドーさんはかなり鈍い。
「やはり苦いのだろうか。いやいかし、霊薬は大樹のうろに溜まった雨水という話。ならば真水と同じ無味……? いや万年樹の成分か何かが染み出て味が変わっているかもしれん。いっそ甘いというのもありそうだな。何せ他の薬とは格が違うのだし、一般的なことわざに当てはめることはできんか」
彼は秘宝であるところの霊薬の話となると、他のことはどうでもよくなるようだった。
鋭い目は変わらずだが、心なし言葉がはしゃいでいる。
「薬が飲むものとは限りませんけどね」
「そこのところも曖昧なんだな。しかし、かけたり浸けたりするタイプの霊薬で、オマエの母ちゃんの病気は治るのか?」
「どうなんでしょうねー」
「病気に効くというから、飲むものと考えるのが普通と思っていたが」
「あはは……」
あ、危ない。下手なことを言うとボロが出る。私の母親は内臓病だ。設定を忘れるな。
「あー、結構母のことを心配してくれるんですね!」
「意外か?」
「人のことを気にする方と思わなかったので。依頼も断られたし」
「ふん、これでも血も涙もある人間だ。断ったのは、さっき言った通り。変な事情を交えると、いざという時に決心が鈍る」
「んむ? どういうことですか?」
「要は矛盾が生じると駄目なんだ」
言ってゴルドーさんは話を始めた。
「例えば、オレの目の前にいかにもな台座に刺さった剣と、いかにもなドラゴンがいるとする。ドラゴンは眠っていて、その土地では剣を抜くと災いが訪れる、なんて言い伝えがあったりする」
まるで童話のような話だ。一度くらいはこういう本を読み聞かせられたかもしれない。まあ、完全に作り話とも言い切れはしないのだけど。
「オレが欲しいのはまさにその剣だ。剣を引き抜けば、ドラゴンは目覚めるかもしれない。その土地を火の海に変えるかもしれない。オマエならどうする?」
「そりゃあ黙って立ち去りますよ」
突然話を振られたのでびっくりしたけど、これが恐らく常識的回答。
「何故?」
「だってそんなことをすれば土地を滅ぼしてしまいますし、何より自分の身が危ないです。いくら剣が欲しくても、背に腹はかえられません」
「だろうな。まあこの際、自分だけは助かるとしておこうか。だが土地は確実に滅ぶ。人なんて塵芥だね。大事な人も、そうでない人も、みんなお亡くなりになる。これなら?」
「同じです」
自分の欲のために、多くの人を犠牲にする大悪党にはなれない。なりたくないのではなく、なれない。
人道に背く行為にも限度がある。例えば人ひとりに嘘をついて霊薬を取ってきてもらうことはできても、何千何万の人を犠牲に剣を手にすることはできない。それを許すまいとする善性が、どうしても邪魔をする。
あるいはそうするだけの価値を、一振りの剣に見出すことができないだけかもしれないけれど。
笑ってしまうけど、私はそこまでしてお金が欲しいとは思わないようだ。
「オマエは良いやつだな」
「それほどでも」
「オレは抜く。剣を頂戴して、それ以外のことは考えない。何故なら、オレが剣を欲しがっているからだ」
「悪い人ですね」
「そうかもな」
言っていることだけなら、確かに他の有象無象とは格が違う。
「だがその時、オマエのようなやつと何か約束事をしたとなると、話が変わる。約束を果たすためには、最低限生きてないと駄目だよな。だから少々剣が抜きづらくなるわけよ。抜いたとしても、ホラ、
「…………」
なんというか、約束事を違えたくないというだけなら、なるほど彼も何だかんだ人間なんだなと納得できるけど。
そうでない片鱗が見えた気がする。
大事なものが決定的に欠けているような。
その腰にぶら下げている剣はもしかして、と思わなくもない。
もしかしたら私は、今、全身全霊でこの人を止めるべきなのかもしれない。
「なんだか寒くなってきましたね」
話題を逸らそうとそんなことを言った。
やけに寒気がする。今聞いた話のせいだろうか。
ああ、無性に帰りたくなってきたなぁ。今からでも遅くないかなぁ。
「確かに寒いな」
気のせいかとも思ったけど、ゴルドーさんは同意を示した。
「霧が出てきたせいだろう……おっ」
彼が振り返ったので、私も同じようにしてみる。
驚くべきことに、私たちのすぐ後ろは、濃い霧に包まれて景色が全く消滅していた。
「帰れずの霧だな。これでもう、生半可な手段では引き返すこともままならなくなったわけだ。いやあ、楽しくなってきた!」
ゴルドーさんは、ニヒヒ、と子供っぽく笑った。
一度入れば出て来れないという森。これが、その理由。
嘘でしょ?
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