第5話 交換殺人の広がり方
ここはよくあるマッチングサイトの一つ。
登録者の職業や性別や年齢、実際の体力及び身体能力、さらには住所や今後のスケジュールなどの情報を元に、相性ぴったりのお相手を見付けるためのネット上のクラブだ。
通常のと少し違うのは、自分以外にもう一人、縁の深い人物のデータを登録する必要があること。
縁は縁でも因縁。そう、殺したい相手のパーソナル情報も合わせて登録し、その人物を確実に殺せるかどうかが、相性の良し悪しを判定する最重要基準となる。
言うまでもないことだが、マッチングするのだから、自分にとって死んで欲しい人間を殺してもらうだけでは終わらない。自分自身も、マッチング相手の殺して欲しい人間を始末しなければいけない。この約束を違えると退会処分となり、二度と登録できなくなる。
規則上そうなっているというもあるが、そもそも、物理的・現実的に登録できなくなるのだ。何せ、約束を守らなかった者は、代わりに殺されてしまうのだから。
それだけの覚悟がないのであれば、決して登録してはいけない。
定食屋で昼飯を摂っているときだった。
特別に設定しておいた着信音だったため、
五秒ほどして、同じテーブルの同僚が自分の方を見ていると気付き、やっと思い出した。
「ああ、すまん。俺だった」
東村は途端にそのメールの重要さを思い起こし、席を離れた。通話ではない様子なのに店の外に出る彼を、同僚達は多少訝しんだかもしれない。
(よっしゃ。ついに来た)
定食屋を出てすぐのところでメールの内容にざっと目を通した東村は、右手で小さくガッツポーズを作った。
半年ほど前に登録したマッチングサイトからの連絡で、候補者が見付かったというものだ。URLから飛んでみると、すでに相手側の名前が、緑色になっていた。このマッチングを承諾するためのボタンをクリックすると、元は赤い文字で記された名前が、緑色の文字に変わる。ちなみに、マッチング相手の名前は偽名である。
基本的にメールが届いてから一週間以内に意思表明すればいいのだが、相手から応諾の意思表明があった場合は、三日以内にこちらも意志表明するのがマナーとされている。
東村はマッチング相手のプロフィールを開いた。
(
東村はこのマッチングに応じることに決めた。
藪井のターゲットである加藤八重は相当に腕力が強いらしいが、東村も柔道と空手で鍛えており、そんじょそこらの相手には負けない自信があった。
承諾後に送られて来た、殺すべき相手の写真を見る限りでは、加藤はどこからどう見ても女性だった。ウサギかリスを思わせるくりっとした目が愛らしい。
そんな印象を持った東村だったが、油断をしないようにと、己の頬を両手でぱんぱんと叩いた。
加藤は職場旅行で揃って高原に行く予定になっており、可能な限り事故死に見せ掛けて欲しいという希望が藪井から出ている。アリバイは確保できているので、たとえ事故死に見せ掛けられなくても可とのことで、いくらかは気が楽だ。
一方、東村が殺してもらいたいのは、双子の弟である。東村
現在、東村と栄介は同じ会社の同じ部署に配属されている。そして御多分に漏れず、栄介の方が出世争いで一歩リードしていた。あるプロジェクトのリーダーを任されることになった栄介は来週末、飛行機で北海道へ飛ぶ。
東村もそのリーダーの座を狙っていて、候補にも挙がっていたのだが、案の定、弟にかっ攫われてしまった。リーダーが栄介に決まったと知ったときの悔しさと言ったらなかったが、現在ではまあ悪くはないと思っている。何故って、北海道に行っている間に、殺してもらうつもりだからだ。東村の方はずっと東京に留まり、アリバイは完璧。交換殺人にうってつけの条件が自動的に成立するのだ。
日付の関係で、先に東村が栄介を殺してもらうことになった。
東村は該当する週末の金曜及び週明けの月曜に有休を取って、四日間は家族サービスに努めることにした。栄介が出張先の北海道で死んだときにだけ、東村に取って付けたようにアリバイがあっては不自然だと受け取られる可能性ありと考えたのだ。栄介が北海道にいる間の、いつ、藪井遼が手を下すか明確には決まっていないことも大きい。余裕を見ておくことは大切だろうと感じ取っていた。
そうして迎えた金曜の朝。今日は午前中は昨日までの疲れを取ることに当て、午後から妻のショッピングに付き合い、明日は子供を連れて遊園地……といった段取りを想定していた東村の元に、一本の電話が掛かってきた。
実際に電話を受けたのは妻で、「あなた、会社から」と言われて初めて、携帯端末をマナーモードにして枕元に置きっぱなしだったと気付いた。
それはさておき、何事かと固定電話に出てみると、相手は部長だった。
「憲彦君、今から飛べるかね?」
「飛べるかと言いますと、どこか急な出張でしょうか」
察しを付けて聞き返した東村に、部長は想像を上回る話を持ち込んだ。
「そうだ。北海道、行ってくれるか。弟の栄介君の代わりにだ。君なら、プロジェクトの概要も中身も意義も、全て頭に入っていると思ってな」
「えっ、栄介はどうかしたんですか」
「そっちにはまだ連絡が行ってないようだな。空港へ向かう途中、交通事故を起こして運ばれた。居眠り運転との噂が立っているが、詳しくは分からん。弟のことが心配なのは分かるが、やる気があるならすぐに準備して動いてくれ」
「分かりました。電話一旦切って、私の端末からすぐに掛け直します」
妻に早口で状況を告げ、旅立つ準備をする。着替えながら、電話も掛け直した。部長が一方的に喋り出す。
「交渉でどれだけ条件を飲んでもらえるかが重要なのは分かっていると思う。どんな事情があろうと遅れれば、印象が悪くなる。それでも先方には事情を伝え、最大三時間待つとの言葉を頂戴した。そこを二時間の遅れで着けば、多少は失地回復できるだろう」
「栄介の乗る予定だった便のフライトは?」
便名を聞き出して調べると、東村にとってラッキーなことに、全体に遅れが出ていると分かった。
「運がよければ、同じ便で行けるかもしれません」
降って湧いたチャンスをものにするべく、東村は無理をしてでも急ぐことに決めた。
奇跡的に間に合った。元から栄介の乗る予定だった飛行機に、滑り込みセーフで乗れたのだ。しかも、遅延は十五分で済み、考えられる限り最小限のダメージで対処しきったと言えよう。
他人から見れば安い奇跡だろうが、今の自分の立場ではいくらでもミラクルと呼んでやりたい。東村はシートに深く腰かけ直し、額にうっすらと浮かんだ汗を拭いた。
(それにしても)
十五分遅れで飛び立った便は、安定飛行に入った。
(栄介の奴、ここに来て運のない……。さすがに心配だが、考えてみるとおかしなものだ。元々、今日を含めて三日の間に、栄介は殺されるはずだった。それなのに、交通事故に遭ったあいつを心配してやるなんて)
つい、微苦笑を浮かべた東村。
だが次の瞬間、ある想像が浮かび、脳裏を走った。
(まさか。栄介が交通事故に遭ったのは、藪井遼の仕業か? 俺の方が勝手に、殺すタイミングは北海道に到着してからだろうと決め付けていたが、さっさとやっちまおうとしたのかもしれない。部長は、栄介の事故の原因が居眠り運転である可能性を示唆していた。医者の藪井なら、睡眠薬を用意できるんだろう。効き目の強い即効性のやつを、どうにかして栄介に飲ませる……いや、注射の方が現実的か。うまく雑踏に紛れて、栄介に睡眠薬を注射できれば、あり得る。
しかし、メールは来てないよな)
交換殺人に着手し、成功を確認できた時点で、マッチングサイトを介して相手にメールを送る決まりになっている。それがまだ受信されていないということは、藪井の犯行もまだなのか。
(いや。メールは、ターゲットの死亡を確認した時点で送るんだ。栄介は現時点では、病院のベッドで生きているんだろう。死亡が確認されたとき、メールが来るのだ。
まったく、藪井さんよぉ。こんなにも早くやるんなら、前もって言ってくれなきゃ。危うく俺自身のアリバイが不成立になるところだったじゃないか。まあいいさ。終わりよければ全てよし。栄介が首尾よく逝った暁には、俺も速やかに動いて加藤八重を片付けてみせるよ)
心に決めると、肝が据わり、安堵した。朝から慌ただしく動き回った疲れが、遅ればせながら顔を出し始めた。
(予定していた家族サービスが、パーになったな。妻はともかく、子供がうるさいぞ。向こうに着いたらなるべく早く連絡しよう。そして母子で行けるものは、言っておいてくれと伝える。――ああ、弟の見舞いにも行ってもらわないとな。いくら兄弟で出世争いをしていたからって、無視を決め込む訳にはいかん)
機内サービスの飲み物をもらって、喉を潤す。飲み干すと、少しでも休んでおこうと目を閉じた。
うつらうつらし始め、眠りの深淵に足を取られ、暗い闇の中にすっと引きずり込まれる刹那、首の辺りにちくりとした痛みを感じた。そんな気がした。
それが最後だった。
<――機内で亡くなったのは、東京都在住の東村憲彦さんと分かりました。東村さんは今朝東京を発ち、商談のため北海道へ向かう途中だったとのことです。警察では、他殺と病死の両面から捜査を開始しているとのことです>
テレビからならがれるニュース映像を見て、藪井遼こと
「何てこった」
足元に転がった箸を拾いながら、独り言を口走る。
「何で弟の栄介じゃなく、兄の憲彦が乗ってるんだ? 話が違うじゃないか。折角、筋弛緩剤を使って、うまく静かにやれたというのに。私のマッチング相手が誰なのか知らないが、このあと栄介を改めて殺せなんて言わないでくれ。続けざまに危ない橋を渡るのはごめんだ」
普段、神に祈ることなどない熊井が、両手を組んで合わせていた。
「しかしなあ、このままだと、加藤八重を殺してもらえなくなるんだよな。元々、俺自身には加藤を殺害する動機がなかったから、どっちでもいいんだが。何て名前だったかあの女性の交換殺人に対する真摯な姿勢を見せられると、放置する気になれない。
いわゆるオネエ系の人達って生理的に苦手だから、殺すのも怖くなって、更なる交換相手を求めたのが間違いの元だったのかもしれない。結局、大元のシンプルな殺人計画に従い、彼女との交換殺人を私の手で完成させた方が賢明だろうか」
熊井は大いに悩むのだった。
終
交換殺人の始め方 小石原淳 @koIshiara-Jun
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