旅の地図とポートレート〈ルベル編〉


 七年前、わたしは国王陛下に一枚の地図をいただいた。

 それはわたしの旅の事始ことはじめ。あきらめかけてた未来を開く、ひとつめの鍵だった。

 あの地図に見合うだけのものを、わたしはまだ陛下に返せていない。





 ライヴァン帝国の国王様はすらりと背が高く、中性的な容貌、よく通る優しい声が貴婦人たちに大人気だとか。

 癖のない月色プラチナの髪は後ろで一つに括ってあり、瞳の色は桜色。全体的に色が薄いので、金糸で刺繍を施した藍色の正装はよく似合うと思う。


 陛下が婚約を発表したのは、昨年の今頃だった。

 並み居る令嬢たちとの見合いをことごとく退けて選んだお相手は、六つ年下の宮廷魔術師さん。おふたりの相思相愛はずうっと前からって話だし、素敵だなって思った。


 彼女、インディアさんは背がそんなに高くなく、おしゃれに疎い。

 腰に届くほど長い髪は神秘的な暗緑色アイヴィグリーン。猫のように大きなつり目は優しげなとび色。

 オトナ女性の魅力にあふれる彼女に、純白のウェディングドレスはよく似合うと思う。


「うーん、ルベル。その髪の辺りに、もう少し光を入れるといいと思うな。少し大袈裟なくらいが、遠くから見たときに映えるはずだ」

「……この辺、ですか? んー、わたしもちょっと離れて見てみます!」


 ステップから飛び降り、後方で眺めていたリンドちゃんの隣へ。歩幅で五つほどの距離を取れば、縦長キャンバスの全体像を視界に収めることができる。


「あ、本当ですね。ヴェールもドレスも白だからかな、髪が重たく見えちゃう」

「白を絵の具で表現するのは難しいからな。ここは純白にこだわらず、差し色を加えてみるのはどうかな?」


 リンドちゃんは画家ではないけど、芸術全般の造詣が深くて観察眼も鋭い。

 本物をたくさん見ている人は目が肥えて、わずかな違和感も見抜くことができるって、パパが言っていた。

 わたしは目を閉じ彩色のイメージを巡らせてみる。


「ウェディングドレスに白以外ってアリですか? リンドちゃん」

「いや、ドレスは白だな。肌との境目や衣装のドレープ部分の影、床との接地点などに、違う色味を差すんだ。やりすぎてしまっても白を被せればいいだけだから、思い切りやってみるといい」

「わかりました。がんばれ、わたし!」


 気合いを入れ直し、絵筆を持ち替えて、わたしは再びキャンバスに向かう。

 遠くからなら手に取るようにわかる絵の陰影も、接近して色を乗せているときにはバランスがイメージできない。

 進捗を教えてくれるリンドちゃんの言葉を頼りに、わたしは完成目指して筆を振るう。





 国王陛下のご婚約を知って、わたしが真っ先に思いついたのは、絵を贈ることだった。

 といってもわたしはまだまだ見習いの絵描きで、普段描くのはスケッチブックにパステル彩色や、キャンバスサイズの小さな壁掛け絵くらい。

 せっかくだから、もっとちゃんとした物を贈りたい、と思って、わたしはリンドちゃんに相談をした。


 リンドちゃんはお隣のティスティル帝国のお姫様。キリリと結いあげた蒼い髪とキラキラ輝く青い瞳が印象的な美人さんだ。

 七年前に知り合って、少しだけ一緒に旅をして、今は大事な親友になってる。

 ティスティル帝国は芸術都市とも言われ、その国のお姫様であるリンドちゃんも絵画や音楽を鑑賞するのが大好きらしい。

 だから、結婚式にふさわしい絵を一緒に考えてもらうつもりで。


 もちろんそれは叶ったんだけど、わたしは少しだけ思い違いをしていた。というか、忘れていた。

 リンドちゃんだけじゃない。ティスティル帝国の女王様も、彼女のご家族も、手抜きが大嫌い。やるなら徹底的に完璧を目指す主義だって。


 わたし本人も知らないうちに話がトントン拍子に進んでしまい、気づけばティスティル王城の一室に即席のアトリエができていた。

 画材は一級品、寝食のお世話もしてくれるっていうからびっくりしちゃう。

 その話を聞いてわたしの恋人は青ざめ、パパは頭を抱えてしまったけど、リンドちゃんとわたしは手を取り合って喜んだ。

 そうして約一年。最初は途方もなく思えた、わたしの背丈を越えるほど大きな無地のキャンバスも、今は最後の仕上げを残すのみになっている。


 違和感にならない加減を探りながら色を乗せ、リンドちゃんと二人でうーんと唸っていたら、部屋の扉が開いた。

 入ってきたのは背の高い男性、セロアさん。パパと変わらないくらいの年齢だけど、わたしにとっては運命の人で、今は恋人だ。

 彼は完成間際のキャンバスを眺め、緑玉エメラルドの瞳を瞬かせて、わたしに笑顔を向けた。


「お疲れ様ですよ、ルベル、リンド。そろそろ休憩にしませんか?」

「……そうだな、ちょっとクールダウンしようか。少し時間を置かないと、目が慣れてよしあしも分からなくなってしまうしな!」


 セロアさんとリンドちゃんがそう言ってくれたので、わたしはステップから降りてエプロンを外す。

 セロアさんの持ってきてくれたホットレモネードの甘酸っぱい香りが、油剤の匂いで麻痺していたわたしの食欲を刺激した。


「わたし、お腹すいてたみたいです」


 思わず言ったら、顔を見合わせたリンドちゃんとセロアさんに笑われてしまった。





「……しかし、あれが想像画だとは、言わなければ解らないでしょうね」


 差し入れのサンドイッチとレモネードを食べながら、セロアさんがしみじみと呟いた。

 傾けた視線は、小型イーゼルに立てかけられたスケッチブックへ向いている。


 尖筆せんぴつとインクで描かれ、パステルで彩色されたそれは、パパが描いたものだ。

 おふたりのポートレートを描いて贈りたいと相談したら、どこからか正装とドレスのデザイン画を入手してラフ絵を描いて届けてくれた。

 わたしの絵はそれをベースにしているけれど、色の選び方とか光の表現とかパステル画のそれにすらまったく及ばない。


「本当だよな。ラフでこれだけのものが描けるのだから、画家になればいいのに」

「パパは恥ずかしがり屋さんですもん」


 気持ちの上では同意だけど、パパが自分の絵を公にするつもりがないのも、わたしはわかってる。そういう形で名前を残したくないと、言っていたことがあるから。


 パパは、光の当たる場所に連れ出されるのが怖いのだと思う。


 裏の世界で名を馳せながら、表の世界で聡明な政治家を装ってきたパパは、本当の自分を誰にも見せずに生きてきた。

 娘であるわたしにさえ、……いや、わたしにこそ、その姿を知られまいとして。

 そのパパの願いを覆したのは、他ならぬわたし本人だから。


「パパは、好きに生きたらいいと思うんです」


 後悔はしてない。

 パパを取り戻したことを、わたしは昔も今も一度だって後悔したことはない。

 今わたしは間違いなく幸せで、パパも最近はずいぶんと楽しそう。無茶ばかりしてるけど、それがパパのやりたいことなのなら、それでいいと思う。


「そうだな」

「……そうですね」


 なげやりなつもりではないけど、そう聞こえてしまいそうなわたしの答えに、セロアさんとリンドちゃんは笑って同意してくれた。

 お腹も満たされ元気も出てきたから、わたしは気合いを入れ直して立ちあがる。

 あと一息、頑張ろう。






 婚礼式典の当日は、綺麗に晴れて暖かい風が吹く、最高の日和だった。

 正装の国王様とドレスをまとった王妃様の前にルウィーニ先生が立って、祝福のことばを述べている。


「ふふ、こうやって来賓席でルベルと一緒に式典を見られるだなんて、両国和合の象徴みたいで最高だな」

「リンドちゃんはお姫様だけど、わたしはただの放浪の画家ですよ?」


 白と紫を基調としたリンドちゃんの正装は、ドレスではなく男性モノの立襟衣装とスラックス。わたしはなぜかその隣で、ティスティル側が用意した、深紅を基調に桜色のレースを重ねたロングドレスをまとい、席についている。


「いいじゃないか。ルベルだって、フェト国王の婚礼を最高の場所で眺めたいだろう?」

「……ティスティル帝国のそういうところ、わたしほんとに好きですけど」


 せっかくリンドが男装するのだから、隣に令嬢パートナーを。

 遊び心に見せかけて、ティスティル帝国はここにわたしの席を用意してくれた。式典の主役になるおふたりも、進行役のルウィーニ先生も、反対なんてするわけなかった。


 おふたりの結婚をだれよりも喜んでいるだろうパパは、式典を無事に終わらせるため自ら警備に赴いている。セロアさんは身分上は一般人だから、この場所には入れない。

 だから、わたしは、ここに来れなかった大切な人たちのためにも。

 美しくて幸せそうでとても素敵なおふたりを、しっかり目に焼きつけて、帰ってからそれを絵にして、パパに贈ってあげよう。



 稀代の大魔法使い(という名目)のルウィーニ先生による、精霊の祝福を願う祈り。おふたりの誓いの言葉と、誓いのキス。

 今日はこの式典の場所だけでなく、国全体に精霊による祝福があふれている。


 ワインの香りみたいに濃密で芳醇な魔力の気配にあてられたのか、わたしの感情も普段以上に高ぶっていた。来賓席ではしゃぐわけにいかないから、わたしとリンドちゃんは手を握り合って感動を伝え合う。

 当たり前だけど、婚礼の衣装を身に纏ったおふたりは、わたしが描いた想像画なんかよりはるかに綺麗で鮮やかで、キラキラと輝いてるみたいだった。

 式典は滞りなく終わり、午後のパレードの前には休憩を兼ねた昼食会。

 おふたりは今は控えの間にいて休んでいるとのことだった。


「お疲れのところにお邪魔したら、マズイですか?」

「ルベルなら二人も歓迎だろうよ。……例の物は控え室に運ばせてあるから、いってらっしゃい」


 ルウィーニ先生がそう言ってくれたので、わたしとリンドちゃんは意を決して控え室に向かった。入り口に立つ衛兵さんに声を掛けて通してもらう。

 部屋のソファに身を預けてぐったりしている国王陛下、あったかい紅茶を飲んでいるインディアさん、付き添いに先生の奥さんのエティアさん。三人の目がわたしたちに向いた。


「ルベル? どうしたんだい?」

「ルベルちゃん、それにリンド姫、今日はありがとう」


 国王様が姿勢をただし、インディアさんが嬉しそうに笑う。エティアさんが察したように壁の方へ向かったので、わたしは緊張を飲み込みリンドちゃんの手を握った。


「フェト様、インディアさん、おめでとうございます! これは、わたしとリンドちゃんからのプレゼントです」

「フェトゥース国王、インディア王妃。貴国の喜びは我が国の喜びでもある! ……と、女王陛下が言っていたのだ。両国の平和と発展を願い、ティスティル帝国はこれからも現政権を全力で支援する、とのことだ。結婚おめでとう!」


 驚いたように国王様が立ちあがったタイミングに合わせ、エティアさんが壁に立てかけられていた布を引く。無事に完成したポートレートが姿を現し、言葉を失った国王陛下が絵とわたしたちを交互に見ながら口をパクパクさせて。


「……予知?」

「んもうっ、違うでしょフェト! ……ありがとう、ルベル、リンド姫。こんな素敵な絵、びっくりしちゃったわ」


 何とも陛下らしいズレた言葉に、遠慮なく突っ込むインディアさん。それがなんだかすごくてわたしたちは視線を交わし笑い合う。


「……ごめん、動転して。ありがとうルベル、ありがとうリンド姫。頼りない僕だけど、ルゥイが繋いで君たちが広げた今の平和を守るため、僕は全力で頑張るから」

「もう、フェト様、泣いちゃダメですよ。午後からまだパレードあるんですからっ」

「ははは、そうだね、ルベル」


 感極まって泣きだしそうな国王様につられて、わたしも泣いちゃいそうになる。

 優しい彼はまるきり自覚がないんだろうけど、わたしやパパがフェト様から受けた恩は、何をもっても返すことなどできそうにないの。


 ありがとう、フェト様。どうか幸せになって。

 わたしは貴方のおかげで、家族と未来を取り戻すことができたんです。






 その後に行われた市井へのお披露目パレードも、夜の披露宴とディナーパーティーも滞りなく終わり、今は、リンドちゃんのために用意されたライヴァンの客室で、わたしも一緒にくつろいでいた。


「素敵な婚礼式典だったな」

「はい! すごく良かったですね」


 余韻をかみしめるようなリンドちゃんの言葉に、わたしも全力でうなずいた。

 少しだけ開いた窓から、新緑の香りが混じった夜風が舞い込んでくる。


 大好きなこの国に平和を、大好きな人たちに幸せを。

 この穏やかな日々が、どうかこれからもずっと続いていきますように。


 風に乗せて願いをささやき、わたしはそっと目を閉じた。




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黎明の救国英雄譚 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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