あなたの隣にいたいのです〈ルティリス編〉


 わたしの大好きなひとは、優しくて器用で物知りで、友だちが多くって。

 ちょっと、ううん、実はすごく、アンラッキーだ。




 クローゼットに取りつけられた鏡に全身を映して、くるりと一回転。

 耳よし、尻尾よし。三日前から入念にブラッシングしていたお陰で、金色の毛並みはツヤツヤしていてバッチリだ。狐の耳と尻尾は大きくて目立つから、絶対手を抜けない。


 今日のコーデはパステルグリーンの麻セーターに、花柄が可愛い新緑エメラルド色のスカート。

 お揃い……ではないけど、ちょっとだけ意識してる。だけどやっぱり恥ずかしいから、白のレースカーディガンを羽織って誤魔化すつもり。

 長い金の髪を丁寧にとかし、母から貰った白オパールの髪留めをつけてみる。

 揃いのペンダントもつけて鏡を見てみれば、新緑の季節らしさが出ていて、思った以上にいい感じかも。


「……よしっ」


 思わず声に出ちゃうくらい、わたしは今ワクワクしている。

 仕事が忙しくって半年くらい会えなかった彼と、今日は久しぶりのデートなんだもの。




 彼とわたしは同じ獣人族ナーウェアで、わたしは狐の部族ウェアフォックス、彼は野兎の部族ウェアラビットだ。

 柔らかそうな金茶の髪に、長くてふわふわした垂れ耳が可愛い、お茶目な性格の彼は、ライヴァン帝都学院で助教授として働いてる。


 実は今日は国王様の婚礼が行われる日で、忙しかったのはその準備のためだった。

 学院は本来、政権とは無関係の場所らしいんだけど、彼の上司がお城の宰相も兼任しているために、ほとんどお城へ出向きっぱなし。

 彼はそのサポートのため学院にずっと詰めてたんだって。

 そんな多忙な毎日からやっと解放されて、やっとまとまったお休みが貰えたらしい。




 ブーツの紐をしっかり結んで、ショルダーバッグも肩にかけて、玄関でソワソワしていたら、お兄ちゃんが来た。

 わたしの姿を上から下までじっくり観察してから、尻尾を揺らしてくすくす笑い始めたものだから、わたしもついムッとする。


「なぁに? 変なとこあるなら言って欲しいんだけどっ」


 わたしが目を細めて言うと、お兄ちゃんは焦ったように耳と尻尾を下げた。


「あー、ゴメンゴメン。ルティが可笑しいんじゃなくて、フリックのリアクション想像したらさ! 大丈夫、可愛く決まってるって」

「……フリックさん、変って思わないよね?」


 急に不安になってきたわたしに向けて、お兄ちゃんが満面の笑顔で親指を立てた。……よくわからないよ、お兄ちゃん。

 でもそれ以上悩む暇はなかった。

 玄関のベルが鳴り、聞き慣れた足音と声が耳に届いたからだ。優しくてちょっと遠慮がちな、彼の声。


「こんにちはーっ」

「はい! 今出ます!」


 慌てて飛び出したら、彼は驚いたのかビクッと耳を跳ねさせた。オレンジの目をぱちくりさせて、それからくしゃっと笑う。


「お待たせ! ルティちゃん可愛いなー、オレみたいな冴えないウサギが隣に立っちゃっていいのかなっ」

「もちろんです! わたし、フリックさんの隣がいいです!」


 思わず言い切ってから、一気に恥ずかしくなった。フリックさんも、恥ずかしそうにへらりと笑って手を差し出してくれた。


「ありがとなー、ルティちゃん。……さ、行こっか」


 チェック柄のカジュアルシャツに深緑色のジャケット、生成色のスラックスと革ブーツ。

 ……狙い通り、かな。


「はいっ」


 差し出されたてのひらに自分の手を重ね、わたしは笑顔を向ける。

 誰よりも大好きな、ひとに。





 わたしの家とフリックさんが今住んでる所は、すごく遠い。

 わたしが帝都学院の寮にいた頃は休みを合わせて逢うこともできたけど、卒業しちゃったら全然逢う機会がなくなってしまった。

 寂しさと不安と、今まで経験したことのないモヤモヤした気持ちをどうしていいかわからなくって、親友に相談したら、彼女は大きな瞳をきらめかせてわたしに言ったのだ。


「ルティちゃん、それは、恋ですね!」


 ——って。


 それからいろんなことがあって、反対や妨害もあったりしたけど、わたしの気持ちは変わらなかった。

 フリックさんの上司さんも、両親も、お兄ちゃんも、わたしを応援してくれてる。

 国境を跨いだ超遠距離恋愛で、いつでも会えるわけじゃないから、一緒に居られる時間を大事にしたい。


「あ、ルティちゃん。ルゥイ教授センセーがコレくれたんだぜー! テレポストーン」

「てれぽ……? 魔法道具マジックツールですか?」

「そうそう、テレポートが使える魔石さー。これなら移動時間かかんないし、昼ごはん食べてから婚礼パレード観れるかなって」


 よくわからないけど、たぶんこれはすごく高価なものだ。

 婚礼を祝うお祭りは一週間ほど続くらしく、わたしもフリックさんもそれを楽しめればいいかなって思ってた。でも、間に合うならパレードも観てみたい。

 だって、そんな素敵な式典、もしかしたら一生に一度の機会かもしれないもの。


「ありがとうございます、フリックさん」


 彼の上司である教授さんは式典の総責任者として、各機関に指令を出したり各国代表をもてなしたりしなきゃないらしい。

 その影響でフリックさんも休日を返上して働いたため、私的な時間が削られて……って状況を教授さんは申し訳なく思ったんだろうって。


 だから教授さんはその埋め合わせに、お金ではなく『時間』を支給してくれた。

 移動時間を短縮し、二人の時間をゆっくり過ごしなさい、ってことだろう。


 和やかな空気をまとった教授さんを思い出しながら、わたしはぎゅっとフリックさんの手を握り返す。

 今日は素敵な日になると思っていたけど、想像以上になりそう。


 



 お昼はいつものお店、『かど岩狸いわだぬき』亭。

 ここのマスターはフリックさんと長い付き合いらしく、わたしたちが行くといつもデザートやドリンクをサービスしてくれる。


 大通りから外れた場所にあるからか、お昼時なのにお店の中は人がまばらだ。

 カウンターでグラスを磨いていた大柄丸顔のマスターは、わたしたちを見て眼光の鋭い瞳を和ませた。


「おう、おまえら久しぶりじゃねえか。あんまり見ねえから、てっきりフラれたのかと思ってたぜ」

「うぇっ、縁起でもねーって! ってーか、オヤジこそ今日は休みなのかよっ。店内ガラガラじゃん?」

「あたりめえだ。息子も嫁もパレード見るんだっつって休みとってるわ。……おまえさんには、むしろ好都合だろ?」


 意味深に言って、マスターはフリックさんにウインクを飛ばしてる。もしかして本当は休店予定だったのを、わたしたちのために開けてくれたのかな。

 ちょっと心配になったけど、フリックさんは照れたような顔であはは、と笑ってる。


「とりあえず、なんか食べようかールティちゃん」

「あ、はい。でも、いいんですか?」

「いいってことよ。ふん、あっちは俺ら庶民にとっては雲上人だからな。こっちにあやからせてもらうぜ」


 意味深な台詞が続き、フリックさんが慌てたように両腕をぶんぶんと振った。


「オヤジ! 余計なこと言うなよなー! それよりっ、本日のオススメ教えろよって!」

「本日? チーズインミートパイとローストリザードのナッツ和えとサーモンスープだ。デザートはフルーツタルト」

「じゃー、それ頼むぜ!」


 いつものようにオススメメニューをオーダーすると、フリックさんはわたしを引っ張ってカウンターからちょっと離れた席についた。

 斜め向かい合わせで座り、そっと観察してみると、彼の長い耳が落ち着きなく浮き沈みしているのがわかった。


 彼はウサギの獣人族ナーウェアだから、尻尾が小さくて見えない。だから、わたしみたいに尻尾で気分がバレバレってことにはならない。

 でもその分、長い耳が感情を映してよく動くのをわたしは知ってる。


 何かを隠しているのか、……何かを切り出そうとしてるのか。

 長く続いた遠距離恋愛に、疲れているのかも。ふと思って不安になる。


 わたしはまだまだ子供の域で、彼に釣り合うには能力も魅力も全然足りない。

 王都の学院には素敵な女性も、聡明な女性も沢山いるだろうから、わたしが隣にいさせてもらえているのは、本当は奇跡みたいなことなんだ。


 ……はやく、大人になりたい。

 そう願い続けてもう十年、あたりまえだけど時間は一定速でしか流れない。

 わたしはいつまで、彼の隣にいることができるのかな。




「……あのさ、ルティちゃん。大事な話があるんだ」


 わたしは、少しの間ぼーっとしていたみたい。フリックさんの真剣な声が、わたしを現実空間へ引き戻した。

 古くて傷だらけのテーブルを挟んで、わたしとフリックさんは見つめ合う。


 店内の抑えた照明が彼のオレンジの瞳を揺らめかせる。緊張を映して少し浮いた耳が、落ち着かなげにピクリと動いた。

 いつもお茶目なことを言いながら笑ってごまかすフリックさんとは、何かが違っていて、本当に大事な話をしようとしているんだってわかった。


「……はい」


 わたしは背筋を伸ばし、膝を揃えて両手を重ねる。

 フリックさんは、息を整えるように飲み込み、わたしをまっすぐ見て口を開く。


「ルティちゃん、……オレ、ひ弱で、住所不定のトレジャーハンターで、全然強くもなくってさ」

「……はい」


 いつもの自虐ネタのノリじゃなく、真面目な表情で言うから、わたしはうなずくしかできなかった。


「君を守る! なんて言えない弱っちいウサギだし、どうしようもなくアンラッキーでさ、……だから、この祝賀ムードにあやかろうと思って」

「……はい」


 わたしの相槌を待って、フリックさんは自分のバッグから綺麗な小箱を取り出した。おずおずとテーブルの真ん中に差し出されたソレから、わたしは目が離せなくなる。


「もしかしたらオレ、ルティちゃんまでアンラッキーに巻き込んじゃうかもしれないけど、でも……精一杯守るから、さ。……オレの」


 ひと息、吸い込んで。


「オレの奥さんになってください!」


 真剣に輝くオレンジの瞳が、わたしをまっすぐ射抜いた。

 世界が凍って、時間がとまったかのように。自分の心臓の音だけが耳について、無意識に動かす尻尾の衣摺れが空気を揺らしてく。


「……は、い」


 声が勝手に返答し、遅れて心がソレを意識した。じわりと熱が、身体の芯から全身に広がってゆく。

 フリックさんがかぱっと開いた小箱に、ピンクオパールの指輪が刺さってる。婚約指輪、だっけ? お父さんとお母さんの部屋で小さい頃見たことがある。


 わたし、フリックさんに、プロポーズされちゃった。

 途端、こみ上げた感情の波がわたしの目からあふれ出した。


「え、ルティちゃん!? ゴメン、イヤだったら」

「ちが、……違うんですっ。わたし、嬉しくて……」


 わたわたしているフリックさんの両手を思わず捕まえた。その温度を感じながら、これが夢じゃないことを確かめる。

 どんなに好きでも、一方通行じゃ想いは繋がらないことを知っていた。だから、わたしの恋心を受け止めてもらえたことが、ただ、嬉しくて。


「……ありがと、ルティちゃん。……オレなんかでゴメンなー」

「わたしは、フリックさんがいいです。それに」


 いつもの調子が戻ってきた彼につられて、わたしはぐ、とガッツポーズをしてみせる。


「フリックさんを襲うアンラッキーは、わたしがぜんぶ蹴り飛ばします!」

「あはは、ソレはなんか、男として情けないってーか恥ずかしいってーか」

「大丈夫です! フリックさんはカッコいいです!」


 涙をぬぐいながら笑いあってたら、ちょうどいいタイミングでマスターがミートパイを運んできた。ドン、と置かれたパイの上に、トマトソースで何かが書いてある。


「〝Congratulations Engagement!〟 ……って、マスター聞いてたんですかっ」

「ちょ、オヤジ! 厳つい顔してなんだよこの濃やかな気遣いとかッ!」


 照れて真っ赤になったフリックさんがダンと立ち上がって吠えたので、わたしはついつい笑ってしまった。

 カウンターの向こうに引き下がったマスターは、わたしたちのほうへグッと親指を立てて見せる。……流行ってるのかな、それ。


 熱々のミートパイにナイフを入れながら、わたしはじんわりこみ上げる幸せを噛みしめた。

 

 


 お昼ごはんを食べたら、大好きな彼と腕を組んで、王様の婚礼パレードを観に行こう。

 そのあと、お祭りのお店を巡るのも楽しそう。


 今も、これからも、ずっと未来まで。

 大好きなあなたの隣にいさせてください。

 



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