平和都のテンセイレイ
鴨志田千紘
平和都のテンセイレイ
「どうも死神です。早速ですが命をください」
目の前に現れたのは黒いローブを目深に被った金髪の少女。彼女は——尻餅をついた俺に鎌を向けていた。
「な、なんだよ、お前! なんで命を渡さなきゃいけないんだよ!」
わけがわからない。死神が俺の命を奪いにきた? 俺がなにをしたっていうんだ。なにも、なにもしてない俺がなぜ死ぬんだ?
「この本によるとあなた——
「そんなことって」
「というわけで死んでください」
死神が鎌を構え、躊躇いなく命を奪おうとする。
まだなにもしていない。俺はどうしようもないろくでなしのクソニート。不摂生が体に祟り、死ぬのは確かに自業自得だ。
けどせめてあと一日。
「あと一日だけ待ってくれませんかぁ!! 新元号を聞きたいんです!」
「は?」
俺はジャンピング土下座していた。
生きている意味もない俺だけど、新時代を見てみたかった。
ただ時代の呼称が変わるだけ。日本以外の国では一日が過ぎ、明日を迎えるだけだ。それでも見たかった。
「無意味に死んでいくならせめて、時代を見届けたって意味くらいいただけませんか!?」
呆気に取られた彼女は固まっていた。しばらくして息を吐いて、鎌を下ろした。
「しょうがないですね。まあ一日くらい誤差でしょう」
これが俺と死神——セレイアルとの出会いだった。
*
俺、平和都は平成元年生まれの三〇歳。そして無職童貞の引きこもりのニートだ。
言いわけをすると、好きでこうなったわけじゃない。新卒で会社に就職し、社会に貢献しようとした。
しかし社会の闇を垣間見て精神を病み、退職。その後はこの生ぬるい生活から抜け出せなくなり、いつの間にか三〇を越えていた。
「まだですか、クソニート。早く死んでください」
記者会見を眺めて感慨にふけっていると、隣に座っていたセレイアルがぼやいた。
「えっと……開始時刻はもう過ぎているんだけどなぁ。ってかクソニートって」
開始時刻は一一時半。とっくに過ぎている。約束した以上急かされても困るのだが。
しばらくして官房長官が現れた。いよいよ新元号が発表される。
「新しい元号は『令和』であります」
それを聞いた瞬間、嬉しさがこみ上げた。
過ぎゆく『平成』。きたる『令和』。平和都——自分の名前には二つの元号から一字ずつ入っていた。生きて新時代を見なければ!
「お願いがあります! 期限を一ヶ月延ばしていただけないでしょうか!?」
次の瞬間、再びジャンピング土下座していた。
「はあ? 一日だけって言いましたよね!?」
「でも一日待ってくれたじゃないか! なら一ヶ月も誤差の範囲でしょ!?」
「な!? そうやって毎回屁理屈こねて死を逃れようとしてますね!? 流石クソ雑魚ニート! プライドないんですね!」
クソ雑魚ニートの俺はそんなものとうの昔に捨ててきた。あったらこんな惨めな生活をしていない。
「いや違うって! 本当に今回だけ! 発表聞いたらどうしても令和を迎えたくなって! 本当、今回だけ! 今回だけだから!」
セレイアルの足にしがみついて懇願する。自分で言うのもあれだが、どう見ても「先っちょだけ、先っちょだけ」くらい胡散臭い頼み方だ。
けどどんな惨めな頼みでも……自分で自分の最期を決めたかった。
「しょうがないですね。一ヶ月だけです。五月一日。必ず命を奪いますから」
そうして得た一ヶ月の人生のロスタイム。俺は悔いの残らないように新時代を迎え、死ぬことができるだろうか?
*
精一杯やると人間はなんでもできるもので、自分がやり残したことはたった二週間で済んでしまった。撮り溜めてたアニメと積みプラモ。その全てがあっという間に消化されてしまった。
「満足しましたか? じゃあ死んでください」
「ちょっと待てぃ! 五月までって約束だろう!?」
「ですがやり残したことはもうないのでしょう、クソ雑魚ニート童貞?」
セレイアルに反論ができない。
俺は所詮クサ雑魚ニート童貞。新元号に変わる前に童貞を捨てたかったが……すぐにはどうにもできない。欲を言えば恋して捨てたいし。
急な虚無感が俺を襲う。やり残したことなんて大したことなかった。こんなことのために延命を希望したなんて……自分は情けなく惨めだって思い知らされた。
生きている価値はないのかもしれない。だから死神がこうして俺の前に現れた。そんな絶望の淵で脳裏を過ぎったのは両親の顔だった。
「どうして俺、生かされてるんだろうな」
「縋りついて頼んだからでしょう。それとも今死にますか? 惨めに、スーパークソニート童貞として人生終えますか?」
——惨めに人生を終える。
その言葉はゲイボルグ。やめて死神。俺のライフはもうゼロよ。
自分は死神の言葉をずっと受け入れてきた。スーパークソニート童貞。次の罵倒はスーパークソニート童貞
「生きさせてください。俺はまだ……なにもしちゃいないんだから」
振り絞った声は震えていた。今までの懇願とは違う。新たな自分になることへの決意だった。
*
自分の人生をどうやって締め括るかを考えた時に出た答えは——仕事をすることだった。
嫌で嫌で仕方なくて、ずっと遠ざけてきた社会との関わり。そんな社会に俺は再び飛びこもうとしていた。
「叔父さん! ここで働かせてください!」
と大袈裟に言ってみたが、実際はコネを使ってアルバイトを探すことだった。
俺は叔父が経営する花屋へやってきていた。苦手な接客業ではあるが、仕事を選ぶ余裕はない。時間もない。
「とは言ってもなぁ。わけを聞かせてくれよ、和都。どうして働きたくなったんだ?」
「それは……家族のためです。俺、ずっと役に立てなかったから」
きっかけは脳裏に両親の顔が過ったことだ。ずっと考えないようにしてたこと……だけどずっと罪悪感として抱いていたもの。
「俺のところで働いてもなぁ。会社に再就職した方がいいだろ?」
「いや、再就職よりもほら、段階を踏んで社会に復帰しようかな……って」
「時間がない」とは言えなかったから最もらしい嘘をつく。仕事をして役立ちたいという本心に変わりないのだから。
「わかったよ。お前も変わろうとしてるんだよな。なら、一肌脱いでやろうじゃないの。っておいおい、泣くようなことか?」
言われて初めて気づいた。自分の頬に熱い雫が流れていることに。
自分にはまだやれることがあるのだと思い……嬉しかった。
ふと、店外にいるセレイアルを見やる。なぜかその顔は嬉しそうに微笑んでいるようだった。
*
それから必死で働いた。最初はわからないことだらけで、接客にはあたふたし、酷い有様だった。けど一週間で少しは様になってきた。
残り二週間の貴重な命を自分のためでなく、人のために使う。悪い気はしなかった。誰かの役に立つのが嬉しくて、こんな自分でも世界にいていいんだと思えたのが幸せだった。
——時間はあっという間に過ぎていく。
四月二九日。いよいよ明日が平成最後の日だ。そしてそれが終われば……命を奪われる。
「ほら、給料。どうしても月末に欲しいんだろ?」
「ありがとう」
叔父さんから茶封筒を受け取る。お世辞にも丸々太ったとは言えない、細身の封筒。けどそれだけで充分だ。
「初給料もらうだけもらってトンズラするなよ?」
「ははは……もちろん」
痛いところを突かれ、苦笑いをする。もし生きられるなら続けたいが、そうは問屋がおろしてくれない。
「じゃ、気をつけて帰れよ」
「叔父さんもお元気で」
「お元気でってお前……」
そのまま逃げるように店を出た。もう二度と会うことはないと思うと、また涙が溢れそうだった。無駄に歳取ったせいで涙腺はズタボロらしい。
「明日が終われば今度こそ命をもらいますから」
「わかってるよ」
夜風に当たりながら、死神と雑踏を歩く。はたから見たら独り言ちる変人だが、今さら羞恥心なんてない。
「やけに素直ですね。諦めたんですか? 今すぐ死にますか?」
人混みの中にいたら自分はいてもいなくても変わらない存在なんじゃないかって思えてくる。けど——
「もう、覚悟が決まったんだ」
それでも生きようと思った。意地汚く足掻いてみようと。最後くらい誰かに尽くしていなくなりたかったから。
「言質取りました。これで喚いても無効です」
「おまっ! いや……それでいい。明日まで待ってくれるなら」
不思議と心は穏やかだった。死ぬという実感はないが、悔いは残らないと思ったんだ。彼女もそれを察したのか、それ以上なにも言わなかった。
春風がやけに涼しい。それはずっと部屋にこもっていたせいで忘れていた感覚だった。
*
四月三〇日。両親を誘ってしゃぶしゃぶ屋へいくことになった。
最初は二人とも驚いたり、訝しんだりしていたが、俺のおごりと判明すると快諾してくれた。
しゃぶしゃぶ屋なのは……自分ができる恩返しなど高が知れていたからだ。せめて両親が好きなものを食べにいこうと思った。
「まさか和都のおごりだとはな。バイト始めて少し変わったんじゃないか?」
「本当ね。最初はどうなるかと思ったけど」
両親はしゃぶしゃぶに舌鼓を打ち、嬉しそうだった。その光景が痛く胸に刺さるが、同時に誘ってよかったと思えた。
「俺だってやる時はやるんだよ」
「そのやる気をもっと早くに見せて欲しかったわ」
「やる気出すの遅くて悪かったね」
悪態をつけるが、実際は母の言う通りだ。本当は誰かのために役立ちたかった。それに気づくのが遅過ぎた。
バイトをすることで人の役に立つ意味を知った。なら最後は……自分を産み、育ててくれた両親を喜ばせたくなるのは当然の帰結だろう。
「平成の最後に転生したってわけか」
父はがははと笑う。
「そんな大層なものじゃないって。ただ——」
「ただ?」
母が不思議そうに尋ね返してくる。
「こんなどうしようもない俺を見捨てないでくれてありがとう」
「父さん、それを聞けただけで充分だよ。お前はもう大丈夫だって信じられる」
咽びながら父が言った。母さんは涙を流して言葉に発せずにいた……二人は俺が死ぬことを知らないから。
けどこれでよかったのだろう。親不孝者のたった一回限りの親孝行。時代が変わる最後の最後に果たせてよかった。本当に。
*
家に戻ってからは抜け殻状態だった。テレビをぼーっと眺める。時刻は二三時四五分。新時代の訪れが迫っていた。
「満足しましたか?」
不意に黒フードの女が喋りかけてくる。共感できるわけがないのに体育座りし、熱心にテレビを見ていた。
「満足した。ろくでなしの俺だけど……最後にまともなことできたし。日付を跨いだら殺してくれ」
二三時五三分。刻一刻と迫っている。
平成とともに生き平成とともに死ぬ。ダメ人間が最後に必死で善行を行う。素晴らしい美談じゃないか。
五月一日零時零分。
刻限がやってきた。あんなに待ち焦がれた新時代への喜びは湧いてこない。代わりに生まれたのは死への覚悟。
セレイアルがおもむろに立ち上がり、鎌を構える。俺は静かに目を閉じる。
——さよなら、みんな。ありがとう。
空を裂く鎌の音。俺は死んだ。死っていうのはこんなにもあっさりで無痛で空虚なものだったのか。
感覚も残ったままで……ん?
「って死んでないじゃんか!!」
鎌は本当に空を斬っていたのだ。
「死にましたよ」
「え?」
「ろくでなしのニート平和都は古い時代とともに死にました。私が殺そうとした人間はもうこの世にいません。新しい和都さん、ようこそ新時代へ」
わけがわからない。こいつは死神で、俺の命を奪おうとしていた。なのにクソニートだった俺じゃなくなったから死んだって?
「それじゃあお前は……」
「残念ながら任務終了の時間です。私は定時帰宅がモットーなのでこれにて失礼」
セレイアルは黒いローブを脱ぎ捨て白装束を露わにする。そして光のように瞬く間に消えた。
呆然としていた俺は最後にある結論に辿り着く。
ああ、そうか。これは彼女が俺に下した転生令だったのか。
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