試験管の中から見守られて
四葉くらめ
試験管の中から見守られて
お題:試験管の中の脳、告白、ケツァルコアトル
「私たちがこれについて考えを巡らせているとき、これもまた、私たちのことを何か思っているのだろうか」
私は試験管の中に浮かぶ小さな脳を見つめながら、そんなことを呟いていた。
脳みそはホルマリン漬けにしてあり、腐ってはいないが、かといって活動しているわけでもない。
そもそも、試験管なんかに入っていることからも分かる通り、これは脳みそ全体ではない。ある人物……いや、ある神物の脳の欠片……と伝えられているものだ。
「桜井博士……まだ残っていたんですか?」
ガチャリと扉が開く音と共に、白衣を着た女性が部屋に入ってくる。
「そういう君も、とても今から帰る格好には見えないが?」
「あなたが残っていると残らざるを得ないんです」
女性は少し困ったような顔をしてわざとらしく肩をすくめた。
「別に自由に帰ってもらって構わないが……」
「いえ、どちらかというとわたしの方の事情ですので」
ふむ、どういう事情だろうかと気にならないことも無いが、プライベートには口を出さない主義だ。
「……そうか。あまり無理はしないでくれよ」
なので、無難な言葉で会話を終わらせる。
「桜井博士には言われたくないです」
「ん……それもそうか」
ここはとある企業の研究所である。その中でも秘匿性の高い研究を行っている区画だった。
秘匿性が高い、というのは他の企業にバレたらこの会社の利益が損なわれるとかそういう類いのものではない。公になれば、場合によってはこの会社のトップだけじゃなく、内閣総辞職もあり得るようなものだ。
そして、秘匿できるのであれば人の命だって軽くなるような研究でもある。
彼女は私と一緒に共同研究をしている立川博士だ。私より3つ下なのだが、どうやら周りからは10歳ぐらい下に見えるらしい。確かに少し童顔で、表情が豊かなのも手伝って年齢よりは幼く見える。とは言っても10も下には見えないのだが……。
前にその話をしたら、どうやら私の方にも原因があるらしい。曰く、目が死んでいて本来の年よりもかなり上に見えるのだとか。
そんなに私の目は酷いのだろうか……。
「はぁ」
「疲れてますねー。コーヒーいります?」
「頼む……。もうダメだ。集中できてない」
「もう帰って下さいよ。意味ないでしょう。残ってたって」
そう言いながら、私用のマグカップに手早くインスタントコーヒーを淹れてくれる。
ついでに自分のぶんも淹れたらしい。私の前に湯気を立てるマグカップを置くと、彼女もズズッとコーヒーをすすっていた。
もちろん、集中できていない理由は私の目が死んでいるからではない。というかむしろ集中できていないことが私の目が死んでいる原因と行っても良いだろう。
つまり研究が上手くいっていないのである。
「これって神様の脳の欠片……なんですよねぇ」
「そうは見えないがな」
この脳の欠片は国がどこかから入手してきたもので、神『ケツァルコアトル』の脳の欠片である。
ケツァルコアトルとはアステカ神話において文化神や農耕神として崇められている神様……らしい。私の専門からは微妙にずれているため、そこまで詳しいわけでは無かった。
まあとは言っても、私の専門分野に近いということも合って、私が担当している。
いや、というよりもこれを練習台にでもしろと上は言っているのかもしれなかった。
私の専門は日本神話生物学であり、言ってしまえば天皇家の祖先と言われている
「桜井博士は変わりませんね」
「ん?」
「いえ、こういうときでも普段通りだなぁと思いまして」
こういうとき?
今日は何かの日だったろうか?
ゴールデンウィークの4日目。4月末である。
ああ、そうか。
「君の誕生日か」
「わたしの誕生日は1週間前でしたが」
視線が痛い……。
う……、そ、そうだったのか。
そういえばあの日は帰るとき少し機嫌が悪かったな。なぜだろうと思っていたのだが。
「君の誕生日でないとすると……、私の誕生日か?」
「嘘でしょう……? 桜井博士って自分の誕生日覚えて無いんですか……?」
「子供の頃から誕生日というものに縁遠くてね、詳しい日付までは覚えていないんだ。確か近いよね?」
「博士の誕生日は5月5日です」
「ふむ、君が覚えていてくれるなら私は忘れていても問題なさそうだ」
「もう、そういうこと言う……はぁ」
彼女は大きくため息を吐き、コーヒーを飲み干した。
彼女がこうやってコーヒーを一気に飲み干す時は、なにか決意を込めているときらしい。彼女と数年、こうして共同研究をしてきて彼女のことも少しくらいは分かってきた。
まあ……、誕生日は覚えていなかったわけだが……。
ともあれ、なにかこれから重要なことを言うのだろう。
「今日は……」
それからちらと時計を見る。それに釣られて私も時計を見た。ちょうど日を超えたところだ。
「今日は令和1日目です」
「……改元か」
「はい」
「そんなに重要か……?」
「改元自体は、まあ、別に。ただ、ちょっと改元を気に、踏み出してみようと思いまして」
確かに、こういう機会にチャレンジをするというのは良いことだ。
「桜井博士」
「何をチャレンジするんだい?」
「好きです」
「何が?」
「はぁ」
また、ため息を吐く立川博士。
ふむ……。
「もしかして、私か?」
そんな私の反応を見て、立川博士はもう一度、今度は笑みを浮かべながらため息を吐いたのだった。
〈了〉
試験管の中から見守られて 四葉くらめ @kurame_yotsuba
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