【幕間】ヒトとヒト
食事を取ってしまえば、身体は休息を要求するようになり、まだ昼間であるものの、自分とカキョウは船を漕ぎ出したのだ。特に彼女は、硬い床の上で息を潜めながらの船旅だった故に、箱の中で寝かされていた俺よりも遥かに疲労が蓄積していたはず。
客室に戻れば、ラディスがカキョウに二段ベッドの上の段を使って寝るように促した。カキョウは促されるままに上の段に登ると備え付けの毛布を被り、すぐに寝息のような小さな息遣いが聞こえ始めた。
「ダインもどうぞ」
ラディスはベッドの下の段を指差してきたが、このまま寝てしまうとラディスは持ち込んだ折りたたみの簡易ベッドのほうを使うことになる。
「大丈夫だよ、コレには慣れてるし、君の健康を守るのも僕の仕事だよ」
雇い主からはお金を貰って仕事をしているために、俺を置いて自身を優先させる事は、仕事内容的にも心情的にも許さないと。
ただでさえ常識に欠けた自分とともに行動しなければならないという状態に加え、カキョウという予定外が発生してしまっており、彼には要らぬ苦労をかけてしまっている。
「まぁ、常識が偏ってるとは聞いていたから覚悟はしていたけど、驚くほどでは無かったよ」 知識不足が目に付くだけで、行動は常識的なほうであるらしく、現状は概ね良好らしい。いや、むしろこれより悪い状態とはどんな状態なのだろうか。
「んー……。なら、少し話をしようか。座って」
ラディスは数拍ほど考え込むと、客室備え付けの奥側の椅子に座り、自分はカキョウと話していた時と同じく、廊下側の椅子に腰かけた。
「じゃぁ、まず質問。君は今日の甲板で見たオバサンのことは、どう思った?」
甲板のオバサンというと、甲板で船長に噛み付いていた、恰幅のいい純人族(ホミノス)の女性の事だろう。
ラディスの言う“どう思ったか”は恐らく見目に対するものではなく、言動や立ち振る舞いについてではないかと思った。
「そうだな……。あのご婦人の言っている事は、最初の情報の無い状態としてなら、安全を第一に考えた正論だと思った。が、その後の態度はさすがに不快に感じた。海竜への恐怖のあまりに混乱していたのかもしれないが、それでも状況とは無関係にあれだけヒトを……いや、他の種族を見下せるのが、今の俺には理解できない」
過去に魚人族(シープル)との間に何かがあったのかもしれないが、俺達を含めた他者にとっては関係のない話である。ましてや、自他共に多くの人命が危険に晒されている状況で、私怨こそ最も不要なものである。現に、仲裁に入らなければ、更なる危険を呼び込んでいた可能性だってあった。
特に種族的要素に対する一方的な偏見は、過去に自分を矮躯と罵ってきた者たちを連想させた。
(俺だって……自ら望んでこんな身体に生まれたわけでは……)
本当は、ずっとこの身体が憎かった。捨ててしまいたいとさえ思ったこともあった。
普通の子と分類されるような、大きな体の子供たちと同じような体格の成長をしていれば、大人たちからの責め苦も、不快感も、疎外感も味わうことは無く、前の自分の葬式なんていう奇怪なモノも見なくて済んだはずだ。
それでもアンバース邸へ身を置くようになってからは、そのような責めは一切なくなり、仮初ながらも、それなりの平穏な日々が訪れていた。
だが、忘れたわけではない。蓋をし、過去にし、新しい今を認識し、楽しい思い出で塗りつぶすことで、心の均衡を保ってきたのだと思う。
それが例の中年女性のせいで、再び顔を覗かせてきた。
「…………そっか、よかった」
返事を受けたラディスの顔は、これまでずっと微笑みか苦笑しかしていないほど、何らかの“笑み”を持っていたが、今は笑みを崩し、やや沈んだように見える。
「どうした」
声を掛ければ、ラディスは顔を上げ、再び苦笑顔になった。
「……僕はね、本当はホミノスの、特に貴族っぽいヒトは、あまり好きではないんだ。さっきのオバサンがいい例なんだけど、僕達が行こうとしている国は、ああやって何かにつけてホミノスとガルムス以外の種族を見下すヒトが多いんだ」
この世界には純人族(ホミノス)と牙獣族(ガルムス)の人口比率がおおく、世界最大の国であるサイペリア国でもこの二つの種族が政権をほぼ握っているために、その支配階級ともいえる貴族たちによる支配・選民思想に近いものが世界の端々で見受けられるのだという。
また、魚人族(シープル)は主に漁業と商業を中心に発展してきた種族という事も有り、特権階級である貴族側にとっては、自分達よりも下の階級という認識もあるために、横柄な態度に出る節がある。
例え、それが他の種族が実効支配する国においても、自身が世界の中心であるかのように振舞う事があるらしい。特に魚人族の多くが住むミューバーレン国は、サイペリア国とは同盟関係にあるにもかかわらず、種族的な平等性に欠ける国民性が表れている。
あの純人族の恰幅のいいご婦人の言動も、まさにこの国民性が出てしまっているようだった。
「だから、最初に仕事の話を聞いた時は断ろうと思ったんだ。箱の中身はホミノスであり、依頼主もティタニス国とはいえ貴族だったし、行き先もサイペリア国でしょ? 色々勘ぐってしまったったんだけど、僕にも付き合いや取引というのがあるから、断れなくてね。
でも、君は全然違った。偉ぶらないし、謙虚で、真面目で、ほっておけなくて、そして平等な感性を持っていた」
彼の言葉と苦笑の中に、俺に対しての安堵が見え隠れする。それぐらい、ラディスにとって今回の輸送依頼は、腹を括って臨んだものだったのだろう。
ただ、彼が評した『平等な感性』とは、あくまでも俺自身に知識や常識が無い状態だからこそ、ありのままの場面を偏見無く受け止めたとだけであり、俺の中にもあの発言が言ってはいけないものだというのは理解できる。自分は矮躯と罵られ続けてきたからこそ、発言の内容と種類は違えど共感できるモノがあるだけなのだ。
決して、平等というわけではないのだ。
「それでいいんだよ。絶対的な平等なんて存在しない。ただね、君は僕と違って、あのオバサンに対しては軽い嫌悪を感じつつも、ちゃんと庶民的な正論として評価もしている。それって、中々できないことだと思うよ」
「ただ、それは俺が常識を知らないから……」
「だからこそ、かな。君がこれから行く場所は、ある意味で平等な感性を持っていないと、すぐに息苦しくなってしまう場所だから」
今、俺たちが向かっているサイペリア国とは、多くの人種が住むといわれているが、人口比率の関係で純人族と牙獣族が政策等の優遇措置が取られている国だという。
優遇措置とは言ったが、内部的には特定種族を上位種とした序列を設けている状態であり、特に貴族などの特権階級や、権利を金で買うことができる程の豪商ともなると傲慢が進化し、選民意識が強くなる傾向にあるのだという。
「なるほど。だからあのご婦人は、あのような物言いをしていたのか」
予想としては貴族であり、観光か何かで時間を気にする必要があまりない分類のヒトだったのだろう。時は金なりと言う言葉があるように商人であれば、時間を大事にする姿勢が見られるはずである。
ラディスの口ぶりや嫌がり具合からも、仕事上でそういう輩と接点を持ってしまうことが多々あったことは推察でき、彼が純人族に対して、あまり良い感情を持っていないのも納得できる話である。恐らく、あの船長も、船員である魚人族たちも。
自ら望んだ外の世界には、たしかに自分の知らない常識が溢れかえっている。
その中には、知らなくてはならない常識、知らないままでは危険な常識も多く存在するはずとは思っていたが、あまりにも早く、そして身近に転がっているのだと思い知らされた。徐々になんて言っていられないかもしれない。
「そうか……分かった。肝に銘じておく」
「ごめんね、門出だっていうのに、変な話をしてしまって」
「いや、君が必要だと思ったから、話したんだろう?」
先が思いやられるとか、そういった単純な話ではなく、純粋に外の世界で生きるために必要なことなのは、嫌でも分かる。
一般教養と呼ばれるものは、あくまで安全を保たれた街の中で生きるための知識と常識である。
だが、手元の武器が示すように俺が望んだ外の世界とは、ヒトや街を襲うような凶暴な野生生物と遭遇する“街の外”も含まれるのだ。現に、船を襲う海竜がこの海域に住んでいるように、何時でも何処でも命を落とす危険性が上がる世界なのだ。
ラディスもソレを理解している上で、このような話をしてくれているはずだ。
「うん。理解が早くて助かるよ」
感謝しなければならないのは、自分のほうなのだ。
特殊な依頼とはいえ、本来ならそこまで気を使わなくても、依頼品を送り届ければ達成される依頼ではないだろうか。
なのに、彼の質問に対して返してくれる言葉、情報量はきめ細やかに選び抜かれ、一つ一つがすごく丁寧だと感じる。ただの運び屋程度だったら、こんな手厚い対応はなかっただろう。
(手厚いのか、手荒なのか……本当に分からないな)
もっとも、箱詰めだったのは、手紙の文面からも少々想定外か、もしくは予定が大幅に早まってしまったためのようにも感じた。
それでも、なぜ箱詰めにしなければならなかったのかは、終始謎でしかない。
俺の国外追放を、誰かに知られたくないため?
それとも最後まで徹底的に、存在を隠すため?
ならば、何故最初から国外養子にしなかった?
分からない。本当に分からない。当事者なのに分からない。
だが、国に帰ることが許されない以上は知ることもできないし、知る必要もないだろう。
(今、このときから、俺は生まれる……か)
これからは、ティタニスを忘れ、外の世界で生き、外の世界で死ぬ。
これが、俺に与えられた“最初の自由”なのかもしれない。
「さて、僕達も休もうか。これから君は……もっと疲れるはずから」
話にも区切りがついたということで、自分は二段ベッドの下の段に促され、ラディス自身は立てかけてあった簡易ベッドを組み立て始めた。
その行動を見た途端、彼の“これから君は”という言葉が頭を駆け巡り、胸の奥が締め付けられる感覚に襲われる。
「……なぁ、ラディス。俺をネストというところに送り届けたら、故郷に戻るのか?」
明日の別れを認識した途端、まるで親鳥を見失った雛鳥のように、急激に心細さが全身を駆け巡った。
突然の箱の中、カキョウとラディスとの出会い、初めての航海、甲板の口論と多くの出来事に見舞われ、ようやく落ち着いたからこそ、忘れていた恐怖が押し寄せてきたのだと理解した。
(外で独り立ちすると決めていたのに……)
突然ながらも、いざその時になってみれば、自分の決意とはこんなにも脆いものだった。
心の準備のための期間が欲しかったというのは、甘ったれた感覚なのかもしれない。
「うん、そのつもりだけど、どうし……」
振り向いたラディスは、こちらの表情に一瞬困惑したようだが、フフッと小さく微笑むと目線をとある方向に向けた。
「……大丈夫だよ。君には、“彼女”がついている」
視線の先には安心しきっているかのように、こちらに背を向けて横になっている有角族(ホーンド)の少女。
咄嗟の家出と言わんばかりに、身一つで密航してしまった彼女の行いは、まさに愚行である。
だが、考えなしだったとしても彼女の行動力は、今の自分は見習わなければならないモノなのかもしれない。
なお、個室で女性一人に男性二人という、なんともいえない状況であるではあるが、彼女はしっかりと熟睡中である。大胆なのか、肝が据わっているのか、本当に考えなしなのか分からないが、微笑ましい寝姿に二人して苦笑してしまった。
「そうだな。……改めて、よろしくな」
返事が返ってくることは無いために、その安心しきった寝息を代わりとしておこう。
心がほっこりしたことで、焦燥感で一時的に飛んでいた眠気が呼び戻され、頭を支配してくる。
ラディスの言葉に甘え、うつらうつらと揺れる頭を押さえながら着こんでいた装備を解除し、二段ベッドの下の段に横になった。
狭い船室に確保されたベッドスペースは、純人族の成人男性一人分としても、少々狭い空間であったが、その狭さが包まれているような安心感を生み出し、柔らかい布団の感触も相まって、あっという間に泥のような眠りへと落ちていった。
終わりから始まる小説や詩は数多く存在しているが、自分の人生がそんな形になるなんて思っても見なかった。
目が覚めれば、本当の新しい人生が始まる。
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