1章:始まりは、春風と潮風と
1ー1 始まりの木箱
ソレは、人目をはばかるように行われていた。
まだ日中だというのに、曇天の空は一切の光を通さず、視界を奪うほどの滝のような大雨。顔がほとんど隠れてしまうほど大きなフードをつけたローブを纏った四人の男性が、成人からすれば二回りも小さな、子供用と思われる棺桶を担ぎ、ゆっくりと街の東側にある教会へと運んでいた。
「寒そうですね」
外はまだ冬から春に切り替わろうとする、季節の幕間。春雨ともいえる雨は、十分に冷たいであろう。
ソレは、ある人物の葬儀。
棺桶の上には、とても小さな花冠。横には白と黒のリボンが着飾ってある。
だが、花は雨によって花弁を散らし、可憐だった原型はもう無い。リボンもずぶ濡れとなり、いつ落ちてもおかしくない。
ここは、わざわざ用意された見下ろすための特等席。
この国一番の大通りに面した部屋であり、晴れの日なら様々な屋台と行きかう人々で賑わい、夜遅くまで煌々と光が照らされるのだ。
だが、こんな土砂降りの大雨では、見知らぬ誰かの葬儀のために外に出ようとするものは、いないだろう。見送る者が居ない何とも寂しい葬儀である。
「どうして……雨の日に行ったのですか?」
「たまたま、今日が雨だったからです」
「別の……晴れた日には、できなかったのですか?」
「……出来ません」
眼下の棺桶を見つめながら、窓の反射に映る少年の後ろには、この光景を痛々しい眼差しで見つめている中年の男がいた。
特別な儀式であるために、日取りを移すことができない事は重々承知しているものの、これでは故人も浮かばれないであろう。
だが、その棺桶の中には、誰もいない。
見送る者もいなければ、見送られる者もいない。
沿道を飾る花もなく、大きな通りを四人の男が大荷物を大事に運んでいる程度の風景。
人目を憚るようにだなんて、偶然でしかないのに、必然と感じてしまう。
「変なものですね……。自分の葬式を見るなんて」
棺桶の中に誰もいないのは、当然なのだ。
この葬式は、僕の……俺の葬式なのだから。
姿が見えなくなるまで、誰も入っていない棺桶をずっと見つめていた。
それから数日後、外出禁止の約束を破って、屋敷を抜け出した事があった。
あの日と同じく、土砂降りの昼間。
あの日と同じく、人気の無い大通り。
空は薄暗く、いつ夜の帳が下りてもおかしくない、夕暮れのような暗さ。
外出を許されない自分に、雨避けの外套は用意されていない。代わりに真っ白な敷布団用のシーツを雨除けとして羽織った。
(……寒い)
土砂降りの下、防水加工の施されていない布切れ一枚に何の意味も無く、いたずらに身体から体温を奪っていく。
(……体が重い)
また、布が吸い上げた水分が、容赦なく小さな身体にのしかかり、体力も奪っていく。足がもつれ、何度も石畳に体を打ち付けながら、必死に走った。
行き先は、自分の棺桶が運ばれていったであろう、街のはずれにある国営の教会。首都に住んでいた故人たちは皆、この教会の外周に墓を設けられ、弔われる。
先日の棺桶も、かつての国民達が眠る場所に運ばれているはず。
泥濘(ぬかるみ)に脚を取られ、何度も転びながらもたどり着いた墓地は、この国の歴史を物語るように広大な墓地であった。
その中に一つだけ花が飾ってある、異様に小さな真新しい墓石が目に入った。近づいてみれば目星の名前が刻まれている。
墓とは本来、この場所に眠る者が存在していた証を刻む物。
だが、この場所には誰も眠っていない。
この墓石は、刻まれた名の持ち主を他者の記憶から殺すための記号。
そう、僕を……俺を殺すための記号。
「ここに居られましたか」
背後から向けられた声の持ち主が、誰かは分かっている。遅かれ早かれ、必ずこの男が自分を見つけ出す。
そもそも、子どもの足で、そうそう遠くに行けるわけがない。自分がここに来ることだって、予想の範疇であったはずだ。
「僕は(俺は)……、過去ですか?」
振り向けば、男は雨除けの外套も傘も指さず、ずぶ濡れのまま立ち尽くしている。雨のせいで分からないが、男の目元はどこか雨とは違った濡れ方をしているように見える。
男は一歩、また一歩と近づき、雨水と泥水で汚れることを気にせず、膝をつき、壁ともいえる巨大な身体で抱きしめてきた。通常の十歳よりも遥かに小さな自分の身体では、この男――グラファリス・アンバースの身体に完全に抱き込まれてしまっている。
「いいえ、いいえ! 貴方は未来です! だからこそ、貴方はここに……このような場所に来るべきではありません!」
大きな身体がワナワナと震えている。抱きしめる力も強まった。少し苦しい。
矮躯ながらに小さな腕を伸ばし、必死に男の脇腹を叩いて訴えた。男もすぐに気づき、急いで身体を放す。
体温も体力も限界目前に迫る中、いつ意識を手放してもおかしくなかったが、抱きしめられている間は、身体の芯がとても暖かかった。頬には雨とは異なった暖かい水分の感触が伝い、土砂降りに掻き消えながらも、自分は何か声を出していた。
「さぁ……帰りましょう」
男はこちらの膝裏に左腕を通し、右手で背中を支えると、まるで赤子をあやす様に優しく抱きかかえた。
男の肩越しに遠ざかる墓地は、それまでの土砂降りが嘘のように弱まっていき、遠くの空では真鍮色のような鈍い色の光が差し込んでくる。
墓地の入口には四輪式の箱馬車が一台停まっており、赤銅色の縦巻き髪をした小さな女の子――ネヴィアが泣きそうな顔をしながら、窓に張り付いている。
その顔は、彼女の父親に向けられたものだろうか。
それとも……そのほんの一部に、僕(俺)への心配が含まれているのだろうか。
そうだと嬉しい。
そうであって欲しかった。
期限付きだとしても、この腕の中が、彼女のいる場所が、自分の新しい帰る場所となるのだから。
こうして僕は……俺は、墓石に刻まれた“本当の名”と“過去の自分全て”を捨てさせられた。
◇◇◇
まるで底へと引きずり込まれるような、されど天へと持ち上げられるような、不思議な感覚に夢が遠のき、現実へと戻ってきた。
まどろみが身体を支配する中、うっすらと目を開けると、まだ外は暗かった。
「……またこの夢か」
どんなに時が過ぎようとも、何故か決まって誕生日の夜に、夢という形で強制的に見せられる、忘れることを許されない自分の過去。自分はもう死んでいる事を刻み付けるように、何度も、何年も、はっきりと再生する。
正直に言えば、もううんざりなのだ。
まるで自分が女々しく過去に縋りつくようで、夢に体力を奪われる。
「痛っ……」
意識が覚醒してくると、身体のあちこちが痛いことに気付いた。どれだけ長い時間、右腕を下敷きにしていたか分からないほど、右側が痺れている。
寝ていた場所は、硬い床の上に薄い絨毯を敷いて寝ているような粗悪な場所であり、体の痛みと合一層不快感が増した。
それどころか、この場所は妙に窮屈な場所である事に気付いた。
足は軽く曲げられており、それを伸ばせばすぐに壁のような物に当たる。背中も同じであり、寝返りを打つには狭い。
「なんだこれ」
薄暗い空間に目が慣れてくると、天井と四方が全て、壁紙や塗装の一切無い剥き出しの木の板を幾つも並べただけの簡素な壁で出来ていた。窓も無ければ、扉も無い。
上半身を起こしてみれば、肘が軽く曲がった状態でも天井に手が届いてしまうほどの狭い空間だ。小さな身体の自分だから、体を軽く曲げただけで収まっていたが、普通の体格の者なら抱え座りをしないと収まる事ができないだろう。
叩いてみれば、乾いた軽い木材を数枚重ねたような造りの音だと思った。
察するに、俺は木箱のような物の中にいる。
正面の壁には、いつも真剣訓練で使用していた愛用のブロードソードが斜めに掛けてあり、その下には軽金属を使ったグリーブとガントレット、ネックガードとショルダーガードが付いたワンピース状のプレートメイル、なめし革のベルトと手の平より若干大きなウエストポーチが置いてあった。
着ている服装は白いカッターシャツに、ホワイトジーンズ、つま先を鉄製カバーで防護した安全靴形式のレザーブーツ、妙に丈夫ながらも軽い青色のロングコート。
(……白いシャツ? 俺、そういえば、刺されて倒れたような……)
自分の最後の記憶を探ってみると確かに夜、不審者によって俺は脇腹を刺されたはず。
シャツをめくってみると、刺されたはずの脇腹に傷のような跡は一切無く、頬も同様である。
襲われた後、気を失い、その後が木箱の中。何がどうなったのか分けが分からない。
ともかく、現状をもっと把握しなければと思い、革製のウエストポーチを開けてみた。
中には、お金の入った革財布、蓋にアンバース侯爵家の家紋が刻まれた銀色の懐中時計、そして蝋で封印された手紙が一通出てきた。
手紙は高級な羊皮紙であり、蝋印は昨日見たものと同じ物であり、差出人が誰かすぐに分かった。
(この状況を作ったのは……あの人か)
蝋印が全てを物語っている。嫌気からの溜息をつきながら蝋印を剥がし、中身を確認すると、三枚の書面が出てきた。
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ダイン様へ
この手紙を読む頃には、もう遥か彼方でしょうか。
妻を亡くし、娘とともに暗き日々でしたが
貴方を迎えて以来、我が家には笑顔が戻り、
一層賑やかになりました。
なかなか“様”が抜け切きれず、
何度も貴方を苦笑いさせてしまいましたね。
ですが、此度は貴方に敬意を表して、
様付けすることをご容赦ください。
せめてもの証として、家紋入りの懐中時計を贈ります。
本来なら貴方の希望どおり時間をかけて、
ゆっくりと外を知ってもらいたかったのですが、
このような形での別れとなってしまったことが、
本当に無念でなりません。
これが今生の別れとならないよう、
ダイン様のご武運をお祈り申し上げます。
グラファリス・アンバース
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まず目に入ったのは、アンバース家の家紋が上辺に印字された、養父からの手紙であった。
アンバースの姓を貰ってから、十年の月日が流れているにもかかわらず、義父の中では未だに自分が、あの墓石に刻まれた名の人物として扱われている。
それはずっと感じていた。実の娘であるネヴィアとなるべく差別しないように扱っていてはくれたが、どこかで腫物を扱うように大事にされている、と。
かという自分も、口では一応『養父(とう)さん』と言いつつも、心の中ではどこか一線を引き、最後までぎこちないままだった。
そんな、お互い様な状態を、ネヴィアは何度払拭しようとしただろうか。口を酸っぱく、子供らしく振舞え、甘えろと言われた。
自分は子供なのだから、行動の全てが子供らしい幼稚なものであり、何をするにも周囲に甘えていないと成り立たない生活をしている。だからこそ、甘えるという意味が分からなかった。
だが、ここに来てようやく、その意味が分かった気がする。
最後まで『聞き分けの良い子』を演じたがったのだろう。
そんな俺を見て、ネヴィアがバカヤロウと言ったのだろう。
結局、最後まで俺は『気を許せなかった』のだ。
俺は家族になれないなんて思って、勝手に壁を作って、俺から突き放していたのだから。
それでも義父もネヴィアも家人の方々も根気よく、俺に接してくれていたのか。
そして、家紋入りの懐中時計。蓋の内側には、我が子へという小さな一文が刻まれた、確固たる物理的な証。
「俺は……なんて馬鹿なんだ」
失くしてから、初めて分かった。だが、失くした時間は戻ってこない。
せめて、この手紙の主が祈るよう、前に進むしかないのだ。
しかし、義父からの手紙から散見できる『別れ』と、この荷物から一抹の不安がよぎる。
そして、木箱の中。
ざらりとした嫌な感覚が、背筋に這った気がしつつも、次の紙に手を掛けた。
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ダインへ
お久しぶりですね。
貴方のことを忘れた日は無く、
陰ながら貴方を見守ってまいりました。
貴方のためとはいえ、
このような形でしか、何かをしてあげれない
至らない母でごめんなさい。
いつか、貴方が戻ってこれるのなら、
成長した姿を間近で見たいです。
その日が訪れることを祈ります。
エリナール
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これが実母からの手紙である事は、文面からでも一目で分かる。
しかし、母という存在は、もうすでにも行きつくことのできない遥か彼方を連想するような、果てしなく遠い感覚と同じだった。
俺が引き渡されるよりも数年前から、いつの間にか接触が禁じられ、同じ家の中にいながらも顔を合わせることが無かった実母。養子に出され、その上で軟禁指示と、何を考えているのか本当に分からない実父に、それを止めようとしない。
大変な立場にいることは理解しているが、子として理解したくなかった部分が多く、このような手紙を貰ったところで、何を思えばいいのかも分からない。
見たかったのなら、何故会いに来なかったのだろうか?
この手紙ですら、残念ながら誰かが代筆したのだろうかと勘ぐってしまうほど、俺は生家のことを良くは思っていない。
そして、気の進まない三枚目の手紙を広げた。
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貴殿を諸般の事情により、国外永久追放に処する。
なお、貴殿の保護に関し、下記の者に一任してある。
当書面を持参するよう。
サイペリア国 首都サイペリス 東区
アーサー・ヘリオドール
行くかどうかは任せる。
好きにするがいい。
生きろ
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「………………………………………………」
もう、考える事すら馬鹿馬鹿しかった。
確かに外へ出たいという希望は、伝えてあった。
三枚を通して、それが今叶っている状況なのだというのも理解はした。
……ただ、何も知らされないまま生家から追い出され、自分の葬式を見せ付けられ、監禁されと、色々な形で振り回された挙句に、俺は『何らかの理由』で『国外追放』になった。
俺が何をしたというのだろうか。
まるで仕方なくこうしたと言わんばかりだ。
何故、何も教えてもらえないのか?
何故、今まで監禁する必要があったのか?
国外にアテがあるなら、何故最初から出さなかったのか。
分からない。
分からない、分からない、わからない。
俺自身の人生を、俺以外の人間が決定する。
どこにも俺の『個人』たる人格と決定権は、存在していない。
「ハ……ハハハ……ハハハハハハハハハハハハ……」
乾いた笑いは、今の乾いた心そのものだった。
何もかもが不本意で、何もかもが自分のことなのに、自分が一番分からないというこの状況は笑うしかない。
不本意に殺されて、不本意に生かされて、不本意に放逐された。しかも誕生日にだ。
これは国の守護神からの試練だったのか、それとも悪魔の悪ふざなのか。
否、これはヒトが意図的に組んだもの。
当事者だけが知らない、喜劇なのかもしれない。
観劇が終わったから、野に放されたのかもしれない。
「何が生きろ、だ」
先の文字列が印字機を使った物に対して、何故か最後の三行は手書きであった。形式的な冷たい書状に吹き込まれたヒトの温もり。
(貴方というヒトは、何をしたいんだ)
この手紙の差し出し主であろう実父が何を思って、この文章を追記したのか、何故こんな文面を残したのか、先の行動や決定から見ても、俺には理解できなかった。
本当なら相手の望みなんて叶えてやりたくないのだが、自分の望みと一致していることが腹立たしかった。
今の自分には、この手紙が示す場所へ行く以外の目的がない。
それでも、ただ好き勝手に生きろと放り出されてしまうよりは、示されているだけマシというべきか。
「……………………ハァ、出るか」
溜息をつきながらも、手紙や懐中時計をウエストポーチの中へ戻し、周囲の物の確認を始めることにした。
改めて身に着けている物や、周辺に置かれた物を見ると、ブロードソード以外はどれも新品であった。
プレートメイルを含めた防具一式は儀礼用の名ばかりな品ではなく、鋼の合板が用いられた装飾がほとんど無い実戦仕様の品々。プレートメイルの腹部は厚手のゴムで出来ており、機動性と防護性を保ちつつ、軽量化が図られている。
続いてウエストポーチ内にある財布を確認してみれば、紙幣で十万ベリオン、小銭で三千ベリオン分がすでに入っていた。
新品の装備一式、お金の入った財布。完全に旅立ちの装備一式であり、まるで餞別と言わんばかりだ。
(まぁ、有るだけマシということか)
大きく溜息をつきながら、装着しやすそうなグリーブやガントレットを引き寄せた。
まずはグリーブ。脛当て式であり、脛に装甲を宛がうと、あとは脹脛(ふくらはぎ)と足首部分のベルトを締めるだけだ。念のため、足の甲部分に当たる小さな装甲の可動を確認する。
次にプレートメイルに手を伸ばした。先にネックガードとショルダーガードを外し、ワンピース上の本体のみにする。胸部分の装甲を外し、腹部のゴムカバーのファスナーを開けると、メイル自体が観音開きのように左右へ寛げるので、ここでようやく着込む。後はファスナーを上げ、外した胸の装甲、ショルダーガード、ネックガードの順に再度装着。
さらにウエストポーチが付いたベルトを、ウエストガードの接合部分の上に乗せるように締め、背面にポーチが来るようにする。
最後にガントレット。構造はグリーブと似ており、腕の外側だけを守る当て物のようだ。だが、手甲部分から肘の先までカバーされたロングタイプであり、簡易的な盾も備えた代物となっている。
「……疲れた」
一通り着終わったら、再び大きくため息をついた。
さすがに、この狭さで座りながら鎧を着るというのは辛いものがあり、何度も壁面にぶつけてしまった。目立った傷こそないが、この装備が最初に負った傷は木の板から貰ったものだというのは、なんとも不名誉であろう。
外に出てから着るという選択肢もあったが、出た途端に襲われてしまっては元も子もないので、これでよかったのだと自分に言い聞かせることにする。
では、実際に外に出てみよう。
天井を押し上げてみると、軽く歪みはするが、全ての辺がきっちりと釘で打ち付けられており、何らかの形で破壊する必要があるようだ。
軽くノックしてみれば、壁の時よりも更に軽い音がした。天井はただの蓋だけということか。
ならばと片膝を立て、天井に手を付いて、深く息を吸い込んだ。
「せぃやぁ!!」
天井は盛大な音を立てながら、一気に持ち上がった。軽い音がしていただけあって、天井は木っ端微塵となり、大量の木片を周囲に撒き散らしてしまった。勢いが強すぎたのか、側面の上側もところどころが破れた紙のように、ボロボロになっている。
周囲を見渡すと、大小さまざまな木箱や布袋などが置かれた全面木造の広い部屋だった。
窓は無く、大きな梁が格子状に並ぶ天井には、魔力を通す事で光りだす特殊な石が使われた光源が幾つも付けられている。壁にはロープや浮き輪、両手で扱う片刃の斧、釣竿などが掛けられている。
突然、足元がふわりと浮くような感覚と押し上げられるような感覚に襲われた。大きな揺れと共に、天井や床からは互いを大きな力で擦り合わせたような低く響き、木造の壁の向こうからは大量の豆を溢したような音が聞こえてくる。
「……船の中か?」
今の揺れと目を覚ます時に感じた揺れ、そして壁の向こうから聞こえてくる音から、物語に出てくる海の上を進んでいる船の中ではないかと思った。
窓が無いために壁の向こうの様子が分からないが、造りからして恐らく船体の一番下であり、周囲の状況からも船倉だと思われる。
漂ってくる初めて嗅いだ不思議な香りは、磯の香りだろうか。住んでいた首都は内陸であったので、これまでに嗅いだことがない匂いであった。しかも、本の中でしか得られなかった情報が上書きされていき、自分が本当に外の世界にいるのだと、ゆっくりと実感させられていく。
「……ちょ、ちょっと」
背後から発せられた声に振り向くと、二mほど後方のひしめき合う荷物の間に、こちらを指差す一人の少女が立っていた。
少女の姿は、一言で言えば独特だった。
肩に届く前に切りそろえられた真紅の髪に、同じ真紅の瞳。バスローブのように胸元で羽織を重ね留める服を二着重ね着し、平たく大きな紫の腰帯で留めるという服装だ。服の色は象牙のような柔らかい乳白色であり、服の裾や襟にあたる部分は赤く、注視すれば更に深い赤の糸を使って、鳥の刺繍が入っている。
特に目を引いたのが、頭の輪郭から少しだけ飛び出ている鈍い金色の『角』。教本に載っていた『有角族(ホーンド)』と呼ばれる種族だ。
そして……。
「小さい」
離れた距離でも分かるほど、彼女の背丈は明らかに小さかった。自分の胸元ぐらいの高さだろうか? 彼女もまた矮躯として生まれ、何らかの苦労でもしてきたのだろう。
すると彼女は急に頬を赤らめて、胸元に腕を回した。
「っ!!!! こ、これでも普通にあるわよ!!!」
どうやら胸の話だと思われてしまったようだ。背丈の事だと指摘すると、彼女の顔は茹蛸のように、顔全体を赤らめてしまった。
「わわわわ悪かったね! それでも“普通より”やや小さいって程度なのよ! むしろ、あなたが大きすぎるんでしょう!」
「……ん? 普通より?」
「そうよ!!! 何よ! どうせ、アタシは平均以下よ!」
彼女からすれば、確かに俺のほうが大きい。
だが、彼女の言葉からは、彼女の取り巻く環境において彼女自身は『あくまでも平均よりやや小さい』ということが、まるで『常識』であるかに聞こえる。
「……すまないが、聞きたいことがいくつかある」
「な、何よ……」
彼女の顔から赤みが引いていき、徐々に神妙な表情に変わっていく。こっちは箱からいきなり飛び出てきた不審者だ。身構えるのも当然のことだ。
「まず、その角と服装なんだが……もしかして、コウエン国の者か?」
母国のティタニスがあるフレス大陸では、中央に横断する山脈を隔てて、南側をティタニスが領土とし、北側は有角族(ホーンド)が建てた国『コウエン』が支配しているといわれている。
領土の多くが湿度の高めな平野で構成されており、農耕や酪農、畜産を中心とした農業と漁業を中心とする国家である。
食事はナイフやフォークではなく、箸と呼ばれる小枝のような細い木の棒を二本使って、食べ物を器用に持ち上げたりする。また、ティタニスなら必ず加熱調理する魚を生で食するなど、変わった食文化を持つ。
建築様式はレンガや石造りではなく木造であり、豊富で肥沃な土から得られる粘土を用いて壁を直接補強する。……と、言われている。
軟禁生活であったために、自分で見聞した情報ではなく、全て本の中での知識であるために、その知識自体が本物であるかさえ分からないのだ。
「……そ、そうだけど、何よ」
嗚呼、新鮮だ。ただの紙の上での知識が、本物となり自分の経験となっていく。
初めて会った人間に、何故答えなければならないのかという疑念の表情も、情報の真実性を上げてくれている。
「あ、いや、その不快にさせたのなら謝る」
こちらが頭を下げると、彼女は目を見開き、少々驚いた様子だった。
「べ、別にいいよ、これぐらいの軽い質問……。んで、次は?」
こちらを怪しんではいるものの、協力的な彼女の姿勢に好感を覚える。
「その、コウエン国では、君や俺ぐらいの身長が割と当たり前なのか?」
この質問を投げかけると、彼女の表情は一転して真剣になり、深く考え込みだした。
「そう……ね。大人の男性は、貴方よりも少し小さいぐらいかな。女性はそれより頭一個分ぐらい小さいね。もちろん、もっと小さい人や逆に大きい人もいる。
でも、“隣の国の巨人族”は、港で見かける以外いないよ」
コウエン国の隣とは、海を挟まなければ、俺が今までいたティタニス国しかないはず。
彼女の指す巨人族というのは、まさかティタニス国の人間の事を指しているのだろうか。しかしそれは、有角族(ホーンド)が教本に載っていない特徴として、小さな身体を持ち合わせ、ティタニス国の人間と比較しているのではないだろうか?
「隣の国の巨人族って……それはコウエン国の人々が俺みたいなワイ……小さい者達ばかりという事じゃないのか?」
「え? むしろ、巨人族のほうが珍しいと思うよ」
これは驚いた……というより、衝撃的だった。
自分が軟禁によって井の中の蛙状態であるとは思っていたが、まさかここまで世界と切り離されているとは、思ってもみなかった。
教本の中にも、確かに巨人族(タイタニア)と呼ばれる種族が存在している事は知っていた。だがそれは、ティタニス国の者とは別の種族の事を指しており、世界中の人々は今までの俺の周囲にいた者達のように二周り以上も大きいのが当たり前であり、彼らが他種族における象徴的な特徴を持たない種族といわれる純人族(ホミノス)なのだろうと思っていた。
だが、彼女の言葉が本当なら、世界の多くの人々は俺達のような背丈をしており、ティタニス国の者のような背丈は巨人として認識され、少数派であるようだ。
俺の背丈が平均的な分類に入るというのなら、俺は世界の標準的な純人族(ホミノス)に分類されるという事になり、決して矮躯というわけではなくなるという事だ。
このことが世界の共通認識であるなら、ティタニス国の者たちはその認識を持っているのだろうか?
いや、他国との交易は行われていたはずだから、少なくとも政府関係者や港関係者は知っていて当然の話である。単純に、日常生活を送る上で話題にならない話というだけなのだろう。
「……ねぇ」
それでも、新聞や雑誌から得られてもよい情報であるはずだ。これは俺自身に何らかの情報規制が掛けられているのか、それとも教本がおかしいのか。前者であっても、後者であっても色々と性質が悪い話である。
ともかく、自分がこの十八年間に覚えてきた知識以上のことが世界に溢れ、自分がまず常識そのものから覚えていかないといけないことが、はっきりと分かった。
「……ねぇって」
ならば、自分が外を見たいという願いは、かなり無謀か壮大な出来事だったのだろうか?
強制的とは言え、願いはかなったものの、屋敷の外そのものの常識が無い状態での国外追放は、危険極まりない状態ではないだろうか?
「……ちょっと、あんた!!!」
少女の声に引き戻されて初めて、自分がかなりの時間考え込んでしまっていたことに気付いた。彼女の顔を見れば、むくれてしまっており、謝罪すると呆れたように溜息を疲れてしまった。
「はぁ……もういいよ。それより今度はアタシからの質問。何で箱から出てきたの?」
もっともらしい質問であるが、正直に答えてしまっていいのか悩む。
信じてもらえるかも分からないが、箱から出てきたところを見られている以上、疑問をもたれるのは当たり前だろう。普通、生きた人間を箱詰めにして、荷物として送ろうだなんて、馬鹿げている。
ただ、うだうだ考えても、ありのままでしかないのだ。
「信じてもらえないだろうが……俺自身もよく分からない。起きたら、既に箱の中に閉じ込められていた」
「……は?」
予想通りの反応である。
目を見開き、口をぽっかりと開け、顔には『何言ってるの、この人』と書いてあるようだ。
「え、あー……う、うん? んー、誘拐でもされたの?」
あの夜の状況からみれば、ある意味されかけたと言ってもいいだろう。
そう思い返せば、どう転んだところで、俺はあの屋敷、国から追い出されていたということか。
しかし、初対面である彼女に、追い出された方法が箱詰めですと言うのも、少し変な話である。
「いや、それがな……」
「それが悲しい事に、彼、勘当されちゃったんですよ」
突然に割り込まれた第三者の声は、船倉の入口から発せられた。
振り返ると、写真で見た海のように透き通った水色の長髪をした中性的なな顔立ちの青年がいた。レモン色の半袖前開きパーカー、黒いデザインラインの入ったホワイトタンクトップ、マリンブルーの膝丈ハーフパンツ型ジーンズにサンダルと、これから泳げそうなほどの軽装な姿である。
耳に当たる部分は、まるで魚のヒレのような棘と膜に変形しており、こちらに近づいてくると、背丈は自分の目線ぐらいまでしかない。
「はじめまして、ダイン。僕は、君の輸送を任されたのラディス・ヴィロリス。ラディスって呼んで」
名乗りと共に差し出された手は、指の付け根に水かきのような薄く平たい膜が張られていた。
ヒレ状の耳と手の水かきから、彼は『魚人族(シープル)』なのだろう。
ティタニス国の南の海の先にあると言われるミューバーレン諸島に住み、漁業と南国系食物の輸出を国の産業とする、海と共に生きる人々であると書かれていた。魚人という名の通り、彼らは魚のように水中での呼吸を行う事ができ、長時間潜水する事が可能であるらしい。
また、ラディスと名乗った青年は、有角族(ホーンド)の彼女が言っていた『普通』という分類に当てはまる背丈であり、彼女の言葉の裏づけの証拠の一つとなっている。
「あのさぁ……まさか箱の中から握手するつもり?」
有角族の少女に指摘されたように、確かに自分はまだ上面が破壊されただけの木箱の中にいるのだ。
ラディスに少し後ろに下がってもらい、木箱の側面を少し破壊して、外に出た。
彼のほうに近づくと、やはり自分よりも小さいことと、初めて見る魚人族(シープル)に驚きながら、彼と握手を交わした。
「ダイン・アンバースだ。その……外を知らないから、色々と小さい事でも質問してしまう。気を悪くしないで欲しい」
「うん、大丈夫。君に説明するのが、僕の役目だから」
先に声を聞いたので男と認識したが、体つきは細身であり、青い長髪と中世的な顔立ちから、声を出されなければ女性と勘違いしてしまうかもしれないほど、美が付く青年だ。おまけに、笑顔がさわやかであり、同性ながら賞賛の念が出てくる。
彼が役目と言ったからには、やはり自分の追放劇は計画的なものであり、尚且つ多方面に何らかの協力を仰いでいる者ということも分かった。
ならば、彼もそれなりにこちらの無知さ等は聞かされていることだろう。
「なら、早速なんだが、俺の現状を聞かせてくれるか?」
「いいよ。まず、君はサイペリア国のポートアレアへ移動中なんだ」
サイペリア国は、ティタニス国の東の海の先にある、世界で最も大きな大陸『グランドリス大陸』全土を領土とする大国家であるといわれる。
西から中央にかけて大きな草原が広がり、南には砂漠、東には台地と森林、北には山岳地帯と様々な地形を持ち、数多くの種族が生を育んでいる。
ポートアレアはサイペリア国の西の玄関口ともいわれる港町のことであり、この港町を経由して、保護先として書かれていた首都のサイペリスへ行くということだろう。
「ポートアレアに着いたあとは、僕が所属する“マーセナリーズ・ネスト”の支部に案内するよ」
「ま、まーせなりー?」
断ったそばから早速、聞きなれない単語に直面してしまった。
ラディスは、こちらの様子に目を見開くと一拍を置いて、何か納得したように苦笑した。
「あー……なるほど。話には聞いていたけど、そういう“外を知らない”ってことなんだね」
(む……はやり、こういう顔をされてしまう)
俺としては初めて聞く言葉は、全て質問の対象であるために仕方ないことなのだ。だが、母国では立志の年齢に達した、いわゆる成人に分類されるので、心苦しいさと恥ずかしさで胸が苦しい。
「……! 気を悪くさせたみたいだね。ごめん」
彼に気づかれるほど、自分は嫌な表情をしてしまったんだろうか? いや、こちらが教えてもらう側なのだから、むしろ余計な気遣いをさせてしまった。それこそ、こちらの失態である。
「ああ、いや、俺のほうこそすまない。続けてくれ」
「分かった。軽く説明すると、仕事の斡旋所みたいなところで、そこで“働いて賃金を得る”ということを学んでもらう」
いくら俺が外を知らないとは言っても、ヒトが生きるためには糧を得るための金銭が必要であり、金銭は様々な労働を経て得る事ができるのは、分かっている。
「加えて、適性も見るというわけか」
問題は、この世にどんな労働の種類が存在し、今の自分に適しているかが分からない。仕事の斡旋所という字面だけなら、商いや製造、衛兵みたいな想像の付きやすい仕事以外も入ってくるのではと、予想する事ができる。
「話が早くて助かるよ。ひとまずはコレぐらいにして、詳しい説明については、実際に支部に着いてからするってことでいいかな?」
「ああ、構わない」
恐らく彼は、今の小さなやり取りだけでも、なるべくこちらを混乱させないよう、情報量の調整を行ってくれている。たった一つの質問だけで、俺は彼をどれだけ悩ませるのだろうか。
そして“知らない”ということが、今後どんな危険を生んでいくのか。
(聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥……か)
今しばらくは、自分に降り注ぐ情報の良しと悪しが分からない以上、彼におんぶに抱っこ状態なのは否めない話。なら、無駄な面子はここに捨てていくだけだ。
「ありがとう。さて……僕からも質問したいんだけど、彼女は御付の人か何か?」
俺とラディスの会話をずっと黙って聞いていた有角族(ホーンド)の少女に話題が移った。
自分が話題と主役となると、少女は息を飲むような緊張感を出し始め、ゆっくりと一歩後ずさりをしながら、自分を守るような姿勢を取り始めた。
「いや、俺もさっき会ったばかりだ。というか、既にここに居た」
自分で状況を思い出してみたがよく考えれば、ここは船倉なのだ。普段は人の出入りがないであろう場所であり、出入りするのは番の者か、荷物の所有者か、交易の業者ぐらいだろう。申し訳ないが、彼女はどれにも当てはまるようには思えない。他の選択肢があるとすれば、俺のような不本意につれてこられたか、密航者となる。
「……確認するけど、乗船券は持ってる?」
ラディスが確認の言葉を投げかけると、彼女は見る見ると顔が青ざめていき、その場にしゃがみこんで蹲りだした。
「………………お願い、突き出さないで。アタシ、帰りたくない」
残念ながら、彼女は後者のほうだった。あまりよろしくない展開だが、『帰りたくない』という意思から、彼女も密航という形を取らざる得ない事情があったのかもしれない。
「ラディス、いくらだ?」
「ん? ……もしかして、乗船料? ダイン、払うの?」
「ああ、こんな危険を冒してまで船に乗ったからには、それなりの事情があるんだろう」
行動的事情もあるだろうが、恐らく金銭的事情も絡んでくるはずだ。
「……君は優しいね。なら基本乗船料として一人六〇〇〇ベリオン。あ、ダインの分は前払いされているから問題ないよ」
後から聞いた話だが、この船はコウエン国の港町スイレンからティタニス国の港町ヒュージェンを経由して、サイペリア国の港町ポートアレアを結ぶ貿易定期船であり、その航程はヒュージェンからポートアレアまでは三日間らしく、本日は二日目。俺は丸々一日はこの中で寝ていたことになる。どおりで身体が痛かったわけだ。
昼夜を挟む長い航程であるために、船には宿泊用の個室も用意されているが、こちらは基本乗船料に宿泊料も上乗せした金額を支払う事になる。大部屋や廊下での雑魚寝でいいなら、基本料金だけで済む。
ウエストポーチから財布を取り出し、中から一〇〇〇ベリオン紙幣を六枚と抜き取ると、それをラディスに渡した。
お金を受け取ると「分かった。説明してくる」と、ラディスは船倉から足早に出て行った。
俺の乗船料はもう払われているといっていたが、初めは荷物として乗っていたのだから、恐らくこの船の船長あたりも、俺の事情を少しは知っているのかもしれない。
どういう風に伝わっているのかは、少し気になるところだ。
「あ、あの!!」
彼女のほうに振り向けば、目を更にして、慄いた様子だった。箱から出てきた初見の男が、突然自分の乗船料を支払ったのだから、当然の話だ。
「これも何かの縁だ。気にしないでくれ」
「いやいやいや!! せめて何かお礼させて! ……お金持ってないけど」
まぁ、持っていたら、基本乗船料ぐらいは払えるだろう。
慌てふためき、そしてすぐ落ち込む。表情豊かな彼女の後ろには、刀と呼ばれるコウエン国独特の細身の曲剣が立てかけてあった。
「その刀は?」
刀を指差すと、彼女は再び慌てた様子となり、急いで刀を手に取ると、身体を丸めて大事そうに抱え込んだ。
「こ、これはアタシのだけど……ごめん、この子は渡せない」
大事そうに抱える刀を『この子』と呼ぶあたり、刀に対する思い入れはかなり大きいものだと分かる。
「取り上げるつもりはない。君のなら、扱えるということでいいか?」
そう問えば、彼女はこちらへ顔を上げた。それまでは驚きや悲しみになど、様々な感情で揺れていた真紅の瞳は、真逆の自信と気迫に満ちた力強いものとなっていた。
「まだ、ヒトを斬ったことはない。でも、熊や猪とは殺り合った。この子は相棒なの」
彼女から伝わる気迫と真っ直ぐな瞳だけで、十分わかる。
彼女は本物の剣士だということ。
「なら、礼は“旅の仲間”になってもらうで、どうだ?」
「なか……ま?」
「そう、俺はサイペリア国の首都まで行かなければならないが、ラディスは恐らくポートアレアまでだろう。君やラディスと話している中で、自分がかなりの世間知らずという事も分かったから、道中色々と教えてくれるヒトが欲しい」
外で生きるためには、色々と“知る”必要があるのだ。しかも、それは誰かに教えてもらわないと、間違った進み方をしてしまう可能性が大きい。
今はまだ知らないで済んでいることも、いずれは“知らない事が罪”となりかねないのだ。
「あと、君の剣の腕を見てみたいというのもある」
彼女は巨人族(タイタニア)のネヴィアと違い、俺から見てもかなり小柄な女性である。そんな彼女から放たれる「熊と戦った事がある剣の腕」には非常に興味があった。
彼女は初めこそ驚いたものの、次の瞬間には結論を出した。
「アタシなんかでよければ! お礼はしたいし、行く宛てなんてないし」
「なら、決まりだな。改めてまして、俺はダイン・アンバース。ダインでいい。これからよろしく」
そう言ってこちらから手を差し出せば、彼女は気恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに握り返してきた。
「こちらこそ。アタシはカキョウ。紅崎華梗っていうんだけど、こっちだとカキョウ・クレサキかな?」
なるほど、コウエン国では姓が先に来て、個人を表す名が後に来るのか。
そして握り返された手は、見た目よりも更に小さく感じた。このまま握力をかければ、折れてしまうのではないかと思うほど。それだけ、自分の周囲が大きすぎたのかもしれない。
彼女の発言、彼女の行動の一つひとつが新鮮に感じてしまう。
「え、えっと……ダイン?」
「ん?」
「いや、その……い、いつまで握ってるんだろって」
「あ、あああ、すまない」
新鮮さのあまりに、有角族の少女カキョウの手を握りっぱなしにしてしまっていた。
カキョウの手を放したその時、まるで地響きかというぐらいの巨大な音と共に、船体が大きく傾いた。
何かに掴まろうにも、周りは固定されていない木箱や大袋だらけであり、傾きに合わせて差し迫っていた。
放したカキョウの手を再び握りなおすと、自分の所に引き寄せた。
引き寄せたはよかったが、揺れによって移動してきた木箱に二人とも弾かれ、無様にも床に激突してしまった。
「いっつぁ……何なのよ、これ」
「まったくだ……」
揺れは時間と共に収まりつつあるが、未だに揺れそのものは大きく、二人で肩を寄せ合いながら、また大きな揺れが来ないかを警戒しつつ、それぞれの得物を探した。
カキョウの刀はすぐ傍に転がっていたものの、俺のブロードソードは箱の中から取り出す前であったために、元の木箱の残骸を探すところから始まった。
自分が破壊してしまった木箱は、転がり落ちてきた布袋一つによってさらに破壊されていたが、幸いにもブロードソードも側面の板の下敷きになる程度で済んでいた。
「二人とも大丈夫!?」
布袋を退けて剣を取り出したところへ、ラディスが慌てて駆け込んできた。腕や脚に擦り傷が見えるあたり、先ほどの大きな揺れによって転倒してしまったのだろう。
「ああ、なんとか。何があった」
「話は後。二人とも急いでついてきて」
ラディスの鬼気迫る姿に、この揺れがただの時化で出来たものではないような気がし、俺とカキョウは急いで、ラディスの後を追った。
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