2-5 癒し求めて次なる仕事

 気温の高いコウエンの夏の朝に似ているかと思えば、湿気がない分日差しの熱がより一層肌に突き刺ささり、角を隠すためと肌を守るためにタブリスから貰った白紫の頭巾をいそいそと被る。結局、男性二人はあれから起きることなく、またこちらも起こすような無粋なことはせず、加えて起こさなければならないな事件も起きることなく、平穏な砂漠の朝を迎えた。

 自分自身、ルカの回復魔法やネフェルトの看病のおかげで、昨日倒れたのが嘘のように快調そのものであり、結局一睡もすることなく、朝日を拝むこととなった。

「……うそん、まじか。おはようカキョウちゃん。いや、うん……マジでごめんね」

 一番初めに起きたのはトールだった。日の光を体に浴びた直後に目を覚ますと、状況を理解したのか申し訳なさそうに項垂(うなだ)れつつ、朝の挨拶をしてきた。

「ふふふ、おはよ」

 落ち込む彼には悪いが、こちらとしては作戦が大成功したために、ニヤけた顔で朝の挨拶を返した。

 すると彼も表情を怖い笑顔に切り替えて、急にこちらへ近づいてきたかと思えば、頬をムニューーーッと抓られ、続いて頭巾の中に手を突っ込んで無理矢理髪を盛大に撫で乱された。撫でる力のあまりの激しさによって首が疲れ、頬の痛みはしばらく消えることはなかった。

「さて、可愛い可愛い後輩のカキョウちゃんには、朝ご飯を作ってもらおうか」

 彼の怖い笑みはまだ続く。そう言って彼は、昨日の買い物した荷物の中から、水の入った水筒、玉ねぎ、人参、干し肉、キューブと呼ばれる出汁の調味料を四角形に固めたものを取り出した。道具は鍋、お玉、包丁。これだけ渡されれば、料理には多少の心得がある自分には、今から作る料理はおのずと理解できた。

「……ブフッ」

 それから三十分が過ぎたころ、鍋の中でコトコトと煮込まれている料理をゆっくりとかき混ぜていると、急にダインが咳き込みながら起き上がった。どうも、口の中に砂が入っていたようであり、上半身を起こすと口の中の砂を吐き出していた。

「……朝日? 俺は……さっき、寝たはず……」

 夢すら見ないほど完全に熟睡した彼は、今が朝であることが信じられないのかゆっくりと立ち上がると、目の前に群がっている天幕群が見える位置まで移動した。

「……キノコ?」

 おっと、彼はまだ寝ぼけているようだ。

 内側から優しく光っていた姿を精霊流しの灯篭に見立てた天幕は、太陽の光をもって金色を帯び、その輪郭をぼやけさせた。特に寝起きのダインは焦点がまだ合っておらず、輪郭のぼかされた天蓋群が白いキノコの群生地帯に見えたのだろう。現に起き通しで朝日を拝んだ自分も、初めは同じような感想を持っていたので、思わず小さく笑った。

「おはよう。よく眠れたみたいだね。はいこれ、飲んで」

 まだ寝ぼけ眼で天蓋を見つめるダインに、今まで煮込んでいたオニオンコンソメスープと呼ばれる玉ねぎを中心とした汁物を差し出した。先ほど渡された食材を細かく刻み、ひたすら煮込んだ簡素な料理ではあるものの、煮汁によって柔らかく戻された干し肉から、肉のうまみ成分がにじみ出ている。またコンソメと呼ばれる牛肉や鶏肉から予め味や成分を抽出し、凝縮させてキューブに成形した調味料を下味に使うことで、濃厚な味の野菜煮込みとなる。コウエンでよく使われる昆布や鰹といった海由来の出汁とは違い、こちらは陸の出汁といえるだろう。

「ああ、おはよう。昨日までの疲れが嘘のようだ。いただきます」

 ダインは取っ手付きの湯飲みであるマグカップを受け取ると、中身を一度見て、匂いと温度を確かめつつ、火傷に注意しながら一口飲んだ。それでも熱かったようであり、何度か小分けに飲んでいるものの、あっという間にマグカップの中を空にした。

「すごく美味かった。まだ、おかわりはあるか?」

「あるよ。でもその前に顔をどうにかしよ?」

 お代わりを望むダインの向かって左頬には、寝ている最中に付着してしまった砂が散らばっており、彼が手で触るとパラパラと地面に落ちた。

「そうだな。トール、この辺に水場ってあるのか?」

「残念ながら、無いな。その辺で砂を落としてこいよ」

 何かの書類に目を通しつつ、コンソメスープを飲んでいたトールだったが、ダインの質問に物悲し気な表情で返していた。実のところ、昨年まではカラサスの中心にある井戸からも水は汲めていたらしいが、一年間で町の砂漠化が深刻化し、半年前には井戸が枯れてしまったらしい。現在は水専門の商人がモールや首都方面からやってきて、わざわざ水を販売しなければならない事態になっている。これにはさすがのトールも驚きとともに、水浴びを兼ねた休息をという計画が崩れてしまったことに頭を抱えたようだ。なお、コンソメスープに利用した水も昨晩購入した物である。

 ならば仕方がないと、ダインは天幕の横に回り込み、顔や髪、服の中に入り込んだ砂を掃いだした。

「おふぁようございまふ……」

「おはようございますー」

 ダインと入れ替わるように、目覚めたルカとネフェルトが天幕の入り口から顔を出した。ルカはまだ眠そうであり、意識も仕草もふにゃふにゃとしている。ネフェルトのほうは疲れも吹き飛んだように、スッキリ爽快な顔をしている。

「二人ともおはよう」

「カキョウさんは、もう良さそうですね」

「えへへ、おかげさまで」

 ネフェルトは天幕の外へ出ると、太陽に向かって大きく伸びをした。伸びに合わせて広げられた純白の翼に太陽の光が当たると、一つ一つの白い羽毛は純白から牛乳のような柔らかい黄色、もしくは金色を含んだ優しい色合いに輝いていた。

「カひょうちゃん……もう、おめめ、だいひょうふ、みひゃい、ね」

「うん。心配させちゃったね。でも、ルカこそ大丈夫?」

「ふぁい……朝は、よわいほーで。孤児院でも、こんにゃ感じで、した」

 続いて出てきたルカだったが、まだ足がおぼつかない様子。しかし、会話をしているうちに徐々に覚醒してきたのか、言葉がはっきりとしてきている。では朝が弱いのかというと若干違うようであり、孤児院にいたときは朝早くからの掃除やお祈り、朝食などがあったために、早く起きること自体には問題ない。ただし、寝起きそのものは今のように意識も体もおぼつかないため、寝起きから覚醒までの差が激しいだけなのだという。

「しかし、そろそろシャワーといかなくても、水浴びや洗濯ぐらいはしたいですね」

 ネフェルトがぼやくように、前回出発したモールの町でシャワーを浴びて以来、三日間は水浴びなどをしていないため、体はベタベタしており、自分もみんなも匂いだしてしる。現状はお互い様であるためにマシかもしれないが、人間としてそろそろ限界である。

「ネフェさん、。魔法でお水とか作ることって、できないんですか?」

「ごめんなさい、ここまで乾燥してると無理ですね」

 周囲を見渡しつつ困り果てているネフェルトを見て、本当にどうすることもできない現状なのだと理解した。

 彼女曰く、水魔法と氷魔法は空気中の水分、もしくは水のマナを凝縮することによって、それぞれを作り出し操作するものであるということ。そのために、砂漠や火山地帯といった乾燥した場所では使えないとのことだ。

 大昔、正しくは世界から精霊が姿を消した聖魔大戦以前ならば、召喚術を得意とする者によって、水や氷の精霊を呼び出すことで、乾燥した場所でも水や氷を作り出すことができた。今の時代では、精霊の住む世界が閉ざされているために、召喚術自体が機能せず、術自体も過去に存在したという記録が残るだけになりつつある。

 一応、有料ながらもシャワー施設はあるものの、わざわざ遠くから運搬してきた水を使用するために、使用料金はかなり高額に設定されている。こちらも常に懐が温かいというわけでもないために、簡単にお金を使うことはできない。

「大きな商隊の護衛なら、シャワー用の水も運んだりする時もあるんだけどね。最近はそういう依頼ってなかなかな無いか、競争倍率が高くってね。みんなには苦労をかけるよ」

「まぁ、でも、旅ってそういうもんだって、分かってるし……」

 と、強気に言ってみたものの、さすがに想像と実体験では差が出るものであり、内心はこの不衛生状態を早く解決させたいと思っている。それは全員同じ状態であっても、ダインとトールは異性ということもあり、彼らに対してこのような醜態を晒し続けるのは正直嫌である。

「そっか。ありがとさん。んじゃ、気を取り直して、朝ご飯にしようか」

 トールの言葉とともに、砂を掃い終わったダインが戻ってきて、全員で焚火を取り囲むように座った。



 朝ご飯として配られたのは、先ほどまで煮立てていたオニオンコンソメスープに、顔の大きさぐらいあるのではないかという堅めのパン。このパンをちぎって、スープにつけて食べることをお勧めされ、実行してみるとスープを吸い上げ、柔らかくなったパンが非常に食べやすく、また大きさがあったためにお腹も膨れた。

「さて、実は次の依頼を受けてきました。ただ、内容がちょっと特殊でね。依頼書を回すから見てほしい」

 全員が食べ終わるのを待っていたトールは、こちらがコンソメスープを煮立てている最中に読んでいた書類を、一番近くに座っていたダインに手渡した。

 受け取ったダインは、黙って書類に目を通していたが、その目は何度も上下を繰り返しており、徐々に眉間にしわが寄っていく。

「何なんだ、これは……」

 書類から離された目や表情は、もはや文書の内容を怪しみ、もしくは恐れているような軽い青ざめたものであった。

「見せて」

 ダインがそんな表情をするものだから、内容が気になって仕方がなくなり、書類を催促してしまった。彼は小さくすまないと言いつつ、問題の依頼書を手渡してきた。


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  << 依 頼 書 >>


【依頼主】サイペリア国公安局


【趣 旨】アンデッド徘徊原因の調査及び排除


【概 要】

 東部の広域において、深夜に多くのアンデッドモンスターの徘徊が目撃されている。

実被害報告が極めて少ないが、首都及び周辺地域の住民から不安の声が高まっており、現在、当アンデッドモンスター対策として各街の防衛強化中。

 当任務を外部へ依頼することにした。発生源と思われる場所の特定は完了している。

 現地に赴き、原因の調査か排除を要請する。


【場 所】東部南方 キスカの森

 <補足事項>

  該当の森の中にオーレル子爵所有していた別荘あり。

  現在は放棄され、廃墟化していると思われる。


【報 酬】五〇〇,〇〇〇ベリオン(依頼達成時のみ)

 ※受け取りは全支部から可能


【備 考】

 依頼の達成とみなす条件は下記のいずれかとする。

 報酬の支払いについては、報告日より一週間後とする。


 1.何らかの物的証拠を見つること。

   証拠の種類や形状、状態に関しては指定しないが、

   提出された証拠を元に、公安局での逐次対処が可能と判断された場合。

   なお、証拠はネストを通して、公安局に提出すること。


 2.排除の目安は申告日より三日間以上の目撃証言がないこと。

   もしくは、申告日より一週間以内の目撃数が減少していること。


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「ごめん……あんでっどもんすたーって何?」

 突っ込みどころはたくさんあるものの、それ以前の疑問が先に口から出てしまい、左隣に座っていたルカに当該の文字を指さして見せた。ルカはきょとんとした眼差しをしたが、すぐに合点がいったのか小さく笑いながら丁寧に教えてくれた。

「それは、不死の魔物のこと、です。歩く死体とか動く白骨体とか」

「ああ! そういうことか! なるほどね……」

 鎖国の多い故郷のコウエン国も、他国産の品物が入ってくることはあるために、他国での言い換え単語はそれなりに入ってきている。先ほど食したオニオンコンソメスープ同様、生活に密着している言葉に関しては一般的に出回っている。

 しかし、アンデッドのような戦闘用語に近い言葉は、生活圏内にはあまり出回っていないために、一致させるのが遅れてしまう。

(土葬文化のところだと、結構出るのかな?)

 コウエン国は火葬が主体であるために、そもそも死体が残ることが少なく、不死者は不当に遺棄された遺体の成れの果てという認識が強いため、あまり目にすることも聞くこともない。

 教えてくれたルカは、意味が通じたことに安心したようである。ダインやトールと話していても、こうやって聞き返してしまう単語は多々あり、同じような顔をされることがある。教えてくれる内はまだいいが、実は鬱陶しく感じられていないか心配になるときがある。

(うー……、懐に余裕が出てきたら、単語帳とか買おうかな)

 ただし、鎖国の多いコウエン国の言葉に対応している渡航者向け単語帳があるのかは、謎である。

「あ、ルカ、依頼書持って。ネフェさんも一緒に見よう」

「いいですよ~」

「あら? では、お言葉に甘えます」

 気を取り直して、改めて依頼書に目を通そうとしたが、自分が長々と持っていても仕方がないので、本書は中心にいるルカに持たせて、三人で見ることにした。

「……ねぇ、昨日の夜も含めて、この不死な生き物と全く遭ってないよね?」

 一般的に不死なるモノは、火の精霊の力に似た性質、または聖なる力を放つと言われる太陽が照っている昼間を嫌うと言われておりに、夜に行動するものというのが通説となっている。ならば、黒夜狼(ナイトウルフ)以外の魔物として、不死なるモノが出現してもおかしくはなかったはずだ。

「それは俺たちが昨日までいたのが西側だったからとしか言えないな。依頼書の内容が本当だったら、アンデッドはまだ東側にしか現れていないってことさ」

 この不死なるモノは、発生地点とされるキスカの森を中心に円を描くように目撃例が増えているが、西側地域に対しては中央にそびえるオルティア山脈、山脈北部にある聖サクリス教の総本山聖都アポリス、山脈南部の現在いる町カラサスのいずれかを通過する必要がある関係上、まだ到達していないということだ。

「あ、あの……トールさん。アンデッド、ということは、浄化や破邪が必要、ですか?」

 依頼書に目を通していたルカが、小さく手を挙げながらトールに質問した。ただし声は震えており、顔は若干青ざめている。

「まぁ……実際の現場を見てみないと分からないけど、そのつもりでいて欲しい」

「ひぇ……、苦手ですが、がんばってみます……」

 聖サクリス教の信徒の中でも、巡礼者に選ばれるだけ素質として、『癒し手の素質』『物の穢れを祓う浄化』『邪悪なるモノを退ける破邪』といった聖属性に関わる能力のいずれかが、高く評価されていなければならない。

 『癒し手』の素質とは主に、相手の体内に自らの魔力を注ぎ込み、その魔力で相手の自己治癒能力を向上させたり、空気中のマナを欠損した皮膚や骨に変換して治療行為に対する素質のことである。

 対して、今回ルカが担当する可能性のある『浄化』や『破邪』は、癒しとは全く違う性質を持つ。

 『浄化』は無機物など非生物が抱える呪いや穢れによる汚染など、闇属性の悪性に染まったものを正常な状態に戻す行為を指す。癒しが相手の魔力を操作するのに対し、浄化は魔力循環の発生しない物体に魔法を作用させなければならないため、魔法の手順が癒しと異なったり、魔力に対する抵抗が生まれるなどが起きる。

 『破邪』は自らの中にある聖属性の力を、闇属性の悪性に染まった生物に対してぶつけることで、対象を闇の侵害から正常なる姿かたちへと戻す行為である。この闇属性の悪性とは、生物の持ち合わせる負の感情や側面が増幅され、自身の身体はおろか、周囲にも腐食や精神支配などの悪影響を与える状態のことを指す。簡単に言い表せば、聖なる力で悪を打ち滅ぼす能力となる。

 ルカの場合は『癒し手』の素質が最も高く、浄化、破邪の順に能力が低くなっているために、苦手と語っている。特に破邪は攻撃的な側面が大きいために、大人しく優しいルカには似合わないと思ってしまった。

「なんでしょう……場所の特定は完了しているのに、最後の詰めを他人に任せるのが理解できません。怠慢とは少し違うかもしれませんが釈然としませんね。報酬金額がかなり高いような気がしますが、これなら自分たちで行ったほうが安く済みませんか?」

 ネフェルトの発言に同意せざるを得なかった。依頼書に書かれている公安局とは市民の生活を守るための衛士や兵を取りまとめている組織であるために、このような任務は率先的に行わなければならないのではと思った。衛士や兵であることは、それなりの戦闘訓練も行われているために、掃討作戦もできるはずである。そのような実力も組織力もあるのに、外部に委託する意味が分からなかった。

「んま、確かに市民の安全を守るのなら、公安局が行動するのが正しい。しかも、それを支援するために国民は税金を納めているわけだから、外部に流すぐらいなら自分たちで行ってほしいってのは分かるさ。

 ただし、そんな衛士たちも大事な国民であるために、なるべくは危険にさらしたくない。また、掃討作戦みたいな大規模な行動をするとなると、町の警備は手薄になってしまう」

 ここでトールが若干怪しげな笑みを浮かべながら、ネフェルトの質問に答え始めた。その姿勢はまるで教師のようにひどく丁寧に、かつ全員に聞いてほしいという深みがある。

 そんな彼の発言には、自分たちの盲点が二つ表されていた。

 一つ目は、衛士や兵も国民、正しくは東側の民であり、家族や大切な人たちがいるということ。そのために、極力は危険にさらさない方法をいうことだろう。

 二つ目は、町の警備について。不死なるモノの掃討もしくは原因を叩くためにも、それなりの人数を割かなけばならないため、どこかに警備の穴が開くことになる。首都であるために、住民の中には王族や貴族が含まれるために、簡単に人員を割くことはできない。

「だったらさ、お金さえ出せば命の危険が伴おうともお構いなしに何でもやってくれる人にしてもらったほうが、何かと都合がいい。失敗に伴う負傷や死亡は自己責任だし、報酬も次の請負人に回せる」

「なるほど、外部委託することによって警備の手薄を気にする必要はありませんし、もし衛士や兵に負傷者が出れば人数に応じて治療費用や装備の修繕費用、負傷手当、遺族手当がかかってしまい、この報酬金額以上の損害になりかねませんね」

「そ。つまり、この金額が公安局としての損益分岐点みたいなもんさ。それに俺たちネストをはじめ、そういう荒事を取り扱う組織は複数あるために、必ず誰かが請け負うだろうってね。ようは需要と供給が成り立つ」

 高額設定によって命知らずたちを釣っているようにも見えるが、それ自体が一つの供給という捉え方をすれば、この依頼自体が一つの経済活動とみることができる。

「えっと、こういうのを“うぃんうぃん”っていうんだっけ?」

「そそ。勝ちの古語を二つ並べることで、両者とも利益を勝ち得たという意味……って、そういう言葉は知ってるんだね」

「あー……、まぁ、覚えたての外の国の言葉を使いたがる知り合いがいたからね」

 修行漬け三昧だった自分にとって、数少ない同年代知人の一人。とはいえ、友と言うにはあまりにも程遠い人物である。他国との貿易を行う豪商の息子であり、何か近寄ってきては外の国自慢が絶えず、自分に羨望が向けられていることが当たり前と思っている奴である。加えて、こちらがそっけない態度を取れば、短い角や芽生えることのない魔力に対する誹謗中傷に加え、数多くの嫌がらせや犯罪まがいなことを行ってくる。

 だからといって、武術を身に着けているこちらが報復とばかりに手を出せば、豪商の息子という疑似的な権力を持ち合わせているために、たとえ豪商の息子側に原因があったとしても、すべての罪は自分に被せられてきた。

 故に友とは絶対に呼ぶことはなくとも、こちらが嫌がっても何かと近寄ってくる奴だったため、一応は知っている人という扱いをしておく。

「なーる。そういう奴は、どこにでもいるもんだねぇ」

 はじめこそ不思議そうに見ていたトールも、どこか覚えがあるのか妙に納得や同情の表情となった。彼の実家は飲食を伴うと言っていたので、同じようなことをしてくる客でもいたのだろうか。

「しかし、この報酬金額……、すでに誰かが向かっているんじゃないのか?」

 ここで新たにダインが疑問を投げかけた。

 この世界の貨幣価値はリンゴ一個一〇〇~一五〇ベリオン、宿泊施設の素泊まり料金が一人あたり三〇〇〇~五〇〇〇ベリオン。なお、この価値は国をまたいだとしても、時価が極端に反映される品や品質でない限りは、国家間の物価に基本的な差はない。

 さて、今回の報酬は、五〇〇,〇〇〇べリオンという大金。旅をしていない傭兵や冒険者など日ごろの経費があまりかからない者たちならば、丸まる数ヶ月分の生活費となり、しばらくは安泰な暮らしができる額だ。

「その可能性は大いにあるだろうな。ま、この森が進路上にあるってだけだったから、受けるだけ受けたってだけよ」

「それって、物は試しに行ってみて、もし誰もいなかったり、運よく証拠を入手できればって程度?」

「そういうこと。だから、本腰じゃなくてレクリ……遊びの宝探しに近い感覚でってこと。危険を感じたら、すぐに放棄するって感じさ」

 トールがわざと言葉を分かりやすく変えてくれたおかげで、今回の任務が肩に力を入れなくていいことも分かり、少し安心した。

「そういうことだったんですね。それなら、私は大いに賛成です。大量のアンデッドが発生する現象というのは、魔術的なのか怪異的なのか興味があります」

「ね、ネフェさん、つよい、ですね……」

「ふふふ。知的好奇心が高まると、割と怖いという感情が無くなるんですよ」

 こと魔法に関連のありそうなことについての食いつきがいいネフェルトに対し、不死者(アンデッド)そのものに対する恐怖心が前面に出ているルカ。ネフェルトのほうは強力な攻撃魔法による自己防衛力が高いために、戦闘に対する自信があるが、ルカは完全に癒し特化ということもあり、自己防衛の手段に乏しいことが自信喪失に大きくつながっているようである。

(といっても、アタシも炎が扱えないんじゃなぁ……)

 不死者の弱点といえば、土葬が主体の他国においては聖サクリス教を中心とした聖なる力による浄化が基本であるのに対し、火葬が主体のコウエン国においては火で燃やすことが相場と決まっている。

 これから不死者に囲まれる場所に行くことになる中、なぜ自分は火が扱えないのかと、心がほろ苦かった。

「まぁ話によると、アンデッド自体はただ徘徊する、もしくは襲っては来るものの動きは相当緩慢らしく、対処は簡単らしいからナイトウルフたちよりは楽だと思う」

「対処……具体的な方法は?」

「いろいろあるぞー。浄化する、燃やす、首をはねる、胴を真っ二つにする、四肢を切り落とす、頭を粉砕する。あと、死体を動かしている魔法の起点を破壊する」

 ダインの質問に、次々と対処方法を並べ立てるトールであるが、頭を粉砕するといったあたりでルカが小さく悲鳴を上げる。それも当然の話で、粉砕できる頭があるということは生前の人の顔が分かってしまう可能性があり、なまじ人を殺すのと変わりない光景となってしまうためだ。

(いや、浄化と魔法の起点破壊以外は、どれも絵面やばいなー……)

 結局のところ人間型の不死者ならば、生きていた時と同じような急所の突き方となってしまうために、二回目の死を与えるといっても過言ではない。

 だが、不死者化によって精霊の世界に行くことのできない魂を救うためならば、二回目の死は救いなのかもしれない。

「そういうわけで、気楽にな。それともう一つ、お知らせしたいことがあります」

 さて、若干真剣な雰囲気になりつつあった空気を、数回の拍手で切り替えるように促してきたトールだったが、その顔はどこかニヤついた表情をしている。そして、ゆっくりと差し出されたのは、三本の指を立てた右手だった。

「ここからキスカの森までは二日~三日を要します。そして、途中にちゃんと水の流れている川に隣接した有名な野営地点があります」

「川!? もしかして!」

「水浴びが、できる!」

「体、洗えるん、ですね!」

 トールの思いがけない発表に自分を含めた女性陣が歓喜の叫び声をあげる。水の流れているとあえて明言したのだから、少なくとも飲み水の確保に加え、水浴びや体を軽く洗うぐらいはできるほどの水量は流れていると思っていい。

「なお、野営地点はアンデッド騒ぎの関係で、今ならほぼ利用者はいない。つまり、貸し切り状態の可能性が極めて高い。その反面、アンデッドの襲撃の可能性がある」

 不死者徘徊問題の中心地であるキスカの森に向かう途中ということは、不死者との遭遇率も当然上がるために、野営をするにしても危険度が上がってしまう。

「……ふふふ、かまいません」

「そうそう、見敵必殺なだけよ」

「その時は、私も、がんばります」

 だがそんなのは関係ないと、意気揚々と胸を張る。今は自分たちの体と心の衛生面がいかに確保できるかの瀬戸際まで来ている。不死者ごときに臆するようなら、ここで水を購入したほうがマシなのだ。嗚呼、自分たちは目が座っているのだろう。気迫に押されてかダインとトールがほんのりと引いているようにも見る。

「クッ、ハハ! やる気満々、了解したよ。ちなみに、この後に出発して急ぎ足なら、夕方から夜にかけて目的の野営地につくから、さっさと撤収してしまおうか」

「そういうことは、早く言おうよ!」

「あらあら、それなら張り切りませんとね」

「急ぎ足、が、がんばります……!」

「了解だ。準備に取り掛かる」

 気合十分な女性陣をみて、トールが立ち上がりつつ発破をかける。水を求めるのは何も女性だけでなく、撤収号令の後はダインとトールのほうが無駄口を叩かず、キビキビと動いていたのだった。



 晴れ渡る青空の下、天蓋の町カラサスを朝八時過ぎに出発し、東へ向かってひたすら歩き通す。カラサスの町は緑地の最南端であると同時に、砂漠地帯の最北端に位置していたために、一時間も歩けばすぐに砂地は無くなり、空気中に水分が漂い始める。風に乗る新緑の匂いは、牧草や農作物の多かった西側とは違った硬質の匂いにあふれ、まさに“東側”地域に入ったことを実感させる。

 グランドリス大陸の東側と呼ばれる地域は、巨大な棚田を思わせるような複数の段差型丘陵で構成された地形であり、平坦な緑地の先にはいくつもの地層がむき出しの土壁が並ぶ。

「はーい、左手に見えますかなり高い丘のてっぺんに、この国の首都サイペリスがあります」

 観光案内人かのような仕草で左手の丘の上を指したトール。指示された先には四段構造の巨大な丘陵の一番上に、小さく尖塔のようなものが見える。あれが王城の一部であり、この国の選ばれた人種と思い込んでいる者たちが集まる場所ということだ。

「実際に見てみると、まるで階段の上の玉座だな」

「まぁな。そういう捉え方もあるから、首都の民の選民思想は余計に加速してる。加えて、聖都のほうから流れてくるエレンネス川に抱かれる様が町や住人の神聖度を引き上げてるように見えるんだとよ」

 ダインが言い表すように、あの頂きに見えるわずかな尖塔こそ、まさに玉座であり、この独特な地形も相まって、心意的優位性のような錯覚を見事に引き立てている。

「こうも断崖の丘陵地帯だらけだと、見上げるこっちとしては息苦しいよね」

 実際に見上げる先にあるのは美しい緑の丘陵というよりかは、地層がむき出しの土色をした帳だらけに見え、非常に圧迫感の強い視界となっている。

「これが西側から来る者の心理なんだよ。首都の者たちはあの高き頂で優雅に暮らしているんだろうという羨望と、丘陵の土壁から放たれる圧迫感に加え、その頂にたどり着くまで見上げさせられる息苦しさに、自然と自分たちが下位の人間なのだと刷り込ませてくる」

 初めにトールとタブリスが話していた時に、地形自体が人間の心理にそこまで影響するものなのかと考えていたが、故郷のコウエンはひたすら平野であり、ひたすら田畑が続く場所であったために、このような高さの乱高下する地形はそこまで多くない。

 だが、首都にある王宮は一般的な家屋よりも一段も二弾も高く作られている。それが防衛機能のためだけでなく、こうした視覚的印象操作のためにも高く作られている可能性も、この地形から放たれる圧力の前に考えさせられる。

「でもさ、ネフェさんみたいに翼があれば、ひとっ飛びなんだろうなぁ」

 それこそ、翼のある有翼族(フェザニス)の翼をもって飛べば、これらの高低差から生まれる選民意識なんて、大空から見下ろした米粒のように些末なものと思えるのだろう。

「確かに、ウィンダリアのほうがもっと標高も高かったので、あっという間に飛べちゃいますね」

 ちょうど進行方向となる東方の奥には、遠くであるにもかかわらず、すでに左手に見える首都の尖塔をも軽く超えてしまうほどの、切り立った山々が軒を連ねていた。

 かつて蒼穹の王国として名を馳せた有翼族の国ウィンダリア。目の前の切り立った山々であるグランドリス大陸北部のウィンダール山岳地帯全域を治めていた国であり、ネフェルトの故郷である。居住地の平均標高が二〇〇〇m前後という高山地帯であり、標高の高さと切り立った岩山という特殊な地形しかないために、翼無き他の種族が移り住むには難しい地形をしている。

 そんな天然の要塞めいた地形をしているウィンダリア国も、二十年前の領土拡大戦線によって陥落し、現在はウィンダリア自治区としてサイぺリア国に併呑され、人権擁護法によってあらゆる権利や立場を蹂躙されている。

「こう見ると、私って本当に高いところに住んでたんですね」

 故郷である高き山々を見つめながら小さくつぶやいたネフェルトの横顔は、どこか嬉しそうな口元と、悲しげな瞳という温度差の違う表情をしていた。

 口元は故郷を目にすることができたという喜びを表しているのだろうが、瞳が見せる悲しさは故郷に対する沈痛もしくは憂いなのではという、勝手な想像が頭をよぎる。

(故郷……)

 自分が消えてから約二週間。自分を追い出したかった実父と継母は、喜んでいるだろうか。自分を最後まで心配してくれた弟は、悲しんでいるだろうか。知らせもせずに国を出た私を、故郷の友はどう思っているだろうか。

 だが考えたところで、ここは声も便りも届かぬ海向こうの地。たとえ希少種族として、自分の身に危険が迫ろうとも、この地で命を落とすか故郷で自分個人を殺すかの違い。

 なればこそ、今この瞬間を謳歌し、足掻いて、自分らしく生きるだけだ。

「……っ!」

 突然、ルカが口元を抑えながら立ち止まった。その顔は若干青ざめており、まるで何かを探すように周囲を見渡している。それに気づくと、全員が立ち止まった。

「……やっぱり、これがそうなのかい?」

 そう言ってトールがルカに近づきつつ、同じように周囲を見渡しつつ、しきりに鼻と耳を動かしている。

「は、はい……。とっても、薄っすらですけど……瘴気です」

 瘴気とは、空気中に闇属性のマナが混じり、人体や自然に何らかの悪影響を与えるようになる穢れた空気を指す。本来は自然発生するものではなく、何らかの闇属性の魔術や呪術を行ったり、それらの影響を受けた者の体から発せられたりする人工的な穢れである。嗅覚の鋭いトールにもある種の異臭として感じれるようであり、彼には腐乱した生肉のような臭いに感じるとのこと。

 ただし、現在の臭気量的には人体への影響は一切ないほど薄く、あくまでも内在属性が聖であるルカが反対属性である闇に対して敏感であるのと、嗅覚的に優れているトールがほんのりの違和感を感じる程度でしかない。これが敏感でない自分たちにも分かる臭いになり始めると、人体への影響が出始める。

「ネフェさんも、何か感じるの?」

「うーん……それがですね、私には少し不思議なマナの流れという感じなんです」

 こと、魔法や魔術といったことに詳しく、また敏感であるネフェルトに話を振ってみれば、さっそく口元を抑えながら、考え込むしぐさをしていた。

「不思議?」

 しかし、そのしぐさは知的好奇心によるはしゃぎではなく、まるで納得がいかないことに囚われているような険しさが見える。

「今回の徘徊しているのは、ゾンビ。つまり歩く死体なんですが、私が知る死体を歩かせる魔法の形は、術者と死体との間に見えない魔法の紐みたいなものが繋がって行動を操作したり、動くための魔力を供給しています。

 ところが、この魔法の紐や魔法自体の痕跡や残り香が全くないんですよね」

 不死者(アンデッド)という存在は、活動を停止させた肉体を魔術にて動かされた人為的なものであり、自然に発生することはありえない。仮に自然発生があるのならば、それは精霊などの見えない高次元的な存在によって動かされているということである。

 現在、精霊のいないとされているこの世界(エリル)では、自然発生はあり得ないために、結果として何らかの魔法による人為的な方法によって発生している。ネフェルトは、その魔法痕跡そのものが感じれないと言っている。

「それって、二人が薄っすらって言ってるから、ネフェさんでも感じれないとかは?」

「その可能性はあるにはあるのですが、なんでしょう……焚火っぽい何かを燃やしたような微かな臭いはしているのに、焚火から出ている煙が見えないと言えば分かりますか? こんな感じで、在るのに無いみたいな感じなんです」

 どうも煮え切らないネフェルトの様子からも、本当に極わずかな違和感だけがそこにあるという状態のようであり、実際に現物を見ないことには何も始まらない状態である。

「まぁ、俺とルカちゃんとネフェさんは、それぞれ全く違う方向で感じ取ったわけだから、感じ方の個人差だったりその現象との相性みたいなものはあるだろう。あとは、キスカの森まで距離があるから、それも一つの要因かもな」

 トールの嗅覚、ルカの聖ゆえに反対属性である闇に対する感覚、ネフェルトの魔法とマナに対する魔術師的知覚、これらを動員しても初期段階での解明には至れず、やはり現地調査が必要であるという結論にたどり着いた。

「……もしくは個々の死体に、起動術式と行動の規則性を書き込んだ魔法陣、あと一定時間動くだけの魔力を埋め込んでいた場合は?」

 さて、ここで一人沈黙状態であったダインが口を開いた。

 内容としては、通常の不死者操作が魔法の紐によって繋がっているものという前提をあえて崩したものとして、蓄電装置のようなものを載せている可能性を示唆した。

「それは一応あり得るんですが、術式の書き込みにも魔力を消費しますし、死体を一定時間動かすための魔力って直接注入すると、生命活動をしていない体では固着せず、すぐに霧散してしまうんです。なので、紐をつないで適度に流しっぱなしのほうが楽なんですよ」

 不死者、つまりすでに生命活動を停止した肉体では、体を構成するあらゆる器官が機能していないために、魔力もしくは外的な力であるマナを貯めこむことができない。

「あと、魔法の起点になる部分に何らかの方法で魔力を生み出し続ける、もしくは周囲のマナを自動的に集めて魔力化させる魔道具的なものを埋め込めば、ダインさんのいう独立行動型アンデッドというのもできますが、基本的に魔道具は消耗品も含めて高価になりやすく、費用対効果としては大損なんです」

「なるほど……つまり、ネフェさんの理解しがたい方法か、痕跡を感じさせないほどのとんでもない魔法が行われていると?」

「そうなりますね。……ああ、これは早く現場を見てみたいものです。フフフ……俄然、興味が湧いてきました」

 自分の理解しがたい現象に対して不安を覚えているかに思えば、ネフェルトは次第に恍惚の笑みで、現場に対する思いを馳せていた。おそらく自身の興味がある事柄に対しては、とことん追求したいのだろう。魔力の全くない自分にとっては未知の領域、不要な知識であるために、ネフェルトの知識が高まっていくのはありがたいことので、暖かく見守ることにした。

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