EternalOath

神崎シキ

序章 物理的箱入りが終わる時

 日陰ではまだ冬の肌寒さが残りつつも、日向では小春日和のような温かみのある晴れた竜暦一〇〇〇年の芽月二十二日の朝八時過ぎ。

 この蒼白の石レンガで作られたとある侯爵家の屋敷は、いつ見ても貴族が住まうような華やかとは言い難く、どちらかと言えば兵隊の詰め所に似た単調かつ、武骨な造りをしている。中庭も花や植え込みでつられた庭園ではなく、芝生がちらほら残る程度の禿げた土庭である。

 だが、新緑の風に運ばれたのか、方々の片隅にはいよいよ花を咲かせようとする、手の小指の爪ほどの小さな蕾がいくつもあった。

「お前の力はそんなもんかぁ!!」

 鍔迫り合いの中に響く、野太い女性の声。残念なことに、現在この庭は季節の移ろいという情緒からは程多く、荒々しい呼吸と怒号、金属のぶつかり合う音が響き渡っている。

 二つの異なった金属音から、力は拮抗しているように聞こえつつも、その人影はまるで大人と一回りも年の離れた子供かと思うぐらい、ちぐはぐな大きさである。

 声を上げたのは鉄製の胸当てに、ノンスリーブの白いワンピースと皮のロングブーツと書かれれば幾分清楚のように感じれるが、ワンピースには大きくスリットが入っており、そこから見える健康的な褐色の足とブロードソードを颯爽と振り回す姿が、いかにも女戦士という風貌である。流れる赤銅色の長髪を、今日は頭の高い位置でひとくくりにしていた。

 一方、小さな人影と揶揄している自分は、同じ鉄製の胸当てに白いシャツ、ジーンズにペコスブーツと薄着の普段着に近い。

 小さな人影と表現するように、俺の背丈は戦っている女性よりも遥かに低く、胸の位置ぐらいしかない。身体そのものは年齢相応の成熟度であるらしいが、まるで望遠鏡の倍率を間違えたかのように、縮尺だけが小さくなった状態だ。可愛く言えばチビ、キツイ言い方をすれば矮躯ということになる。

 手にしているのは、相手と同じサイズのブロードソード。柄を掴む指が輪を描ききることができず、刀身が自分の背丈の三分の二ほどを占めている。本来、片手剣として扱うブロードソードも自分にとっては大剣に等しく、当然両手で持っていた。

 明らかな不釣合いの剣で女性からの猛ラッシュを確実に受け止め、または受け流す。

 先に言ったとおり、大人と子供に見えるほど明らかな体格差から繰り出される攻撃は酷く重い。一打一打を受けるたびに足は地にわずかながらもめり込み、後ろへ押しやられる。

「どうした、ダイン!!」

 不意に名前を呼ばれ、少し気が緩んだ瞬間、上段から強烈な一撃が来た。体格差もあってか、勢い任せの袈裟斬りは重く、全身に軽い感電のような衝撃が走った。毎日毎朝二人で手合わせをしているため、相手の癖や衝撃自体は慣れたものだが、それでも受け止めれば腰にや各関節は小さく悲鳴を上げ、そのうち押し倒されかねない。

 ここで、受け止めた刃を僅かに右へずらし、受け流すことで勢いを利用したまま体勢を崩させる。刃をずらしたことで生まれた体のひねりを利用し、右膝を相手の上半身へ蹴りこむ。相手が女性であろうと、体格差を埋めるために容赦はしない。

(ま、勝手知ったるなんとやらだが……っ!)

 膝蹴りの一撃は、女性のみぞおちに入ったかと思われたが、寸のところで崩した体勢を無理やり踏ん張ることで修正し、その勢いで後方へ飛び去って距離を取った。

 互いに乱れた息を整えると、目が合った。

 ──次で決める。

 右脚を一歩後ろに下げ、ブロードソードの刃を背の向こうへ地面に対して水平に移動させつつ、深く腰を落とす。女性も右脚を軽く後ろに下げると、ブロードソードを胸の前で両手で握りしめ、刃を垂直に構えた。

 わずかな空白。中庭を完全な静寂が支配する。

 前髪をほんのり揺れた瞬間、互いに懇親の力でと距離を詰めにかかった。

 大股で後三歩という距離で、女性の握っている剣が青白い火花を帯び始めた。恐らく、彼女の得意技である雷系統のアーツ(物理系付与魔法の総称)『クイックショッカー』。刀身に魔力で作り上げた電流を纏わせ、高速の一撃を放つ技である。電気の膜に覆われるために物理的な威力は減るものの、相手を切り裂いた時や鍔迫り合いになった時に、刀身の電気を相手に流し込むことで、数秒程度の軽い全身麻痺を起こす厄介な効果を持つ。

 麻痺狙いの素早い叩き込みということが分かった時点で、こちらも刃に魔力を流し込み、白く光り輝きだした刀身を強制加速させる。技は同じような武器を加速させる技だが、こちらは加速と遠心によって威力と攻撃速度を上げる大型武器用の振り上げ技。

 この世界では、技同士や魔法同士はぶつかり合うと、込められた魔力もしくは発動後の威力が低いほうが技の効力を殺され、消失する。一応、こちらの技の威力が高い分、麻痺の効果が及ぶ前に技を消すことができる。

 だが、それは体格差がほとんどない者同士の戦闘であり、この場合は体格差によって相手のほうが叩きつける素の威力が大幅に上である。

 つまり押し負ければ、そのまま敗北に繋がる。

「グラインド……アッパー!」

 腰をさらに沈め、胴が大きく開けてしまうのも承知で輝く白刃を大きく振り上げた。

 グラインドの名の通り、光り輝く白刃が美しい弧を描き、相手の剣が振り下ろされる位置へと押し込む。

「クイックショッカー!」

 女性も、青白く輝く剣を一気に振り下ろした。

 耳を劈く様な金属の激突音。純粋な力と力だけでなく、互いの魔力も共に鍔迫り合いしているのだ。魔力同士が反発しあい、刀身の接触点から眼が眩むほどの強烈な光が中庭を照らす。

 一瞬でいい。相手に、力も魔力も上回れば、勝つ。

 故に、決着はすぐについた。

 新しく発生した甲高い金属音の後、ブロードソードの一本が天高く舞い上がり、やがて敗者の後方へ落ちた。

「──っああああ、いったぁあああ!! 押し負けたああああ!」

 光が消え去り、ようやく視界がまともになると、目の前で大きな人影の女性──ネヴィアが尻もちをついていた。先程、吹き飛ばされたのはネヴィアの剣であり、自分の剣は手の中に残っている。

 負けず嫌いの塊であるネヴィアのことだ、クイックショッカーはただの誘い技であったのだろう。技の効果で麻痺させ、勝機を得るのではなく、技同士による鍔迫り合いに持ち込み、力でねじ伏せようという、単なるリベンジゲームだ。

 どのみち、威力が負けていれば押し倒され、素早さが負けていても、ネヴィアから一撃をもらった後にクイックショッカーの麻痺効果で地に伏せていたはずである。

 毎朝手合わせしては、今日は勝った負けたを繰り返す間柄であり、互いに負けるつもりは毛頭ない。そして、最後の一撃は、互いに全力投球しあう。

 そのせいで、手や腕が麻痺とは違った霜焼けに似た痺れに包まれている。ネヴィアも同じようで痺れを紛らわすために、力を入れずに振っていた。互いの皮手袋からは湯気が立ち、所々に焦げたような跡があった。

「あ……前髪が焦げてる」

 縮れ毛となった前髪の一房を摘むと、形が崩れてしまい、指先に黒い煤がついた。

 武器に付与された魔力が相手の魔力と反発しあったことで、火花を発することがある。ぶつかり合う魔力が拮抗している時や、火や雷のマナ(魔力に反応する無味無臭透明のエネルギー物質)を帯びている時に起こりやすい。

「元から焦げ気味の色だから、分かんないよ」

 確かに焦げ茶色と言われる程、自分の髪色は深めのブラウンだが、余計なお世話である。

 ネヴィアは見た目こそ男勝りの物理特化な脳筋女戦士風であるが、戦い方はクイックショッカーのような特殊な効果を持った魔法に近いアーツを多用する“魔法戦士”タイプである。

 対して自分は、元々魔力の貯蔵量が少なく、グラインドアッパーのように武器に魔力を乗せて、威力や攻撃速度などを向上させるアーツを乱発することができない。俺と彼女の魔力差は、例えるなら子供用の小さなコップと酒樽ぐらいの開きがある。

 訓練とはいえ、それだけの差がありながら、一瞬でも彼女の魔力放出量を上回ることができたことに、所々が焦げ落ちた皮手袋を見ながら、日々の鍛錬によって小さくも成長していることに驚きと嬉しさで小さくこみ上げた。

「なかなかでしたよ、ネヴィア、ダイン」

 使用していたブロードソードを鞘に収めようとした時、中庭に面した回廊から白髪の混じったネヴィアと同じ赤銅色の髪が印象的な中年の男性が現れた。着ている黒に近いダークバイオレットのコートで、裾や袖口にあしらわれた少なめの金装飾から、暗いという印象を感じさせないほど上品な仕上がりをしている。

「と、父さん!? もう帰ってきたの?」

 ネヴィアが口走ったとおり、この人は彼女の父にして、養父であるグラファリス・アンバース侯爵。自分はグラフ殿と呼んでいる。ネヴィアよりも更に頭半分ほど高い背を持ち、二人並ぶとまさしく壁という状態だった。

 本来、真剣を使う時は養父グラフの許可と監督が必要であるが、今朝は早朝から宮廷会議に出席するという事で、ネヴィアから内緒の真剣による手合わせに誘われ、現在に至る。故に許可無く勝手に真剣を用いているこの場は、完全に悪さをした子どもと同じく、とてもよろしくない状況だ。養父から戦闘についての一言があったことから、全てバレてしまっているのは明白である。

「そこまで長くなりませんでしたからね。それと時刻はすでに十時を回っていますよ」

 回廊からゆっくりとこちらに向かってくるが、その顔は笑っていながらも、目は笑っていない。手合わせで出た汗とは違ったモノが背中を濡らし、生唾を飲み、手足が硬直する。

「……全く、二人ともこの年になってまで、まだやんちゃするんですね。ほら」

 グラフが自分とネヴィアに手が届く位置まで寄ってくると、急に視界が白く染まった。感触は薄い毛布に似た優しいものであり、視界の白がタオルであることに気付いた。手合わせの汗と冷や汗によって、シャツは肌に張り付くほど汗まみれになっていたので、この差し入れは有難かった。

「どうせ、ネヴィアが無理言ったのでしょう」

 ため息交じりに苦笑したグラフは、自分とネヴィアを交互に見た。はい、バレていた。ネヴィアは受け取ったタオルで顔を隠してはいるが、明らかにバツが悪そうにしている。

「乗った俺も悪いので……」

 養父が出て行ったことを確認してから、実際に使う剣をすでに準備しているほど、少々強引な誘いであったが、養父が帰ってくるまでにすべて終えていればと打算し、誘いを断らなかった時点で自分にも大いに非がある。

「そうですね。では、罰として昼抜きで、そのまま真剣を使って……そうですね、四回打ち合ってもらいましょうか。もちろん全力です」

 七時の朝食後、そろそろ小腹が減りはじめた頃であり、その上で昼食抜きなのは少々痛手だが、罰である以上は仕方がない。ネヴィアも「ぬあぁ……もう、お腹減り始めてたのに~……」と、地面に突っ伏してしまった。

 事実の糾弾よりも実際の罰で済ませてくれるあたりは、養父なりの優しさである。

「その前にダイン……、貴方にはこれを」

 納めた剣を改めて抜こうとしたとき、養父グラフから一通の宛名のない手紙が差し出された。

 手紙と言っても、成人男性ならば手の平と同じぐらいの大きさだろうが、矮躯の自分には号外のような広告紙ほどの大きさである。筒状に丸めれば、ちょっとしたおもちゃの棍棒だ。

 無駄に白く、無駄に高級な羊皮紙で作られた手紙は、差出人が書かれていない蝋で封印されたものだったが、手紙の封はすでに解かれている。

 自分宛に来る手紙は差出人が誰であれ、必ず一度は養父が目を通すことになっている。

 この決まりごとは、自分をこの家に送り出した実父と、養父グラフとの間で取り交わされた約束の一つでもあった。たとえ、それが実父自身が差出人であっても。


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 明日の立志については

 アンバースに任せるものとする。


 立志後の計画については、

 報告書をまとめよ。

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 手紙の内容は、以上である。養父グラフに宛てた物という見方もできるが、養父が差し出してきたということは、自分宛ての手紙と見ていいのだろう。

「……相変わらずの無駄好きですね」

 こんな短文のためにわざわざ高級羊皮紙を用いるなんて無駄の一言であり、溜息が漏れ出る。それも毎度のことだ。

 自分の記憶の中で、まともに実父と会話したことは、ほとんど無い。五歳の時には元の家族から遠ざけられ、十歳の時にはこのアンバース侯爵家に貰われる形となった。

 元の家族は別に貧しいというわけではない。むしろ貧しかったら大問題なんだが……。

 養父のグラフからは『やむを得ない特殊な事情』のためと聞かされているが、単純に俺が必要と無くなり、家に置いておいても何の生産性もないと判断した実父により、捨てられたのだと思っている。

 だが、手元にあるのは実父からの手紙。何か用事があれば、受け取る本人を無視したかのような文章で、一方的な手紙を送ってくる。逆に自分から手紙を送ろうものなら、必ず養父グラフが添削し、養父の言葉に直し、養父が宛てた手紙として、実父に渡される。これも実父と養父との間で交わされた約束の一つである。

 この手紙を含め、受け取ったすべての手紙に宛名もなければ、子を想うような言葉及び感情は一切含まれず、万事が事務処理と思える文面である。

 なのに、自分に関わる様々な部分に干渉し、制限し、介入してくる実父の存在や考え、行動は理解の範囲を超え、常に腹立たしく感じる。

 再び溜息を漏らし、手紙を元の封筒に戻すと、養父に手紙を返した。

「明日は、以前お話した通りの流れで行います。その後については、ダイン……貴方のご希望に沿って調整していこうかと思っております」

 この国の立志式とは、満十八歳となる誕生日に成人として、全面的に大人となる儀礼のことである。この日を境に、法律上でも完全な成人として扱われ、飲酒や賭博といったものも自己責任になり、刑罰も子供だからという軽減も一切無くなる。

 また、親の保護監視権がなくなり、本当の一個人として扱われるようになる日という意味合いが極めて大きい。

 この保護監視権の消滅という点が一番重要な話である。

 そもそも、俺は養子としてこの家に住んでいるものの、八年間の間に屋敷の外に出たことは数えるほどでしかない。いわゆる軟禁状態である。これも実父と養父との間で結ばれた約束事の一つであり、外出を禁じられる以外は、特に不自由なく過ごしている。必要な物は常識の範囲内でなら、何でも揃えてもらえた。外の情報は主に新聞や本の紙媒体と、養父グラフやネヴィア、メイドたちからの口伝などから入手する。

 ちなみに実父と養父は上司と部下の関係であり、養父が実父の指示に逆らうことができない。また養父が自分に対して教育などの様々な施しを行う場合も、実父に裁決を行わなけれならない場合があるらしい。自分を外へ軟禁し、遠ざけているにも拘らず、この実父のやり方や介入具合もが腹立たしく感じている。

 しかし、自分が我儘を言えば養父に、ひいてはこの家全体に迷惑が掛かってしまうために、この状態を受け入れている。

 軟禁生活も保護監視権の終了ということで、名目上は終わる予定であるらしい。

「変更はありません。以前話した通り、自由外出の許可が欲しいです」

 軟禁状態の身としては、二階の窓から見える華やかな街の風景は、一応興味をそそるものはあった。

 窓の外に広がる街は、『ティタニス』という国の首都ギガノスであり、国民の半数がこの町に住むと言われるほど、人口密度が比較的高く、毎日華やかな音が聞こえてくる。ティタニスは世界の西側にあるフレス大陸の南半分を領土としており、木材と石材の輸出が貿易の主品目となる程の森と山に囲まれ、大地の恵みに溢れた土地を持つ。また、これらの豊富な資源を利用した、石レンガの強固さと木材の柔らかさを織り交ぜた建築様式が多い。

 が、俺自身は軟禁状態のために、この知識もまた教本などから得たものでしかない。ネヴィアや養父が外出から帰ってくるときは、必ずお土産として屋台の食べ物などを手渡される。俺を気遣ってくれているんだろうけど、それが心苦しさを生み続ける。

 いずれはこの家を出て、自立することが最終目的ではあるが、軟禁状態から突然放り出されても、多くの戸惑いや常識外れな行動を起こしてしまいかねない。そのために、ひとまずは世間に慣れる期間を設けることを希望していた。

「もう少し、多くのことを望んでいいのですよ?」

「いえ、今の俺には、これで十分です」

 むしろ、今しばらくこの家に置かせてほしいという希望なのだから、これ以上の望みは烏滸がましいというものだ。

 養父グラフは苦笑に近い笑みを浮かべながら、「お伝えしておきましょう」と言うと、中庭から去って行った。恐らく、返信の準備に行ったのだろう。

「なぁ……お前は、本当にそれでいいのか?」

 俺と養父の会話を座ったまま聞いていたネヴィア。俺よりも背が大きいくせに、座って見上げてくると少し可愛らしく見える……かもしれなかった。ただ単に、自分よりも背の低いものに反応するのは、自分の矮躯を呪うようになってからの性格だった。

「じゃあ、他に何があると?」

「なんつーか、こう、お前の顔を殴らせろとか、恨み晴らしてやる!! とか、男の親子っぽいことさせろとか」

「俺に犯罪者になれと? それに、あの人は俺に会いたくないだろうし、俺も……なるべく会いたくない」

 ネヴィアが物騒なことを言ったが、実際会ってしまったら詰め寄ってしまいそうで、できるなら中途半端に関わらず、ほっといて欲しかった。

 どんな理由で俺は捨てられ、その上で軟禁させられたのか分からない。養父のグラフには『やむを得ない特殊な事情』について何度も聞こうとしたが、いつもはぐらかされてしまっていた。言いたくないのか、言えないのか分からないが詮索したところで出てこないなら、もう知らないままで生きたほうが楽なのだ。

「それに、なるべく皆の負担になりたくない……」

 俺がここに来てしまったために、増えた負担は多かったはずだ。住人が増えれば寝る場所の確保、食費などの生活費。加えて、俺が軟禁状態である以上、居候がただいるという状況よりもさらに気苦労が多くなっていたはずだ。

 それなのに、外出以外は何不自由ない生活を送らせてくれた養父やネヴィアを含めて、この家には感謝しかない。

 だからこそ、俺が屋敷にいる状況が少しでも減らせれば、皆にかけていた負担も減るのではないだろうか。

「お前なぁ……、もっと欲持てよ。男は野心だろ!」

「そう言われてもな……」

「こう、世界を旅するから金と装備と馬と人を寄越せ!! とか」

「なんだその山賊的要求」

「ソレぐらい欲を出せってことだよ。全部、お前の意思じゃなかったんだし」

 ネヴィアの言うとおり、俺を取り巻く環境は全て、俺の意思を無視したものだ。

 だが、それをどうこう言うような子供ではない。

「……せめて、もう少しだけ“聞き分けの良い子”で居させてくれ」

 もう、その声を上げる時期は当の昔に過ぎているのだ。

「…………バカヤロウ」

「ん?」

「お前がそれでいいなら、私は何も言わんよ」

 尻を叩きながら立ち上がったネヴィアの顔は、何も言わないと言いながら、何処か不服そうにタオルを回廊へと投げつけていた。

「さーてさて! こんな辛気臭いのは終わりだ! ほら、明日はお前の誕生日なんだから、もっと前日らしく明るく行くぞ!! ルシアさんも腕によりをかけるってさ。私も手伝うから、楽しみにしとけ!!」

 このアンバース邸のメイド長を勤めるルシアは料理長を兼ねた老年の女性であり、早々に母親を亡くしたネヴィアにとって第二の母のような存在である。他のメイドたちが言うに、料理教室を開けるほどの腕前の持ち主であるらしい。が、外に出たことがない俺には土産で貰う食べ物以外での比較対象がないために、ルシアが作る料理の味が俺の知る全てと言っても過言ではない。

 それでも身体が美味しいと感じるから、ルシアの料理は本当に美味しいものだろう。

 代わってネヴィアは、そんな回りからも評判のいいルシアから花嫁修業の一環として料理を習ってはいるものの、どうも性格的問題なのか料理という行動自体が合わない様子。練習している料理は常に『カレー』であり、いつも何処か苦味のある何かが口の中に残る。一度だけ、忍ぶようにネヴィアの練習風景を見ていたが「ああ、火力強すぎます!」「んなことない! 料理は愛情と火力なんだろ!」というやり取りを見てしまった。その次の練習の時は、反省したのか火力を落としたようだが、どうも野菜の生々しい味と香辛料が白兵戦でぶつかり合ったかのような酷い喧嘩を引き起こしていた。ルシアに料理を習っているはずなのに、どうしてそんな味を出せるのか分からない。

 というわけで、楽しみにしとけと言われたが、手伝い程度であっても正直楽しみにはしたくなかった。

 それでも本人は一応がんばって料理の練習を続けているのだから、応援はしている。

「そうだな……。あと四回、さっさと終わらせよう」

 それでも起きてしまう拒絶反応をなんとか押さえつつ、汗を拭ったタオルを回廊へ放り、ブロードソードを手にした。

「そうだな。次は私が勝つからな!!」

 互いに剣を抜ききったのを合図に、中庭は再び金属のぶつかり合う音に包まれた。



 目を開くと、そこは窓から差し込む月明かりの光だけが光源となっている自室のベッドの上だった。身体がだるい。何故か布団も被らず横になっている。

 体を起こし、サイドチェストの上に置かれた時計を見ると、針はあと五分で深夜〇時になろうとしていた。

 養父に言われた四回の手合わせのあとも、中々使う機会の無い真剣での打ち合いに気分が高まっていた俺達は、空腹を忘れ、そのまま夕食になるまで打ち合いを続けてしまっていた。夕食と風呂を済ませると、疲れが一気に噴出したのか、ベッドに倒れこんだところまでは覚えていた。

 そこでようやく自分が眠り込んでしまっていたことに気づくと、我ながらよく寝たもんだと思いながら、歳が一つ繰り上がるその刻が来るのを待つことにした。

 八年間過ごした自室は、ただ寝て起きるだけに近いほど、荷物の少ない簡素を通り越して、殺風景という言葉が似合う部屋だった。

 俺にはダブルサイズに感じてしまうほど大きなベッド、ベッドの左側に置かれたサイドチェスト、一般教養の本だけが並んだ学習机、室内着と練習着だけが収められた大きなクローゼット、朝の身だしなみを軽く整えるのに使う長大な姿見があるだけで、趣味の物や年頃の青年が持っていそうなものは、ほとんど無い。

 物置部屋じゃないんだからと、ネヴィアが無理やり押し込んできた絨毯なども一応あるが、それでも個人の部屋というよりは、誰かが寝泊りをするだけの部屋という印象が強かった。

 一応、欲しいものなどを聞かれたりはするが、居候という立場で遠慮していた部分と、外を知らないために物欲そのものが沸かないという部分があり、与えられた物以外に必要性を感じなかったのだ。

 そんな、自分から発せられる衣擦れの音と、夜の自然音以外は無いはずだが、逆に今晩は気持ち悪いほど“静まり返っている”。

 虫の音も、風の音も、街の音も聞こえてこない。まるで無音と言って差し支えが無かった。

 さすがの違和感に立ち上がろうとした。

「……“動くな”。“声も上げるな”」

 突然、耳元に発せられた他者の声に、振り向こうとした。

 が、身体が動かない。辛うじて、目だけが動かせる。

 そして喉元に現れた突き刺さる冷気にも似た感覚。

 明らかに自分の背後に誰かいて、自分の命を簡単に刈り取れる状態であり、しかも魔法か何かで、身体が動かないように封じられている。

 息をするのが辛いほど、背筋が凍りついていた。

「お、れを、どうす、るつもり……だ」

 何かの魔法で動きと声を封じられたと思ったが、口を動かせば声が出た。それでも恐怖のあまりに声は掠れ、弱々しく小さなモノだった。

 しかし、返ってくる言葉はなく、舌打ちのような短い音と、紙のような物が握り潰される音、そして別の質感の紙が引きちぎられるような音がした。

 夏や昼間の手合わせ後でもないのに、溢れ出る冷や汗が顔や背中を伝い、命の危機という焦りを増長させる。

 だが、その焦りとは裏腹に、突きつけられているはずの冷気が肌に当てられることはなく、一定の距離を保ち、それ以外は何もすることなく、時間だけが過ぎているような気がしてきた。

(……今すぐに殺すつもりはない?)

 そのことが分かれば、無駄に加速してしまった焦りは鳴りを潜め、呼吸が落ち着いてくる。

 試しに、それまで動かないであろうと思っていた指先を僅かに動かしてみると、まるで止血を辞めた後の血液が流れこむような、緩やかな痺れが起きた。

(動かせる……のか?)

 指先だけかと思ったが、動かせるという意識が起きたためか、体のあらゆる箇所に“疲れ”が現れ始めた。疲れを知覚できるということは、肉体の支配はまだ自分に残されているかもしれない。

 反撃に転じることができるかもしれないと思ったが、そのためには相手の意識を狂わせるようなことが必要だった。今のまま、反撃に転じたところで、突きつけられているこの冷気を冷静に刺されるだけだ。

 しかもまだこの冷気の正体……おそらくナイフのような物だろうと思うが、形状などが分からない以上、むやみに動くわけにはいかない。

 せめて、相手の姿を確認することはできないだろうか?

 相手に気付かれないよう、目線だけを可能な限り左にずらせば、視界の片隅に辛うじて姿見が写りこんだ。

 姿見の中には自分の姿が斜めに映りこみ、その背後に夜闇にまぎれながらも、月明かりで浮き上がる人影が見える。

 ただ、予想していたよりも、明らかに違うものがあった。

 喉仏に這うように宛がわれている短剣、それを握る人影の大きさが、まるで“俺と同じ大きさ・比率”。つまり、俺と同じく矮躯と称される程の“小ささ”の男だった。

 初めてだった。自分と同じく、肉体形成そのものは成人男性、もしくは年齢相応の体つきであるにもかかわらず、縮尺だけが異様に小さくなっている。

 以前の家にも多くの使用人たちがいたが、そいつらは影で“矮躯”“奇形”“呪われた子”と様々な言葉が垂れ流されているのを知っている。実父もこの陰口については知っていたはずだが、自分でも思っているからこそ、使用人たちの言葉を諌めることなく、長く雇用契約を結んでいるのだ。

 この風潮は、以前の家独特のモノと言う訳ではないらしく、養子に来てからも同じような言葉を影ながらに浴びせられた事があった。

 となれば、自分はやはり一般的な体躯からはかけ離れており、彼らが発した言葉の通り矮躯で奇形なのかもしれない。

 だからこそ、自分が異物であるために、養子に出され、その先で軟禁されたのかもしれない。

 そんな世界しか知らない俺は、自分以外の同じ矮躯な者を見たことがなかった。

 自分だけではなかった事にどこか同族意識を持ち、不要な同情さえ抱いてしまったが、相手は自分に短剣を突きつけてくる敵なのだ。

 今日の月明かりは、一層明るいために、姿見に映る黒い人影の服装も読み取りやすい。

 衣擦れの落とすら減らすためにか、身体の線が見えるほどの黒い軽装。

 同等の体格、相手は薄着に、右側に置かれた姿見に相手の腕が映る。つまり、右腕で武器はナイフ一本。他に武器を隠し持っている可能性は大いにあるが、この状況なら……!

 物は試しにと、封じられているはずの右腕を振り上げてみれば、少しの違和感はあったものの勢いよく振りあがり、相手の右腕を武器ごと振り払った。

「な、に!?」

 相手の声から、俺が動けるということが予想外の展開だったらしく、相手は振り払われると大きく体勢を崩し、サイドチェストのために開けられたベッドと壁の間に落ちた。

 その隙に自分は振り払った勢いでベッドから距離を取った……はずだった。

 振り向いた瞬間、眼前に切っ先が迫った。

 視認という速さを超え咄嗟に右へと僅かに頭をずらし、何とか目潰しを回避する。頬に横一文字の傷をもらう結果となったが、上々だろう。相手は恐らくベッドの隙間に落ちず、背後の壁を蹴って、距離を詰めてきた。

 突き出された相手の右腕をそのまま掴み取り、相手の勢いのまま背負い投げると、長年使っていた学習机へ叩きつけた。

 学習机は盛大な音を立てて破壊されたものの、木製ということもあり相手を気絶させるほどの衝撃は生まなかったらしく、黒ずくめの男はすぐに立ち上がろうとしている。

 すぐさま駆け寄り、黒ずくめの男に馬乗りし、胸ぐらをつかみ上げた。

「誰の命令だ」

 問いただしてみたものの案の定、返答はない。まるで獣の眼光で、こちらを睨みつけるだけであり、まるで何かを待っているように見える。

「何か言ったら、ど、う……だ……」

 男の返事が来る前に、急激に呂律が回らなくなりだし、腹部に違和感を感じ始めた。

 脇腹を振れれば、暖かくじんわりとした濡れる感触が広がり、次第にそれが痛みとなって、意識を支配していく。

 痛みの先にあったのは、脇腹に深々と刺さるナイフだった。月明かりに照らされた白いシャツは、鮮血の赤に染まっていくのが見て取れる。しかも染まり方が早く、あっという間に脇腹から臍ぐらいまでは真っ赤になっていた。

 暖かかった物が己の血であると理解すると、合わせるように遠のく意識。痛みはいつの間にか、遠のく意識と入れ替わるように消えていく。膝の感覚が消滅し、上半身に衝撃が走った事で、初めて自分は床に倒れたのだと気づく。

 実戦経験は無いとはいえ、日頃の鍛錬や手合わせを含め、そんな簡単に倒れるような体力ではないはずだ。

(毒か?)

 恐らく、神経毒などの一時的に体の自由と感覚を奪うものであり、しかも遅効性。ナイフの刃に塗られていて、且つ頬に傷を受けた時に体内に入り込んでいる。相手が何もせずに黙っていたのも、効果が表れるのを待つため。

 そして、効果をさらに増させるために、腹部にナイフを突き立てた。毒が効いているために、刺されたことも気づかないまま、こうして床に伏しているということか。

 命の危機だからこそ、自分の不甲斐なさを言い訳がましく説明立てるんだろう。無駄によく回る頭の隅に声が聞こえる。

 意識が薄れ行く。床の冷たさも遠のく。

「……ま、……ダイン様!!」

 遠くのほうで、小さな光が差した。部屋の扉が開けられ、誰かが入ってきたようだ。

 嗚呼、貴方はそうだった。

 俺が来たあの日から、名だけで呼ぶ事に抵抗するような眼差しで、それでも俺の前では名前だけを呼んでくれていた。

 彼女だって苦労しながら、俺を友のように、兄弟のように扱ってくれた。

 家人の皆も、俺が軟禁されていながらも、苦にならないように色々してくれていた。

 俺が住むようになって、この家の者にたくさんの迷惑と、苦労をかけてしまった。

 だからこそ俺は、永遠にこの家の家族になれないのだと思った。

 だからこそ俺は、最後の我儘として、外への切符をゆっくりとした形で望んだ。

 しかし、あっけなかった。こんな形で終わってしまうのかと。

 俺を今日まで家に置いてくれて、食事も着る服も寝るところも、教育も施してくれて……本当に、本当にありがとうございました。

 こんな形で終わってしまう事を、お許しください……。

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