2-6 水面に這いよる死臭の影

 急ぎ足で歩くこと、夕方は六時。大草原の時と違い、昼間は一切の強襲がなく、体力を移動に回すことができたために、現在はキスカの森から西に一日半ほどの距離まで詰めることができた。

「おー、見えてきた。あの橋の左に野営地があるぜ」

 トールの発言に俄然とやる気がみなぎってしまい、一人飛び出して野営地を探しに行った。目の前の橋は首都のある北側から流れて生きている幅五m、深さ一mほどの川にかけられた、馬車が通れるようになっている丈夫な石造りの街道橋。その手前から左には首都方面へ続く道が作られており、左に伸びる道に沿って十メートルほど進むと、以前に誰かが使っていた焚火の後と、腰掛用の丸太が置かれた開けた場所を発見した。

 野営地は完全に川の隣にあり、上流側には自分の身長の倍ほどの巨大な岩が数個並んでおり、その向こう側で水浴びができそうな目隠し状態となっている。このように野営するための場所として造成されており、飲み水にも水浴びにも困ることはなさそうである。

 ただし、キスカの森に近いためか、対岸や首都方面の北側には鬱蒼とした林が広がっており、警戒が必要に感じる。

「こら、一人で行くんじゃない!」

「あいたっ! うー……、ごめん」

 一人勝手に水浴びができるという環境に喜んでいると、追いついたトールに後ろから脳天に手刀をもらってしまった。隊列を乱して飛び出した自分が悪いために、これは甘んじて受ける。

 そんなやり取りをしている間に、残る三人も野営地に到着し、荷解きを始めた。

「さてっと、まずはダイン、悪いけど薪に使えそうな枝を拾ってきてくれ」

 トールに指示されたダインは軽く「分かった」と答えると、大岩のそばに広がる小さな林へと入っていった。

「よし、次はルカちゃんはこう……周囲を照らす魔法なんかないかい?」

「あ、あります……! 光精集まりて、灯りと成せ ――トーチライト」

 トールから指名されたルカは祈るように胸の前で手を組むと、組まれた手から乳白色の光があふれ出し、やがて天に昇って、小さな太陽のように周囲を照らし始めた。

「おっけー。ダインが戻ってくるまでは、これでいいか。ネフェさんは警戒用魔法の準備をお願いします」

「分かりました」

 ネフェルトは指示を受け取ると近くの丸太に腰掛け、腰の革帯(ベルト)に挿していた魔術指揮棒(タクト)を手に取ると、天に向かって指揮棒を振りながら詠唱を奏でていた。

 皆が指示を着々とこなしていく中、トールは背負っていたリュックと呼ばれる収納袋から燐寸(マッチ棒)の入った金属の小箱と握りこぶし大の炭である豆炭を取り出していた。おそらく、本来なら自分が火をつける役割になるところを、火の魔法が扱えないがために道具が役割を果たそうとしている。こうなることは予想できていたはずであり、自分もダインと共に薪拾いに行けばよかったと後悔している。

「えっと……トール、アタシは何をすればいい?」

「カキョウちゃんは、火が付いた後に俺と調理。だから少し待ってて」

 一応の役割は考えてもらっていたようであり、内心ホッとした。

 その時、ちょうどダインがひとまずこれでと、小指から親指まで大小さまざまな太さの枝を小脇に抱えるほど拾ってきた。その中から、最初の着火用にと細い枝を選び出し、豆炭の上に重ね上げた。

「……あらら? トールさんは、着火紙を使っていないんですね」

 トールの持っているマッチ箱の摩擦板でマッチ棒を擦る寸前、ネフェルトからの声掛けにより動きが止まった。

「ちゃっかし?」

「魔力を通すだけで、簡単に着火したり、燃焼用油の代用になる紙なんです」

 ネフェルトが指で形作った四角形の大きさは、およそ五センチ角ほどであり、トールの手の中にあるマッチ箱と同じような大きさであった。

「へぇ、便利な道具があるんだ」

「あれねぇ……優れちゃいるんだけど、結構なお値段するから買ってないんです」

 魔力によって起動し効果を発揮する道具のことを一般的に魔道具(マジックアイテム)などと呼ぶが、これらは魔力の作用先である魔法陣を道具に書き込まないと発動しないために、魔術の書き込み量として素材代とは別に高い価格設定の技術料が含まった商品価格となっている。トールが買っていないと表すように、消耗品として使うには値の張る物品ということになる。

「そうなんですね。まぁ、一応ホーンドさんの血で火の絵を描いたものや、実際に血を薪に垂らしても代用できますが……って、カキョウさん?」

 そう、自分が何者なのかを忘れていた。角が異様に短く、魔力こそないものの、自分は紛れもなく純血の有角族(ホーンド)であるために、種族柄として炎の精霊に愛され、加護を受ける血肉は炎との相性自体がよく、体から出る液体は燃えやすい性質と同時に炎に対する耐久性を誇る。故に血は油に似て発火しやすく、古来では釜戸に血を垂らしてから着火する方法があったと、歴史の教本で習った覚えがあった。

 そうと分かれば、自分はおのずと左腰に挿している愛刀の鯉口を切り、拳一個分ほど刃を晒すと、抜き身となった刃に右手を近づけた。

「カキョウ、何をしている!」

 しかし、手が刃にあたることはなく、血相を変えたダインによって愛刀を奪われつつ、引き離された。

「べ、別にざっくり切ろうとは思ってないよ!? こう、指先にちょこんって傷入れるぐらいだから」

「ダイン、よくやった! あのね、たとえそれでも、女の子が簡単に傷を作らない!」

「ああもう……すみません! 私が余計なことを言ったばかりに!」

 そしてトールとネフェルトまで血相を変えて、自分と焚火の間に割って入っている。

「だ、だって……アタシにはこれぐらいしか役に立てないから」

 自分の力で火を熾すことができないのならば、せめてこれぐらいは役に立ちたいが故の行動である。また、この血を垂らす方法は古いのものであるために、実際に火の勢いが増すのかどうかは自分自身が気になるところ。ここで役に立つことが証明できれば、少なくとも有角族(ホーンド)であることの実証はできるわけだ。

 それに傷なんてもう体中に入っているのだから、今更増えたところで気にしない。手元に軟膏もあれば、ルカに治癒してもらうことすらできるのだ。

 しかし、年上組からそのような顔をされてしまったら、自分は何をすればよいのだろうか。

「カキョウちゃん……」

 そして極めつけは、光源の真下にて顔に大きく影の入ったルカが、物悲しそうな顔でこちらを見つめている。

「不要な、傷は、ダメ、絶対」

 物悲しそうとは言ったものの、ルカの顔は街灯の真下にたたずむ幽霊にも似た恐怖の絵面となっており、彼女の空気を噛むような癖と夜の帳が下りた周囲の闇が、より一層恐怖を引き立てている。

 だがそれ以上に、近づいてくるルカの瞳には涙がたまり、先の言葉の音に混じって何かに対する“怯え”が伺える。

「う……、うん、分かった……もう、やらない」

 皆の役に立ちたいとはいえ、誰かを悲しませてしまうのは本末転倒であり、むしろ迷惑をかける行為になってしまう。加えて、こんな状態のルカは見たことがなく、最早こう言わざるを得ない状況だろう。それだけ、ルカの今の表情は胸に刺さってしまう。

「分かったならいいさ。ダイン、刀を返してやれ。カキョウちゃん、手首大丈夫?」

 これにて一応の終止符として、トールはダインに愛刀の返却を言い渡した。加えて、トールが聞いてきた手首とは、刀の刃に当てようとしていた右手をダインによって引っ張り上げられている。

「ああ、すまん」

 指名されたダインは小さく詫びながら、ゆっくりと手首を解放した。もともと強く握られていたわけじゃないにしても、引っ張り上げられていた状態であったために、離された腕は若干気怠い。

「さて火は俺らが焚いておくから、女性陣は水浴び行ってきな。その岩場の横の小道から、回り込めるから」

「そうですね。お言葉に甘えましょう。ささ、カキョウさん、ルカさん」

 トールの目配せによる行為を受け取ったネフェルトは立ち上がると、自分とルカの腕を半ば強引に掴んで、トールに示された巨石の岩場横の小道へ引きずるように連れ出された。



 グランドリス大陸中央部、別称東部地域と呼ばれるこの土地の南部は森林地帯が多く、目的地のキスカの森以外の森や林も点在しており、現在いる野営地点も林の木々をわざと切り開いた川沿いに作られた場所である。そのために、星が眩い夜であっても光が森の木々に遮られ、周囲は暗黒と表現していいほど暗い。

 そんな中、ネフェルトに連れられて分け入った小道は、先ほどダインが焚き木用の枝を拾いに行った小さな林の中の道であり、ルカの放ったトーチライトの光がまだ届いているためにかろうじて明るかった。

「か、カキョウちゃん……、さっきはご、ごめんなさい……」

 連れられて巨石の岩場の向こう側にたどり着いたとき、再び涙交じりの大きな瞳に見つめられながら、ルカから謝罪を受けてしまった。

「ううん、むしろアタシのほうこそゴメンね。斬りすぎたら、ルカに治してもらえばいいなんて思ってたのは、本当だからさ」

「戦って傷ついたら、全力で、治します。でも……本当に、もう自分を、簡単に傷つけ、ないで……」

「うん、分かった」

 ここまで念押し視されると、おそらくルカの過去に何か心的外傷(トラウマ)があるのかもしれない。しかし、それを今聞いては、彼女の傷をもっとえぐってしまうだけだと思い、それ以上の言葉は出てこなかった。

 だが、こちらの言葉を受け取ったルカは、安心したかのようにこわばった表情を緩め、普段の小さく微笑む可愛らしい素顔へと戻った。

「ふふふ、仲直りもできたところで、ささっと水浴びを済ませてしまいましょう。今度は私が照らしますね。――トーチライト」

 こちらの様子に安心したネフェルトは、両手の平を胸元で小さな本を読むように開き合わせると、呪文の成果物である周囲五mほどを照らす握りこぶし大の小さな光の玉を生み出した。それは先ほどルカが天に向かって放った照明となる光の玉と同じ魔法だが、乳白色だったルカの光と違い、ネフェルトの光は白の中に紫色の混じる不思議な色合いをしている。

「あれ、ルカのと色が違う」

「もともと、トーチライトは小さな魔力と無詠唱でもできてしまう簡易魔法なので、発動者の属性に左右されます」

 これはこのエリルと呼ぶ世界に住む生物すべてに当てはまる“保有属性”に起因する。人間の場合、住む地域や種族によって属性の種類が異なり、火山地帯に住む有角族(ホーンド)なら火、海洋国家であるミューバーレンの魚人族(シープル)なら水と、基本的な属性を誰しもが持ち合わせている。これは魔力の極めて少ない自分でも、火属性を内包しているために、火は出せなくとも火の魔法に対する抵抗値は高くなっている。

 この保有属性によって、トーチライトで生み出された光の色が変化するようになっており、ルカの乳白色は聖属性を、ネフェルトの紫交じりの白は雷属性を表している。

「小さな魔力か……アタシにもできたりする?」

「できるかもしれませんが、カキョウさんの魔力量では体が動かなくなってしまうかもしれませんね……」

 魔力は自分の体内で自動的に作られていくものであり、目に見えない許容量が存在し、上限に達するまで溜まり続ける。上限に達すると自然と生成を止めるか、自然に体外へと流れ出てしまう。

 逆に魔力を使いすぎて、体内の貯蔵分をすべて使ってしまうと、無理やり体力から魔力を作り出そうとしてしまうために、眩暈や頭痛、気絶、最悪の場合は命を落とすことになる。

 自分(カキョウ)の場合は、トールとネフェルトが魔力無しと誤認してしまうほど、そもそもの魔力生成量が少なければ、許容量も小さすぎるために、どんなに簡単で小さな魔力しか必要としない魔法でも、発動できないもしくは強制的に体力を消耗させられてしまうということだ。

「そ、そっか……」

 つまり、ネフェルトの言葉は誰にでも使えると銘打つ簡単な魔法ですら、気絶するという警告が含まれ、また自分には魔法という存在が永遠に縁遠いものであることを示している。たとえ、彼女に悪気はなくとも、自分の半人前という烙印が色濃くなったのであった。

「少なくとも、旅の間は私たちがサポートしますので、心配しないでください。ですが、代わりにと言っては何ですが、私たちを守ってください。私たちだけの場面では、本当にカキョウさんが頼りなのです」

 私たちだけの場面、つまり入浴などの女性だけで固まらざる得ない場面では、前衛は自分だけであり、魔力が尽きてしまうと何もできなくなる二人にとって、自分は一種の最終防衛線ということになる。これには、横で静かに聞いていたルカも大きく頷き、ネフェルトの言葉に同意している。

(魔法は万能じゃない……か)

 これは日常において何度も耳にしてきた言葉。継母が魔力のない自分を憐れんでか言い続けてくれた言葉。とはいえ、持たざる者の自分にとっては持つこと自体が恵まれており、どんなにひっくり返そうとも万能の力であることには変わりないと思っていた。

 だが、どんなに魔法がすごかろうと、どんなに魔力があっても、尽きてしまえば何もできない肉体だけが残る。そんな時だからこそ、魔法と魔力に頼らない戦い方をする“自分だけの役割”が存在するのだ。

「……分かった。二人はアタシが守るから」

 この旅はいつまで続くか分からない道のりだが、終点がどこであれ、二人は自分が守る。それが半人前の自分にできる唯一のことなのだろう。

「よろしく、お願いしま、す」

 こちらの小さな決意に、ルカは先ほどまでの落ち込んでしまった雰囲気を消すように、嬉しそうにはにかんだ笑顔で答えてきた。

「私からもよろしくお願いします。さて、気を取り直して、水浴びしちゃいましょう」

 ネフェルトは軽い返事だったものの、こちらに対して無駄に圧をかけることなく、和気あいあいとした時間を過ごそうという気遣いに見えた。

「ひっ! カキョウ、ちゃん……。そ、それ……」

 と、和気あいあいと感じていたのも束の間であり、衣類をあらかた脱いでしまったときに、ルカがこちらに向かって指を指しながら小さな悲鳴を上げた。

「え? どれ?」

 足元や草むらに蛇でもいたのか、それとも何か動物がいたのか、愛刀を構えつつ自分の後ろに広がる暗闇をにらみつけるも、何もないように思えた。

「あ、違い、ます。その……たくさんの、傷……」

 訂正してきたルカは改めて、指をこちらの裸体の何か所かを指していた。指示された先は肩口やわき腹、太ももに残った古いミミズ腫れや切り傷、擦り傷の修復痕だった。他にも目を凝らせば体の至る所に、大小さまざまな傷の痕がある。

「ああ、これね……。全部、修行中についたものなの。うんまぁ、こんなんだから、アタシを嫁に貰ってくれる人なんていないよ」

 これらの傷は傷ついた直後ならば治癒魔法によって簡単に除去できるものであるが、修行によって負傷した自分の未熟さとして、実父によってわざと残されたものである。この傷はすでに皮膚として成立しているために、現在の治癒魔法の主流形態であるマナによる損傷や欠損部分の補填による方法でも消すことはできない状態である。

 顔や二の腕など、着ていた衣類の肌が露出する部分は辛うじて傷を受けていない、もしくは一応女ということもあり、優先的に治療してもらえた部分であったために傷がほとんどついていない。

「……だからですか? カキョウさんがご自身を傷つけることに躊躇いがないは」

 そこに薄っすらと怒りをネフェルトが近づいてくると、両肩を掴んできた。

 彼女の肌は、白紫色の光によって照らされているために一層の美白となっているが、それ以上にきめ細かく傷一つない玉の肌であるその肉体は、まさに女性的といえるほど美しい。故に傷だらけの自分の体が酷く対照的に映ってしまう。

 そんな女性的肉体で迫りくるネフェルトの怒りは、どこに向き誰に向かって放たれているのだろうか。

「躊躇いがないわけじゃないよ? 痛いのは嫌だけど、アタシの傷一つでみんなが助かったりするならってだけだし。まぁ……確かに傷が一つ増えたところでって思うことはあるのは事実だけど……」

「そうですか。でしたら今後、私たちと共にいる時には、包み隠さずルカさんに治療を受けてもらってください。ルカさん、魔力が足りないときは遠慮なく言ってください」

「は、はい!」

 ネフェルトの勢いは止まることなく、ルカへの強制にも似た圧はすさまじかった。しかし、ルカも圧に押されてというよりは、任せてくださいと言わんばかりに胸を張ってネフェルトの言葉を受け入れているあたり、この件については強い同意を持っているようである。

「カキョウさんも、返事は?」

「あ、……はい、善処します。でも、どうしてそこまで……」

 返事をしていない自分に対して、もはや般若の面に似た薄ら笑みを浮かべるネフェルトに負けるように返事をしてしまった。

 だが、どうしても自分にはそこまでネフェルトが語彙を荒げるのか分からなかった。あくまでも最近できた仲間同士であり、数日前までは見も知らぬ他人同士てあったが故に、彼女の熱量の意味が分からない。

「いいですか? これは男でも女でも、自身の勲章にすることも、肉親からの烙印として受けることも、やってはいけないことなんです。私たちが生まれたこと、生きていること自体が奇跡なのですから、その体は大事にしないといけません」

「生きていること……」

「そうです。私たちはこの土地で搾取される側である以上、自分をいかに大事にできるかが生き残るための戦略といっても過言ではありません。だからこそ、自分の意識を改革させないといけないんです」

 彼女は決して、女性的な肉体や玉の肌だから苦労していないわけではない。自分以上に種族として命を狙われる人生を送ってきたのか、それによって何度狂わされてきたのかを、これらの言葉と怒気で表しているのだ。故に生きていることを幸運に思い、今ある肉体を大事にしろという言葉は女だからという前に、一人の人間として言い聞かせてきている。

「それと、嫁ぎ先が無いこと言っていますが、カキョウさんみたいな素敵な人をそんな傷だけで捨てるような人がいるのなら、私が雷撃で焼き殺してあげますから」

 そう告げてきたネフェルトの表情は能面ではなくなったものの、笑っていない笑顔というべき表情をしており、仮にそういう事態になれば本当にやりかねない雰囲気を出していた。

 ただ、これだけ力強い発言の数々には、搾取される側の種族としての仲間や同性、自分を守ってくれる存在という枠組みを超えて、どこか保護者に近い姿勢を感じられる。実際、ネフェルトは自分よりも幾ばくか年上と思われ、女性陣の中でも最年長と思えば一応の納得がいく言動である。

「うん、分かった。これからはもっと体を大事にするよ。あと、焼き殺すはダメだよ」

「フフフ、では私も善処します」

 自分が返事をぼかしたのなら、彼女もまた努力程度にぼかして返事を返してきた。ある意味で、これでお相子なのだと言いたげである。

「わ、私も、善処、します」

 そんな中、ちゃっかりとルカまでが混じってきた。彼女まで善処と言ってしまったからには、ネフェルトと同じ感情でも芽生えていたのだろうか。

 ともあれ、自分はこんな短期間にも異種族間だからこその、強い理解とともに仲間ができていたのだという幸運を、頬を緩ませながら噛み締めた。



◇◇◇



 日の光もすっかり消え失せた夜闇の中、巨石の向こう側に白紫の光が打ちあがったのを見届けると、いよいよ女性陣の水浴びが始まったのだと理解する。残った自分たちは、トールが夕食の準備を行い、自分は武器を担いだまま周囲の警戒として立っていた。

「……なぁ、ダイン。お前って本当、アンバランスだよな」

「はぁ?」

 不意に投げかけられた言葉の内容に理解できず、変な声で返事をしてしまった。巨石のほうをじっと見ていた自分は、声のほうに顔を向ければ、鍋の中の黄色い液体をゆっくりかき混ぜながら、怪訝そうな顔でこちらを見上げているトールの顔があった。

「いやな、俺も事前に貴族の世間知らずボンボンに近いヤツを宛がわれるって聞いていたんだが、お前はどうだ? 世間知らずにしては妙に常識的な行動をとる。でも、どこか常識を知らない。戦えば護身術というより戦闘技術そのものだし、妙に肝が据わっていたり、我がままも不平も不満も言わない。そして野宿も平気。なのに、衣類や装備は割と小綺麗で高そうときたもんだ」

 トールの疑問は最もであり、それ自体は自分も自覚している。新調したて以外にも、ネストの先輩傭兵たちの服装を見ても、自分の装備は少々の場違いな気がするほど綺麗もしくは、実戦重視というよりはトールと同じく、私服と軽鎧を組み合わせた見目とのバランスを重視したデザインである。

 ただし、市井の中で暮らす養父のグラフが用意したものとは違うようであり、コートの裏地や鎧の素材、鎧裏に施されている細工などからも、別の人物が用意したと思われる。おそらく実父や実母のほうだろう。いろいろと放置し追放しておきながら、行先や同行者、装備の手配など妙に手厚いのは十八年の人生に対する償い、もしくは情けというものだろうか。

 戦闘技術については、あくまでも指南者が元王宮近衛兵である養父の賜物であるためだ。最終的に外に出て戦うことも想定してか、グラフの実子であるネヴィアと共に、常日頃から実戦に近い形式での訓練を積まされてきていたためだ。

 肝が据わっていると評価されたが、これも若干違う。その場の雰囲気や流れに身を委ねつつ、こうあるべきなのかという“普通”というものを模索しているに過ぎない。それは決して自発的とは思っておらず、流されるままではと思っている。

「なぁ……、マジで何者なんだ?」

 トールの表情をなんと読んでいいのか分からない。凝視してる半目は観察ではあるんだろうが、興味というより疑いに近いものでありながらも、そこまで鋭くはなく、ただジーッとこっちを見てる。

「そう、だな……何者かと言われれば、貴族の家に引き取られたものの、様々な物事や外界から切り離され、その上で放流された者、としか言い様がない。そこに貴族としての身分もなければ、巨人族(タイタニア)でもなかったから純粋にティタニス国民とも言えない、俺自身がなんと表現していいか分からない曖昧な存在としか答えようがない」

「つっても、お前にだってガキの頃はあっただろう?」

「俺もよくは覚えていない。引き取られる以前は、多くの大人たちに見下ろされたり、部屋の外に出してもらえなかったとしか……」

「なんだよ、つまり最近まで養ってくれた貴族に引き取られるまで……いや、“助け出される”までは、見世物だったり監禁生活だったのか? ……え、何お前、奴隷かペットかなんかだったのか?」

 むしろ愛玩動物(ペット)であったほうが、マシだったのかもしれない。引き取られる前の元の家では監禁生活のほうが基本であったために、愛玩動物のように可愛がられるという様子はなく、むしろ腫物や呪われた子を隠したいみたいな陰湿な動機によるものが多かった。

「助け出される……確かにそうなのかもな。だがそれ以上は思い出せないし、思い出したくないと頭が訴えてくる」

 たとえどんな過去を持っていたとしても、それはすでに過ぎ去りしものであり、大事なのは今の自分がどこに立ち、どのように動き、どこへ向かうべきかだと思っている。そう考えるぐらい、過去の自分は一応の経験で生み出されたものであり、今を形成する一部分でしかないのだ。

「えー……つまり奴隷を助けたけど、それを隠さなきゃいけなかったわけってことだろ? うっわ……重いわ。そりゃぁ、お前の旅路を手配してくれた養父さんに感謝しなきゃだな」

「ああ、そうだな」

 あえて、この話に実父が絡んでいることを話さなかったためにか、トールは自分のことを奴隷か愛玩動物扱いから救い出された美しき救出劇の末に、ここにいるのだと“勘違い”してくれた。正直に言えば、今もこれからも、この勘違いのままでいい。元の家のことなんて存在しことにしたいし、“自分の葬式”をわざわざ見せつけられたのだから、それ以前の自分は死んだもしくは消え去ったのも同義なのだから。

「とはいえ、純血主義の強いティタニス内だとタイタニア以外が見世物同然だったから、引き取られてもおいそれと外に出せなかったのなら、合点がいくな……。なるほど、お前が妙なバランスで箱入りなのは納得できた。悪いな、思い出したくないことまで聞いてしまって」

「いや、大丈夫だ。自分でもよく分らんバランスで生きているなって思うから、トールが疑問に持つのも不思議ではない」

 確かに嫌な記憶ではあるものの過ぎた話であり、今はそのような見下す目線で見てくるものはいない。それぐらい、外の世界やこの仲間たちといる空間は、自分にとって心地のいいものだと認識できている。

「たっく……、お前って本当にイイ奴だな。んま、俺が気になったのはそんぐらいだ。常識はこれから吸収していけばいいし、そのために俺がいる。あとはあれだな、たまには自分からやりたいことなんかを主張してみるといいさ。それが他人にとって相手を知ることに繋がるからな」

「自分の主張が、相手を知ることに繋がる……」

「そう。今まで自分と繋がっていた人間、つまり肯定もしくは否定してくれる人間は、養子先の人間だけだっただろ? それが一気に増えたわけだから、他人に対して適度に自分を発信していかないと、今みたいに疑問を持たれてしまう」

 特にここ一週間で強固に繋がることとなった仲間たちは、今後も長い時間を共にすることとなるために、互いをもっと知る必要があるだろう。それは戦術面だけでなく、人間性も含めて良き付き合いを続けるには不可欠であり、大事なコミュニケーションの一部となると彼は言う。

「なるほど……。適度にというのが、よく分からないが考えてみる」

 主張する頻度や密度というものは、それこそ場面ごとに変わってくるために、一様に教えることができないことは自分でも分かる。とにかく、ここは養子先のひどく丁寧に囲われた空間ではないために、そこで発生していた“遠慮”を少しずつ捨てることから始めるしかないのだろう。それもまた難しい話ではあるのだが。

「ああ、そうするといいさ。そうそう、話は変わるけど、お前って料理や家事ってできるのか?」

 これまでが比較的暗い話題となってしまったために、トールは目の前の黄色い液体、正しくはコーンポタージュを混ぜながら新しい話題を投げかけてきた。昨日の食糧調達の際に、ペースト状に加工されたポタージュの素が瓶詰で売っていたために試しに購入してみたようである。お湯に混ぜるだけで簡単にできるために便利な反面、空いた瓶の利用方法を考えないと単純にかさばるだけだなと呟いていた。

「実をいうと料理や洗濯はやったことがない。……というより、厨房や物干しの高さが高すぎて、俺には無理だった」

「なるほどというか、確かにな。タイタニア用の高さ設計だと、無理ってもんか」

 決して貴族の子息みたいに大事な存在だから家事などをやらせないのではなく、完全な物理的理由によって手伝うことすらできなかったのだ。これには自分の背丈を吹き込まれていた矮躯として呪ったものだ。掃除については自分の手の届く範囲での掃除だけはできたために、一応の経験はあるといえた。

「んなら、料理も教えていかないと……」


「「「キャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」」」


「!?」

 今の三つの叫び声は、水浴びに行った女性陣のものだ。明らかな異変に、自分はトールに判断を仰ぐこともなく、一目散に女性陣が入っていった林の小道へと駆け出した。



「どうした!」

 林を抜けた先は、巨石の向こう側に広がる水浴び向きの浅瀬があり、見る人によっては天国と地獄が広がっていた。

 水浴びをしていたであろう三人は、膝までを川の水につけつつ一糸纏わぬ姿で、川向うからゆっくりと向かってくる影――自分たちの任務対象となっている歩く死体ことゾンビ数体と応戦していた。カキョウは二人の前に立つと、最前線に立って愛刀を走らせ、その隙を縫うようにネフェルトが自身の太ももに相当するほどの巨大な氷柱を飛ばし、二人にいつでも治癒ができるようにとルカが最後尾で構えていた。

「ひっ! だ、ダインさん!」

 自分の声掛けに気づいたルカがこちらを振り向いたが、自分の姿をすぐに思い出すと急いで水の中に体を沈めて、見せないようにしてきた。一瞬ではあったが、前に立つ二人に比べて全てが小ぶりであり華奢という言葉が似あうほど細く、まだ少女という印象を持った。

「き、来てくださったのはありがたいのですが、あああ、――アイスニードル!」

 ネフェルトもこちらに気づいたが、まずは進攻してくるゾンビの処理を優先させるという姿勢を保ちつつも、自身の翼で全身を包むように肌を隠した。翼のわずかな隙間から見える臀部は、見事なまでの豊満な胸部に劣らぬモノであり、丸みを帯びた体はまさに大人の女性を表現している。

「ちょ!? み、見ないで!!」

 こちらから一番遠く、ゾンビに一番近い位置で戦っていたカキョウもこちらに気づくと、両手で構えていた刀を右手の身に持ち替え、空いた左腕で胸を隠しつつ、残る下半身を水の中に沈めた。

 全体的に先の二人の中間と表現できるほど、程よく丸みがある体つきであり、胸部は常に縛り付ける服装から解き放たれたのか、普段見るサイズよりも少々大きめに映り、弾力のある仕上がりを見せている。四肢は前衛を務めているだけはあって引き締まりつつも、腹部から腰に掛けてのクビレは少なく緩やかなカーブを描き、一層肌の柔らかさを彷彿させてくる。

 皆、昇りたての月明かりによって着飾られた素肌は美しく、とりわけ一番最後に入水したカキョウの体は脳裏に焼き付いてしまい、体の芯の部分を熱くしてきた。


 カチ。カチ、カチ、カチ。


 自分も一応男なのだと思い起こされている中、耳の奥で聞き知った歯車の音が聞こえ始める。変に滾った神経が急速に冷却され、視界が赤く染まり、徐々に体感時間と意識が切り離され、周囲がゆっくりとした動きに変わっていく。気づけば、背中に背負った大剣を抜きつつ、女性陣の間を縫って、カキョウとゾンビの間に割って入るように最前列へ躍り出ていた。

(今ここで、【超加速】と【知覚加速】が起きる?)

 以前、トールとラディスから発動条件についての質問があったものの、少なくとも任意で発動することはできなく、条件自体も分からずに終わった。少なくとも、現状では武器を扱うことを前提とする実戦中が含まれるということが今の状態から分かった。

 目の前には知覚加速によって、さらに鈍足になったゾンビが合計四体。どれも肉がただれ落ち、かろうじて残っている肉や衣類から男女の判別がつくぐらいである。その内の一番先頭にいる個体の頭部には、ネフェルトの放った太い氷柱が突き刺さっている。

 本来、不死者(アンデッド)は人工的に生み出されるものであるために、心臓の代わりとなる魔術が刻印されているはずである。その多くは神経の管理中枢となる頭部に刻まれることで、生前に近い動きをさせることができるという。そのために、不死者に対しての物理的な対処方法として、頭部の破壊もしくは頭部と胴体を切り離すことである。

 ところが、目の前のゾンビは頭部に太い氷柱が刺さっているにも関わらず、その歩みを止める様子がない。それなら、魔術の核は別のところにあるのだろうと、すでに抜ていた大剣を右下から左上へ逆袈裟に切り上げた。至近距離ということもあり、わき腹から肩まで切り上げた刃は腐敗によって脆くなっていた肉体をあっさりと分断する。


 ――散リ散リ。


 二つに分かれたゾンビの胴体から、そんな言葉が脳を支配する。すでに活動を停止した肉だからこそ出てこないが、これが生きた肉体だったら、川の水を真っ赤に染め上げるほどの大量の血があふれ出ていたであろう。……それこそ、昨日“カキョウが流した血の涙”のような真っ赤な色で。


 ――バラバラ。


 残る三体のゾンビを見据える。剣をどう振るえば、相手を“散り散り、バラバラ”に引き裂くことができるだろうか。脳に浮かぶ言葉通りを行わなければ、気が済まないと思う自分がいる。そこに違和感はなく、むしろ率先して“与えてやれ”と思っているほどだ。

 左上へ振り上げた大剣はそのまま左下へ下ろすと、右へ水平に振って密集気味だった残る三体を同時に胸部と腹部を分断した。六つの腐食した肉塊が水しぶきを上げる。そこに高揚感があるわけでもなく、淡々とした作業感だけが積もった。

「ダイン! 前!」

 追いついたトールからの指摘で前を見る。能力解除と言わんばかりに視界の赤と歯車の音が弱まりつつある中、対岸の茂みの中から新たに二体のゾンビが現れた。能力が切れ行く中、膝上まで到達している川の水が金属のグリーブや革靴、コートの裾に足枷となってのしかかる。

 それでも自分の背後には一糸まとわぬ状態の女性が三人。トールの増援を待つにも川の水と距離があるために、まだ自分で動いたほうが早い。

 能力が切れるギリギリまで足を動かし、前へ進む。同時に右へ移動していた大剣を水平に構え、魔力を流し込む。得意のグラインドアッパーを準備する形だ。


 ――叩キ込メ!


 脳裏をよぎってきた言葉が突然“自分の肉声”となって、脳を視界を手足の先を焦がさんばかりの熱を与えてくる。

(なんだこれ……俺の魔力、なのか?)

 急激に生まれた熱の正体が分からぬまま、体が思うように動いていく。強制的に動かされる足は、枷の重みをもろともせず突き進み、瞬く間に追加されたゾンビ二体を相手できる位置へと移動した。

 手先に生まれた熱は急速に魔力へと変わり、もはや剣という器からいつでも溢れ出さんとしている。

 あとは声の指示に従って、水平切りの姿勢から唐竹割りのように大剣を天高く掲げ、あとは自重に任せるように地面へ叩き込む。

 叩き込まれた魔力は、強烈な衝撃波となって目の前のゾンビ二体を爆発四散という言葉が似つかわしいほど、粉々に粉砕した。


 ――カッチャン。

 

 そして同時に、【超加速】と【知覚加速】の終了を告げる歯車の止まる音が脳内に鳴り響いた。このタイミングは実に最悪なものであり、爆発の衝撃波が発動者である自分を巻き込んだ。退避する術も、耐えうる身体強化も発動できないまま、全身が衝撃波によって痛みを伴いながら宙を舞う。

 そして体は弧を描き、川の中心に叩きつけられるように没した。

(何だったんだ、今のは)

 敵を粉砕できたからよかったものの、自分の中に生まれた強烈な“破壊衝動”とそれに呼応するような爆発的な魔力増加。それに伴って体には強力な負荷がかかったのか関節や先端に痛みが発生している。そのために、体を動かすことができないまま、水中に沈んでいる。いずれは息ができなくなる。ある意味でこれがラディスの言っていた、特殊能力使用の反動による負荷なのだろう。

 だが、それとは別に破壊衝動を促す自分の声については、自分の深層にあった意識なのか、それとも全く別の存在からの声なのか。

(どちらにしても、まずい状況だ……)

 それを考えていると両二の腕をつかみ上げられ、顔が水面に急浮上。あまりの勢いと急激な外の空気が入り込んだために、むせ返ってしまった。

「ダイン! 大丈夫!?」

 目を開けば、視界の左側から鼻先がくっつきそうなほど顔を近づけて覗き込むカキョウがいた。服はすでに襦袢と呼ばれる白い着物と緋色の袴を着ており、肌の大事な部分が隠されている。

 しかし、この距離だからこそ気づいてしまう。彼女の体中いたるところに、この数日以内についたとは思えないほど古く、大小様々な傷跡が点在している。以前に彼女の身体能力について聞いた時の修行によるものなのだろう。とはいえ、その傷を見て痛々しいや傷物といった感覚はなく、むしろ彼女を形成する一部、もしくは模様のような自然物として捉えている。

「ああ、大丈夫だ。引き上げてくれてありがとう」

 普段が二の腕まで隠れるアームカバーやニーソックスを着用している様子からも、恐らく彼女はこれらの傷について対外的に気にしているはずである。目についたからと言って、興味の言葉をかければ彼女は傷つく可能性があるために、ここは気づかなかったフリをしてやり過ごすことにする。

「たっく、こんな浅瀬で溺れただなんて報告書、俺に書かせるなって」

 そう嫌味を垂れるトールは、カキョウとは反対に自分の右腕をつかみ上げている。水分を含んだ衣類に金属製のチェストプレート、弛緩して動かなくなった筋肉と、重量級の品々ばかりとなってしまい、引き上げてくれた二人には非常に申し訳ないことをしてしまった。

「本当にすまない……。能力の負荷と危険性を、身をもって体感した」

「つっても、お前の意思で発動できるもんってわけでもないんだろ? なら、切れたときのことを考えた立ち回りを頭に入れるんだな」

 彼の手厳しい指摘はもっともなことである。自分の力である以上は振り回されるだけでなく、切れ際を見極めつつの立ち回りを気にし、正しい意味で自分の力としなければならない。

 弛緩が解けつつある体を起こしながら、今後の立ち回りとずぶぬれになった体をどう乾かそうかと考えた。

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EternalOath 神崎シキ @kanzakisiki

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