2-3 天雷と氷結の魔術師

 晴天の下、若草色の大海となっているオルト大平原を軽快に横切る馬車の上は、新たに瑠璃色が加わり、南天色が乳白色に変化していた。角隠し用の頭巾をもらった後は、ルカとトールが用意してくれた朝食を食べ、一行は再びモールの街を目指して馬車を走らせていた。

「カキョウちゃん、それ、やっぱり似合ってます、ね」

 ルカがそれと示したのは、今朝にタブリスからもらった藤色桜が散りばめられた乳白色の頭巾のことだった。差し色こそ違うものの、基調色は上着の布色にかなり近いものであり、最初から服との一式物にも見えるほど違和感が少ない逸品である。

「そ、そうかな? へへへ」

 身の安全を考えるなら、街に入る前から着けていたほうがいいという指摘をもらい、贈り物に喜ぶ子供のようにさっそく装着していた。荷運びを目的とした風呂敷を使っているために頭巾自体は丈夫で少々重みがあり、突風で巻き上がらない限りは外れる可能性が少ない。

「ほんと、羨ましいほど似合ってますよ。私も翼を隠せたらよかったんですけどね」

「ネフェさんのを隠すなら、背負う荷物に擬態させる感じなのかな?」

 と言ったものの、ネフェルトの翼は折りたたんでも身長と大差ない高さがあるために、すべてを覆うほどの偽装となると、人間と同じ大きさのものを背負うことになる。

「それはそれで……何を運んでいるのか、疑われちゃいます、ね」

「あー……ソウダネ」

 人間と同じ大きさの物体となると、自然と棺桶を想像してしまう。また、ネフェルトのような細身の女性が巨大な箱を軽々と担ぎ上げることも不自然というものであり、人目を大いに引くだろう。

「そういう注目の的も勘弁って感じですね。まぁ、私の翼は本当に仕方がないことなので、どちらかというとパーティの見え方を調整したほうがいいかもしれませんね」

「ぱーてぃ……この集団の見え方?」

「そうです。今はルカさんを中心としていますが、トールさんかダインさんを中心としたほうが違和感は少なくなります」

「えっと、それって違いあるの?」

 ネフェルトの発言通り、この集団は巡礼に対する護衛集団であるため、ルカが中心人物となる。しかし、他人から見れば巡礼者とも、傭兵に協力する聖サクリス教の信徒とも見え、一つの戦闘集団であることは変わりないはずだ。

「よっと、結構変わるぞー」

「ひょわっ!? びっくりした!」

 トールの声がお尻のほうからすると思って振り向けば、まるで穴にはまって動けない人よろしく、馬車の御者台に立って、胸から上だけを荷物の上に出しているトールがいた。

「ごめんごめん。ようは、俺かダインを少しチャラく見せることで、希少種族を含めた複数人の女性を侍らせている金持ち坊ちゃんの道楽に見せるってことさ。金持ちの坊ちゃんなんて基本的に貴族か豪商の子が相場だから、常識がある奴はちょっかいを出してこないさ」

 貴族は言うまでもなく権力的抹殺の未来が待ち受け、豪商は貴族との繋がりや商人連合の組織力を利用した経済的抹殺に追い込まれる危険性があるために、常識のある人間ならば迂闊に手を出すことやかかわりを持つことはしない。

 ルカの背後についている聖サクリス教も巨大かつ強力な組織ではあるものの、巡礼中に不慮の事故や事件に巻き込まれ、命を落とすことはよくある話であり、それらを自力で乗り越えた真の信者こそ、昇格にふさわしいという見方が存在する。そのために巡礼者が事件に巻き込まれても、基本的には救出のための人員派遣が行われず、各地域の治安組織に任せる状態であり、貴族や豪商ほどの効力は発揮しない。

 さて、ネフェルトとトールの話から上がった、中心人物の切り替え先についてだが……。

「ダインがチャラく……ないない!」

「女性を、侍らせ、る……想像、できません」

「確かに似合いませんね。どちらかといえば、ヤンチャな坊ちゃんに頭を抱える護衛といったところでしょう」

 自分を含めた女性陣営の意見は満場一致だった。雰囲気や仕草、態度のすべてが軟派という言葉からかけ離れた存在がダインというものだ。馬車の後方を見れば、トールと同じく胸から上だけを出して、安堵のため息を漏らすダインがいた。

「でっすよねーーーー! 知ってた! はいはい、というわけで、みんなは俺に侍られてる女性たち。んで、お前は……借金の形(かた)に売られ、俺のお目付け役と護衛を任ぜられている幼馴染(弟分)だ」

「……俺だけ設定が濃いな」

「気分の問題だ。んじゃそういうことで。町に着いたら、全員そういう感じに振舞ってくれ」

 安堵したのも束の間、妙ちくりんな設定を付与されてしまい、腑に落ちないと不満げな顔をするダイン。だが、箱詰めで勘当された経歴や、性格面からも割としっくりくる設定だと思ってしまったのは、胸の内に秘めておこうと思った。

「いやはや、皆さんのお芝居は本当に面白そうですね。ずっと見ていたいですが、残念なことにモールが見えてきてしまいましたよ」

 タブリスの言葉に、全員が進行方向へ視線を移す。楽しい団欒は時間と距離を忘れさせ、目の前には新緑色に染まる巨大な壁と、赤レンガを思わせる褐色色の屋根を持つ建物が近づいていたことを気づかせなかった。



 一行を乗せた馬車は草原を抜けると、西門と書かれた巨大な門をくぐった。

 この町は、大陸を東西に分断するオルティア山脈西側の麓に位置し、西側地域における陸の玄関口と評される交易拠点である。特に南北に連なる山脈のちょうど中間地点にあるために東側地域から西側へ、逆に西側から東側へ行くための中継点という大事な役割を持っている。

 元々はオルティア山脈でとれる天然資源のために開拓された鉱山都市であったようだが、すでに資源は掘りつくされ、枯渇した坑道と何年も動いていない採掘施設が山の斜面に点在している。

 鉱山都市の名残りとして、門を抜けた先の大通りは馬車が二台すれ違っても余裕があるほどの道幅が確保されており、採掘された鉱石や石炭を運び出す馬車がたくさん往来していたことを思わせた。この馬車の往来に特化した大通りは、今でも交易拠点として活用されている。

「とはいえ、海竜騒動のせいでポートアレアでの荷揚げが減ってるために、この町の利用者もかなり減りましたよ」

 しみじみと語るタブリスの声は、今は無き活気ある街の姿を懐かしむ遠くへ向けたものだった。

 やがて馬車は中央通りから外れ、一区画裏手にある広場に入った。この広場は商人連合に加盟している商人だけが使えるの馬車専用の駐車場である。は今回乗っていた大型馬一匹が引ける程度の馬車なら十台は止められるであろう広さがあるが、タブリスの話通りに街を訪れる商人自体が減っているためか、自分ら以外の馬車はなかった。

 馬車は人間用の出入り口近くに駐車され、短くも驚きに満ちた馬車旅が終わりを告げる。

「さぁさぁ、みなさん。名残惜しいですが、ここでお別れです。二日間だったとはいえ、大変貴重な体験ばかりでした。ありがとうございました」

 全員が馬車から降りると、タブリスが皆に向かって小さくお辞儀をし、それに合わせて皆もお辞儀を返した。ほどなくして、一番近くにいたトールにタブリスが薄茶色の封筒を手渡していた。おそらく護衛の報酬だろう。こうして別れの要素が積みあがっていく。

「いやいや、楽させてもらったのはこっちだからさ。どうぞ、今後ともご贔屓に」

「こちらこそ」

 トールが今後ともと言い、タブリスがそれに是と返す。これがお付き合いであり、何度も二人が仕事を共にしたことの証であり、再びどこかで会えることを意味し、別れを悲観する必要はないと教えてくれる。

「それでは皆さん。武運長久を」

 タブリスは改めてこちらに向き深々と頭を下げると、すぐさま踵を返し、一足先にと露店の立ち並ぶ大通りへ消えていった。

「……さて、俺たちも行こうか」

 タブリスの背中を見送ると、次はいよいよ自分たちの出発だと動き出そうとした。

「あれ、馬車ってこのままでいいの? 盗まれたりしない?」

 だが、ふと目に留まったのが、先ほどまで乗っていた馬車だった。荷台部分には大量の荷物とそれを覆う雨除けの撥水布だけ。自分たちが離れてしまっては、残されるのは馬車と馬だけとなってしまう。

「いいよいいよ。この馬車は、盗難対策の魔法がかけられているんだ。荷台の下を見てみ?」

 そういってトールがしゃがみ込んだので、促されるままにしゃがみ、荷台の下を覗き込んだ。荷台の底面となる部分には彼の言葉通り、うっすらと白紫に光る魔法陣が浮かび上がっていた。

「おお、ほんとだ」

「こうなっているのか」

「な、なんとなく、魔法の気配を感じて、いましたが、こういうこと、だったんですね」

 トールの言葉に促されたのは自分だけでなく、ダインとルカもいつの間にか両隣でしゃがみ込んでいた。

「効果はですね、悪意を持った人間が馬車や馬に触れると、しばらくは気絶するぐらいの電流を発するんですよ」

 しゃがみこんでいた三人は車輪や荷台に手を置いていたが、ネフェルトの言葉に驚くと、飛びのくように馬車から離れた。いくら魔方陣が反応しなかったとはいえ、気絶してしまうほどの電流を想像しただけで身震いしてしまう。

「あれ? おっちゃんからは、静電気みたいにビリッとする程度って聞いてたけど」

「実はですね、服のお礼として、魔法陣を強化しておいたのですよ」

「なーるほどねぇ、さすがは魔術師を自称するだけはあるか。んまぁ、そういうわけで大丈夫ってことさ。さて、今後について話そうか」

 気持ちを切り替えてと言わんばかりに、トールは手を叩て全員の注目を自身に集めた。

「まず、この町でやることなんだけど、ルカちゃんは教会で礼拝。その間に、俺たち四人は買い出しだ。ルカちゃん、食料以外で欲しいものがあったら、先に言ってくれると助かる」

「あ、いえ、今回は、だ、大丈夫です」

 急に名指しされたからか、ルカは焦ったようにしどろもどろに答えた。オルト大平原の移動中には戦闘が一切なかったため、これと言って消耗したものもなく、自分も訊ねられたら同じ答えになる。

「分かった。あと、今日はこの街に一泊する。んで、ここからが本題なんだけど、次の目的地として、ここから南に行った砂漠地帯の入り口にあるカラサスという街に行くことを提案する。街全体が少し変わっていて、皆にぜひ見てほしいんだ」

「変わってる? どんな風に?」

 野宿が回避されたことに心躍ったが、それ以上に興味をひかれる言葉の羅列に思わず口を出してしまった。故郷のコウエン国は平野や森、湿地帯に山岳地帯といった緑と水分の多い地形に富んではいるが、乾燥気味の地形は火山の周辺ぐらいであり、砂漠となると如何にも外の国に来たのだと実感させられる。また、彼の口からもわざと少し変わっていると表現したということは、自分たちが知る街と比べて何かが明らかに違うのだろう。好奇心が口から出てしまった。

「それ、今言ったらつまらないでしょ」

「おおう、確かに」

 当然のツッコミではあるが、それだけカラサスという街に期待を寄せてしまう。

「まぁ他にも、南の街道は平坦で広く歩きやすい道だし、また馬車護衛とかあれば二日ぐらいでたどり着ける。一応、教会もあるけど巡礼の必須地じゃないから、寄り道に近い場所なんだ。さて、ルカちゃん、いかがでしょうか?」

 ここで再び名指しされたルカだが、この旅がルカの護衛名目である以上、道選びの最終決定権を持つのはルカなのだ。

「え、えっと……私も、変わってるっていうの、気になり、ます……ので、お願いします」

「分かった。んじゃ、行先も決まったことで、いろいろと用事を済ませようか」

 行動指針が決まった自分たちは、駐車場に係留(けいりゅう)されているタブリスの馬に「ありがとう」とお礼にひと撫ですると、自分たちも大通りの人混みへ入っていった。



 まずはモール内の教会へ向かい、ルカを巡礼礼拝のために残すと、残る四人は予定通り買い出しに出かけた。

「さてと、まずはネフェちゃんの服についてだけど、ここで買いそろえようか」

「トール様、ご厚意はありがたいのですが、この服はタブリス様が丁寧に作ってくださった品ですので、しばらくは大丈夫です。代わりにですが、杖を買っていただけないでしょうか?」

 町に入る前に決めていた金持ち御子息の道楽と侍らされている女たち及び男従者という設定が早速始まっている。年長組の二人はこの状況を非常にノリノリで演じており、見ているこっちは本当の関係性を知っているために笑いそうになる。

 さて、いくらタブリスが丹精を込めて仕立てた服とはいえ、簡易的なものであることに変わりはなく、今後の旅を考えると整えておきたいのがトールの心情だろう。しかし、せっかく一晩かけて作ってくれた服なのだからと、ネフェルトは服の新調を辞退した。後で聞いた話だが、西側地域では有翼族(フェザニス)はあまり存在していないために、翼の部分を考慮した背中の空いた服装が少なく、簡単に慎重することができないらしい。

「杖を?」

「ええ。魔法を放つ上で、杖があるのとないのでは、いろいろと効率や成果に差が出てしまうんです」

 杖は体内に流れる魔力の出口や蛇口部分に相当し、いろんな方向に溢れようとする魔力を一方向に固定することができる便利な装備品である。これによって、離れた相手を弓のように照準を合わせ、個別に狙い定めることができるようになる。

「んー、それもそっかー。じゃぁ、どんなものがいいんだい?」

「贅沢はいいませんので、安価で少し丈夫な指揮棒(タクト)系でお願いできれば」

 魔術師が使う杖といっても、長さによって呼び方が違うらしい。肘から指先程度までの長さしかない最も短いものを指揮棒(タクト)と呼び、腰から下ぐらいまでの長さのものを短杖(ワンド)と呼ぶ。ルカが携帯している杖もこのワンドと呼ばれる種類のものだ。一番長い長杖(ロッド)は、ネフェルトやダイン、トールといった長身の者たちと同じぐらいの長さがある。

 そうこう話している内に目的の道具屋に到着すると、トールとネフェルトが杖選びを始めたので、自分とダインは店内を見て回ることにした。

「ねぇ、ダイン……様は何か買うものありますか?」

 そう、自分とダインが会話するうえでも、侍らされている女と従者を兼ねた幼馴染なら、後者のほうが立場が上となるために敬語で話さなければならない。

「あ、ああ……いや、消耗したものはないから、食料ぐらいだ」

 突然話しかけられたダインは、面食らった様子で一瞬戸惑いつつも、話を合わせてくれた。とはいえ、彼の口調や素行を見れば、生やされた設定は彼の普段の様子を形容したに過ぎないほど、全く変わらないものであった。

「そっか。アタシもそうなんだ、ですよねぇ……」

 相手にもよるだろうが、気心の知れている彼に対する敬語というものは、なかなか切り替えが難しく、気恥ずかしいものがある。

 なお、食料は別の店での購入を検討しているようであり、ここでは本当に旅に必要な治療薬などの補給が主な目的だった。とはいえ、減ってないものを買うわけにもいかず、予備を持つほどの収納的余裕もないため、本当に見て回るだけになった。

 少々可愛らしい装飾品を見つけたので、手に取ろうとした時だった。装飾品の置かれた机に面した窓の隅に、黒い人影を見た。気になったので人影を凝視しようと窓に近づくと、黒い人影は逃げるように遠ざかった。

「……何、今の」

「さぁ……。ただ、気にはなるな」

 手に取っていた装飾品を元の位置に戻すと、ダインと二人して窓の外を注視していた。

 すると、再び黒い影が窓の縁からじわりじわりと店内を覗き込むように現れた。黒い人影との目があった瞬間、ゾクリッと寒気とねっとりとしたぬめりを感じる強い視線を感じた。

「ひっ……!」

 その視線に全身鳥肌が立つ。まるで舐めまわされるような視線に、思わず小さな悲鳴を上げたが、次の瞬間には怒りに代わり、店の外へ飛び出した。道具屋の横に回り込んだものの、黒い人影がいたはずの窓には誰も居らず、すでに大通りの人ごみに姿を隠したようだ。

「カキョウ」

 遅れてダインが店の外に出てくると、自分たちの異変に気付いたトールと茶色い上薬を塗られた木製の指揮棒を持ったネフェルトも続いてやってきた。

 トールに事のあらましを説明すると、彼は人ごみに向かって一回だけスンと鼻を一嗅ぎすると、神妙な面持ちでつぶやいた。

「早速ってのは嫌だねぇ……。わかった、さっさと食糧調達したら、ルカちゃんと合流して、宿を取ろうか」

「トールは、……トール様は何か知ってるのですか?」

「知ってるというか、大方の検討がつくといったほうが正しいかな。だからこそ、さっさと安全確保だ。ささ、次の買い出し行くぞ」

 トールの知る正体が気にはなったものの、それを聞かせてくれそうな余裕はなさそうであり、指示通りに次の店へと移動して数日分の食料を買い込むと、急いでルカと合流したのだった。



 翌日のまだ日も登らないほどの早朝。心地よかった布団とも早々にサヨナラすると、昨日の人込みが嘘であったかのような人気のない大通りを抜け、朝霞が周囲を包む中、自分たちはカラサスを目指すべく、モールの南門を出た。

 今回は早い就寝と早朝の出発であったこともあり、馬車護衛などを探す余裕もなかったために、カラサスまでは徒歩で行くこととなった。右手には昨日まで通っていたオルト大平原が広がり、左手にはオルティア山脈の麓となる林が立ち込めている。日の上らない早朝であるために、細身の木々の向こう側は木漏れ日すらない鬱蒼とした闇が広がっている。

「あーもう、昨日は疲れた」

 慣れない敬語や相応の態度に表情筋が疲れてしまい、今でも頬をもみほぐしている。

「昨日のは序の口だぞー。もっと大きな町で数日滞在なれば、ずーっと演じてもらわないと行けないからね」

「うっわ、嫌だなぁ……」

「俺は面白かったけどね」

「トールのいじわる」

「ハハハ、可愛らしいねぇ。さてと、……来たな」

 一応の和やかな雰囲気は、前をを歩くトールの反吐交じりのため息とともに止まった。まだ敵は姿を見せないが、明らかに昨日感じた悪寒とぬめりの感覚が山脈側の林から感じ取れる。しかも複数。町の中と違い、人気が一切ない街道では、敵の気配もはっきりと読み取れてしまう。

 だが、敵はこちらを観察するばかりで、一向に動く気配がない。

「これは……癇に障るな」

 ダインもまたトール同様にため息交じりで、背中の剣に手を伸ばす。昨晩は宿に泊まったものの、人影のことが気になったようであり、二人で交代で起きていたらしく、まともに休めていないのだ。おかげで表情もやや険しく、明らかに虫の居所が悪くなっている。

「だが、あいつらは町からある程度遠ざかるまでは、襲ってこないさ。衛兵と世間様の眼は怖いんだとさ。めんどくさい奴らだよ……」

 そういってトールは武器を取り出しつつ、カラサスのほうへ歩みを再開させた。こちらとしては、さっさと出てきてもらい、捕縛するなりしてさっさと町に引き渡してしまったほうが距離や時間、手間の面からも早く済むのだが、出てくる気配がない以上は余計な手間を強いられる結果となっている。

 ダインは武器から手を離したものの、トール同様にため息交じりに相手をより一層警戒しながら、ルカとネフェルトに前を歩くように促す。自分もいつでも抜刀できるように左手は愛刀に手を添え、最後尾からダインと一緒にトールの後を追った。

 それから約五分後。

「止まれ」

 ようやく、件の気配から声をかけられた。振り向いた先には、純人族(ホミノス)と牙獣族(ガルムス)の男が立っていた。二人とも清潔感のないボサボサの伸びきった髪と髭に、頬骨が見えるほど痩せこけた姿である。衣類も襟や裾が擦り切れ、幾日も選択されていないような薄汚れた麻の上下と、今にも千切れそうな革の草履と、常日頃の生活が悲惨ということを物語っている。

 そして手にはそれらの襤褸姿とは似つかわしくないほど、磨き上げられた刀に似つつも刃幅の広い曲刀が握られている。

 そうやって、相手の指示に従って立ち止まり、風貌を観察している間にも、山脈側の林から似通った姿の男たちが数人出てきた。追加した数は四人であり、先の者と合わせて総勢六人が、自分たちを取り囲む形となった。

「女三人と金品、武器、食料を置いていけ。そうすれば命だけは助けてやる」

 在り来たりな言葉に芸の一つないと思ったが、それは人数差と性別比率から自分たちが優位だと感じたからの言葉なのだろう。

(舐められてるなぁ……)

 自分には他人が見ても分かるほどの明らかな武器(刀)を手にしているが、この状況で何もできないひ弱な女性のほうへ一括りにされているようであり、少々腹が立った。

 また、人数ではこちらのほうが不利ではあるが、相手は何日もまともに食事をしてなさそうな痩せ方であり、持久力の点ではこちらが有利と見れる。加えて相手の手にしている大型の曲刀は不慣れなのかゆらゆらと揺れており、重心が定まっていない。持ち方自体も、武器の脅威さを前面に押し出すように、無造作に前へ突き出しているあたりが、まったく使い慣れていないことを物語っている。

(こういうやつらが人攫いなんてやるんだ……)

 何が彼らをこんな状態まで貶めたのかは分からないが、こんな薄汚い方法で場当たりなお金を得るぐらいなら、その労力を何か別の真っ当な仕事に回せばいいのにと思ってしまう。

「ふーん……、まぁ答えは決まっているんだけどさ。断固拒否する、ね!」

「同じくっ!」

 トールはすでに抜き身状態だったバルディッシュを構え、ダインも腰を落として背の大剣を相手への威嚇を込めて、盛大に抜きはらった。かくいう自分も二人の抜刀を合図に愛刀を抜き、前衛三人でルカとネフェルトを背で囲むように、守りの陣形をとった。

 人攫いの男たちは、こちらの臨戦態勢に一瞬だけ身じろぎするも、集団の代表たる男の「やれ!!」という怒号を皮切りに、各々の武器を振り上げながら奇声とともに一斉に飛び掛かってきた。

 こちらは前衛が三人、相手は六人。一人が二人ずつ相手すればいいという計算になるが、自分に向かってきた男は一人だけ。もう一人は横をすり抜けて、内側にいるルカとネフェルトを狙うよう、すでに軌道が異なっていた。

「皆さん、下がってください。――サンダーストーム!!」

 だが、自分たちと相手双方の刃が交わる前に、円陣の中心から強烈な白紫の発光と落雷に似た轟音によって、全てが遮られた。

「痛っ!」

 強烈な白紫色の光に視界を奪われつつ、さながら冬の静電気を思わせる肌の痛み。魔法を直に食らっていない自分ですら痛みを訴えているのだから、それを直接受けている敵集団の六人は様々な寄生と悲鳴を上げながら、雷撃の前に次々と倒れていく。わずかに香ってるく肉の焼けた匂いから、雷撃は男たちの肌を火傷させたと思われる。

「あらら? ちょっとやりすぎましたか? やはり愛用のじゃないと少し狂っちゃいますね」

 魔術師を自称し、得意とする属性の中に雷と言っていただけはあり、たった一つの魔法だけで六人の男を一斉に気絶させたネフェルトの実力は、本物だった。

 だが、相手もただでは倒れてくれないようであり、純人族(ホミノス)の男が一人立ち上がると奇声を上げつつ、こちらへ突っ込んできた。狙いは逆恨み先のネフェルト。

「させない!!」

 自分が前に出て立ちふさがると、相手は怒りの矛先をこちらに切り替え、太い曲刀を振り上げると、そのまま力任せに振り下ろしてきた。甘い。直線的な攻撃ならまだしも、曲刀の自重に任せきった振り降ろしは勢いがあるものの、攻撃そのものに鋭さと速さはなく、避けるのは容易だった。

 振り降ろし攻撃を半歩左にずれることで回避すると、男の後頭部めがけて、柄の先端である柄頭(つかがしら)を思いっきり打ち付けた。男は目玉が飛び出るのではないかという衝撃を受けると、今度こそ昏倒し意識を失った。

「こんの、クソアマあああああ!!」

 仲間が倒れたのを見て激高した男が一人。ダインのそばで倒れていたが立ち上がると、倒れた男と同じように振り上げて突撃してきた。こちらは先ほど倒れた男と違い大型猫系の牙獣族(ガルムス)であり、瞬発力が段違いに高い。距離があったにも関わらず、すぐに距離を詰められた。

(早いっ!?)

 まともに食事を取っていないような痩せこけ方をしているにもかかわらず、常軌を逸した瞬発力に対応が遅れた。曲刀の振り下ろしに対応できたとしても、爪などによる追撃があれば、確実に食らってしまう姿勢しか取れない。

 しかし、そんな危惧も互いの間に割り入れられた大剣の刃によって、必要のないものへと化した。耳をつんざくような金属のぶつかり合う甲高い音。大剣の主へ視線をやれば、そこには瞳を赤く光らせたダインがいた。

 非常にありがたい場面なのだが、とあることを思い出してしまう。

 彼は『超加速は任意に使うことはできない』と言っており、また発動条件が『命のやり取りを含める戦闘中限定』ではないかと、みんなで推測していた。

 しかし、今の場面はどうだろうか? 確かに自分は命の危機に晒された。だがそれを絶妙な間合いと瞬間で、ダインは防いだ。任意ではないといいつつも、ここまで見事な割込みが、たまたま発生したものだということに驚きを隠せない。

(偶然だとしても……うらやましい)

 自分はこの“何の魔力補強もない”手足しかなく、自分の身体能力を地道に高めることでしか、状況を打開できる力はない。あるだけマシな彼に、密かに対抗意識を燃やしたのだった。

「二人とも、そのまま動かないでください! ――ヘイルプレス!」

 ネフェルトの声が再び響き渡る。魔法名が叫び終わったその時、こちらに襲い掛かってきた牙獣族の男の頭上に、巨大カボチャや大玉スイカ四個分のどの大きな氷塊が出現し、自由落下ののちに男の脳天に直撃した。氷塊が砕け散る中、直撃を食らったとこは白目をむきながら倒れこむと、ようやく事態が収拾した。

「ダイン、ありがとう」

 巨大な氷塊を食らった男が起き上がらないことを確認して、先ほどの割り込みに対する礼をダインに向けて言った。

「あ、ああ……。いや、あれは本当に発動してくれてよかった」

 すると、彼は何やら一瞬だけ驚いたようなそぶりを見せた。それがお礼を言われたことに対してというよりは、自分の存在に気付いたからのように見え、且つ彼自身に起きたことにも驚いているような様子である。

(本当に偶然ぽい?)

 言い返せば、あれが発動していなかったら自分は何らかの攻撃によって、致命傷を受けていたことになる。偶然の産物とはいえ、本当に命拾いしたと思えば、彼を妬んだり、疑ったりする以前に、もっと感謝しなければならないのだと痛烈に恥じた。

「ふぅ……。使い慣れない杖で、無詠唱ってのは、かなり疲れますね」

「ね、ネフェさん、す、す、すごいです! 複数人を一度に捕捉して、私たちに被害を出さずに、あんな高度な魔法を無詠唱で出しちゃう、なんて!」

 大人しめのルカが頬を赤く染めながら興奮気味に言っているのは、最初に放たれたサンダーストームと叫んでいた雷の魔法のことだろう。

 魔法というものは、基本的に単体を対象として効果を及ぼすものであり、対象人数が増えたり、効果を及ぼす範囲が広がったり、対象との距離が長くなるほど高度で扱いづらいものとなっていく。

 今回の場合、一度に六人を捕捉し、補足した対象との距離はどれも五mを超えている。それでいて味方への誤射もなく、半数以上は気絶させたのだから、ネフェルトの魔法に対する制御能力は極めて高いということになる。

 加えて、魔法の形や効果、反応させるマナを決めるための宣言である定型文の詠唱を省くというのは、己の中に発動させたい魔法に対する強力な想像と思念、原理への理解、そして形作るための膨大な魔力を要するために、長い間の研鑽が必要となる。

 ルカの得意分野は治癒魔法であるために、魔法の方向性が大きく違うものの、魔法を使うものとしてもネフェルトの技術には興奮と羨望があふれてしまったようである。まさに専門職にふさわしい実力を持っていることが、ここに証明されたのだ。

「ふふふ、ありがとうございます。魔術師を自称したからには、それなりのことができなくてはいけませんからね」

 自分は魔法が使えず、本や見聞きした情報だけの知識と感覚でしか魔法をとらえることができないため、ネフェルトの言うそれなりの基準というものがよく分からない。

(なら、アタシは……)

 手に握られた愛刀を見つめた。一応、自分としては自分のことを剣士として認識している。それが単純に剣を扱うものなのか、剣技を駆使した専門職なのかと問われれば、一応は後継者予定として育てられただけの力量と才能は持っていると自負しているため、後者寄りの立ち位置と考える。

 問題は、魔法の行使できない体と身に着けた技術が、どこまで役に立つのか。どこまでみんなの足を引っ張らないで済むかだ。

(……はっ。これはいつもの悪循環。ダメダメ。アタシはアタシ)

 この魔法に対する対抗と抵抗の意識については、生きてきた年齢の分だけ向き合ってきた問題点であるために、ついつい考えが悪循環な方向へ傾きかねない。先ほどのダインへの失礼も含めて、頭を切り替えなければと、両手で両頬を少し痛みが走る程度に叩いた。

「よいしょっと……縛り上げはこれで完了っと。いやー、ネフェさんの実力はおっちゃんの盗難対策魔法でも唸るものがあったけど、ここまでとは思ってなかったな」

 トールの縛り上げという言葉に周囲を見渡してみると、気絶した六人の男たちは全員が麻縄で手首と足首を縛り上げられており、完全な拘束状態となっていた。おそらく自分が一人気絶させている間から、縛り上げ始めていたのだろう。

「ふふ、トールさんもありがとうございます。ただ、今後は詠唱を入れていきますので、魔法発動までの間は皆さんに守っていただかなくてはなりません。その時はよろしくお願いいたします」

 ネフェルトが先ほども零していたが、使用者との相性が悪かったり、本人用に調整されていない杖というのは、使用者の魔力に反発や抵抗することがあるらしく、魔法ごとに設定されている魔力消費量に加えて、制御用の魔力と体力を別途消費しなければならない。また、魔法の無詠唱も一時的に強烈な集中力と魔力を必要とするために、連発すれば魔力切れか体力切れによって昏倒してしまう。安全かつ望んだ効果を得るためには、多少の時間が必要となろうとも詠唱を入れたほうがよくなるということだ。

「それこそ、俺たち前衛の仕事だから、気にしないでくださいって」

「ありがとうございます。では、改めまして雷と氷の魔術師のネフェルトです。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 これでようやく自分の力を証明できたと微笑んだネフェルトは、美しい所作でふんわりとお辞儀をすると、自分たちもつられてお辞儀をし、改めて彼女の同行を歓迎した。

「そ、それで……この方たち、ど、どうしましょう?」

 お辞儀の最中に視界の隅に入り、恐怖が再起したルカが縛り上げられた男たちを見ながら、自分の後ろに回り込んで身を隠した。いくら気絶し、縛り上げられているとはいえ、襲われそうになった恐怖が早々消えることはない。

「まぁ……すんげーーーーーー手間だけど無理やり引きずって、モールの衛兵に引き渡そうと思う」

 引きずるとトールは言ったが、見た目から痩せこけているとはいえ、体重は一人当たり四十kgと仮定しても、ルカやネフェルトが引きずるのは無理な話だ。自分も筋力はあるとはいえ、かなり厳しいだろう。人数的にダインとトールは三人ずつ引きずるのだろうか。言い出した本人(トール)は非常に嫌そうである。ダインも口元を抑えながら、どう運ぼうかとブツブツつぶやいている。

 加えて、今いる地点からモールの町まではすでに一km以上離れている。そんな距離を引きずって戻るのに、どれだけの時間と体力を要するか分からない。目眩が起きてしまう。

「それなら、私にいい案がありますよ。

 ……水精来りて地を満たせ、氷精紡ぎて道と成せ。――アイスウォーク」

 どんよりとする空気の中、一人明るいネフェルトは何かの呪文を唱え始めると、言い終わる際に手に持った指揮棒で自らの踵を二回叩き、モールのほうへ一歩踏み出した。足が地面につくと、靴の裏から水たまりが発生し、次の瞬時には凍り付き、地面に氷の板ができている。さらに数歩歩けば、彼女の後ろには氷の道が出来上がっていた。

「上手くいきましたね。この上を滑らせれば、楽に運べるんではないでしょうか」

 ネフェルトの思いがけない贈り物に、トールの嫌そうだった顔がみるみると明るくなり、氷の傍にしゃがみ込むと叩いてみたり、表面を触って色々と確かめている。

「こりゃいい……。厚みも十分。表面の摩擦も少ない。よし、ダイン。こいつらを数珠繋ぎにして引っ張るぞ」

 目途も立ったことで、手伝いを指示されたダインもどこか足取り軽く、自身の持っていた縄を取り出すと、軽やかに男たちを繋いでいった。

 連結が完了するとネフェルトが前を歩き、そのすぐ後ろにダインとトールが数珠繋ぎされた男たちを左右から引きずる。そして自分とルカが最後尾で数珠繋ぎの列が乱れないように、調整用の縄を握りながら歩く。他人から見れば、一種の儀式にも見えるように奇妙な光景を描きながら、モールの街へと帰っていった。

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