+1Day アナザースカイ
令和元年五月三日。令和を迎えて早三日経った。世間のお祭り騒ぎも少しずつ落ち着いてきて、普通のゴールデンウィークを迎えつつある。
この長い休みに囚われた人々から、現実に戻りたくないという怨嗟の声が聞こえるのが楽しくてならない。
黒前はチェーン店のコーヒーショップで、生クリームたっぷりのドリンクを受け取ると、空いている席に座った。他の店はともかく、大学が休講で人も出払っていることもあって、ここの店はとっても静かだ。
優星は少し遅れて来るらしい。持ってきたノートパソコンを開いて、レポートの続きを始める。
一色 優星という人物を知ったのは、彼に声をかける二日前だった。
大学の前をうろちょろしている制服を着た女子が居たため、黒前が興味本位で声をかけたことがきっかけだ。
「君、どうしたの? 誰かに届け物?」
優しいお兄さんを装った黒前を、彼女は笑ってはいるものの、目は胡散臭いと疑っている。
黒前は柔和な雰囲気をしているせいか、そこそこ女子にはモテるタイプで、詐欺師でも見るかのような視線はこれが初めてだ。
「……一色 優星くん知ってますか?」
それでも、他に頼れる人もいないから仕方ないと彼女は黒前に頼ってきた。
「この大学の人?」
「たぶん」
「ちょっと待ってね。……もしもーし、カズ。イッシキ ユーセーって学生知ってる? 渋るなよ、この前の合コンでお前が気に入ってた子とデート取り付けてやるからさ」
顔の広い友人、カズが教えてくれた情報では、一色 優星という人物は歴史系の授業をよく取っていて、真面目で休んでいるところも見たことなければ、誰かと仲良くしている様子もないらしい。
何より、昔自殺未遂をしていたらしく、腕にはリスカの痕が生々しく残っているらしい。
さらに死にたがりの一色、なんて呼ばれている……らしい。
どこまでも“らしい”の多い情報だったが、実在する人物であるのは間違いなさそうだ。
「イッシキさん、いるっぽいけど呼んでくる?」
「……あ、いえ」
その日、彼女はそのまま立ち去って行ったけれど、翌日も大学の前に姿を現した。
「君、イッシキさんのストーカー?」
「違います! わたし、は……」
彼女の目から大粒の涙が溢れてきた。
「優星くんに、謝りたくて」
多重世界、パラレルワールドは無限に広がっている。
ひとつの選択によって、違った未来が展開されていくからだ。
彼女は優星と、団地の七号棟の屋上から飛び降り自殺を選んだ七星 真白だった。
そして、真白は死ぬ前に別の世界へと飛んでしまい、戻ってきたときに優星だけが死んでいた。
「どうして、わたしは生き残ってしまったんだろう。どうして、優星くんは死んでしまったんだろう。
――一緒に死ねないんだったら、一緒に死のうなんて言わなければよかったって」
若い内の過ちだ、と言うには、人の命はさぞかし重いだろう。
黒前は泣いている彼女の声を聞きながら、甘ったるいコーヒーが飲みたくなった。
「それで、こっちの世界の生き残った優星くんは、君に謝られて満足する訳?」
「……え?」
「君と同じで、ずっと重たいもん背負って生きてく訳だよ。十年経っても『死にたがりの一色』なんて噂があるくらいじゃ、人生ハッピーに生きてるようには思えないけど」
「そう、ですね」
「……せっかくそんな時空を移動できる奇跡を起こしちゃってるならさ、君達の目標は君達が自殺しない未来を作り出すことじゃない?」
彼女が目を見開く。
「おにーさんが協力してあげるよ」
人助けをしようなんて思っていなかった。そんなに器の大きい人間ではない。
第一彼女の話だって、とてもじゃないが鵜呑みにできるようなものではない。
どこまでもただの興味本位だった。
けれど、優星に会って、ほんの少しだけ、黒前の意識に変化が生じた。
死に損なった人間の、あの目の昏さ。
一緒に死ねなかった、という思いをずっとどこかに持ち続けて生きているのだろう。
真白だって、いずれああなるのかもしれない。
そう思うと、なけなしの優しさが、黒前を突き動かした。
その結果がどうだったかと言えば、真白と優星がそれぞれ「ありがとう」と言ってくれたから、それなりによかったのだろう。
過去から戻ってきた優星は、人が変わったようだった。
屈託なく笑うし、よく喋る。
黒前がパソコンを仕舞うタイミングで、優星が隣の椅子に腰を下ろした。
「ごめんな、待たせて」
「いいよ。僕さ、将来心理の研究をしていきたいから、もう少し優星くんの話を聞きたいんだよね」
「俺の?」
「そう、どんな風に生きてきたかとか、この先のこととか」
「えー……マジか。苦手なんだよなぁ」
「僕が協力してあげなかったら、きっとどこかの空の下で幸せに生きている真白ちゃんと優星くんはいなかったことになるんだけど」
「はいはい、協力しますよ」
これは優星と真白の強い思いが起こした奇跡だ。
でも、実際に奇跡はどこにでも転がっているわけではない。
だから、一瞬に、一秒に、僕達は命を賭して生きていくのだろう。
黒前は、優星が目を細めた一瞬に、胸が温かくなるのを感じた。
そして、令和へ。
ご覧頂きありがとうございました。
2019/04/30 美澄 そら
アナザースカイ 美澄 そら @sora_msm
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