case7.不敵に笑う人でなし/SCP-1787-JP
子供達の楽しそうな声が聞こえて、青年は足を止めた。
窓から外を見ると、子供達は晴れた空の下でおにごっこをしているようだ。
年齢は幼児から、上は中高生の子まで。
年齢が上がるにつれて人数が少なくなるのは、大きくなると仕事を始めたり社会に出て行ってしまうからだ。
ここに来るまで託児所というものを目にしてこなかった青年だが、実際は彼が想像していたよりも随分と幸せそうに見えるものだった。
この施設にどんな危険なものが入れられていようと、子供達には関係ない。
あの子供達の身の安全と、子供達の未来を守るのが、我々大人の役目だと。
このサイトへ異動してからは日々そう思うばかりだ。
ここに来てよかったと、よく思える程に。
(でも、よりにもよってここに収容されるなんて……皮肉だな)
ほころんでいた口元をきゅっと締め、青年は再び歩き出す。
足早に向かう先は決まっていた。
これから彼がやろうとしていることはかなり際どい……いや、完全にアウトと判定されることだろう。
財団の理念に背くとまでは言わないが、職員にとってあるまじき行為だと覚悟はしている。
だがしかし、別に収容違反を引き起こそうとしているわけではない。
ただ彼は、彼が信じるものに望みをかけてみたかったのだ。
きっと彼女にも、まだチャンスはあると信じたかった。
それが甘い考えだとはわかっていても、彼はそうせずにはいられなかった。
目的の部屋に到着すると、青年は内側からしっかりと鍵を閉めてモニターへと向かった。
アクセス権限はある。データを閲覧することは問題ない。
あとはこのデータを誰にもばれずに、ある場所へと持って行くだけ……。
それが何よりも難しいことだ。
とはいえ、青年も新米職員ではない。
そこそこ長く勤めているからこそ、財団の考えだってわかっている。
わかってはいる……が、それでも。
彼はまだ「人間を信じたい」と、切に願っていた。
× × ×
「突然来られるなんてどうしたんですか? その、ちょっと失礼かと思いますが、引きこもりだってよく聞きますし……」
「ん? その通りだけど、よく知ってるねぇ俺のことなんて」
「知らないはずないですよ! 内保の博士なんですから」
「あ~それね~ヤなんだよねぇ、俺。内保ってこと隠してるんだけど」
へらへらと笑いながらスリッパを鳴らして歩くその男は、
現在彼が訪れているサイトは彼が所属している施設とは異なり、彼の隣を歩く研究員は道案内に突如駆り出されているペーペーの職員だ。
その研究員はこっちがラボで、あっちが休憩ルームでと道案内を進めるも、ずっとびくびくしながら戸黒の様子をうかがっている。
そんな部下の姿を見る度に、彼は悲しく思うのだ。
「内保だからってさー、そんな誰も彼もを常に疑ってるわけじゃないんだってばぁ……。俺はね、今日は遊びに来ただけなんだよ? 遊びだよ遊び、仕事なんてしたくないんだから」
戸黒は眉をハの字にして大袈裟に悲しむが、隣の研究員はハハハと笑って自分の緊張を誤魔化すことしか出来なかった。
内部保安部の博士にそんなことを言われても、返す言葉が見つからないのだ。
どこまでが冗談で、どこまでが本気かわかったものではない。
「えっとー、遊びに来たっておっしゃいますが……遊びに来たんですか?」
「そうだよ」
「博士のお知り合いがこちらにいらっしゃるとか?」
「いんや?」
「? ……では、遊びとは一体……」
「いやさ、あのさ聞いてよ。これが何とも悲しい話でさぁ」
研究員の疑問に答えるべく、戸黒は足を止めて壁に寄りかかった。
腕を組んでやれやれと首を振る為、研究員は一体何があったんだろうと前のめりになる。
「俺はね、いつも通りに仕事してただけなんだよ。今日は実験が二件もあるっていうからそれを見に行こうと部屋を抜け出して、見学申請なんて不破(ふわ)ちゃんがOKくれるはずないからさ、あ、その子倫理委員会の子なんだけど。それでどうせ駄目だろうからって忍び込むことにしたんだよ、どうせ俺よりレベル高い奴なんてほとんどいないし、大抵のことしたって怒られないからね。なのに今回はいたんだよ~実験の許可にレベル4の職員の許可が二つもいるとかで、俺と同じレベルの職員が二人もいたわけ! それで見つかったら冷たく『摘まみだせ』の一言よ、ヒドいと思わない!?」
「……あー、それは……博士が、いけないと思います」
えぇ!? と大声を上げる戸黒だったが、研究員はそれでも「スミマセンが博士のせいです」と譲らなかった。
(噂に聞いてた通り、変わった博士だなぁ……)
改めてまじまじと戸黒を見て、どうしてこの人が内部保安部の職員で、博士なんだろうと研究員は首を捻る。
白衣は来ているがスリッパだし、職員IDは邪魔なのか首から提げてはいるが肩から後ろへと投げてしまっているし、変なTシャツは着ているし……。
とてもカッコイイ博士とは呼べない……戸黒とはそんな男だ。
「ということは、博士は追い出されてしまった為こちらへ逃げて来たというわけですか?」
「んん、それはちょっと違うんだなぁ。追い出されただけじゃあ俺は拗ねたりしないよ。そんなのしょっちゅうだし」
(しょっちゅうじゃダメでしょう……)
「追い出されて、その後もあちこちちょっかいかけたんだけど……飽きちゃってね」
「……飽き?」
「そう、飽きたから、新たな刺激を求めてここに来たってわけ」
それを聞いて、研究員は絶句した。
仕事に飽きたから、他サイトへわざわざ来る博士って……何? と。
財団の仕事ってそんなにゆるいものだったっけ、と真面目な研究員は神妙な面持ちで頭を抱えるが、自由な戸黒は「この部屋は何だろう」と勝手にドアを開ける始末だ。
「あの、戸黒博士……」
「なあに?」
「その……えっと……。大人しく、していて下さいね」
「あっはっは! そりゃあもちろん、迷惑はかけないようにするよ~。問題児じゃないんだから」
けらけらと笑う戸黒の背中を不安げに見つめていると、研究員の端末がメッセージを受信した音を上げた。
その着信は緊急時用に使われるメッセージだとわかり、何事かと慌てて確認する。
すると端末には、内部保安部から一件のメッセージが届いていた。
――只今うちの戸黒がそちらに行っているかと思います。大変ご迷惑をおかけしますが、粗相を起こさぬよう監視をして頂きたいのと、必ず夜までには戻るよう伝えて下さい
「……」
「ん、どうかした?」
「……夜までには戻って欲しい、とのことです」
「はいよー」
本当にわかっているのか? いや、あの余裕ぶりはきっとわかっていてやっているんだろう……。このメッセージから推測するに、きっと常習に違いない……とすると。
「わかっててやってるんなら、とんだ問題児じゃないですか……」
研究員のその呟きは、戸黒の耳には届いてなそうだった。
招かれざる客である戸黒はサイト内を気の向くままに歩き回り、付き合わされる研究員は言われるがままに案内役をこなし、そして他職員らは真っ当に仕事をしていた。
人型オブジェクトが主に収容されるこのサイトには託児所が付随しているのだが、戸黒はそちらへは行こうとしなかった。
各地にあるサイトの中でも託児所があるのは珍しく、ここへ訪れる職員は大概それを見ようとするのだが、何故か戸黒は首を縦に振らなかった。
「子供がお嫌い……なんですか?」
「別にそういうわけじゃないよ。苦手ってわけでもないんだけどさ~、う~ん……」
「やはり何か問題が?」
「……何か、泣かれちゃうんだよね」
「……それは、……そうですか」
だから託児所には近づかないでおこう、子供達の平穏のために。
と、戸黒はサイト内ツアーを断行した。
しかし、話を聞いた研究員は正直なところ、「意外だな」という感想を抱いていた。
戸黒自身、どちらかというと大人というより子供のようなところが見受けられるし、嫌われるどころか同じ目線で遊べるようなタイプではないかと思ったのだ。
だから託児所の存在も話したのだが、人には意外な一面というのが存在するんだな……と、口には出さずにしておいた。
「ん、ここは何?」
「そこはモニター室ですね。収容中のオブジェクトを監視する部屋です」
ドアを開くと、室内には三人の職員の姿が見られた。
壁にはいくつものモニターが設置されてあり、それぞれの画面にはオブジェクトの番号も表示されている。
しかし人型オブジェクトばかりが写っていることもあり、その光景はさながら囚人の様子を監視する刑務所とも形容出来るものだった。
「へぇ、まるで内保の部屋みたいだね」
「えっ!? やっぱり内保って職員の行動監視してっ」
「ジョーダンだよ、ジョーダン」
あはははと戸黒は笑っているが、平職員からすると冗談にして欲しくない話だった。
内部保安とは財団内部の保安を担う部署であり、つまり対オブジェクトではなく対職員、人間の監視が主となる。
故に内保の職員の数は少なく、また一年間優秀な成績を収めないと入れない狭き門でもある部署なのだ。
エリートの集団と言えばわかりやすいだろう。
誰もかれもが戸黒に対して「どうしてこの人物が内保の職員なんだ」という感想を抱くのにはそういう理由があってのことだった。
「えっと……どなた?」
入室してきた二人の騒がしさが気になった職員が首だけ捻ってこちらを向いた。
聞き慣れない声がしてか、それとも内保の話をしたからか、職員は怪訝そうな顔をしている。
「あ、俺のことは気にしないで~。ただ遊びに来てるだけだからさ」
「遊びに?」
「すみません、こちらに一時訪問されてる戸黒博士です……」
「あ~あの引きこもりの」
と、言ってから職員はしまったと口を閉ざしたが、戸黒は全く気にしてないようだった。
楽しそうにモニターを眺めているばかりで、部下の発言を気にも留めていない。
「人型オブジェクトの監視ねぇ……大変でしょ」
「まぁ、大変は大変ですけど、そこら辺はここへの配属を任されてるプライドもありますから。別に可哀想だとかは思ってませんよ」
「へぇ、そこら辺は専門家と同じわけか。ということは、君達がゆくゆくは人型オブジェクトの専門家になったりするわけなのかな?」
「希望した職員はそうなりますかね……。俺は別に考えてませんけど、お前は?」
「私の専門分野はちょっと違うかな……人型っていうとくくりが大きすぎるし」
「とまぁこんな感じですよ、実際は」
モニター室の担当である職員らの話を聞き、へぇ~と戸黒は何度も頷いた。
そんな彼の様子を見ながら、どんな問題人物であろうと、部下を見下す上司よりは何倍もいい人だと研究員は隣で密かに思っていた。
きっとこの人は、こういう人柄のところで評価されているのだろう……と。
「さ、皆さんのお邪魔になりますから行きましょう、博士」
「はいはーい、お邪魔しました~」
戸黒はひらひらと手を振って、研究員に連れられてモニター室をあとにした。
モニター室の三人は一体何だったんだろうと顔を見合わせたが、変人博士の気紛れだろうと片付けて自分達の仕事へとすぐに戻った。
× × ×
目的のデータを持ち出した青年は、極力人と会わないよう、そして怪しまれぬよう注意しながら廊下を歩いていた。
データの持ち出しは基本的に禁止されている。
余程の例外や、専門の職員へ意見を仰ぐ時等に持ち出しは許されるが、今彼がやろうとしていることはまず決して許されないことだ。
それでもこのデータを持って行かなければ、彼の目的は果たされない。
このデータを用いて彼女の有用性を証明出来れば、そうすれば少しは報われるであろうと彼は信じていた。
報われるのは誰か、とまでは言及したくないことではあるが……。
「!」
エレベーターホールへ着くと、ちょうどドアが開いて誰かが降りてくるところだった。
このエレベーターに乗り込むところは見られたくなかったが、致し方ない。
なるべく相手の印象に残らないように最善を尽くすしかなかった。
「あ、お疲れ様ですー」
「お疲れー」
エレベーターから下りてくる職員ににこやかに挨拶を返し、青年はエレベーターへ乗ると地下へのボタンを押してドアを閉めた。
目的の階まではしばらく乗ることとなり、隠しきれない緊張が全身を脈打つ。
手に汗が滲むが、もうしばしの辛抱だ。
バレれば大事だが、最悪自分のクビが飛ぶだけだ。
そのクビを帳消しにするような結果さえ示せればいい。
それを信じて、彼女を信じて、青年は到着したエレベーターから下りた。
「さあ~て、君は一体これから何をするつもりなのかなあ?」
一歩外へと踏み出ると、突然そんな声が横から飛んできた。
心臓が跳ね、一瞬呼吸を忘れる。
しかしここで動揺してはいけない。
あくまでも自然にやり過ごせば、今から自分がやろうとしていること等わかるはずもないのだから……。
そう青年は自分に言い聞かせ、息を吸った。
「何って、様子見ですよ。オブジェクの」
「へぇ、何か問題でもあったの?」
「問題だなんてそんな大事ではありませんが、ここではよくあることですよ。人型オブジェクトと言えど、元は普通の人間だったものも多いですから。要求があれば一応聞くだけ聞きに来ることはあります。叶えるとは言えませんけどね」
「なるほど。それにしてもよく舌が回るね、この状況で」
「? ……何がですか?」
「いやあ、俺を内保の職員だとわかっていながら、よくもまぁそうぺらぺらと言葉が出てくるもんだと思ってさ」
ま、結局しでかす奴って大体皆そうなんだけどね。
肩眉を上げて笑うのは、戸黒だった。
エレベーターのすぐ脇に、壁に背中を預けて立っていたのだ。
まるでここにやってくる青年を待っていたかのように。
「しでかす……って、僕は何も」
「その手に持ってるファイル、持ち出し厳禁の奴でしょ? うちの資料庫にも山ほどあってさ、倉庫番はいつも好き勝手読んでるんだけど、なかなか担当外の職員には見せてくれないんだよねぇ、それ」
「いえ、これは僕の私物ですよ。確かに色は同じですけど……」
「うん、もう隠さなくていいって。どうせ俺以外に誰かがいるわけじゃないし、どうせ君の処分はもう決まってんだからさ」
戸黒のたたえる笑みに、青年は少しばかり後退りした。
「モニター室で見かけた時に、『あぁ、この子か』ってすぐわかっちゃったんだよね。もう少し気配消せるようにしないと、まだまだ財団の職員としては甘いねぇ」
青年は、戸黒が研究員と一緒に訪れたモニター室にいた三人の職員の内の一人だった。
つまりモニター室配属の、担当職員というわけだ。
「データとして外部に持ち出す方が誰かに見られるリスクは減る。なのに君はそうして紙媒体でファイルを持ち出して、ここ……地下の収容セルフロアにやって来たということは、新人職員にだってわかることだろう?」
「……」
「君はどのオブジェクトにそのデータを見せるつもりだったんだい? ……ってまぁ質問して聞き出したいけどさ、聞かなくてもわかることなんだよなぁこれが」
「……」
「財団の資料を見せて理解が出来るのなんて、ここじゃあSCP-1787-JP……」
「……」
「藤崎██、くらいだよね」
「……僕は何も言ってませんけど」
「無言の肯定って奴でしょ、君の沈黙は」
これは尋問だ。
尋問と聞くと、高圧的だったり実力行使だったり、厳しいイメージがつきまとう。
むしろそういう尋問の方がよほど楽だったかもしれない、と青年は息をのんだ。
彼の目の前に立っている戸黒は、ただただ笑うばかりなのだ。
怒りを含んだ笑みでもなく、哀れむような笑みでもなく。
何を考えているかわからない、ただ怪しさだけをこちらへ感じさせる嫌な笑み。
何か言えば、何と返ってくるか予測が付けられない、何も言い返せない雰囲気を持っている。
それが青年から見た、戸黒博士という人物だった。
「実はさ、俺呼ばれてここに来たんだよね」
「……え?」
「怪しいかもしれない職員がいるから、一度見に来てくれって」
やれやれと戸黒は肩を竦めるが、青年にとってそれは思っても見なかったことだった。
確かにこの計画は少し前から立ててはいたが、自分を怪しむ人間がこのサイトに既にいたとは、信じたくなかった。
「だからさぁ、そういう用事で来ちゃうと『また内保だ』『財団内のスパイだ』って見られるわけよ~。そうするとどうなるかわかる? 友達出来ないわけ。自分のことも疑われるんじゃないか、密告されるんじゃないかってみーんなじろじろドキドキハラハラするんだよ~~~~悲しいんだよ内保の人間だってさあ~~」
「……」
「ま、そう考えるのってやましいことしてる人間だけなんだけど」
戸黒の顔から一瞬笑みが消え、血の気が引いた。
だが瞬きをすると、戸黒はまたへらへらとした表情へと戻っていた。
(何だこの人……内保って、こんな人間ばっかなのか……!?)
「さて、雑談はこれくらいにして」
「!」
戸黒は一歩歩み出ると、右手を青年へと向けて差し出した。
「ファイル、元あった場所に俺が戻しとくから」
いい上司でしょ? と相変わらずふざけているが、戸黒の手はファイルを渡すまでそこから動こうとはしなかった。
逃げ出そうなんて考えは最初からなかったし、これ以上抵抗した方が自分への処罰はひどくなっていく。
この計画を始める時から、バレた時は潔くと決めていた。
それでもこんなにあっさり、こんなに手応えなく終わってしまうなんて……と。
青年は唇を噛みしめる。
「どうしてなんですか」
「うん?」
「どうして、彼女へデータを渡してはいけないんですか!? 藤崎さんに見せたっていいじゃないですか!!」
青白い照明のともる無機質な廊下は冷たく、青年の声は虚しく響き渡る。
「彼女はあんなにも研究を望んでいて……確かに、元ニッソの人間ですし、他人への共感力の欠如はあります。けど、この研究を通してようやく、愛することが出来なかった娘を愛せるかもしれないって言ってるんですよ!? だったら別に、いいじゃないですか!」
「確かに、SCP-1787-JPはそう言ってるね」
「違います! 藤崎さんです、藤崎██というのが彼女の名前です!!」
自分が甘く、情にほだされていることは指摘されなくてもわかっていることだった。
財団は冷酷だ。
一体どんな事情があろうと、たった一人の人間の感情に影響されることはなく、ただ保守的に、粛々と、異常存在を閉じ込めておくのが財団だ。
「それでも、オブジェクトを研究するのも我々の仕事じゃないですか。わからないことを科学で証明するのが人間の発展させてきた技術であって、それらを解明するのが科学者の使命じゃないですか!」
「まぁ……そうかもね」
「彼女だって科学者です、我々だって科学者が大半です。だから彼女が財団にとっての利益になることを証明すれば、SCP-1787-JPに関する研究だって進むはずで」
そこで、青年は言葉を止めた。
遮られたのではなく、ピタリと言葉を発するのを自発的にやめたのだ。
そして動かなくなった青年を見て、戸黒は首を傾げた。
「どうかした? 続きは? 俺ちゃんと聞いてるけど?」
「……博士は」
「?」
「博士は、科学者ですよね……?」
「え、いや……うん、まぁ……。多分そうじゃないかな?」
突然の質問に戸黒は戸惑いつつも肯定すると、青年は握り締めていた拳を解いて、微かにうつむいた。
先程までの熱はどこに行ったのか、無気力に床を見つめている。
「……その、僕だって自分の考えが甘いってわかってるんです。でも、……やっぱりやり切れないんですよ。人間である彼女を信じたくて、まだ彼女……藤崎さんを人間だと僕も思っていたくて……。彼女を人間で思えなくなってしまったら、僕は…………」
「……僕は?」
「……いえ、でも、わかってます」
突然自己完結しだした青年に一体どうしたんだろう? と思いつつも、戸黒は青年の言葉を静かに待った。
青年はしばし沈黙していたが、顔を上げるとファイルを戸黒の手へと渡した。
「僕がどんなに喚こうが、何も変えられないんだって。……わかってます」
力なく笑う青年に、戸黒は短くとため息を漏らして苦笑する。
「そうだね。どんなに人でなしだと君から罵られても、俺も処置を変える気はないから」
じゃあ行こうかと戸黒が促して、二人はエレベーターへと乗り込み、地上へと昇って行った。
× × ×
施設の外へ出ると陽が沈む頃で、空はオレンジ色に染まっていた。
これから自分の職場に戻らなければいけない戸黒はのんきに空を見上げて、お土産にと勝手に頂戴したお菓子をポケットから取り出して、口に放り込む。
すると誰かが歩み寄ってくるのに気付き、そちらへと振り向いた。
「あ」
「戸黒さん来てらしたんですね」
その女性職員はこのサイトの託児所に勤めている職員だった。
しかし彼女の顔を見るや否や、戸黒は気まずそうに顔を歪める。
「う~ん、俺のことは見つけて欲しくなかったなぁ……」
「別に見つけたわけじゃないですよ。私の帰り道がこっちだっただけです」
「……ホントに?」
「さあ?」
バツが悪そうにする戸黒を彼女はくすくすと笑った。
「やっぱり顔出さないで帰るつもりだったんですね」
「そう言われると聞こえが悪いんだよな~。というか、別に俺は財団の託児所出身ってわけじゃないからね? 何度も言ってると思ってるけど」
「わかってますって。でも子供達の顔くらい見て行ってくれてもいいじゃないですか、先輩として」
「あーダメダメ、孤児院出のこーんなへらへらした大人見て、子供が『こんなちゃらんぽらんでも財団に入れるんだ』とか思っちゃダメでしょ」
やめやめと戸黒は手を振ってこの話はやめようと言い出す。
戸黒にしてはこの対応は珍しく、あまり人にしたい態度でもなかった。
その女性職員と戸黒はあまり深い関わりはないのだが、彼が口にした〝孤児院〟絡みで少しあった間柄だ。
そしてこの話は、戸黒が特に触れないで欲しい話題でもある。
彼女もそれはわかっているが、ここに戸黒が来たからにはどうしてもその話にならざるを得ないのだ。
「それじゃあ、お仕事の話にしましょうか。内保の仕事をしに来たんですよね」
「そうだよ~。内保の職員の中でも内保でーすって言いふらしてるのは俺くらいだからね、すぐ耳に入ったんじゃない?」
「いえ、戸黒さんを呼んだのは私ですから」
「あらまあ、それは」
意外だという顔をして戸黒はまたお菓子をポケットから取り出して頬張った。
「それで、結局彼は黒だったんですね」
「んー……まぁ、黒っていうかさ、純粋な人間ってところじゃない? 財団に毒されてない清き人間と言ってあげたいくらいの子だったよ」
「その言い方だと、私達が人間じゃないみたいじゃないですか」
「ん? そうでしょ?」
「……はい?」
何てことを言うんだと彼女が声を上げると、戸黒はいつもの調子に戻ってへらへらと笑い出した。
「効率とか理屈とか、そういうのに頭を取られずに自分の感情を信じられるのはいいことだよ。財団にイエスマンする職員よりよっぽど信用出来るね」
「……それは戸黒さんの基準でしょう? あなたは少し特殊じゃないですか」
「またまたぁ、俺を人でなしみたいに言わないで欲しいな~」
やめてよぉと眉をひそめて、戸黒はポケットから取り出したキャンディーを彼女へ向かって放った。
おすそ分け、と彼は言うが、そもそもそのポケットの中身は給湯室から盗んだものでしょうと彼女は口を尖らせる。
「いつか捕まりますよ、財団に」
「何罪で?」
「お菓子窃盗罪で」
「んじゃあ俺が無実だって証言してくれる人探さなきゃ」
時刻を確認すると、そろそろ戻って報告書を出さなければいけない時間だった。
戸黒はじゃあねと手を振って立ち去ろうとするが、女性職員は「ちょっと」と彼を呼び止める。
「まだ何か?」
「見ていかないんですか? 子供達、もう帰っちゃうんですよ」
託児所が併設していあるサイトは未だ少ない。
こもりきりの生活ではなかなか子供と触れる機会がないだろうと、彼女はそう戸黒に言っていた。
だが戸黒は「う~ん」と唸って腕を組み、しばし逡巡して、結局首を横に振った。
「俺さ、子供に泣かれちゃうんだってば。そしたら可哀想でしょ? その子も、俺も」
-CREDIT-
SCP-1787-JP「ただあなたの傍に咲く」
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