case6.深淵を覗いた先にあるもの/SCP-3790


 我々の知らないもの、得体の知れないものはこの世界にごまんと存在する。

 それは職務上わかっていることであり、その都度自分に言い聞かせていたことだ。

 しかしこのようなものを目にする度に、言い聞かせていたつもりに過ぎなかったのではないだろうかと思い知らされる。


「さあ、行きましょう!」

「……」


 相棒である彼女、ライラは目を輝かせてこちらを見てくるが、ハワードは乗り気になれなかった。

 この仕事も何年目だろうか、そしてこの感覚ももう何度目だろう。

 人間の……いや、動物的本能なのだろう。

 異質なものが待っているという、この重苦しい空気に肌が粟立つ。


「……俺等が行かなくたっていいだろう。どうせ応援がすぐ来るだろうし……」

「応援なんて呼んでませんよ? もったいない」

「はあ?」

「こ~~~~んなプレート見つけちゃったんですから! 私達が一番乗りじゃないとつまらないじゃないですか! 何のためにエージェントになったんですか!?」

「……配属先がそうなっただけだよ」


 ハワードはやれやれと額を抑えるが、ライラは早く早くと腕を引っ張って言うことを聞きやしなかった。

 冗談じゃないと腕を振り払いたかったが、現在直面しているこの状況を冷静に分析すれば、そう安易に目を背けられない事態だということは嫌でもわかる。


(まさか……よりにもよって俺等がこんなものを見つけるなんて……)


 ハワードは怪奇や怪異現象、妖精の類は信じるが、陰謀論は信じていない。

 反対に、相棒のライラは陰謀論が大好きなオタクだ。

 彼女と組まされたのは恐らくそれが起因しているのだろうが、一応それでも今までは楽しくやってこれていた。

 だが今は違う、流石にこれに首を突っ込む気にはなれない。

 いくらエージェントという自分の職務があったとしても、こればかりはおいそれと関われる案件ではないだろう。


「いーきーまーしょーよ~~~~~」

「いーやーだー……って言ってんだろ!」

「子供の心を忘れてはいけません! 貴方は童心を失ってしまったんですか!? 飛び込むなら今じゃないですか!」

「ガキを考えなしとか言ってんじゃねぇよ。ガキだって色々考えて毎日を冒険してんだ、バカにすんなよ」

「バカになんてしてませんよお! 私は貴方を腰抜けと言いたいんです!!」

「……テメェ、言ってくれるな」


 カチン、と頭に来てしまったらもうおしまいだった。

 今までの冷静さや慎重さ等どうでもよくなり、ハワードは掴まれていた腕を振り払うと、目の前のドアノブを掴んで開けてしまった。


「誰が腰抜けだ! 俺は陰謀論なんて信じねぇんだよ!!」

「それは賛同出来かねませんが! その勢いです!」

「今までいくつのオブジェクト見つけて何回記憶飛ばされてると思ってんだ!? レベル3のエージェントを舐めるんじゃねぇ!!」

「そうですそうです! さあ、行きましょう!」

「めちゃくちゃ嫌な予感しかしねぇが望むところだボケ!」


 そうやって騒ぎながら、遂に二人はドアの向こうへと行ってしまった。

 その背の低い黒いドアのドアノブのすぐ下には、プレートが一つ。

 そこには「Department of Abnormalities(怪奇部門)」とだけ書いてあった。



 × × ×



 二人はロンドンに在住しているイギリス支部のエージェントだ。

 事の発端は、放棄されたポート・スペリオール缶詰社の倉庫に子供が出入りしているという警察への通報だった。

 近所の人間からあそこで遊ぶのは危ない、うるさいといったクレームの通報だったが、そもそもあんなところに入っても何も面白くないだろうと警察は首を傾げた。

 中はもぬけの殻のはず……と警官は倉庫を見に行くのを渋った。

 だが、子供にはどんな場所でも遊び場となるのだから仕方ないだろう、と言ったのは女性警官だった。

 通報のあった倉庫まで遠くはないし、私一人で見てきますと彼女は交番を出ると、そのまま真っ直ぐ目の前の喫茶店へと向かい、ガラス窓をコンコンとノックする。


「さ、行きますよ」

「……根拠は?」

「根拠なんてありませんが、私にはピンときました!」

「ピンと、ねぇ……まぁお前の勘は当たるからなぁ」


 そう呟きながらコーヒーを飲んでいた青年は席を立つと、女性警官と共に車へ乗り込んだ。

 この青年がハワードであり、女性警官がライラである。

 財団のエージェントの半分はスーツに身を包んでサイト勤務しているが、彼等のように外部への潜伏が主となるとこうして身分を偽った生活が基本となる。

 ライラは女性警官として警察へ身を置き、ハワードはフリーの記者として社会に紛れ込んでいる。

 オブジェクトの早期発見と収容スペシャリストへの引継ぎが主な仕事である二人は、今回のように一般市民からの通報を受けて事件や問題を見に行くのだ。

 そして彼等は件の倉庫へと到着し、状況は一目で理解出来た。

 子供達はこの放棄された倉庫内を秘密基地として遊び場にしていたのだ。

 中にはいくつかのガラクタが転がり、お菓子やジュースのゴミが見受けられた。

 それもこれも、倉庫のシャッターが簡単に開くからだろう。

 やれやれと二人揃って肩を竦めながら、他には何もないだろうかと奥へ進んだところで、彼等は見つけてしまったのだ。

「怪奇部門」というプレートを提げた、黒いドアを。




「怪奇部門なんて聞いたことも見たこともねーぞ、どうなってんだよ」

「きっと過去の財団が隠匿したんですよ! 捨て去られた過去! 知られてはいけない財団の暗い歴史!」

「財団には黒い部分があるってか? お前そんなんばっかじゃねぇか……。よく解雇されないで続けてられんな」

「陰謀論者をつまはじきにするということはつまり! それを認めてしまうということなんですよ!! すなわち私を解雇したその瞬間、財団は私の主張を肯定するということなのです!」

「はいはい、これだから開き直ったオタクは面倒くせぇ」


 二人の話し声は廊下の突き当り、貨物エレベーターのドアまで響いた。

 プレートによれば、「怪奇部門」であるらしいドアの内側は壁も床も天井も真っ黒で、薄暗く、そしてどこか神秘的な雰囲気を感じさせた。

 入口から奥までまっすぐ伸びる廊下と、左右に二つずつのドア。

 あまりにもシンプルなその構造が、かえって不気味に感じられた。

 服の擦れる音ですら反響して聞こえる程の静寂は、あまり経験しないものだ。


「あーあ、やっぱ何かあんだろ。ここでこのまま死んだらどうしてくれる」

「大丈夫ですよ。私達、今まで死んだことないじゃないですか」

「そりゃスゲェ」


 壁や床には傷が見られ、隅には蜘蛛の巣が張ってある。

 誰かがここにいたであろう痕跡は見受けられるが、今もこの「怪奇部門」とやらに人がいるのかまではわからない。

 煽られた勢いで来てしまったものの、これ以上進んでよいものか……。

 と、ハワードは迷ったが、進まなくてはならないのが彼等なのだ。

 財団のエージェントである彼等は、このような不審な施設の内見をスムーズに済ませなくてはならない。


「さて、ドアが四つありますね」

「あぁ……見るしかないか?」

「まず一つ目を見てみて、まだ生きていたら続けてみましょう!」

「了解……」


 入口に掲げられた「怪奇部門」に後ろ髪を引かれるが、今は迅速に調査を進めなければならない。

 身に染みついた習慣とも呼べるそれに突き動かされ、ハワードはまず一つ目のドアの前へと立った。

 四枚のドアはすぐに見渡せる距離に配置されており、それらは全て金属製で、ドアノブが存在しない。

 いや、ノブがあった痕は見られるが、今はピッタリとドアが溶接されてしまっており、ドアとしての機能を失っていた。

 そしてドアの上方中央部にはスライド式の覗き窓が取り付けられていて、その下にはまたプレートが付いている。

 一枚目のドアのプレートは、「Vivaldiヴィヴァルディ」だ。


「この覗き窓から見るしかねぇんだよな?」

「ドアは開きませんからそうでしょう。それに、私には見えないので」

「わーってるよ」


 身長の問題で覗き窓はハワードにしか見られない。

 こちらを見上げるライラの羨望の眼差しを無視して、ハワードはスライドを引いて室内を覗いた。

 部屋にこれといった特徴はなく、ただ奥にバイオリンが立て掛けられているだけ。

 そしてそのバイオリンの手前には、折れた弓が一つだけ転がっている。

 それ以外に変わったところはなく、スライドを閉じてからも何かが起こることはなかった。


「どうでした? 何が見えました!?」

「……バイオリンが置いてあった」

「……それだけ?」

「それだけ」


 目を輝かせるライラに淡々と事実だけを告げる。

 すると彼女は一瞬しょんぼりした表情を見せ、すかさず次のドアへと向かった。


「こ、こっち! こっちは何かあるかもしれませんよ! 財団の隠した何かが!」

「……何かってなんだよ。お前まさか、死体の山とかそんなの想像してたんじゃねぇだろうな」

「べべべ別にそそそそそそんなこと思ってませんけど!?」

「めっちゃ目ぇ泳がせてよく言うなぁ」


 いいから早く! 次! とむきになる彼女に急かされ、ハワードははいはいと次のドアのスライドに手をかけた。

 二枚目のドアには「Montezuma's Faceモンテスマの顔」というプレートがついている。

 カシャン、と音を立ててスライドを開けると、その部屋もまたものが置いてあるだけだった。

 部屋の中央にあるテーブルには、木箱が一つ置かれている。

 目を細めてよく見てみると、木箱には金の象嵌細工が施されており、大きな鋼の錠前がついていた。

 中に何か入れてあるのだろうか、と安直に考えていると、微かに時計の秒針の音が聞こえる。


「……時計でも入ってんのか?」

「何!? 何がありました!? 資料の山? 手術台? 人型オブジェクトのホルマリン漬け!?」

「んなのねぇ……って今お前最後何つった!?」

「ちぇーっ、つまんないですねぇ……ん? このドアはプレートありませんよ」


 ライラの指摘通り、三枚目のドアにはプレートが取り付けられていなかった。

 慣れてきたハワードは躊躇うことなくスライドを開けたが、そこは空の部屋だった。

 部屋の隅々まで見渡してみても、何も置かれていない。


「……ってことはよ」

「?」


 スライドを閉じるとすぐさま最後のドアへと向かった。

 プレートがついていない部屋には何も入れられていない。

 ということは、やはりプレートは中に何が入っているかを示しているのではないか? と思ったのだ。

 それは家の表札や、ホテルのルームナンバーを連想することが出来た。

 だが彼の仕事上、最も簡単に連想出来るものは別にある。


「このプレートって……」

「何です?」


 四枚目のドアのスライドに手をかけてプレートを確認する。

 しかし、プレートは傷だらけで書かれている文字を読むことは出来なかった。

 それでも、中には何か入っているのだろう。

 それがわかれば大丈夫だ、とハワードはスライドを開いた。

 開いて、しばし硬直し、ゆっくりとスライドを閉じた。

 しばらくスライドに手をかけたままだったが、もう一度開く気にはならなかった。


「どうしました? その様子だと……何かあったんですね!?」

「……いや」



 ――何もいなかった、空だ。



 彼の動揺から見て、そんなはずはない! とライラは食い下がったが、ハワードはいいから次に行くぞと取り合わず、二人はひとまず目先のエレベーターへと乗り込んだ。

 ライラに返した言葉に説得力がないことはわかっていた。

 それでも、あの部屋は確かに空だった。

 自分に言い聞かせているのかと問われれば、そうかもしれないと答えるだけだ。

 判読出来なかったプレートの部屋は、空だった。

 四方の壁には長いひっかき傷がいくつも見られ、床一面を骨の欠片が埋め尽くしていたが。

 そこには何もいなかった。



 × × ×



「残念! このドアが開けられれば向こうに行けるはずなのに!」

「今度は何だ」

「廊下ですよ! 廊下が見えます! この奥にはまだ別の空間があるようなんです! 気になりませんか!?」

「……別に」

「一体何があるんでしょうね! う~~~入りた~~~~~い!」


 ライラは悔しそうに唸りながらスライドを閉め、載っていた台から飛び降りた。

 そしてハワードはというと、エレベーターのすぐ隣で座り込んでいる。

 今二人がいるのは入り口から一つ下の階、地下二階だった。

 貨物エレベーターには一から七までのボタンがついており、まずは一つ下の階を見てみようと下りてみたのだが、やはりそこにも四つのドアがあった。

 また四つも部屋を覗かなくてはならないのかと辟易するハワードと、彼ばかりでズルいとむくれるライラ。

 そこで二人は相談した。

 その結果、一度外へ出てライラが載れる台を見繕い、再び地下二階へとやって来たのだ。

 いくら今まで様々なオブジェクトを見て来たエージェントといえど、ハワードは休憩やカウンセリングなしに怪異を連続で見たくはなかった。

 よって元気いっぱい、やる気十分なライラとバトンタッチしたというわけだ。


「それにしても、人間もいるとなるとますます不思議ですね!」


 目を輝かせるライラが確認したこの階の部屋には、全て中に何かしらが存在した。



Ianイアン』の部屋には、拘束と目隠しをされた男が部屋の隅に。

The Crying Boy泣き叫ぶ少年』の部屋には、布が被せられたキャンバスが置いてある。

The Watchers見張る者たち』の部屋には、三人のヒトらしき生き物が部屋の隅で身を寄せ合っていて……。



 そして四つ目のプラカードのない部屋には、向こうへと続く廊下があった。

 そんな報告を逐一聞かされながら、ハワードはうんざりした。


「何で生き物がいんだよ……つか、ここだってそう新しくないだろ?」

「そうでしょうね。ドアの傷や金属の劣化具合を見るに、一、二年じゃこうはなりませんよ」

「だとしたらだ、お前……おかしいよなあ」

「えぇ、不思議ですね!」


 ライラはニコニコと笑い、ハワードは眉間にシワを寄せる。

 もう何年も放棄されているであろうこの地下施設に、人間が閉じ込められているとして。

 どうして皆、生きているのか。

 ドアは溶接され、外側からも内側からも開けられないというのに。

 飲まず食わずでどうやって、人間が何年も生きられるというのか。


「決まりですね、ハワード」

「……」


 上の階で彼が予想した通り。

 そして陰謀論者のライラのお望み通り、といったところだろうか。

 ここに閉じ込められているのは人間ではない。

 恐らく、我々財団がオブジェクトと呼んでいる怪異存在で間違いないだろう。

 となると、この重く分厚い金属のドアは、バイオリンや木箱、拘束衣を身に着けた男等々を閉じ込めているのだ。

 まさしく、〝収容している〟のだろう。


「財団と絶対ぇ関係あるよな……ここ」

「だから、財団の今はなき『怪奇部門』なんですって! 今のアメリカ支部が出来る前、実はこのイギリスに秘密組織として存在していたんですよ! そして私達がオブジェクトと呼んでいるそれはかつて、……何でしょう? やはりそのまま〝怪奇〟とでも呼ばれていたんでしょうか……? だってここに収容……いえ、封じ込められているものって財団のリストで見たことないものばかりですもんね!? だとするとですよ、財団はこの『怪奇部門』という部署の存在が邪魔だったのか、残していては不都合があったんでしょうか? そもそもここにこうして封じ込められているオブジェクトだって、ドアを破って再収容した方がいいですよね。今やここを管理している人はいなさそうですし、となると……無法地帯じゃないですか! 私達は訓練を受けたエージェントですから何の問題もありませんが、一般市民、ましてや通報で聞いた子供たちが迷い込んだ時には大変ですよ! 一般市民の平和を守るのが我々の使命だというのに、こんなことがあっていいはずないんです! そんな後先のことも考えず存在をひた隠しにしていたここって一体……!」

「おい待て、オタク、落ち着け陰謀論者。台詞が長い」

「絶対そうですよ! きっと今の財団を作り上げる際に世界規模の記憶処理がっ」

「お前の妄想はどーでもいーんだけどよぉ、他の可能性を捨てるんじゃーねぇー」

「他の可能性?」


 ハワードの遠い声を耳にして、ライラはぐりんと首を回した。

 人間の首ってそこまで回るっけ? と少々引き気味に、ハワードは続ける。


「いやさ、お前のその説だと遥か昔にここが造られたって決めつけだろ?」

「建物も古いですし、きっとそうですよ!」

「でもよ、実は財団の知らないところで、どっかのオカルト信者共が数年前に私設してた。って話もなくはないだろ」

「ぐっ……」


 そう、ライラの脳内によって彼女の好きなように話が作られてしまったが、その可能性も否定出来ないのだ。

 ほんの数年前に、財団外で誰かがこの施設を作ったという可能性もなくはない。

 財団の隠したい過去、と言い切れる証拠は今のところ見つかっていないのだ。


(つっても、怪異をこうやって部屋にぶち込む技術が財団以外にそうあっても困るんだけどな……)


 とはいえヒートアップした彼女を落ち着かせるには十分だったようで、それ以上妄想語りを繰り広げることはなかった。


「そ、それでは、次の階へ行きましょう!」

「いや、もう帰るぞ。もうしばらくしたら応援来るから、俺等は用無しだ」

「……」

「何てことしてくれんだって顔されてもダメですぅー。さっき踏み台探しに外出たろ、あん時連絡しといたんだよ」

「何てことしてくれたんですか!?」

「あ、わざわざ言う?」


 エレベーターのボタンを見る限り、恐らく七階まであるのだろうがそこまで行く気は最初からなかった。

 何より、この地下施設の問題の有無を確認することが彼等の仕事なのだ。

 首を突っ込み過ぎて命の危険や、精神影響を受けている場合ではない。

 これはハワードが特別慎重なのではなく、経験則によるものだ。

 ライラも同じ目に遭って来ているはずなのだが、どうも懲りていないらしい。


「じゃあ上に戻……」

「えいっ」


 カチリ、と音を立てて点灯したのは「Ⅶ」のボタンだ。

 エレベーターは載せた人間に与えられた指示通り、下降していく。


「……テメェ、何てことしてくれやがる」

「引き上げるんなら最下層くらい見たっていいじゃないですか! 私達はエージェントですよ!?」

「エージェントは詳細まで知る必要はねぇんだよ、報告書まとめんのは俺等じゃねえんだから!!」

「財団の隠蔽した過去を……!」

「じゃかあしいわ!!」


 ハワードの怒鳴り声は虚しくも、静かな施設内の隅々まで響き渡った。




「……あれ?」


 ガコンと音を立ててエレベーターは地下七階に到着したが、格子状のドアは開かないままだ。

 ライラが格子に手をかけて引いてみても、うんともすんとも言わない。


「え、何でですか? もう目の前にあるのに、どうして?」

「故障か何かだろ。そもそもこんな放棄されてた施設のエレベーターが動く時点で感動ものだ」

「そんなあ! 最下層には一番ヤバいものがあるってお決まりなのに!!」

「そんな決まりはねぇし、ヤバいものがあっちゃ困るんだよ」


 格子に手をかけたままライラは何度も揺らし、何度もドアの開閉ボタンを押したがそれでもエレベーターは動かなかった。

 そしてこれ以上エレベーターに不具合を出されては困る……と、ハワードは仕方なく「Ⅵ」のボタンを押す。


「……六階?」

「そこ見て満足したら地上に戻るぞ」


 不愛想に答える彼を見上げ、ライラは手を合わせて涙を流しながら感謝をしたが、これは彼の同情や親切から来た行動などではなかった。

 ここで彼女の不満を溜めたまま地上に出てみろ。

 彼女はどんな手を使ってもこの施設、特に七階を見てやろうと再度やって来る。

 財団の規約を何十と破ってもだ。

 そしてその責任は相棒である自分にも降りかかる……何とも理不尽極まりないが、組織というのはそういうものなのだろう。

 だから、今はここで六階を彼女に見させて満足させるのがベストなのだ。


(頼むから、六階は開いてくれよ……)


 静かに祈るハワードのそんな気もつゆ知らず、六階へ到着しドアが開くや否やライラは飛び出した。


「やったあ! 六階は見られるんですね!! ではっ、どんなオブジェクトがいるか見てみましょう!」

「すっかりオブジェクト呼びかよ……それでいいのか?」


 あまりよくはないが、彼女がこれで満足してくれるならいいかとハワードもエレベーターを降りた。

 相変わらずあるのは四つのドア。

 ここに来て危険性の高いものなんてあってくれるなよ……と願いつつ、ドアのスライドに食いつくライラを見守った。


「あ」

「……嫌な『あ』だな」


 声を漏らした彼女はまだスライドを開けていなかった。

 一体何を見たんだと背後まで歩み寄ると、どうやらプレートに何か書かれていたらしく、彼女の後ろからそれを覗き込んでみる。

 プレートには『Mr. Silenceミスター・ちんもく』と書かれてある。

 この名称は、嫌な人物を連想させた。


「……おい、コレ」

「わ、わかりませんよ! 中を見てみないとっ……」


 そう言って勢いよくスライドを開けたライラは固まり、彼女の頭をどけてハワードも室内を確認した。

 部屋には背の高い黒い木箱が奥に立てかけられてあり、鎖と錠前が掛けられ、更には正面に紫の『W』の文字が刻まれている。

 財団の関係者なら、一目で何のことか理解出来てしまう文字だ。


「…………あのぉ、これって、まさか……」

「……本当にここが財団の隠匿した部署だってんなら、問題どころの話じゃなくなるぞ……」

「……み、見なかったことにしましょう」


 スライドは静かに閉じられて、二人は二つ目のドアへと向き直った。

 これ以上見るのはやめた方がいいのではないかとも思えたが、ここまで来たら最後までという気持ちもわからないでもない。

 きっと彼女は後者なのだろう。

 二枚目のドアには『The Dead Man's Chair死者の椅子』というプレートがつけられている。

 スライドから中を覗くと、部屋の奥、隅に木製の椅子があり、影が座っていた。


「……影、ですよね」

「あぁ、影だろうな」


 影が椅子に座っている光景は、普通の人間にとっては不可解なことだが、二人にとっては大人しい怪奇現象にしか思えず、別段驚くこともなかった。

 二人は顔を見合わせ、なーんだという感想を抱いた。

 だがスライドを閉じる間際、ハワードがもう一度室内をちらりと覗いた時にはその〝影〟の存在はもうなかった。


(……うん、まぁ。……そこまでは驚かねぇな)

「何か見ました?」

「いんや」


 可愛いもんだという感想で、すぐさま三つ目のドアへと移る。

 だが、その『Ötziエッツィ』というドアのスライドは固く、やっと開いたかと思えばその覗き窓は氷で覆われていた。


「えっ!? こ、これじゃあ見れないじゃないですか!」

「ほらほら、触んな」


 その氷は透き通っておらず、部屋の中が暗いことだけがわかる程度で詳しくは観察出来そうになかった。

 息を吐きかけても氷は溶けることなく、これ以上は何をしても無駄だと次へと促す。

 そんなぁと声を上げながらライラは踏み台を抱え、四つ目のドアへと向かった。

 流石に聞き分けはよくなってきたようだ。


「じゃあ、これが最後ということですね……『Apollyon's Crownアポリオンの冠』ですか……ヨハネの黙示録ですか……」

「奈落の王の冠なぁ……んで、いつまでメソメソしてんだよ。最後見たら帰る約束だろ」

「うぅ……わかってますよぉ」


 名残惜しいのだろうがそんな言い訳は聞かないぞとハワードはライラの後ろから離れなかった。

 好奇心と探求心の塊、そしてスリルを求める彼女をこれ以上好きにさせるわけにはいかないのだ。

 スライドを開いて室内を見てみると、そこには一階の『Montezuma's Face』と似たような部屋だった。

 部屋の中央にテーブルが置かれ、その上には鍵付きの箱が載せてある。

 箱は銀色で、きっと中には何かが入っているのだろう。

 プレートにある「冠」という言葉から、冠でも入っているのかと頭に浮かんだが、流石にそれは簡単すぎるだろうか。


「……これだけなんですね」

「お前がどんなに不満だろうと、これだけだよ。おら、帰るぞ」

「わかってますってば!」


 あまりにもハワードがしつこく急かすからだろうか、ライラは頬を膨らませてぷいとそっぽを向いてしまった。

 まぁ、彼女が拗ねようが何をしようが約束は約束だ。

 あらかじめ二人で決めた決め事は守る、それはライラの数少ないいいところだった。


「最後の最後に拍子抜けって感じだが、まぁこんなもんだろ。どうせこんな場所、問答無用でナンバリングされて収容されるに決まってる」

「それはそうでしょうが、最後に拍子抜けとは賛同しかねます」

「はあ? 箱しかなかったじゃねぇか」

「ちっちっち、甘いですよハワードくん。確かに中身にはがっかりですが、ロマンはここにあるじゃないですか」

「何だってんだよオタク」


 さあご覧なさいとライラは腕を広げたが、そこには何もなかった。

 今まで通りの、スライドとプレートが付いているドアがあるだけだ。

 一体何が言いたいんだとハワードは呆れたが、次の瞬間、あることに気付いた。

 この施設にあるドアはドアノブが取り払われ、全て溶接されている。

 地下三階から五階の間は見ていないが、今まで十二枚のドアが全てそうなっていた。

 外部からこの部屋に封じ込めたものを出さないよう、そして誰にも開けられないように溶接されたのだろう。

 しかし、完全に閉め切った後でも、何かしらの理由で「中を見たい、中に入りたい」と言い出す人間はゼロとは言えない。

 現にここにいる一人の女性はドアの向こうへの好奇心から、中に入れればと駄々をこねていたのだから。


「どこのどなたが、どんな理由を持ってかは知りませんが。あの箱が欲しかったんでしょうね」


 彼女の視線の先は、ドアの溶接部へと注がれていた。

 そこには、どうにかして中に入ることが出来ないかという強い想いが刻まれている。

 ドアはひっかき傷で覆われ、その〝誰か〟の様子をありありと伝えていた。



 × × ×



 地上に戻ると要請していた応援はとっくに到着しており、探検を済ませてきた二人はこってりと絞られた。

 上司からの説教の間、収容スペシャリスト達が入り口の黒いドアを出入りし、その様子を目にしたライラが羨ましがる度に説教はどんどん引き延ばされていく。

 だから早く出てきたかったんだとハワードは胸の内で散々愚痴を吐いたが、説教は大人しく聞いてなければならない。

 二時間以上にも及ぶ説教から解放される頃には日が暮れ、また施設内を見て歩いたこともあり報告書提出を兼ねたカウンセリングの受診を命じられ、二人は最寄りのサイトへと向かう羽目になった。


「んも~相変わらず固いんですからぁ、財団は」

「どうして財団がお前を使ってるのか、心の底から不思議で仕方ないな……」


 サイトへ向かうには車で向かい、途中から電車に乗り継がなければならない。

 こってり絞られたこともあって二人は疲れきっていた。


「いいなぁ~私ももう一回入りたいなぁ~」

「立ち入り禁止になるとか言ってたな、そういや」

「だからですよ! 立ち入り禁止になる前に入りたいいいいいい!! 他の階見れてないんですから! 財団の闇を暴きましょう!」

「俺を巻き込むな。つか、もう一回あそこに入る簡単な方法ならあるだろ」

「えっ!? 本当ですか!?」

「レベル4以上目指して出世しろ」

「…………」

「そうすりゃ誰にも文句言われず入れんだろ?」


 赤信号で停車すると、ハワードはニヤニヤと笑ってライラの方を向く。

 当たり前で真っ当で、そして何よりも難しい方法を提示されたライラは目を丸くして固まっていた。

 が、ハワードのにやけ面を目にしてか、彼女の拳はハワードの腹部にめり込んだ。

 信号が青になり、後方からクラクションを鳴らされる。


「そんな方法知ってますし! それにその道が一番私に向いてないことはもっと知ってますし!」

「はいはい、だからさ、こういうのはすぐ諦めんのがいいんだよ。俺等の仕事じゃねぇだろ」

「究明したいのは施設の中身じゃありませんよ! そりゃあそちらも気になりますが……それよりも、あの『怪奇部門』という言葉ですよ!」


 もちろん、ハワードには彼女の言いたいことはわかっていた。

 これでも相棒歴は長いのだ。

 今の言葉を聞かなくたって、彼女の願望は手に取るようにわかる。

 単純に、彼女がわかりやすいからというのもあるが。


「きっと探しても出て来ねぇぞ……『怪奇部門』なんて部署」

「百も承知です!」

「それにこれは、お前の猪突猛進でどうにかなるもんでもないだろ」

「わかってます。それは、心底、はい」


 振り上げていた腕を下げ、彼女は拳をギュッと握った。

 彼女が何を思い、何を悔しがり、何を求めているかはわかる。

 だがそれは決して進められるものではない。


「映画に出てくる俳優みたいによ」

「はい?」

「『あぁわかってる。俺がついてってやるぜ』……とかさ、言えねぇんだよ」

「……わかってますってば」

「陰謀論にありがちだよな……知り過ぎたら死ぬって奴」


 殺されると決まったわけではないが、財団もいわゆる秘密組織だ。

 そして下っ端は必要以上に秘密を知ってはいけない。

 財団の職員でなくとも、説明なしにわかる構造だ。


「よくて記憶処理と左遷、降格。悪けりゃ解雇か処分……だな」

「それは嫌です。私はこの仕事好きですもん」

「じゃあ大人しくしときなさい。知らなくていいことはさ、知らなくていいんだよ」


 駅前に到着し、駐車すると二人は車を降りた。

 ここからは電車での移動になるため、あまり仕事の話は出来ない。

 どこで誰が聞いているかわからないからだ。

 だから話は今のでお終い……と、そう思ってハワードは歩き出した。


「しかし、それとこれとは話が別ですよ! ハワード」

「……まだ話続けんの? 往来のど真ん中で?」

「私から好奇心を取り上げることが出来ると思ってるんですか? 何事も、気になったら追究するのが私の仕事であり、趣味です」


 だったらエージェントなんて向いてないじゃないか……とは口に出せず、ハワードは彼女の話が終わるまで聞くことにした。

 ライラはしょげた様子もなく、いつもの前向きな面持ちだ。


「今回は残念でしたが、この仕事が終わる日まで私は向き合い続けますよ!」

「……何と向き合うっていうんだよ」

「深淵です」

「…………ミセス・ニーチェ、早く行かないとどんどん残業時間延びるんですが」


 胸を張って何を言い出すかと思えば、と大きなため息を吐いてハワードはライラの腕を掴んで歩き出した。

 私は本気でなんですから! という訴えが聞こえるが、これに付き合ってやるのは彼女と組んで二年目でやめた。

 彼女が軽い気持ちで言っているのではないのはわかっているし、彼女なりの決意表明だというのはわかっているが、わかっているのだからそれ以上は言うまいとハワードは口を閉ざす。

 有言実行は結構。

 だが、無言実行の方がかっこいいぞといつも言っているのだが、変わらないものは仕方がない。


「深淵だってさあ、こっちのこと見てんだぜ。お嬢さん」

「だから向き合うんですってば!」

「それに今日いっぱい見たでしょうよ、深淵」

「だからその根幹の深淵と向き合うんですってばあ!!」


 はいはいと軽く相槌を打って、二人は改札をくぐった。



[CREDIT]

SCP-3790「怪奇部門」©djkaktus、Croquembouche(共著)

http://www.scp-wiki.net/scp-3790

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