case5.ステーキとワインとフォアグラのコース/SCP-1059-JP
生臭さと湿気を帯びた重い空気。
肉の鮮度がぐんぐん落ちて、腐っていく。
お化け屋敷と呼ぶにはあまりに惨たらしく、ここが清潔に保たれていたことを主張するかのように、病院独特の臭いが微かに残っていた。
この臭いは好きじゃないな、と男は鼻を鳴らした。
細身の男はオレンジ色のつなぎを着せられ、今は懐中電灯とカメラを持たされて病院の中に放り込まれていた。
つい数時間前まではどこもかしこも消毒されていたであろう病院は、血と肉と臓物と死体にまみれていた。
『それではD-423、病院内の探索をお願いします。くれぐれも、道草を食わぬように……』
「わかってますよ、流石に道端に落ちてるステーキは廃棄処分ですから」
インカムは司令部と繋がっており、彼の持つカメラからリアルタイムで現場を見ている。何かあれば司令部から指示が来るため、その通りに動くのが彼の仕事だった。
(ま、白衣でこんなところに入ったらすぐ汚れてしまうだろうしね)
あちこちに死体が転がる病院の廊下を進むと、数歩の感覚で血だまりを踏む。
その度に血液が跳ねてズボンの裾に付着した。
この病院では数時間前、院内で乱闘が起きたらしいのだ。
医者、看護師、患者と誰一人例外はなく、病院内にいる人間が殴り合い、殺し合い、食らい合ったとか……。
その通報を受けて、かの〝財団〟から調査部隊が派遣されたが、どうやらそれも全滅したらしい。
素人ではない彼等の手に負えないとなると、一体どうすればいいのだろう?
病院内の生存者はゼロ。
つまりもう誰も殺しを行っていないのだが、財団は何があったか、何が原因かを調べなくてはならないらしく、しかも調べた後はここを綺麗に保存するらしいのだ。
普通の人間ならまず、綺麗に掃除して、病院を綺麗さっぱり取り壊すだろう。
しかし財団はそれをせず、第三者がそうしようものなら阻止する程だ。
全くもって、犯罪者と罵られる自分達と彼等は一体何が違うのだろうと男は思う。
「それにしても、こんな場所の調査によく私を当てて下さいましたね」
男が死体の山に懐中電灯を当てながら問うと、インカムの向こうからは深いため息が聞こえた。
『私語は慎みたまえ、D-423』
「そうつまらないことを言わず。私だってひとりぼっちで凄惨な病院を練り歩いているんですから、少しくらい話し相手になって下さいよ」
『……』
うんとは返事が聞こえなかったが、ノーとも返事は聞こえなかった。
ただ呆れているだけかもしれないが、それでも男は上機嫌に歩みを進めていた。
ただの男がこんな仕事をやらされるなんて、高額バイト以外考えられないだろうが、オレンジ色のつなぎを着せられた彼も一応その〝財団〟の職員だった。
正式に雇われて、このような仕事をしている。
男に与えられた役職・階級はDクラス。
平たく言えば、使い捨てが出来る雇用犯罪者だ。
男の罪状は殺人、死体損壊等その手のもので、もちろん死刑囚だった。
よって彼が派遣される場所は、高確率で立ち入ったものが死ぬといった場所。
この病院に突入した部隊も結局殺し合って食べ合って、よって自分が向かわされたのだろうと男は考えていた。
簡単な状況だけは最初に聞かされる。
しかし、いざ病院内に入ってみればそう単純なものとも言えないような気がした。
「もしかしての話ですが、私の履歴書をご覧になって選んで下さったんじゃないですか?」
『……』
ナースセンターのカウンターに寝ている女性の露わになった肉体に懐中電灯を向けると、赤くてらてらと輝いた。
片方の乳房がなく、穴の開いている腹部にもくっきりと人間の歯型が見られた。
やはり、どんな異常な思考状態になっても柔らかい部位を食べたくなるのだろうか?
「おや、太腿は手付かずですね。もったいない」
『調査に集中しろ。死体ではなく、病院内全体の調査だ』
「わかってますよ」
ナースセンターの奥の方も照らしてみたが、そこにあるのは相変わらず血塗れの人々が重なっているだけで何の面白みもなかった。
こうも同じ風景が続くと飽きてくるなぁ……と男はあくびを噛みしめる。
右を見ても左を見ても死体、死体、死体……。
足元を見れば血だまり、天井を見上げれば白いキャンバスに赤い絵の具を散らしたような絵面しか見られない。
消火栓の明かりも赤いため、全くもってつまらない道のりだ。
非常灯は緑色に点灯しているが、緑の光に照らされると赤い血は黒色に変わってしまう。
それでは最早何なのかわからない。
そこにいる人間は赤い血を流して死んでいるのか、墨を被って寝ているだけなのか。
そう思いつつも、男は時折足を止めては死体に明かりを向けて観察し、その度に司令部から「先へ進め」と急かされる。
司令部も彼が何をしているかわかっているし、彼も注意されるのをわかった上でわざとやっているのだ。
「彼等は何の為に食らい合っているのですか?」
『それがわからないから調査しているんだ』
ねちゃねちゃと血だまりを踏みしめながら男が問うと、インカムからは冷たい返事が聞こえた。
上の階へ上がろうとした時、トイレのドアが少し開いていることに気付いて男は中を確認してみることにした。
中には車椅子に座った子供が項垂れて座っている。
ドアの鍵を閉めて隠れようとしたことがわかったが、残念ながら鍵は壊されていた。
こじ開けられて、殴り殺されたのだろう。
下を向いている子供の顎を持って上を向かせたが、顔の判別はつかなかった。
「子供まで巻き込まれるとは……凄まじいですね」
『……』
「子供は高級品だというのに」
『いい加減にしろ!』
インカムの向こうの彼も、カメラを通して男と同じ光景を見ているのだ。
男がクスクスと笑うのが聞こえて、司令部にもこれが故意だということは十分わかった。
久しぶりに外へ出られてはしゃいでいるのだろうが、そんなことは許されない。
『あと2フロアだ。それが終わればお前の役目も終わる。さっさと済ませろ』
「地下は見なくていいんですか?」
『行かなくていい』
「生存者がいるかもしれませんよ?」
『それはない。乱闘があったと説明したろう、ここにいた全員が、自分以外の人間に敵意を向けて襲い合っていたんだ。逃げた人間はいないだろう……』
「そうですか、まぁ私も死肉に趣味はありませんから」
『……』
ついにツッコミが入らなくなったのを聞いて、男は「あらら」と声を漏らした。
男の口振りから既に察しがついているだろうが、彼はかつて人の肉を食っていた。
いや、食べることよりも調理する方がメインだった。
こじんまりとしたレストランを開き、一見さんお断りを掲げ、そういう趣味の人間向けに料理を振る舞っていたのだ。
その経歴から今回のこの仕事を当てられたのではと彼は思った。
独房仲間に死体に性的興奮を覚えるような輩もいたが、そういう人間をここに放り込んでは話しにならないだろう。
とはいえ軽犯罪者をここに連れてくれば現場を汚すことは想像に容易い。
適任と言えば確かにそうではあるが、こんなスプラッターツアーは流石に彼の趣味ではなかった。
行けども行けども、血塗れの死体、部分欠損した死体、もうよくわからない肉の塊……。
嫌気がさしてくる頃には調査が終わろうとしていた。
最後のフロア、最上階にやって来た。
しかし最上階だからと言って別段変わったこともなく、やはり廊下には死体と肉片と血だまり。
VIP用の個室を開いても、そこにあるのは死体と血の海だけ。
寝たきりなのをいいことにはらわたを引きずり出された老人の顔は真っ青だった。
「これが最後の部屋ですね」
『確認した。何か気になることはないか?』
「気になること、と言われましても……」
どうして病院がこんなことに、ということに関しては気にならなかった。
そんなおかしなことを調べるのが財団の仕事だ。
それにこの惨状の原因にも大して興味がない。
全滅した部隊も道中見かけたが、彼等は全滅して自分が無事であることはやや気になりはするが……そこまで重要でもなかった。
「あ」
『どうした?』
男が思い出したように声を上げると、懐中電灯を自分の腕に当てて「うーん……」と唸った。
彼の腕には別段変わったところはない。
「気になるといえば、……臭い。体にべったりついてますよね」
『…………』
ブツリという音が聞こえ、男は声を上げて笑う。
邪険にしないでほしいなぁと笑いながら、ロビーを目指して彼は再び歩き始めた。
料理人の体にこんな臭いが染みついては、せっかくの料理が台無しだ。
と、そう元料理人の男は楽し気に笑った。
× × ×
病院から出ると、待機していた機動隊に囲まれてすぐさま手錠をかけられた。
余程臭いが染みついているのか、近付いた数名が顔をしかめたりせき込んでいたが男はやれやれと肩を竦めるだけだ。
仕事を終えた男は護送車に載せられ、あとはゴトゴトゆられて元いた施設へ帰るだけだ。
そうすればまた明日からは財団の雑用と、味気ない質素な食事が待っている。
「D-423、ご苦労」
「あ、インカムの人ですね」
護送車に乗り込んできたのはスーツの青年だった。
男とそう歳も変わらないだろう彼は、顔をしかめることもせき込むこともなく男の向かいに腰を下ろす。
「些か君の私語の多さは目についたが、よくやってくれた。これでなんとかこの病院への対処法が確立するだろう。特異性の解明はまた後日になるが」
「それはそれは、よかったですね。ところで……」
「病院内の死体は全て火葬される」
「ふふふ、何も言ってないじゃないですか」
「お前のような人間の考えること等全く理解出来ないが、容易に想像出来る」
スーツの職員はそこでようやく顔をしかめた。
軽蔑の眼差しを隠すことなく、D-423へと向ける。
「ところで、本当に異常はないな?」
「と、言いますと?」
「思考の混濁や、頭痛、めまいなんかだ。興奮状態になるようなことは一度もなかったのは俺が確認してる」
「あの状況で興奮は出来ませんね……。一応その辺りは私、ノーマルですし」
「お前の性癖倒錯を聞いてるんじゃない。イライラしたり、破壊衝動がなかったかという話だ」
「そんなことは全然」
そうか、と職員は答えると持っていた資料にペンを走らせた。
その様子を見て、男は「わあ」と感嘆の声を上げる。
「もしかして、病院に入ったらおかしくなるんですか? 本当なら」
「それがお前だから平気なのか、一人だからなのか、時間や滞在時間に差があるのかまではわからんし、お前の知ることではない」
「ははぁ……なるほどなるほど、あなた方も人が悪いですねぇ」
男は口角を上げてニヤニヤと笑ったが、職員は取り合わず記録を終えると立ち上がった。
「以上で仕事はおわりだ。もうしばらくしたら出発する」
事務的な言葉で終わらせようと職員はドアを開けたが、背後から聞こえる笑い声が気に障って振り返った。
D-423は含み笑いで職員の方をちらと見ていた。
「……何だ」
「いえね。今に始まったことではないですし、財団とか関係なく、誰にでも思うことなんですが……」
「だから何だ」
「あなたは私を人間として扱って下さいますか?」
「しない」
職員は即答し、男はやはりねと笑う。
「仮に私がかつて何人もの人を殺し、調理し、お客様に提供したから、精神が破綻しているから……病院に入っても何もなかったとしましょう。でもですね、だからと言って〝お前は人間ではない〟なんてことは証明出来ないんですよ」
職員が何が言いたいと睨むと、男は病院を指差した。
「あなたも見たでしょう? あの惨状、いくつもの死体、惨たらしい光景を」
「……あぁ」
男も女も、老人も子供も関係なく、皆死んでいた。
お互いを敵意を持って殺し合ったのは監視カメラの映像から既にわかっている。
「私もあなたも、死ねば彼等と一緒なんですよ」
死ねばただの肉と血と臓物の塊。
人間なんてそんなものなんですよ、所詮ね。
D-423のその言葉に職員は何も言い返さず、振り返りもせず、ただドアを閉めるだけだった。
[CREDIT]
SCP-1059-JP「最高の毒」©R-00X
http://ja.scp-wiki.net/scp-1059-jp
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