case4.わたしを人間と呼ぶひと/SCP-076,SCP-105


 彼女、アイリス・トンプソンは唇を噛みしめて腕を組んでいた。

 への字に曲げられたその口は彼女の抱く不満を十分相手に伝えられるものだ。

 だが、彼女が今対面している人物にはそれがどうにも伝わらないらしい。

 どうして彼女が不満なのか、ではなく。

 どうして彼女が顔をしかめているのかがわからないのだ。

 正確には、わかろうともしていない……といったところか。


「不細工な顔だな」

「どうしてわたしが不細工な顔してるか、わかる?」

「……さあ?」


 彼はしばし間を置いてから答えたが、きちんと考えたのだろうか。

 そんな彼の態度を受け、アイリスは更にむくれる。


「わかってるのよ、あなたが堪え性でないのは。でもね、わたしあなたに言ったでしょう? 何て言ったか覚えてる?」

「…………さあ?」

「すっとぼけないで、アベル」


 彼女がアベルと呼んだ男は、それでもどこか遠くを眺めて彼女と目を合わせようとしなかった。

 不機嫌な女性を前にして知らぬふりを通そうとするなんて信じられない。

 と、アイリスは文句を言いたくなったが、この手の文句は彼には通用しないのだと思い出すと深くため息を吐いて肩を落とした。

 そんな彼女の様子を見て「どうした」とアベルは問うが、アイリスは「何でもない」とため息交じりに答える。


「わたしあなたに言ったわよね。ついさっき、十分程前にお願いしたでしょ」

「そうだったか?」

「今色々立て込んでるから、大人しくしてて、お願い。って、言ったでしょ?」

「あぁ……確かにそんなことを言われたような」

「それで、何でこんなことになるの? あなた『大人しくする』っていう言葉はわかるでしょう!?」

「そうは言われてもな……」


 そうして二人は同時に同じ方へと顔を向けた。

 二人が今いるのは財団のとある施設だった。

 詳しく説明すると、SCP-076-2……〝アベル〟が収容されているエリアの真上にある施設だ。

 いくつものラボやデスクがある真っ白で清潔な施設。

 それが今やまるで、爆破事故があったかのように崩壊している。

 それはもうめちゃくちゃな有り様だが、その原因はもちろん事故等ではなく人為的に引き起こされたものだった。


「誰のせい?」


 アイリスは瓦礫の山をビシリと指差した。


「さあ?」


 アベルは首を傾げてすっとぼける。


「爆破事故でもあったんじゃないか? 酷い有り様だな」

「ぜ―――――んぶ! あなたが壊したんでしょう!? アベル!!」


 アイリスの怒鳴り声は、崩壊した無人の施設に虚しく響くだけだった。



 × × ×



 約一時間前、サイト-17にはサイレンが鳴り響いていた。

 緊急事態を報せるそのサイレンに、勤務していた職員達に緊張が走る。

 もちろんその中にはアイリスも含まれていた。

 一体何事かと緊急連絡を受けると、非常事態はサイト-17ではなく別サイトで発生したとのことで、その緊急応援要請だった。

 あるオブジェクトの収容時に発生した事故のせいで、サイト内にいた9割以上の職員が消失。

 それに乗じて収容していた他オブジェクトの収容違反も併発し、残された職員や機動部隊だけでは対処出来ないとのことだった。

 ここまで大きな事故は滅多に起きることはなく、数年財団に身を置くアイリスには久しいことだ。

 いくつもの機動部隊やエージェントが応援に出動し、研究員らは情報収集と再収容の指示でサイト内を駆け回った。

 そんな中、


「アイリス! 君も来なさい!」

「えっ……?」


 ある職員がアイリスを呼びつけ、彼女も被害に遭っているサイトへ向かうようにと指示が出されたのだ。

 彼女、アイリスは財団の職員ではない。

 SCP-105という数字を財団から与えられた、オブジェクトだ。

 とは言っても、元々は何の異常も持たない少女だった彼女はその態度や貢献度もあり、職員としての地位と権限を与えられ、今は他職員らと普通に過ごすことを許されていた。

 とはいってもオブジェクトという立場に変わりはなく、収容施設の出入りや自由といったものは全て財団に制限されていた。

 それが突然、こんな大事件の中どうしてそんな特殊な措置が?

 と、尋ねてみると、あまりにも簡単な答えが返って来た。


「つい先程、SCP-076-2の〝蘇生〟を報せるアラートが鳴ったんだ。なのに警備は皆くだんのオブジェクトのせいで消失した。……やってもらいたいことはわかるな?」

「……わかりました」


 こんなタイミングであのアベルが蘇生するなんて、財団にとっては泣き面に蜂だろう。

 待機するべき警備が皆消えてしまった今、臨時で他から警備や機動隊を呼ばなければならないがその代わりの彼等は今脱走したオブジェクトの再収容に皆駆り出されている。

 その為にかなり特例の措置ではあるが、そこへアイリスが当てられたというわけだ。

 人間の大量殺戮を望むあのアベルが認めている存在は、今となってはアイリスただ一人。


「君なら殺される心配はないだろう……とは言っても、危険な場所へ君を送ることに変わりはない。だから」


 これを携帯していなさい、と渡されたのは小型拳銃だった。

 差し出された拳銃を見て、アイリスはしばし逡巡する。


「……万が一の時には、わたしにれ……と?」

「それによって君に対するSCP-076-2の評価が変わるかもしれないが、やむを得ない場合はそうする他ない」

「……」

「君が彼をどう思っているか、我々は深入りしないことにしている。それは……まぁ、色々な理由があるがね」


 手を出さないアイリスに、職員は押し付けるように拳銃を握らせた。


「それでも、アイツを野放しにしてはいけないんだ。そんなことをしたらどうなるか、君もわかるだろう?」

「……はい、それはわかってます」

「それじゃあ、頼んだ」


 職員は彼女の肩を叩き、頑張ってくれとは口にせず立ち去った。

 ずしりと重いそれをアイリスは両手で包み込む。

 拳銃を握るのは初めてではない。

 その事実がまた、彼女の心を大きく揺さぶる。


「やむを得ない、場合……ね」


 小さくそう呟いて、大きく深呼吸をした。

 通りがかった機動隊員に声をかけられると、彼女は顔を上げ、拳銃を背中にしまいながら問題のサイトへと向かった。





 サイトへ到着するとアイリスのみが先に下ろされ、中に入るようにと指示された。

 機動隊員はサイト外への対応に行ってしまう為、ここから先はアイリス一人で進むしかない。

 生存した職員らは既に避難を済ませており、サイト内は無人と化していた。

 静かな研究施設とは不気味なもので、自分の靴音だけが響く廊下を進むのはあまり気持ちのいいものではない。

 アベルは海底のエリアにいるため、まずは地下へと向かわなければならず、非常電源で動いているエレベーターを使わなければならなかった。

 しかしいつ止まるかわからないエレベーターに載るなんて、ためらわないわけがない。


(ううん、ここにいたってしょうがないし……行くしかないのよ)


 アイリスは自分にそう言い聞かせ、ボタンを押して地下へと潜っていく。

 施設が崩落しているわけではないが、いつ何が起きてもおかしくない状態だ。

 何事もなくアベルと合流し、この騒ぎが終息するまで彼をこの場に留めておく。

 それがアイリスに課せられたミッションである。

 何事もなく最下層へ到着したエレベーターが開くと、アイリスは恐る恐る足を踏み出した。

 やはりここにいるはずの警備の姿はなく、ここにいるべきではない自分がいるのは奇妙な感覚だ。

 ゆっくりと左右を見渡し、アベルが収容されているであろう方へと踏み出した。

 その時だった。

 凄まじい轟音と共に目の前の壁が吹き飛び、アイリスは体を強張らせて一歩下がる。

 一体誰の仕業か、なんて考えなくてもわかることだ。

 パラパラと破片が落ちる音に紛れてペタペタと裸足で床を踏む音が聞こえてくる。

 砂埃が収まらないそこから現れたのは、不機嫌そうな顔をしたアベルだった。

 だが、人の気配を感じたであろう彼は辺りを見回し、こちらを向いた時にアイリスを見つけた。

 彼女と目が合うと同時にアベルは一瞬驚いた顔をして、首を傾げながら歩み寄ってきた。

 アイリスのすぐ目の前まで接近すると、彼は彼女の爪先から頭のてっぺんまでゆっくりと視線を巡らせ、再び首を傾げる。


「おはよう、アベル」


 そうアイリスが口にすると、アベルは「あぁ」と何かに納得したように声を漏らし、首の後ろを掻きながら答えた。


「そうか、お前は人間だからか……アイリス」



 × × ×



「どうしてそう何でもかんでも壊すのよ……」


 やれやれとアイリスは頭を抱えて項垂れた。

 地下でアベルと合流し、「今は非常事態にだからここへ派遣された」「あなたのお目付け役としてね、だから大人しくしてて」と説明をしたはずなのに。

 彼がわかったと頷いたのは何だったのだろうかとため息が出る。


「確かにお前にはそう言われたが、私が大人しくしなければいけない理由にはならないだろう」

「どうしてよ、お願いしたのに」

「それは聞けないお願いだからだ、アイリス」


 悪びれる様子もなく、当たり前のことを言うような態度でアベルは瓦礫に腰かけていた。

 一通り暴れまわり、壊し尽くして少しは満足したのだろう。

 今はアイリスと向かいあって大人しくしてくれている。

 騒ぎからもうどれくらい経ったかわからないが、もうそろそろ警備や機動隊がこちらに到着してくれないと、いよいよアベルは脱走を計るだろうとアイリスは気をもんだ。

 確かにアベルに認められている唯一の人間は自分ではあるが、そんな自分が彼を引き留められるかというと話は変わってくる。

 殺されないのと引き留められるのとでは大きな違いだ。

 今だってこうしてアイリスの簡単な願いさえ聞き入れられてないのだから、彼女に彼を引き留められるはずがないのだ。

 最初からわかっていたことではあるが、改めて突きつけられると何とも虚しくなるものである。


「何を考えている?」

「わたしには荷が重いなぁって……考えてるのよ」

「荷が重い? 何のことかわからないが、お前に難しいこと等そうないだろう。過小評価だ」

「どーもありがとう、あなたに言われるとますます自信なくすけど」

「?」


 彼の独特な価値観は今に始まったことではない。

 我々人間とは違うその価値観を彼は曲げることなく、頑なに貫き通し、そしてそれは人間と衝突するのだ。

 この問題が解決すれば少しは会話も楽になるのではと考えることもあるが、それはあまりにも現実味のない話だった。


(わたしだけだこうして彼と普通に話せるのだから、なんとか出来ればいいんだけど……そうすればきっと)


 きっと……。

 その続きを考えるのはやめた。


「アイリス」

「何?」

「私がお前に会うのは何年振りだ?」

「……なに?」


 アベルからの問いに、アイリスは目を丸くした。

 そんなことを聞くようなタイプではないのに、突然どうしたのだろう? と。


「えっと、何年振りかな……というか、急にどうしたの?」

「変わったからな」

「変わった? 何が」

「お前の姿が」


 アベルはそう彼女を指差した。

 そしてそれを聞いて、アイリスは「だからか」と納得する。

 対面した時、彼が怪訝そうな顔をしたのはそのせいだったのか、と。


「正確に何年かはすぐにはわからないけど……もう大人よ」


 彼と最初に会った時、アイリスはまだティーンエイジャーだった。

 だが今は成人している。お酒も飲めるし煙草も吸える。


「あなたが言った通り、わたしは〝人間〟だから」

「そうか」


 しかし、聞いてきた当の本人はというとさほど興味もなさそうに相槌を打った。

 アベルは人間ではない。

 彼は死ねば塵となり、黒い柩の中へと戻っていく。

 だがアイリスは人間だ。

 彼女は死ねば、そこに残るのは彼女の肉体だ。灰になんてならない。


「ま、大人になったって言っても社会に出れるわけでもないし、中身はきっとそのままよ。自分で言うのも何だけど」

「そうか」

「……興味なさそうね、あなたから聞いてきたのに」

「そこまで興味があるわけではないしな」

「そーですか」


 なーんだ、とアイリスは少しむくれた。

 アベルとこんな会話が交わせるとは思っても見なかったのだ。

 彼が人間ではないとはわかっていても、人間らしい側面は存在してもいいと思う。

 そうすれば、きっと……。

 なんて、また甘い考えが頭をよぎってアイリスは頭を横に振った。

 彼に期待を寄せてはいけないと思っていても、自分の良心が一縷の望みをかけようとする。

 こういうところはいつまで経っても成長しないな、とアイリスは自嘲した。


「では、そろそろ飽きてきたし……出るか」

「……えっ!?」


 突然何を言い出すんだと顔を上げるとアベルは立ち上がり、天井を仰いでいた。

 まずい、外に出る気だ。とわかると、アイリスはすかさず立ち上がり彼の腕を掴んだ。


「ダメ! 外に出るのはダメよ、許さない」

「許しなんて必要ない。久しぶりにお前に会えたのは感慨深かったが、それとこれとは話が別だ」


 アベルは口角を上げてニィと笑う。

 彼の頭には人間の大量殺戮しかない。

 それは昔から変わらないことであり、誰がどんな説得をしようと変えられるものでもない。

 しかしそれを阻止するために、アイリスはここへやって来たのだ。

 何としてでも彼を止めなければならない。


「ダメ、絶対ダメ」

「ダメと言われて私が聞いた試しがあったか?」

「それはわかってる。けどダメなものはダメよ、ただでさえ今外は大騒ぎだっていうのに……」

「大騒ぎだろうと私には関係のないことだ。それに、本気で留めるつもりなら行動に示して見せたらどうだ? アイリス」

「行動って言ったって……」


 今こうしてあなたの腕を掴んでるじゃない、とアイリスは彼の腕を引いた。

 だが瞬きの間にアベルの腕はアイリスの手を振り解き、逆に彼は彼女の腕を掴んでいた。

 一体何を、とアイリスは腕を振り解こうとしたが、アベルはその手を離さなかった。


「やっとお前も私と戦う気になったかと思ったのだが、それは違うのか? 背中に隠しているそれは何の為にある?」


 胸を刺すような彼の言葉に、心臓がドクリと跳ね上がる。

 いつから知っていたのだろうか? いや、アベルのことだ。

 最初から気付いていたのかもしれない。

 万が一の際には、アイリスが引き金を引かなければならないということを。

 挑発されているのだ、と彼女にはすぐわかった。


「この拳銃は、護身用よ」

「護身用? ここには私とお前以外いないのに、何から身を護ると?」

「緊急事態のためよ、あなたには関係のないことでしょ。アベル」

「私が眠っている間に成長したのかと思っていたが、成長したのは図体だけか?」


 人間。

 その言葉はアイリスのことを差していた。

 何ともわかりやすい、子供のやるような挑発だ。

 アベルは彼女の腕を掴んだまま、楽しそうに笑っている。

 利き腕ではない左腕を掴んでいるのも、恐らくわざとだろう。

 彼は反対の手で拳銃を引かせたいのだ。

 だが、アイリスは彼の要望を聞いてやることは出来ない。

 絶対に、引いてやるもんですか。

 と、心に決めていたのだから。


「アベル、わたしは拳銃を抜かないし、あなたを外にも出させないわ」

「説得力がないぞ、アイリス」

「いいえ、わたしは誓ってここに来たの。あなたに誰も殺させない、わたしも絶対にあなたへ引き金を引かないと、決めて来たの」

「……そうか」


 アイリスの言葉を聞いて、アベルの顔からは笑みが失せた。

 心の底からがっかりしたような眼差しを向けられたが、それでもアイリスは彼をまっすぐ見つめ返す。


「では、」


 アベルの手がアイリスの腕を離したその時だった。

 いくつかの銃声と共に、目の前にあったアベルの額から鮮血が噴き出た。

 そして続けざまにもう何発か頭と首、心臓に弾が打ち込まれると、脱力したアベルの体はアイリスへと覆い被さり二人もろともその場に倒れた。

 アベルに打ち込まれたのは体内で跳ねまわる弾丸で、体を貫通してアイリスに当たることはなかった。

 アベルの身体をどかすと、遠くに数名の機動隊員が見られた。

 どうやら外の騒ぎに収拾がつき、アベルの収容に間に合ったようだ。


「……」


 まだ重たいアベルの体をグッと持ち上げてみたが、次の瞬間彼の体は塵となり、アイリスの指の間をすり抜けて落ちた。

 機動隊員らの声が遠くからわずかに聞こえる。恐らくアベルの再収容の連絡をしているのだろう。

 内一人がこちらへ駆け寄ってくると、アイリスへと手が差し出された。


「怪我はないか? SCP-105」

「……えぇ、ありません」


 人名の使われない慣れたやり取りを終えると、サイト-17へ戻るようにと彼女の再収容の手配が始まった。

 服にかかった塵を少し払いながら足下の塵の山を一瞥し、ふと思った。

 そういえば、〝人間〟と呼ばれたのはいつ振りだろう……?

 いや、それは余計な思考だと彼女はすぐに首を振って、塵に向かって小さくこぼした。


「おやすみなさい、アベル」




-CREDIT-

SCP-076「"アベル"」

http://www.scp-wiki.net/scp-076

©Kain Pathos Crow


SCP-105「"アイリス"」

http://www.scp-wiki.net/scp-105

©Dantensen(原著,現在はアカウント削除), DrClef, thedeadlymoose(改稿)

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