第2話 学園のアイドル『月島菜々子』

キーンコーンカーンコーン ・・・

一時間目終了のチャイム。一時間弱の拘束から解放された勤勉な生徒も、一時間弱の仮眠をとっていた怠慢な生徒も、皆背伸びをしながら「ぬあぁ・・・」と唸った。それをはじめに教室内が徐々に騒がしくなり、一瞬にして休み時間の空気が完成。仲のいいもの同士で群れをなしたり、英語の単語帳を開いてなにやら諳んじたり、二度寝を始めたり、休み時間の過ごし方は三者三様ではあるが、個々人の行動パターンに関して言えばいつも同じだ。

そのわかりやすい例が俺の前の席でたむろしている男子三人組である。一日の最初の休み時間に関してだけ言えば、冒頭のセリフすら決まっている。

「俺、朝から月島さん拝めたから、今日は一日授業受けれそうだわ。」

 そらでた。毎朝恒例、アイドル目撃情報の共有。三年に上がってから今まで全く絶やすことなく行っているが、よくも飽きないものだ。あと、拝めなくても授業はちゃんと受けろ。

「俺なんか挨拶したらお辞儀してくれたぜ。可愛かったなぁ~。」

 そりゃ社交辞令だ。

 ちなみに月島が学園のアイドルとして崇拝されるようになったのは今年に始まったことではなく、実際入学から一ヶ月経った頃には学年の男子の半分が月島ファンになっていた気がする。男子界隈では『みんなの月島さん』と囁かれていたのでてっきり誰も手を出していないものだと思っていたし、彼らに関してはまだそうだと思いこんでいるだろうが、実は彼氏は二年前からすでにいて、その相手が東悠人だという驚愕的新事実を、俺は今朝、悠人本人から聞かされていた。この様子じゃ、付き合っていることをひた隠ししていたのは懸命な判断だったと言えよう。

「ずるいぞお前ら、俺は今日一度も見てないんだぞ。」

「お前は彼女いるじゃないか。」

「ほんとそれ。」

「何言ってるんだ、彼女とアイドルは別腹だろうが!」

 それこそ自分が何言ってるかわかっての発言なのだろうか・・・

「確かに、理想と現実は違うよね。」

 その理想を現実にしてしまった人を俺は知っている。もしそれを教えたら悠人はどうなるのだろうか。気にならないこともないが、実際にやるわけにはいかない。約束もあるし、なにより、俺はあいつの親友なのだ。

「今日も賑やかだね、あそこ。」

 ふと、すぐ隣で声がした。誰も言葉を返さないから多分俺宛の言葉だと思い振り向くと、ウェーブのかかった赤茶ボブヘアーの女子がボールペンと書類を持って立っていた。

「白河。」

「三上君は入ってこなくて良いの?」

その言い振りだと俺もあの一味みたいじゃないか。確かに普段はつるんでいるが、あの会話の時に限っては俺とあいつらとは赤の他人だ。

「俺、アイドルトークとかあんまり好きじゃないんだよ。」

「アイドルねえ・・・」

 白河は何故か少し思いつめるような顔をした。

「月島のことをアイドルと呼称するのは女子から見てどうなんだ?」

 白河は一瞬意外そうな顔をした。

「そうそれなんだけど、月島さんって女子の間でもアイドル化されてるから、それについてはみんな何も思わないっていうか、むしろ同感なんじゃないかな。でも・・・」

「友達いないのか?」

「デリカシー無いね。」

「すみません、反省します。」

 そういえば月島が特定の誰かと一緒にいるところって見たことがないような気がする。

「私はずっと友達になりたかったんだけど、月島さんって、なんというか自分からに人を拒絶しているような節があって・・・」

「あー、なんとなく分かる気がする。」

ただ、それならどうして悠人とは付き合っているのだろうか。こんなことなら電車の中で悠人に二人の馴れ初めとか聞いとけばよかった。朝の俺はそのことと告白のこととでぐちゃぐちゃになっていたので結局どっちも解決していないでいる。

視線を戻すと白河は又も意外そうな顔をしていた。

「どうしたんだ?」

「なんだかんだ、三上君も月島さんのこと見てるんだな・・・って。」

 なぜか微妙な空気になる。それに、気のせいかもしれないがさっきからクラスメイトたちの視線がここの一点に集まってきているように感じる。俺はとっさに話題を変えることにした。

「それ、文化祭関係か?」

 俺は白河が手に持っている紙切れを指して言った。

「・・・あっ、そうそうこれ。」

 白河もわざとらしく応じ、持っていた書類を俺の机に広げた。そこには『木材、ダンボール、布、ペンキ・・・』とおそらく白河の字で書かれた箇条書きの文があった。

「字、綺麗だな。」

「でしょ。一応中学まで習字習ってたから。・・・じゃなくて、買い出しのリスト!」

 ノリツッコミとは、ちょっと意外だ。

「まだ途中だから、もう少し増えると思うんだけど。放課後、買い出し付き合ってくれない?」

「喜んで!」

「えっ、これってそんなに喜ばしいこと?」

 周りの連中がクスクス笑っている。男子はともかく女子まで・・・

「い、いやその・・・文化祭の準備サボれるなぁ~って。」

「文化委員がなに言ってるの・・・」

「すみません。」

 気のせいか、さっきより周りがざわついている。いや、これは気のせいじゃないな。

「次、移動教室だし私はもう行くね。放課後よろしく。」

「ああ。」

 俺は教室から出ていくシャキッとした背中を見送りながら、同時にこのあと訪れるのであろう面倒事への対処法を考えていた。

 教室の扉が静かに閉められる。それが合図になった。

「デートか。」

「デートだな。」

「どう考えてもデートじゃん。」

月島ファンクラブの三人が俺を取り囲んでいた。

「聞いてなかったのか?文化祭の買い出しだって。」

 言っても無駄なのは分かっているが一応言っておく。

「デデンッ。男女が二人でお買い物、これ、なんと言う?」

 無視かよ。

「ピンポンッ。」

「藤野君どうぞっ。」

「デート!」

「正解!」

 俺に解答権は無いのか・・・

「真面目な話、お前、白河さんに告る気は無いのか?」

「それは・・・」

 実は今日中に告白しようと思っている、なんて言うわけない。こいつらのことだ俺たちの買い出しを尾行してくるに違いない。俺が言わない決意を固めた矢先、一番来てほしくないタイミングで一番来ちゃいけない男が教室のドアを開けた。

「おーい慎士。現文の教科書貸してくんない?」

「悠人!?」

 どうして今来るんだ・・・とにかく速やかに現代文の教科書だけ押し付けてすぐに追い出そう。そう考えて机の横に掛けてあったリュックサックのファスナーを思いっきり引っ張ると盛大に噛んだ。

「おっ、颯太、康平、遼太郎も、なに話してたの?」

 俺がファスナーをガチャガチャしている間に事態は最悪の方向へと着実に向かっていた。

「白河さんの話。」

 彼女とアイドルは別腹の颯太が俺を指さしながらそう答えた。俺は白河じゃねえよ、なんてのんきなツッコミを入れている場合じゃない。悠人が空気を読むか否か、後者だった場合に備えて俺は全精神を研ぎ澄ませる。悠人が口を開いた。

「慎士、今日中にこく・・・」

「月島さんとは・・・」

「あああっ、そうだ慎士に聞きたいことあったんだった!」

「奇遇だなあ、俺もだ!」

 目配せし、俺達は逃げるように廊下へ飛び出して階段の踊り場まで行ったところでようやく足を止めた。

 先に口を開いたのは悠人。

「慎士、なんてこと言うんだ。俺の命がどうなってもいいってのか?」

 さすがに命までは取られないと思うが、言いたいことはよく分かる。というか分かっていたからこそ言ったんだ。

「悪い、お前が告白のことバラそうとしたもんだからつい。」

「えっ、颯太達にはまだ言ってないの?」

「言ってないっていうか言うつもりもない。あいつらのことだし告白の瞬間をこっそり覗き見しかねないだろ?」

「ああ、それはその通りかも。ごめん、空気読めなかったね。」

 分かってくれたならいいさ。それに、さっきので痛み分けだ。

「でもちょっと分が悪いな。」

 抜け目ないな。まあ、被害の差は歴然だろうし、ちょっとは考慮するか。

「どうだ、現代文の教科書を貸すというので手を打ってはもらえないだろうか。」

「じゃあそれでおあいこってことにしよう。」

 案外すんなりいった。いや、はじめからそっち目当てだったってことか。まんまとしてやられたぜ。

 俺は自分の教室へ向かい、ファスナーが駄目になったリュックから無理やり教科書を抜き取り、悠人に押し付けた。

「ありがとう、助かったよ。」

そう言って悠人が出ていくとほぼ同時に、二時間目開始のチャイムが鳴った。

俺は教室にひとり取り残され・・・

あれ、どうして俺ひとりなんだ?

間もなくして俺は自分の失態に気づく。二時間目は移動教室で、今からじゃどう頑張っても点呼には間に合わないという事実に。

「しまったな・・・」

 誰もいない教室に俺の声が虚しく鳴り響いた。


 人生初の生徒指導室である。とは言っても指導を受けるわけではなく、遅刻届けを書いてハンコを押してもらうだけだった。

 まさかこんなしょうもないことで皆勤賞を逃すことになるとは・・・

高校に入って遅刻したのは今日が初になる。だから当然、遅刻届けを書くのも今日が生まれて初めてだ。こんなことなら遅刻常習犯の悠人に書き方教わっておくんだった。

 クラス名前、遅刻した時刻までは書けたが、はて、遅刻理由の欄にはなんと書けばよいのだろう。

『友達と話していたら遅れた。』これではあまりにマヌケだ。まあ、本当なんだけど・・・

 『教室を間違えた。』高三になってもう半年だぞ。これも事実だが・・・

 おとなしく『自分の不注意でした。』くらいで手を打つか。

 ハガキほどもないわら半紙をひらつかせながら廊下に出ると、同じく遅刻した女子生徒と丁度入れ違いになった。

「あ、ごめん。」

「いえ、こちらこそ。」

 女子生徒は軽く会釈して生徒指導室に入っていった。

セミロングくらいのまっすぐな黒髪。人形のように整った顔。突然で気付かなかったが、俺はその人物を知っている。そもそもうちの生徒で彼女を知らない生徒はいないだろう。

見間違えようもない、それはわが校の生徒会長であり、アイドルであり、そしてどういうわけか、東悠人とお付き合いを初めて二年半になるらしい謎多き美女、月島菜々子だった。

それにしても、生徒会長を務める程の彼女が遅刻とは珍しい。手荷物の量から考えるに、今学校に着いたところか。きっと病院に寄っていたとかそういうまっとうな理由があったのだろう。

 なんて、人の心配をしている場合ではない、俺も珍しく遅刻をしている身なのだ。さっさと生物講義室に・・・

「あのっ、ちょっと待ってください。」

行こうとした俺を女の声が呼び止めた。俺の後を小走りに追ってきたのは、紛れも無く月島菜々子だった。しかし、彼女が俺を呼び止める理由ってなんだ。思えば彼女との接点は親友の彼女って言うことぐらいで、それも俺がそれを知っていることを彼女は知らないはずだ。いや、チャットかなんかで悠人が伝えた可能性もあるし、口封じ・・・とか。

色々考えたが結局俺の予想は全くあてにならなかった。なにせ第一声がこうだった。

「今この辺りに殺人鬼がいるので気をつけてください。」

これが初めて話す相手に対しての一言目であるだろうか?いや、普通はそうではない。結論から言うと彼女はまず普通ではなかった。

「身長は175センチ前後で深緑のキャップを被っている男を見たら直ぐに逃げてください。おそらく男はあなたを含むうちの生徒何名かを狙ってくるはずです。」

意味が分からない。今までアイドル的立ち位置にいたから気にもしなかったが、もしやこの子はデンパなのか?そう思うほど、彼女の発言には現実味が無かった。

「ごめん、ちょっと話についていけない、すると学校には遅れたのもそれが原因しているのか?」

 なんだこの演劇の読み合わせみたいなやり取りは・・・

「詳しくは説明できないんですけど、そんな感じです。」

 どういうことだ、忠告しに来たと思いきやその詳細については語れないって、それじゃ流石に信用のしようが無いだろう。

「納得のいく説明をしてくれ。」

「私、急ぐので・・・帰るときはくれぐれも気をつけてください。」

「あっ、おい・・・」

 俺の質問には答えず、それだけ言い残して彼女は走り去っていった。一体何だったんだ、不審者?俺たちを狙っている?どうして?疑問だけ押し付けられて少し不安にさせられて、結局なんの話しかさっぱりだった。やっぱりただの電波発言だったんじゃないか?

遠ざかる足音だけが鳴り響く廊下に一人取り残され、しばらく考えたがむしろ謎は深まるばかりだったので、仕方ない、俺はまた生物講義室へと針路をとった。

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