第11話 トラウマ

 その夜、仕事を早めに切り上げた俺はすぐに家へと戻り、押し入れの中に眠っていた旅行用のカバンを約二年半振りに取り出して二日分の衣服とエチケット用品をその中に放り込むんでファスナーを閉じた。とりあえず準備完了。時刻は十九時十分。

 二十一時には新大阪駅で隆二と合流しなくてはならない。ここから新大阪までは電車で一時間もあれば行ける。中途半端な時間だな・・・

 家でじっとしているのも退屈なのでとりあえず荷物を持って外に出た俺は最寄りの駅に行く途中で暇を潰そうと考えたが、あるのはコンビニぐらいで大して時間を潰すことも出来ず、おにぎり、スナック菓子、コーラなど車内で口が寂しくならないような軽いものを隆二の分も含め購入して十九時三十分には最寄り駅に着いていた

 まあ、ちょっとくらい余裕があったほうが良いか。

 十九時三十六分、難波方面尼崎行区間準急に乗った。

 乗って最初に気付いたのは、平日の十九時代に田舎から都会に向かう人はまあ少ないということで、乗客も各シートの端にチラホラ座っているくらいだった。俺はそのどちらかに詰めて座るわけもなく左右から均等な距離であるセンターに深々と腰を下ろした。隣に大きな荷物を置いていても誰の迷惑にもならないのは気が楽でよかった。

 電車の揺れや走行音を聞いているとやはりあの時のことを思い出す。

スローモーションで落ちているはずなのにまるで宙に舞っているような感覚。終りが来るのをただ待つことしか出来ないという諦観。

本来なら俺の方こそ電車に対して何かしらのトラウマを抱いてもいいだろうに、あのときの俺に恐怖の色はなく、だから今もこうして何食わぬ顔で電車に乗れてしまっている。

昨日、珍しく隆二にも心配された。六時間掛けて車で東京まで行くという案も出たのだが、お互い仕事終わりで疲れているしそれで事故ったら元も子もないだろうということで、その後出た「夜行バスなら問題ないやろ。」という隆二の提案を押しのけて、俺の方から新幹線という手段を提案した。なんでも旅費はシェルゲームズ持ちらしく、俺もご足労願われて行くのだからそれなりの贅沢をさせてもらおうということで、グランクラスというやつに初乗車することになって、今は良い意味でドキドキしている。

そうそう、リニアモーターカーを使えば一時間で東京に着くことも可能だったのだが、それじゃ疲れも取れないし、夜の十時に着こうが十一時に着こうが鳥羽紬に会うのは明日の昼を予定しているので、特に急ぐ必要もないから辞めた。

リニアモーターか。今となっては当たり前のように存在する交通機関の名だが、ちょと前、それこそ一昨日体験したゲームの世界観ではリニアモーターカーは構想段階のものでしかなく、少なくとも俺が生きてる間では完成していなかった。悠人や月島はその瞬間を見ていたかもしれない。

そもそもあのゲームの舞台は何年前の日本なんだ? さっきコンビニに寄った時も久々に完全自動のレジを見たような気がしたし、会計の時なんか、無意識に財布を探してしまった。財布なんて今やファッションの一部でしかなく、実際に使われているところを見ることなんてないはずなのに。

まあ、その辺りの設定なんかについてもこの後の電車旅の中で隆二に聞いてやろう。ほら、やっぱりリニアにしなくて正解だ。

・・・そんなことより、俺はこれから白河、正確にはそのプレイヤーだった鳥羽紬という人物に会うのだ。正直ファーストコンタクトをどうすればいいのか、そもそもそれをファーストと言っていいのかも分からない。隆二に見せられた資料が二ページて終わっていれば確実に躊躇っていただろう。あの三枚目さえなければ・・・

三枚目の件はとりあえず今は置いておいて、今はとにかく鳥羽紬との事実上初対面になる再開に向けて何かしらの策を講ずる必要がある。なんでも、彼女はゲームでのトラウマから電車や踏切、駅のホーム、またそれに準ずるものへは近付けないらしく、おそらくその「準ずるもの」の中に俺も含まれているというのは昨日の審議でも出た通りだ。

じゃあどうやって対面しろというのだ。隆二は『一度俺を見た彼女がパニックに陥ったところにすかさず俺がハグしに行く。』とか適当なことをほざいていたが、それでうまくいくのはアニメやドラマの世界の話であって現実がそんなに甘くないことくらい二十五年(あの十八年を入れたら四十三年になるがまあいいや)生きていれば分かる。

もしかして隆二ってあのツラで童貞なんじゃないか・・・そうならこのあと試しに火山さんのこと女性として紹介してみようか。

どちらにせよそういうくだらない話は隆二と会ってからだ。後でゆっくり出来るように今はただ作戦を練ることに専念することにしよう。

そう思った時には鶴橋駅到着のアナウンスが流れていた。慌てて立ち上がった俺は、降りようとしたギリギリで置き忘れた荷物に気付いてすぐさま引き返し、閉まるドアに挟まるスレスレのタイミングでなんとか降車に成功した。少し脇のあたりがヒンヤリしている。これは後で臭くなるやつだ。

上がった心拍数を元の状態まで戻そうと深呼吸を何回かしていると時計の針に目がいく。針はまさに乗り換え時間一分前を指し示していた。人の並んだエスカレーターを横目に階段を駆け上がった俺は磁気定期を購入していたことに感謝しながらワンタッチで改札を通って閉まる寸前の電車にそれがどっち方面の電車かも確認しないまま飛び乗った。プシューとドアが音を立てて閉まる。

真っ先に確認したのはドアの上にある電光掲示板。運のいいことにそれはこの電車が新大阪行きである事を告げていた。それでようやく一息ついた俺だったが、さっきから上がったままの心拍数を下げるのに必死で、策を考えることなどすっかり忘れ、呼吸が正常になる頃には新大阪に着いていた。

今夜はゆっくり眠れそうにない。



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