第12話 グランクラス
待ち合わせ場所に隆二の姿は無かった。腕時計を覗き込むと二十時三十五分とあった。そりゃ隆二も居ないわけだ。待ち合わせ時間より二十五分も早い。
走る必要なかったやん・・・
だからといって急いだ分考える時間を得たかといえば別段そういうわけでもなく、五分後にはキャリーバッグを引くサングラス男が姿を現した。
「よっ。」
「なんやその格好。」
その身なりは、さながら清水寺を見に来た海外旅行客といった感じで、まさかこの男が今から出張だとはここにいる誰も思っていないことであろう。同行を願われた俺の私服の方がまだマシなまである。
サングラスを外し胸ポケットに差し込んだ隆二がワックスで固められた髪をかきあげながら「平日に悪いな。」とだけ言った。
高校デビュー、大学デビューに失敗した分を二十五歳にして取り返そうと頑張っているような隆二の姿を見ていると、この男を童貞だと疑った俺の感性はあながち間違っていなかったのかも知れないと思えてきた。
「お前に紹介したい女性が居るんだが。」
「はっ? なんやいきなり。」
「まあまあ、そのことも含め電車が来たら色々話そう。」
買ってきたおにぎりを渡して、だいたい十五分くらい控え室で軽めの晩飯を済ませると新幹線到着のアナウンスがホームに流れた。流線型の先頭車両が減速しながら俺たちの前を横切り、続いて二、三、四・・・と車両が通り過ぎて行き、最後尾の十二両目が俺たちの目の前に停まった。
「この一両がグランクラスか・・・」
俺の隣で隆二が感嘆のような独り言を漏らした。
「乗ったことないんか?」
「ないな。」
まあ、一平社員たる二十五歳の我々が興味本位で乗れるものでもない。確か普通席の倍はしたはずだ。こんなもの、会社からの手当てが無ければ乗ろうとは思わない。シェルゲームズ様様や。・・・いや、そもそもシェルゲームズのせいでこんなド平日に大事な有給を二日も消費して東京に繰り出す羽目になったことを忘れてはいけない。アフターケアをしっかりしていれば俺の手を借りる必要もなかっただろうに。 だいたい・・・
目の前で片開きのスライドドアが静かに開いた。真っ先に乗り込んだ隆二に続いて俺も乗り込む。さっき隆二から渡されたばかりの切符を切ってもらい、入ってすぐ右にある自動ドアをくぐると、そこには乳白色を基調にしたロイヤルな空間が広がっていた。
俺がすっかり見とれている中、隆二は最初こそ感嘆を述べていたがすぐに手元の切符を確認して自分の席を求めて歩き出した。まあ、ここに立っているのも後ろがつっかえて迷惑だと思い、それからすぐ俺も隆二の方へ歩き始めた。
車両の幅は普通車やグリーン車と同じはずなのにかなり広く見えるのは多分シートの数が少ないから、確か座席の数はグリーン席の四分の一くらい。
「ここや。」
隆二が指した二人がけの席に腰を下ろす、少しして通路を挟んだシングルシートに銀髪と白ひげを蓄えて白のジャケットを着たいかにも金持ちそうなお爺さんが座った。
これがグランクラスか・・・
全員が席に着いたところ女性客室乗務員によるアナウンスが流れた。なんでも今から弁当と飲み物を無料配布してくれるという。しかも飲み物はソフトドリンク、アルコールどちらでも飲み放題らしい。
俺がコンビニ寄った意味よ・・・
弁当とビールが広げた折りたたみテーブルの上へ並べられ、列車が動き出したところで隣でスパークリングワインを持っていた隆二と乾杯した。この男、すっかり長期休暇のバカンス気分である。
さて、ここで本題に戻ろう。ゲームによってトラウマを抱えてしまった鳥羽紬、彼女を救う手段がシェルゲームズにはあったんじゃないだろうかと俺は思っている。だから、どうしてそれをやらないのかずっと疑問だった。
「お前らなら記憶を操作してトラウマになる原因の記憶だけ取り除いたり出来るんやないん?」
人も記憶をメモリースティックに保存したのだ。では、逆に消すこともできるのでは?そう思ったのもつかの間、隆二の答えはノーだった。
「記憶をコピーしたり貼り付けたりするのは出来ても、削除することは技術的にも倫理的にもできへんねん。やれたらやってるって。」
「そんなに違うんか?」
「そうやな〜どう言ったらわかりやすいか・・・じゃあまず、俺たちがやってるのは厳密に言うと記憶の操作やなくて脳の操作やねん。」
脳の操作と記憶の操作、聞いた感じ何が違うのか素人の俺にはわからないが専門家が言うのだから違うのだろう。
「やから言ってしまえば俺らは脳をコピーして脳を貼り付けてると考えてみてくれ。ほら、脳を削除・・・ヤバイやろ?」
そりゃヤバイに決まってる。というかその例えなら前の二つも凄いことになっているが、まあ、要は脳の記憶を担う部分以外の情報もまとめて操作しているがために記憶だけをいじることはできないと言うことだろう。
「まあなんせ、やれるもんならやってるってことか。」
「そういうことや。出来へんからお前を呼んだ。」
「なるほどね。」
桐箱仕様の弁当箱を開ける。現れたのはかなり上品で彩色鮮やかな、真夏なのに正月みたいな弁当箱だった。
「かなり豪華やな・・・」
同意を求めようと隣を振り返った俺が見たのはサンドウィッチに齧り付く隆二の姿だった。
「お前、洋食頼んだんか。」
「おん、俺がおせち系の具材苦手なん知ってるやろ? ・・・うわっ、なにこのハム、めっちゃ美味いやん。」
十年前はそうだったが、言っても大人にもなったわけだしそろそろ和食の良さにも気付いていると思ったんだが、そうか、まだ駄目なのか。
そういえば、この男を目にかけている女がいた。彼女が今の彼を見たらどう思うのだろうか。あ、なんか気になってきた。そんな興味本位で俺は彼女を紹介することにしたのだった。
「隆二、お前さあ、火山菜々子って娘覚えてるか?」
「ああ、うちのアルバイトの・・・はっ? なんでお前が知ってるねん。」
「昨日会った。その友達でプレイヤーだった西野悠って娘とも。」
「あー、じゃあエージェントのことも知ってんのか。」
「まあ、彼女が俺を守ろうとしていたことも知ってる。」
言ってはいけなかっただろうか。流石にバイトの娘に社の機密情報までは話さないだろうし、隆二が何か言ってきそうな雰囲気もないからおそらく俺が知っている範囲では何も問題にはならないのだろう。ただし、昨日この男から見せられた資料とこの臨時出張は省く。
「ちなみに、彼女は鳥羽紬が今どうなっているか知ってるのか?」
火山自身から白河もとい鳥羽のその後については聞かされていない。もし知った上で俺に気を遣って黙っていたんだとしら彼女のメンタルが心配だ。
「それは大丈夫や、言ってない。それで自分を責められると困る。」
「やるやん。」
心の底から出た言葉だった。今初めてこいつが現場監督なんかを務められていることに納得がいった。お前もなんだかんだ大人だな。
「で、あの娘について言いたかったことはそれだけか?」
「いや、まだある。」
さて、こっからが一応本題である。まずはクリエイターの卵として。
「火山さん、将来はVR関係の仕事に就きたいみたいなんやけど、お前からもなんかアドバイスしたりーや。」
「はあ? なんで俺が。」
「それから彼女、隆二のこと好きらしい。」
「えっ・・・?」
ほんの数秒だが表情が変わったのがわかった。まあ無理もない。誰だってあんな絶世の美女が自分のことを好きだと知ればこのくらいの反応は取る。
ただ、予想以上にピュアなリアクションで、童貞疑惑は濃厚になってきた。
「でも彼女、学生やろ?」
成人男性としては当然の判断であるが、それ以上に言い訳のように聞こえた。
「大学生って言っても三回生だしもう未成年やないで。」
「いや、でもさ・・・」
照れ隠しに髪をかく今の隆二を見て、当の彼女は何を思うだろうか? 少なくとも期待は裏切られることだろう。だが、案外ギャップにときめいてしまうかもしれない。俺にはわからないが、ライトノベルの編集をやっているとそういう流れをよく見る。もちろん、フィクションがご都合主義であるのは重々承知の上だが、そういう物語がある以上そういう発想に至る人間も少なからず存在するということだから一概にないとは言い難い。。
俺は何を考察しているんだ。
「まあなんだ、大学生の女の子を弟子にとっていたらワンチャンあるかもくらいに思っててくれればいいわ。」
あれ、なんかライトノベルのタイトルみたいだな。とうとう俺にも分かってきたのかも知れない。今度こっそり書いて応募してみよう。
「・・・一応考えとく。」
そうか、やっぱりありなんだな。・・・ということは、やはりあの時仕事中にうっかり隆二のことを呼び捨てしかけた女性は彼女というわけではなかったんだな。
「あいつは男に対してはどんな奴でも『何々君』って言う。」
「そういう奴か。」
「そういう奴や。俺の話はもうええ、お前こそこれから会う鳥羽紬さんとどう接するか考えてるんか?」
橋を動かす手が止まる。
「なんや決まってないんか。なら今はそのことだけ考えとけ。」
仰る通りだ。そのための出張であり有給あり、グランクラスは余計だが新幹線に乗っているのもそのためだ。
弁当を平らげると隆二はこれから向かうシェルゲームズ秋葉原支店の責任者と連絡を取り出したので、俺も軽く横になりながら白河、鳥羽との対面に向けて役に立つかわからないイメージトレーニングを始めることにした。
革製のソファーを限界まで倒しても後ろの客に迷惑がかからないのはグランクラスならではだ。
そっと目を閉じて考える。
今の俺って彼女にとってのなんなんだろうな・・・
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