第7話 樋口紗綾
なんば駅から御堂筋通りに徒歩十分ぐらいのところにある適当な喫茶店に入った俺と紗綾は、カフェオレとアメリカンコーヒーをテーブルの上に並べてもう二十分は同じ話題で盛り上がっている。言わずもがな、さっきのゲームについてである。
お互い、普段からテレビゲームをやったりする方ではないのだが、俺の友人でそのプログラミングにも関わっていた桐谷隆二がやたらと勧めてくるものだから、デートコースがてら寄ってみたわけだ。
しかし、それがまたよく出来ていて、話すことが尽きないのである。
「そう言えば、紗綾も結構早くに起きたよな。」
俺が記憶を取り戻して、ちょうど身体検査が済んだ後だったから、プレイ時間にして言えば二時間弱ってところか。結構早死しているはずだ。
「四十二歳の時・・・大きな地震があって、倒れてきた電信柱かなんかの下敷きになって死んでもうたわ。」
「それは、災難やったな。」
「まあ、結局ゲームだったし良いんやけど。」
どうしてそう、すっと切り替えられるんだ。俺なんて未だに後悔しているくらいだ。もっと早く告白していれば返事ぐらい聞けただろうに・・・と。
白河・・・思えば最期まで名前で呼ぶことはなかったな。
でも、もしかしたら彼女も、こっちの世界から来ていたプレイヤーかも知れないんだよな・・・
まあでも、仮にもう一度彼女に会えるとして、それでも俺が彼女に会いに行くことはないのだろう。
俺はアメリカンコーヒーに口をつけるクールビューティーガールを見やった。
「・・・なに?」
「なんでもない。」
「あっそ。」
表向きにはそっけない態度を取るが、ホントは俺のことが好きで、すぐ嫉妬する。そういう面倒くさいところも含めて、俺も彼女のことを愛しているわけで、この現実世界で白河に会うのは俺的にも好ましくないのだ。
ゲームでのトラウマを現実でまで引きずってなければいいが・・・
コーヒーを飲み干した俺達は、その後二時間くらい街をぶらっとし、七時には予約していたレストランでディナーを頂いた。
本来ならそこでお開きにするつもりだったのだが、紗綾はまだ飲み足りなかったみたいで近くにあったバーに半ば強制的に連れられ再び乾杯した、ところまでは覚えているのだが・・・
なぜだ、どうして俺はシャワーを浴びてバスローブ一枚で二人がけベッドのヘリに腰掛けている?
ミッドナイトの静寂に、跳ねるしぶきの音だけが聴こえてくる。
どっちが誘ったんだ・・・俺か?
駄目だ、全然覚えてない。
「酒は飲んでも飲まれるな。」子供の頃、大人達が自分の体験談を交えながら話しているのを真剣に聞くふりしながら、内心「そんなわけあるかいっ」とツッコミを入れていた俺だったが、今言いたい。
酒は飲んでも飲まれるな。
酔ってる時、変なこと言わなかったかな?俺は忘れていても大酒飲みの紗綾は覚えているだろうから恐ろしい。例えば白河の話とか・・・と思ったところであることを思い出した。
昼間、ゲームが終わった後に休憩所で出会った女性、東悠人改め西野悠、おそらく彼女が入れたであろうポケットの中の紙切れ。正直、紗綾に知られて本当に困るのはこっちの方だ。丸文字で書かれた名前と電話番号なんかが記載されていたりでもしたら、今夜は逝くことになりそうだ。
慌ててズボンを探したが、どうしたわけか一向に見つからない。そもそも俺の身につけていた衣類全てがこの部屋には無いように思われた。
脱衣所か・・・
もちろん今脱衣所に向かえばちょうどシャワールームから出てきた紗綾と鉢合わせ、なんて可能性もある。だからといって紗綾が戻ってくるのを待っていては、仮に紗綾が気を使って俺の衣服まで運んできてその際運悪くポケットから紙切れがこぼれ落ちるなんてことにも成りかねない。
迷った挙げ句、俺は脱衣所への侵入を試みることにした。シャワーの音もあるので千鳥足になるほどではないが、やはりドアノブをひねるのには最新の注意を払った。
えーっと、どれだ?
傍らに水気を感じながら、そっちの方角は見ないように洗面所の下にあったカゴの前にしゃがみ込む。カゴは二つあり、予想通りその一つに俺の衣服が全て入っていた。一安心して隣のカゴに目が移る。
これは・・・
雑く畳まれたワイドパンツと白地Vネックの上に、きめ細かい花の刺繍が入った黒のパンツとブラジャーが乗っていた。
そういやこれ、今朝からVネック腰に透けてたな・・・
そんなことを思いながらブラジャーの方を何気なくつまみ上げていると、背後でシャワーの音が変化したことに気付いた。しぶきが直接床に当たるような音、磨りガラスの扉があるとわかりつつも反射的に振り向いた俺はそのまま凍りついた。
今の今まですっかり忘れていた。扉が、なんてレベルじゃない、そっちの壁全部がスケスケのガラスだった。
素っ裸の彼女と目が合う。彼女は特に局部を隠すような素振りもせず、ただそのまま黒い布を掴む俺の右手へと目線を移動させる。
眉をひそめた彼女が中指を立てて、口パクでこう言った。
し・ね。
結果的に死なずに済んだ俺だったが、ぐったりはしていた。紗綾はというと、やることやってさっさとまた風呂に入っていった。こればかりは男女でオーガズムのメカニズムに差があるから仕方ない。
ちょうど良い、この隙きに連絡先の方を片付けておこう。まだ見てもないのにあの紙切れが連絡先を記したものであると断定するのもどうかと思ったが、逆にそれ以外なにがあると言うのだ。
俺はさっき回収したズボンの中から二折になったメモ帳の紙を取り出し広げてみると、やっぱりというか、そこには女の子らしい角の取れた字で『にしの ゆう ○○○―○○○―○○○○』と書かれてあった。
ひらがななのは急いで書いたからであろう。それにしてもどのタイミングで書いたんだ?紗綾が入ってきてから慌てて書いたのだろうが・・・
とりあえず俺は、その電話番号をスマホの連絡先に追加して、用済みになった紙は、ズボンに直して後でひらっと出てくるのも怖いので、コンドームと一緒にティッシュに包んでゴミ箱に捨てた。
証拠隠滅。
それにしても、今日の紗綾はかなり積極的だった。紗綾とのセックスは今日が初めてで、普通なら男の俺がリードするべきなんだろうし、俺自身もそのつもりでいたのだが、すっかり主導権を奪われてしまっていた。聞けば酔った俺をこのラブホテルに誘ったのも彼女だったらしい。
欲求不満だった・・・理由はそれだけではないんだろうな。
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