第3話 門出の時

「・・・えーつまりこれは、荘周が夢の中で胡蝶になっていたのか、胡蝶が夢の中で荘周になっていたのか定かでは無い、という意味です。」

 二時間目、三時間目は気づけば終わっていてあっという間に四時間目、漢文の授業。前回まで孟子、荀子、老子と中国思想を片っ端からやってきて今回は荘子というわけだ。今やっているのはその中の『胡蝶の夢』という話で、ざっくり言うと夢だと思っていたものが実は現実で現実だと思っているこの世界の方が実は夢かもしれない。という内容だ。

 例えば今朝見た夢・・・あれが現実で、ショックで気を失っている間見ている夢がこの世界、にわかには信じがたい話であるが、完全に否定することはできない。俺が白河に告白した途端目が覚めたりして・・・冗談じゃない。

 そうだ告白だ。今日中にすると言ったものの、すでに今日の半分が終わっているにもかかわらずまだ告白のプランすら考えていないのは流石にまずい気がする。やっぱりタイミングは放課後の買い出しの時がベストだよな。問題はどうやって切り出すかだ。恥ずかしながら俺は恋愛というものを生まれてこの方十八年一度もやってこなかったたちで、ドラマやアニメなんかでの告白シーンは割と観てきた方ではあるが実際それが現実でも通用するとは思えない。臭いセリフは現実だとチープに聴こえるだろうし、だからといって「付き合おう」なんて言葉をなんの前置きもなくいきなり発する度胸は俺にはなさそうだ。先駆者の助言を仰いでみるのもいいかもしれない。だとすれば颯汰はあてにならないし、悠人だな。

チャイムが鳴り起立、礼をクラス委員の合図で行うや否や、早歩きで廊下へ出、悠人のいる一つ隣の教室のドア前で待ち伏せた。しかし、授業が若干長引いたみたいで、これなら別にクラスの視線を集めてまで早歩きをする必要はなかったじゃないか、としょうもない後悔をしていると、俺が待ち伏せしていた後ろ側のドアがガラガラと音を立てて開き、中から人がどっと溢れ出た。彼らが向かう先は食堂だろう。その人の流れには悠人もいて、すぐに目が合った。

「どうした?」

「お前、誰かと昼飯食う約束してるか?」

「うん、してるね。」

 普段、俺は食堂に行くことはない。ありがたいことに母親が毎朝弁当を用意してくれているので、ホームルーム教室で月島ファンクラブの三人と一つの机を囲む、というはたから見れば非常にむさ苦しい昼休みを過ごしている。悠人は俺よりも人当たりがいい、昼飯を食うグループが一つや二つあってもおかしくはない。

「どうしたのさ。」

「いや、それならいいんだ。」

片手をひらつかせて迂回した俺を悠人は一言で引き止めた。

「恋のお悩み相談。」

 振り返ると図星だろ?と言わんばかりのニヤけ面が目に入った。お見通しかよ。

「それなら来なよ。」

「いや、でもそれ・・・」

 歓迎してくれるのは非常にありがたいことではあるが、周りに人が居ては話せないだろこういうのって。もはや公開処刑じゃないか。

「女性側の意見も聞けるよ。」

「なおのこと駄目だろそれ。てか、女子と飯食って大丈夫なのかお前?」

「じゃあ行こうか。」

 無視するな。

 悠人はどうしても俺を辱めたいらしい。結局抵抗を続けるのもそれはそれでしんどかったので、仕方なく、ほんと仕方なく俺は悠人について食堂まで・・・

「なあ、悠人。」

「なにさ?」

 流れ的に俺は食堂のど真ん中で自分の恋を赤裸々に語らされるものだと勝手に思ってそれなりの覚悟を決めてきたつもりだったのだが、

「食堂はこっちじゃないぞ。」

「そうだね。」

「そうだね?」

 分かっているならなぜ引き返さない。友達と約束してるんじゃなかったのか。どうしてこんな人気のない校門の方に針路をとっているんだ。

「別に高校のランチスポットは食堂に限らないでしょ。」

「だとしても屋上が開放されていないうちじゃ教室か踊り場のベンチくらいのものだろ。」

「よし着いた。」

 ・・・でどうして駐輪場裏なんていうコアなスポットに行き着くんだ。小学生の秘密基地かよ。

 ベンチもテーブルもない、床が幸いコンクリートになってはいるが、おそらくそこは校舎建造の際にたまたま残った余剰スペース、普通に考えれば人が寄り付く場所ではない。にもかかわらず、その奥の壁際には悠人の言った通り、女性らしき人影がちゃんとあった。

「ごめん、授業が長引いちまった。」

 悠人はその影に向かって呼びかけた。すると影はこちらに振り向き、正確には影だと思っていたのは彼女の後ろ髪で、正体はすぐに露わになった・・・

「あっ。」

「えっ?」

声を上げたのは俺とその女子生徒。俺は反射的に彼女に対して人差し指を向けていた。

「なになに?その『あのときの・・・』みたいなリアクション。」

 間に立っていた悠人も困惑するもんだからしばらく変な沈黙が続いた。とはいっても体感で五秒行くかいかないかくらいの間で、腕をおろした俺は緩んでいた口元を一度引き締め、鼻で軽く一呼吸した。

「悠人、お前が言ってた女性側の意見って・・・」

睨みつける俺に悠人はにこやかに頷いた。うわ、殴りてえ~。

「ってことは、どう考えても場違いだろ、俺。」

 彼氏彼女のランチタイムに彼氏の友達が加わって、この状況で誰が得をするというのだ。自慢か、自分の幸せぶりをひけらかしたいだけか?そうなら今直ぐにでも幸せの対義語について考えさせてやる。

と、思ったがどうやら悠人に対して軽蔑の眼差しを向けているのは俺だけではなかったみたいで、この状況下に納得のいっていないのは彼の彼女、月島菜々子も同じだったみたいだ。これはある意味修羅場なんじゃないか?

「二人ともちょっと落ち着いてよ。悪意はないんだ。これにもわけがあってとりあえず睨むのやめてもらえる?」

俺はあくまでも慌てふためく悠人が見苦しかったので目をそらした。

「で、なんだ?」

「話してる時はこっち見ようよ・・・いや、だから睨むんじゃなくて、ああ、わかったもう見なくていいや。」

さっきから睨んでいるつもりはなかったんだが、悪い、無意識だ。

「えーっとね、まずこいつは俺の親友、三上慎士。菜々子にはさっき言ったけど、こいつが俺たちの恋仲を知っちまった唯一の人間だ。」

おいおい、親友とか言って持ち上げた割に酷い言いようじゃないか、知っちまったって、お前が勝手に自慢したんだろ。彼女に本当のこと言ってやろうか?

「だから、二人で釘を刺しておこうってか?」

「そうじゃないって、釘なら既に刺し合ったじゃんか。」

「あーたしかに。」

一時間目のあとに交わしたやつか。

「じゃあその件はもう解決済だろ。」

「うん、だから今回は一方的なお願いなんだけど、慎二の告白が成功した暁には、白河さんに菜々子とも仲良くしてくれるように頼んで欲しいんだよね。」

「それは一向に構わないが・・・」

俺が頼むまでもなく、白河ならそうするであろう。

「ちょっと悠人、私はいいって言ったじゃない。」

反対したのは当人の月島だった。自分から距離を取っている、という白河の見解はどうやら当たっていたみたいだ。あと俺は敬語を使う優等生チックな月島しか見たことないので、タメ口で怒る彼女は凄く新鮮だった。

「でも、菜々子がいつも独りでいるの、俺見てられなくてさ。」

「だからいいって。」

「いやでも、やっぱりさ・・・」

あの、俺はもう帰っていいか?

そこまで心配するんだ、目の前でカップルがイチャイチャしてるのを見せられている独り身である俺のメンタル面を少しくらい心配してくれてもいいんじゃないか?

俺が億劫な目で彼らのやり取りを眺めていると、悠人のねちっこい心配にいよいよ鬱陶しくなってきたのであろう月島が、悠人には聴こえない程度ではあるが確かにため息を一つ吐き、一瞬にして色気のある顔を構築して甘えた口調で言った。

「私には悠人がいるから。」

背筋がゾクっとしたね。絵に描いた優等生かと思えば朝の電波発言、そして今の女を武器にした行動。時と場合に合わせて色んなキャラを演じる、学園の男女両方から愛される学園のアイドル月島は、案外うちの学校で一番タチの悪い女かもしれない。月島ファンクラブの連中が急に哀れに思えてきた。

「そう・・・っか。」

思惑通り丸め込まれた悠人を見てさらに心配になる。こういうことをどこぞの他の男に対してもやっているんじゃないか、という最悪のケースを考えてしまった。気をつけろよ、親友。

「で、話はまとまったか?」

彼らのやりとりに関して色々言いたいこともあったが、この調子だと弁当箱を開くこともなく昼休みが終わってしまう可能性も考えられるので、さっと切り上げることにした。

「俺たちの方はとりあえず置いておいて、とりあえず慎士の悩みを聞くよ。」

悠人は隣にぴったりくっついた月島の耳元に、「それくらいならいいよね?」と囁いた。なんだそれ、内容丸聞こえだし、普通に喋れよ。

「それだけなら、まあ。」

てなわけで、ようやく俺は自分の要件を話せるようになったのだが・・・なんだろう、今こいつらに相談したら負けな気がしてきた。というかそもそも、よく考えたら、いや、よく考えなくてもどうして悠人なんかを相手に恋愛相談なぞせねばならないんだ。三十分前の俺はいったいどんな思考回路をしていたんだ。

「ってことだから慎士、話していいぞ・・・」

「悪い、俺やっぱり一人で考えるわ。」

「えっ?」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔、という言葉はこういう顔を言うんだろうな。でもその反応は正常だし、正解だ。なんてったって、昼飯を誘ってまで相談事をしたがっていた奴が急な手のひら返しでなにも話さず帰ると言うのだから。

「急にどうしたのさ?アドバイスが欲しいんじゃなかったの?」

「いや、やっぱりこういうのって、自分で考えて、悩んで、自分の言葉とかやり方で伝えなきゃ意味ない気がしてさ。それになりより・・・」

「なにより、なんだよ?」

「お前ら見てると相談する気失せたわ。」

「うわっ、辛辣。」

悠人は苦笑いしたのち、少し間を空けてから改まった口調で言葉を続けた。

「最後の一言は聞かなかったことにして、その判断は懸命だと思うよ。成長したじゃん。」

かくして俺は、先駆者の助言を授かるチャンスを気取った発言で払いのけ、この身一つでぶつかることを決断したわけだが、結局良い案が思いつくわけでもなくただただ振り出しに戻っただけだった。やっぱり相談するべきだったかな、と思うことも何度もあったが、あんなこと言った手前、おめおめと引き返すわけにもいかず・・・


気付いたら六時間目、ロングホームルーム。先週からこの時間は文化祭準備の時間となっていて、文化委員たる俺と白河は教壇に並んで司会を務めなければならなかった。と言っても基本的に前で話すのは白河だった。

「先週のロングホームルームでうちの出し物は・・・日本庭園風カフェ?」

白河は、その教室でやるにはやや無理がありそうなコンセプト名に確証を持てなかったのか、隣でクラスメイトの顔色を伺いながら突っ立っているだけの俺にクエスチョンマークを投げかけてきた。

「・・・うん。」

生暖かい視線を感じながら、躊躇いつつも、ここで何も言わないのも不自然だったので小声で頷いた俺は、やはりというか結局視線の温度が上がるのを感じていた。隣に立っている彼女も多分気付いてはいるが、そこはやはりしっかり者で定評のある白河だ。何食わぬ顔で、あくまでも文化祭委員の一人としての責任を全うした。

「日本庭園風カフェに決まり、外装の構想もだいたいまとまってきたので、今日からは本格的に制作していきましょう。」

 さっきから生暖かい視線を照射していた連中も、それが彼女にとっては効力のないものだと悟ったのか、ただただ賛同の意を口にするのであった。

 俺は何を気にしていたのだろう。

「段ボールは多目的ホールにある分は自由に使って良いそうです。それと、これから文化委員で買い出しに行くので何か必要なものがあれば言ってください。電話してもらってもいいです。」

それで委員からの報告は終わり、皆各々の持ち場について制作が始まった。結局、俺はこの間重要事項を黒板に記す程度の雑用に徹しただけで、白河自信が望んで多くを請け負っていたとはいえ、俺は若干の不甲斐なさを感じざるを得なかった。

「よ~う慎士。」

 教壇から降りるや必需品の確認に向かった白河、取り残された俺はいつの間にか男三人に取り囲まれていた。どうせまた「イチャイチャしやがってこのヤロー」的な、嫉妬と見せかけた、実際はただからかって反応を楽しみたいだけなのがバレバレな発言が飛んでくるのだろう。

「イチャイチャすんなよ〜」

「見せつけんなよ〜」

「公私混同するなよ〜」

まるで単細胞生物だ。他にパターンは無いのか。それと、公私混同はしていない。勝手に捏造するなアホ。

「お前らは何か必要なものあるか?内装係だろ?」

下手に反応すると喜ぶので、俺はここへきて委員会という立場を盾にした。多少の罪悪感はある。

だが、やはりというか効果は絶大だった。三人は揃ってつまらなそうな顔をすると、これ以上は何を言っても無駄だと悟ったのだろう、「班長の川田から白河さんに伝えてある。」と、事務的な返事をした。

ここまでは思惑通りだったのだが、そこへ白河が来たのは誤算だった。

「買い物リスト完成したから、今から出ようと思ってるんだけど・・・えーっと、どうかした?」

いま俺はどんな表情で彼女を見つめているのだろうか。多分あんまり良い印象は受けないだろう。背後で男どものクスクス笑い、とにかく今は変な空気にされる前に速やかにこの場を去りたかった。

「いや、なんでもない。買い出しだな、じゃあ今から行くか。」

「話は済んだの?」

 白河が後ろの三馬鹿に目をやると、三馬鹿は一語一句違えることなく、まるでリハーサルでもしていたかのような見事なユニゾンを披露してくれた。

「「「お構いなく!」」」

 告白することを知らなくてもこれだからな、仮に言っていたならどうなっていたのだろう・・・多分言わなくて正解だったと思う。でも、こんな気の使われ方をされるのもこれが最後になるだろう。別に成功を確証しているわけではなく、付き合うことになってもフラれても、きっとこういう気の使われ方はされなくなる、良くも悪くも変わってしまう。踏み出した以上、現状維持はない。でも、俺が選んだのはそういう道、日々変わっていく道を俺は求めた。だから名残惜しくても進まなきゃならない。別にこれでコイツラと会えなくなるわけじゃない、俺が進んだ場所には、一歩進んだコイツラがいる。悠人が俺に秘密を打ち明ける前とその後とで俺の悠人に対する対応が変わったように、一人の踏み出す一歩が変化させるのはそいつ一人のステータスだけではなく、周囲の人間をも巻き込んで変化させていく。どんな些細なことでも、世界全体が些細ながら変化していく、それが人生。たとえ今のゲームがどれだけ進化したって、いくらマルチエンディングのものであれ再現不可能な現実。

「じゃあ、いってくるわ。」

「「「行ってらっしゃい~。」」」

 俺が『言ってくる。』と言ったことには気付くはずもなく、いつも通りの面白そうな顔した彼らに見送られ、俺は教室の扉を開けた。

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