第9話 緊急事態

大先輩二人と別れたあと、そのまま自宅に直行しても良かったのだが、せっかく難波という大都会まで繰り出してきたわけだし少し寄り道して帰ろうと思い、でも地上は六時過ぎでも蒸し暑かったので直ぐに地下街に逃げ込んだ俺は『なんばCITY』にある大型の本屋へ、偵察も兼ねて行くことにした。

着くとまず、扉のない店の入り口からはみ出すように並べられた三、四台のテーブルにそれぞれ違うタイトルの本がびっしりと敷き詰め積み上げられている光景が目に入る。『何々賞受賞』というゴシック体の文字がいたるところに書かれてあった。

いつか自分の書いた本があそこに並べられることを願って一生懸命に創作活動に励んでいた頃が俺にもある。

いや、本当は今でも少し夢見てる。

高校、大学と文学の勉強をやってきて文書の体裁や表現方法という技術的な部分は最低限心得ているのだが、俺には面白いストーリーを考える想像力が欠けていた。

あくまで主観的な見解なのでそれだけが理由だとはっきり言うことは出来ないが、高校二年から年に一度応募していた文庫主催の新人賞には一度の佳作を除いてことごとく漏れていた。そして気が付けば大学四回生、学生の間に小説家としての地位を獲得できなかった俺は生きるための就職を余儀なくされ、今の会社で編集という立場を取ることになった。

しかしまあ、今の立ち位置もこれはこれで悪くない。面白いストーリーを書く人の隣で仕事をすれば俺自信の発想力も鍛えられるし、今まで培ってきた文法スキルだって『校正』の工程で十分に発揮することが出来る。

ちなみに俺がライトノベルの部署に入ったのは、ストーリー性を重要視する作家が多く、今の俺にとって学ぶことも多ければ校正のやりがいも大きかったからだ。

 どこか懐かしさを感じる本の匂いを堪能しながら店内奥の方へと突き進んでいくとひときわ異彩を放つ一角にたどり着いた。一瞬、隣りにある別の店なのではと思わせる、いたるところに『アニメ化!!』の文字が踊るカラフルな空間。そこで漫画と隣合わせに陳列されているライトノベル群の中に、俺の編集したものも並べられていた。それも、ありがたいことに背表紙ではなく表紙が見える配置で『好評に付き続巻!!』というポップが添えられていた。

 好評だったことも、おかげさまで続巻が決まったことも当然俺は知っているのだが、こうして現場に来てみると改めてグッと来るものがある。

 原稿もイラストも、製本前のデータで全て手元にあるのだが、なんとなく嬉しくなって購入してしまった。

 そんな時だった。ズボンの左ポケットが震えだしたのは・・・

 取り出したスマホが表示していたのは『隆二』の二文字。

「もしもし。」

「・・・慎二、今から少し会えるか?」

 事は一刻を争う、彼の声音がそう告げているのが分かった。 


 七時五十分、隆二の指示で俺がたどり着いた場所は本日二度目となるシェルゲームズ難波店だった。しかも今回は営業時間外につき正面入り口が閉まっているという理由で裏口から来てほしいとのことだった。

 裏口ってどこだよ。と思いつつも、とりあえず正面から見た真裏にあるのだろうということで路地裏に入ると、鉄の扉にもたれかかる隆二の姿があった。目が合うと、何も言わずに扉を開けて目配せで入るように言ってきた。俺も何一つためらうことなく隆二の後について行った。

「早かったな。」

 中に入って扉が閉まりきると、ようやく隆二が口を開いた。後ろでガチャっと鍵が閉まるような音がする。セキュリティーは万全のようだ。

「急ぎの用事なんやろ?」

「ああ。」

 本当はすぐ近くの本屋に居たから、早くというかむしろのんびりやっていたのだが一応家から急いで来たことにしておく。

「っで、なんでこんな時間にこんな所に呼び出したんや?」

 地下に向かう薄暗い階段。非常出口のランプが唯一の照明で、俺たちの他に誰も居ないのか、物音一つしない場所にコン、コンという足音だけが反響しているのがいかにも不気味だった。

「ちょっとお前の力が必要になったんや。」

 そこからまだ言葉が続くのかと思って黙って待っていると、階段が終わり『B1』と書かれた扉が目の前に現れた。隆二がカードをスキャンしてパスワードを打ち込み、解除された扉を開くと今度は見覚えのある場所に出た。

 白い貝殻がたくさん並んだ真っ白な部屋。ただし今回は分厚い透明の板壁越しに見えている。今、俺達が立っているのは水族館のように中の様子を一望できる通路だった。しかし、俺があっちに居た時にはこんな通路は見えなかった。おそらくこの壁にはマジックミラーが使われているのだろう。どういう意図かは分からないが・・・

「一応聞いておくが、俺じゃなきゃ駄目なんか、それ?」

 俺はここの従業員でもなければ、特にVRの技術についての知識があるわけでもない。正直言って俺がこの場で役に立つことは何一つないだろうし、ましてそれが唯一無二であることなどないわけだ。

「ああ、百パーセントお前しかできないことだ。」

 何をもってそんなことが言える。お前は俺の何を知っているんだ。少なくとも俺自信はそんな俺を知らない。

 細長い廊下を端まで歩き、管制室と書かれた扉を今度はカードキーとパスワードの後に網膜スキャンという三段ロックを解除して中に入る。おそらくここからはアルバイトも入ることが許されない。ホイホイとついて来てしまったが大丈夫なのだろうか。面倒事はごめんだぞ。

「適当に座っててくれ。」

 それだけ言って隆二は何かを探しに奥の方へ消えていった。

適当に座れと言われてもな・・・

部屋の四辺に数十台の小型モニターがあり二台に一脚ずつの間隔で背もたれの浅い回転チェアが配置されている。従業員は誰一人居ない。俺は右手にある椅子の一つに腰掛け、クルッと回って入り口から見た左側を向いた。壁だと思っていた小型モニターの上にある黒い部分が実は映画館のスクリーンくらいの大型モニターだということに気付いく。こんな情景は海外ドラマのFBI拠点かロボットアニメの母艦くらいでしか見たことがない。なにせ現実で目の当たりするのは初めてだ。

こんな場所に呼んで、いったい何を言う気だよ。

だいたい企業秘密の塊みたいな部屋に部外者呼んだ隆二は、かなり違法なことをしているんじゃないだろうか。思えばここへ来るまで一度も従業員を見ていない。やはり法に触れることをやっているのか。だとしたら今ここに居る俺も同罪に当たるんじゃないか?

マジか・・・

今のうちに逃げ帰るべきかどうか悩んでいると、奴が帰って来た。手に持った書類をひらひらと見せびらかしながら。

「おまたせ。」

 あー、迷わずにさっと帰れば良かった。書類が出てきて楽に帰れるとは到底思えない。なんの契約書を書かせるつもりだ。『インサイダー取引はしません。』みたいなことを誓わされるのだろうか。それだけなら良いんだが、見たところ書類は三枚あるのだ。

「なんや、それ?」

 念の為聞いておく。

隣のちょっと離れた位置にある椅子を引っ張ってきた隆二が俺の真横に、肘掛け同士がぶつかるくらいの距離で腰を下ろした。

「まあ、読んでみたら分かるわ。」

 俺の反応に期待するような表情で書類を手渡す。つまり、良くも悪くもこのあと俺はこの書類の内容に驚いてしまうということだ。どちらにしても疲れるな。

 気乗りしない手で受け取ると、まっさきに目に入ったのはそこに添付された1枚の写真だった。おそらく身分を照明するために撮ったのであろう飾り気のない女性の写真。だが、どうしたわけか俺はその女性のことを知っているのだ。見覚えがあるとかそんなレベルじゃなく、俺は彼女のことを、特に高校時代の彼女のことを俺はよく知っている。最初は見間違いかとも思ったが、いい反応が見れたという隆二の満足げな表情を見てそれは確信へと変わった。

「これ・・・白河か?」

「お前がそう呼んでいた人や。本名はそこに書いてある。」

 鳥羽紬、二十四歳、女、生年月日・・・

 名前だけじゃない。その書類には彼女に関する情報、プライバシーの保護のために本来ならシュレッダーに掛けなければならないようなことがいろいろと書かれていた。罪悪感で目をそらす。隆二の顔を見た。

「俺にこれを見せてどうしたい?」

 彼女が姿形何一つ違わないまま実在しているのを知って、そりゃ嬉しかったし、叶わなかった恋をもう一度・・・とか一瞬思ったが、でもよく考えたら俺には紗綾というガールフレンドがいて、もしかしたら向こうにもボーイフレンドがいるかも知れない。いや、あの見た目ならいるに決まっている。

 いま彼女に会いに行くことは事をややこしくするだけで、お互いにとって利益はないのだ。

「次のページを見てくれ。」

 その時、さっきまで俺の反応を楽しみにニヤニヤしていた男とは思えない程、隆二の声や表情は真剣そのものだった。何だよ、気持ち悪いな・・・

 不信感を抱きながらも俺は隆二の言う通りにホッチキスで留められ書類を一枚めくろうとした。

「・・・」

 めくり切るか否かのタイミングで俺の手が止まった。

「おい、これって・・・」

 隆二が神妙な面持ちのまま頷く。

 ページをめくり切ってからもう一度そこに現れた文面を読み返す。そこにはこう書いてあった。


―診断情報 心的外傷後ストレス障害・・・駅のホームや踏切、電車の近くを通る際は注意を払ってください。移動に電車は使わないようにしてください。・・・―


「VRゲームの体験中に負った障害で間違いない。俺たちシェルゲームズの責任だ。」

 文章を読み切って衝撃で固まっていた俺に、隆二は付け加えるように言った。

 先日の悠の話を聞いてもしやと思ってはいたが、まさか実際にそうなるとは・・・今ものすごい悪寒がしている。たった三時間のゲームのせいでこれからの人生に障害が出るなんて、馬鹿げている。

さっき隆二は俺たち会社の責任だと言った。もちろんそうだとは思うが、なぜそれで俺が呼ばれるのだ。

「さっき、俺にしかできないことがあるとか言ってたよな。」

「ああ、書類を見て分かったと思うが、これは社運にも関わる大問題や。一刻も早く解決しやな、マスコミが来て今回の事件を報道でもされたらシェルゲームズ解体なんてことにもなりかねない。」

 結局会社の心配か・・・冷たい男だ。

「てかっ、何か打つ手があるのか? もしかして、プレイ終了後の俺達に記憶を再ダウンロードさせたみたいな感じで、今度は逆に要らない記憶を削除したりするのか?」

「残念だがそれはできない。第一できるものならとっくにやってる。」

それもそうか。それじゃあ俺を呼ぶ必要も無いわけだしな。

「じゃあどうすんねん。」

 これが確実な方法ってわけではないんやけど・・・という前置をして隆二は言った。

「鳥羽紬が現実でもフラッシュバックを起こすんは、未だに仮想と現実の区別がはっきりしていないからやと俺は思ってる。幸いお前はゲーム中もその格好だったし、お前が生きていることを目の当たりにすればあるいわ・・・という考えや。」

 なるほどな、そういう考えもあるにはある。だが・・・

「彼女が俺とあったら俺の死に際を思い出して余計症状が悪化するかもしれんぞ。」

「その可能性も充分あるのは分かってる。せやから俺的にはアフターケアまでお前に託したいんやけどな。」

「・・・それって、俺に彼女と付き合えと言っているんか?」

「あかんか?」

 よくそんな事を平然と言える。知らないならまだしも、この男は俺に現在彼女がいることを知った上で言っているのだから恐ろしい。

「あかんに決まってるやろ。何言うてんねん。」

 もちろん俺だって彼女の事を助けてやりたい。だがそうすることによって今一番大事に思っている女性が傷つくなら悔しいが躊躇うってものだ。

「会ってその日中になんとかしてやることは出来ないんか?」

「はあ、しゃあない。ホンマはこの手は使いたくなかったんやけど・・・」

 俺の提案など聞く素振りもなく、まるで最初から言うつもりだったような口調で、でも表向きには勿体ぶるような仕草で俺の手元にある書類を指さして、「最終手段や、三ページ目を見ろ。」とだけ言った。

 そこにどんな情報があろうと俺が紗綾を裏切ることはない。そう思いながらページをめくった俺は・・・人の決意とはこうもたやすく崩されるのだなとその時思った。

「なんやねん、これ・・・」

 まさにそれは最終手段。消して変わらないと踏んでいた俺の意志が覆った瞬間だった。

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