エピローグ

 長い不作と飢餓、そして戦争がフェルニゲシュに与えた爪痕は大きかった。

 王だけでなく、今まで国を動かしていた重鎮である大将軍・大神官が共に死んだ上、国中に広がった屍人兵の駆除が急務となった。

 幸いなことに、屍人兵についてはカラドリウス皇国猊下・クレアチオネが全面的な協力を約束し、始源神をはじめとする八柱神の神官達を次々と派遣した。国内では反発があるかと思いきや、すっかり崩壊神の教えに忌避感を育てていたフェルニゲシュの民は、おおむね好意的に受け止めた。補助として食糧支援が行われたのも追い風になる。これを機会にこの国でも信仰を広げるのだと息巻いている神官も多いらしい。布教は構わないが棄教を迫らないように、と釘は刺して貰ったが。

「信ずる神様が違っても、手を取り合うことは出来ますわ。だってわたくし、クレアチオネ様とお友達になったんですもの!」

 心底嬉しそうにミーリツァは兄にそう告げた。王都にある死女神の神殿で、彼女は旅支度を整えていた。カラドリウス皇国へ留学する準備だ。

「わたくし、此度の事で痛感いたしましたの。わたくしは、ものを知らなさすぎだと。立場に甘んじて、閉じこもるだけだったせいで、姉様の苦しみも兄様の痛みも、何も知らないままでしたもの」

「ミーリャ」

 そんなことはない、と慰めに頭を撫でてやると、それ自体は素直に受け止めるものの、ですから、と笑顔のまま続けた。

「わたくし、ちゃんと勉強いたしますわ。沢山のものを見て、覚えますわ。死女神様の教えだけでなく、他の神々の教えも知ったら、きっともっと、より良い答えを見つけられる気がするのです」

 笑顔のミーリツァだったが、目の端は僅かに赤い。アグラーヤの葬儀が終わってから、毎夜泣いているのだろう。――国を乱した愚王の宿命として、国葬では無く、家族として密かに城の裏手に葬った。首は――反乱分子や、他の国々を黙らせ、国民の溜飲を下げる為に、晒してからになってしまったが。きっとそれも彼女には我慢ならないものだったろうに、良く耐えてくれた。

「兄様、どうぞ見守って下さいましね」

「無論だ。辛くなったら、いつでも帰って来い」

『どうせ向こうに、必要なものは全部揃えてあるんだから、早く来ればいいじゃん』

 不意に第三者の声が響いて思わずヴァシーリーは息を飲むが、ミーリツァは嬉しそうに破顔した。

「あらまぁ、クレアチオネ様! 来てくださいましたの?」

 どうやら何度もこうやって、夢見で妹の元を訪れているらしく、彼女の寝台にどっかりと寝そべっている。ミーリツァも咎めることなく、うきうきと話しかけている。

「今クレアチオネ様へのお土産を考えていますの! わたくしの手に入るものなど、たかが知れておりますし……御手製の菓子などは、やはりお口に入れるのは難しいかしら?」

『別にいらな――お前が作るの?』

「はい、手慰みですが、精一杯頑張らせていただきます!」

『へぇ。ふーん。それなら別に、い――』

「要らぬのならば、また我が貰おう」

 ばさりと翼がはためく音がして、乱入者がまたひとり増えた。開け放っていた窓から飛び込んできたのは、銀の鱗を持つ若き竜人、ククヴァヤだ。

『はぁ!? なんでお前がいるんだよ!? またって何!!』

「最近よく遊びに来てくださいますので、味見を手伝って頂いておりますのよ」

「ご挨拶だな、神の爪先。此度は我も、ミーリツアに同行するというのに」

『なんで!!?』

 鼻を鳴らして竜人が宣言する言葉が寝耳に水とばかりに叫ぶクレアチオネをどうどうと宥めて、ヴァシーリーが説明する。

「イェラキ殿より、見聞を広める為、と国を離れる許可を頂いたらしい。それならばと、妹の護衛をお願いしたのだ」

『お前の仕業かー!!』

 すかすかと通り抜ける拳でクレアチオネがヴァシーリーを殴ってくるが、勿論全く痛くない。ミーリツァは周りが賑やかなのが嬉しいのか、うきうきとテーブルに作り置きの菓子を並べている。

「ククヴァヤ様は沢山食べてくださるので、作り甲斐がありますわ!」

「任せろ。お前の作る食事は、全て美味だ」

「まぁ、ありがとうございます! 一番上手く出来たものを、クレアチオネ様にお土産としてお渡ししますわね!」

 勝ち誇ったように胸を張るククヴァヤに、白い少女は歯噛みをしていたが、次のミーリツァの台詞でそれが逆転した。竜人の王の息子と皇帝猊下、どちらも手玉に取っているような妹の将来に若干の不安はあれど、彼女にこれだけ気安く話せる相手が二人も出来たと言うのは素直に喜ばしいだろう。本当兄馬鹿ですよね、とコーシカの声が聞こえた気がした。



 ×××



 宮殿へ帰る道の途中、ドロフェイの屋敷に寄った。家の大きさはそこそこ、寧ろ先だっての戦で功をあげた彼には似合わない程小さいものだが、代わりに庭がとても広い。そこで暇な時は部下を扱いていたりするのだが、今日も庭から元気な叫び声がする。

「そら、頑張れ! もう少しだ! ――おお、殿下!」

 怪我をしていない片手で棒剣を取り、同じもので殴り掛かってくる子供を相手取っていたドロフェイが、入ってきたヴァシーリーに気付く。素早く打ち合う剣を跳ね上げ、ころんと尻餅をついた少女が悔しそうな顔をした。

「うむうむ、良い顔をするようになった。どうですかな殿下、中々こいつは筋が宜しいですよ!」

「相変わらずだな、ドロフェイ」

 ぐいと顔を拭って立ち上がった少女は、簡素な衣服の下から覗く皮膚だけでなく、顔にまで崩壊神の祝詞が刻まれている。あの戦で、ドロフェイが抱きしめて光槍から庇い、生き残らせた神官の子供だ。沢山の犠牲は出たが、この子供だけ助けられたのは僅かな幸いであるだろう。

「ラーザリも、このように鍛えていたのか?」

「ええ、あいつも昔から生意気で、参ったと全く言わなくて」

「余計な事を吹きこまないで下さい」

 鋭く矢のように声を飛ばしたラーザリが、屋敷から出てきた。休憩用に水を用意していたのだろう、碗をまず子供に差し出す。戸惑いながらも受け取る少女の頭をぎごちなくだが撫で、ドロフェイにも水を渡す、前に説教を始めた。

「それに、殿下では無く陛下ですよ。名実ともに、ヴァシーリー様はこの国の王となられたのですから」

「おお、そうであったな! これは、大変な無礼を……!」

「構わない。私も未だ、実感が無いし――王としての権利は半分以上放棄するつもりだ」

 玉座に座るものを絶対者として、今までこの国は営まれてきた。その結果、周りの者達の思惑がねじ曲がり、アグラーヤという王が立てられてしまった。過ちを繰り返さない為、ヴァシーリーは王の座に着いたものの、その権威を様々な役職を命じた者に分けた。いずれ王の座から退いた後も、国が運営されていく為に。

「勿体ない事ですな。殿下、否陛下の御世ならばこの国は容易く復興するでしょう!」

「買い被りすぎだ。邪魔をしたな、私は戻る」

「お疲れ様です! さて次はラーザリ、お前の相手をしてやろう! お前の雄姿を義妹に見せてやるといい!」

「謹んで辞退申し上げます。それよりも、弓矢の稽古をしましょうか。私はこの人より厳しいですよ」

 仲の良い親子の姿に目を細めて、ヴァシーリーは踵を返した。



 ×××



 宮殿へ帰り、離宮へ向かおうとするところを、スゥイーニの手綱を引いているリェフに足止めされた。戦によりこの名馬も大怪我を負った為、神官による治癒を受けた後もこうして少しずつ慣らし歩きをさせているのだ。

 ……アーゼとレルゼも戦が終わった直後は生きていたのだが、主であるアグラーヤに殉ずるかのように、傷の手当も餌も拒み続け、死んだ。その忠義に報いるため、主の墓の隣に二頭とも葬られた。

「おや、お帰りなさいませヴァシーリー陛下。息抜きですかな?」

「……新しい遊牧民の集落と開拓地の視察は全て終えた筈だが」

「ええ、ですがひとつだけ、こちらをご確認ください」

「親書か? ……ツィスカ殿か!」

 病神の顕現により、致命的な傷を負ったリントヴルムは、もはや王家の血を継ぐ者がツィスカしかいない。しかし、徹底的な男子相続を続けていたかの国は、女性が王として立つことは許されていない。何よりツィスカの体はイェラキの血を受け、その身を半ば竜に変じてしまっている。とても国民は受け入れないだろうと、ツィスカは出来る限り後処理を行った上で自分は表舞台から退き、フェルニゲシュの傘下に入ることを、生き残った者達と共に決めた。最大戦力である鷲獅子隊が、病で殆ど死んでしまったのも理由の一つだ。国としての体制が保てなくなった今、民を守る為のツィスカの決断だった。

 そして今、ツィスカは竜人の国、スチュムパリデスにいる。竜人と神人の相の子になってしまった彼女を受け入れるだけでなく、噂ではイェラキから三番目の妻にと求婚されているらしい、とククヴァヤが言っていた。

 生憎手紙にはそこまで書かれておらず、定かでは無い。それでも文面は非常に穏やかで、如何か心配しないで欲しいと締められていた為、信じることにした。彼女はあまりにも沢山のものを奪われ過ぎたのだ、これから少しずつ新しいものを見つけていってほしいと願う。

「返事を書いたら、今日はもう終わりで良いか」

「ええ、遠慮なくお向かいください。あの猫も退屈し切っているようですので」

 にんまりと笑う侍従に、一つ溜息を吐き――踵を返す前に、ヴァシーリーは問うた。

「リェフ」

「はい、陛下」

「お前は、後悔しているか」

「いいえ」

 間髪入れずに返された。リェフはただ、笑っている。いつものように。

「前皇后とアグラーヤ様をお守りしきれず、ジラント王の狂乱を諌めることも出来なかった者には、似合いの果てかと思われます」

 母と姉が凶事に遭った際、リェフは独自に調べ、大神官が裏で糸を引いているのを確かめたのだと言う。それを父王に報告したが、元から母の不義密通を疑っていた父は疑心暗鬼に陥り――結果、ミーリツァを身ごもった母を責め、自死へと追い詰めた。父はますます母を罵り、その感情の逃げ道をアグラーヤに据えた。それに気づいていながら、王家に仕える暗部の長として、それ以上出しゃばることは出来なかった。

「私には、出来ませなんだ。――ヴァシーリー様。諦めないでいてくださり、誠に厚く御礼申し上げます」

 深々と腰を折った、髪に白髪が多くなった師匠に、ヴァシーリーは何も言えなかった。結局自分も、煉獄に足を浸からせた姉を引き上げることは出来なかったのだから。

 それでも、リェフが笑っていたので、一つだけ頷いて、今度こそ踵を返した。



 ×××



 離宮の中、此処だけは王位に座す前と全く変わっていないヴァシーリーの寝室にて。

「シューラ様ぁ。そろそろ復帰させてくれませんかねぇえ?」

「却下だ」

 ヴァシーリーの寝台の上でぐにゃりと沈むのは、体中に包帯を巻いたコーシカだ。あの戦が終わった後、傷を受けていない場所が無い位の満身創痍だったことに加え、なまじ神の力に対して抵抗する為、どの神の癒しの奇跡も碌に効かないのだ。結果、体調が完全に戻るまでは他ならぬヴァシーリーの命令で、寝台に釘づけにされている。

「体がなまっちまいますよーぅ。あとこの寝台で寝るのも落ち着かないんですけどーぅ」

「いつも潜り込んでくるではないか」

「一人でここで寝るのはまた違うと思いますぅー」

 すっかり拗ねたようにごろんと丸まる姿は本当に猫のようだ。それを見て、改めて安堵する。――生きていてくれて、良かったと。

 奇跡が効かず、血を流し過ぎ、一時期意識すら失っていた。いつも強請られていた口付けぐらい、してやれば良かったと馬鹿な後悔までした。

「――何か欲しいものは無いか。今回のお前の働きは、どれだけ賞賛しても足りん」

「おっ、大きく出てもいい感じですかあ? そりゃあ有難いですねぇー、じゃあ取り合えず口付けのひとつでも」

 いつも通りの軽口で続けそうになったその口を、身を乗り出して塞いでやった。

 押し当てて、すぐ離れる、なんとも餓鬼臭いものだったが、これでも緊張してしまったのだから仕方ない。

「……はっ? え、は、ちょ!? 何やってるんですかシューラ様!?」

「何故そこまで取り乱す」

 何が起こったのか漸くちゃんと認識したらしく、寝台の上でじたばた暴れる体を、傷に障ると抑え込んでやる。全く、最初から叶わないだろうと冗談十割で口付けを強請られるのは中々に腹立たしいものがあったから、今までする気が起きなかったのだ。こちらももう我慢するつもりはない。きゅっと身を縮めて大人しくなったので、改めて告げてやった。

「……きちんと今後のことも考えているからな」

「へ、え、は? あの、一体何言って」

「国が落ち着けばいずれ、王の地位を退く時がくる。その時まで、待っていてくれないか」

「――はぁあああ!!? いやちょっと待ってくださいよ何でそんな話になってるんです!?!?」

 改めてじたばたする細い体を抑えつつ考える。王族としての責務を果たすためには、子が成せぬ者を妻に迎えるわけにいかなかった。だが、生憎とヴァシーリーにとって、隣に立つものは、十二歳の頃からこの猫以外に有り得ないのだ。やっぱり、どうしようもなく――諦めることが出来なかった。

「……一度、お前は断っただろう」

「だってあれは! しょうがないじゃないですか! 絶対無理ですって」

「だから別の道を考えた。いますぐとは言えず、様々な苦労もあるのは解っているが、いつか必ず成すと約束する」

 ぐいとコーシカの両肩を掴んで向かい合う。コーシカは本気で、とても困った顔をしていた。しかしその顔は限界まで赤く染まっているので、ヴァシーリーとしても自惚れてしまう。

「嫌か」

「……嫌じゃない、から、困ってるんですよぅ……」

 まっすぐに瞳を合わせて真剣に問うと、ぐにゃぐにゃと胸元にすり寄りながらそんなことを言ってくれるので、耐え切れずに抱き締めた。傷に障らないように、出来る限り、優しく。

 


End.

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フェルニゲシュ戦記 ー諦めの悪い王弟と忠実な猫ー @amemaru237

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