あとがき

あとがき 群像新人文学賞について~傾向と対策など

 こんにちは。りゆうかずです。

 本稿を御りゆうらんいただきありがとうございます。

 本作は全十二話からなる純文学+ハードSFたんぺんしゆうであり、『一人につき一ぺんまで』という規定にもとりながら群像新人文学賞二次予選を通過した謎作です。こんかいはいつもの日経「星新一賞」の応募作と同様『賞の傾向と対策』と銘打ってあとがきをごうすることとしましたが、『傾向と対策』というのは検索でヒットしやすくするための反則技にすぎず、個人的には文学賞だろうが人生であろうが素粒子物理学的にあらゆる現象は運にすぎないとおもっておりますので、ぜんたい的に、『傾向と対策はなにか』というよりも、『傾向と対策とはなにか』という根本的な問いかけになります。すみません。どんな傑作を応募しようが、いや、歴史に冠絶する傑作を応募するからこそ、一次落ちするときは一次落ちするものでしょう。傑作を書く方法はあるかもしれませんが、傑作がみとめられるかどうかはあきらかに運次第です。丸山健二氏は『真のぶんがくが応募されたら理解されずに一次落ちする』というようにれきしていたはずです(丸山健二著『真文学の夜明け』参照)。

 といえども、十九年(!)も文学賞への応募をつづけていると、多少は予選通過作に傾向があること、すくなくとも、自分自身においての通過作品の傾向があることはめいちようとされてきます。まず、愚生がおもに応募している新人賞はぶんがく界新人賞と群像新人文学賞および日経「星新一賞」なのですが、SF専門の星新一賞はともかく、ぶんがく界新人賞と群像新人賞はそれぞれ予選通過はするけれど最終手前までもとどかないという感覚です。

 具体的な数字を枚挙すれば、ぶんがく界新人賞へは14回応募して一次通過1回と二次通過1回。群像新人文学賞へは7回応募して一次通過2回とこんかいの二次通過1回となります。ぶんがく界新人賞の一次通過はのうのはなしで、現在の二次通過と同等となります。ひつきよう、下読み様による一次通過のうえで編集部様での選考を一回通過するとこの位置になるのです。群像新人文学賞も、一次通過は下読み様がみとめてくださったということで、編集部様のけいがんでえらばれるのは二次通過からとなるようです(花村まんげつ著『裂』参照)。

 で、面白いのですが、愚生の場合は純文学実験きよへんを応募しても、ガルシア=マルケスやボルヘスばりの幻想ぶんがくを応募しても一次落ち百%ですが、なにゆゑか、SF小説を応募すると、純文学の新人賞にもかかわらず予選通過する傾向がありました(で星新一賞に応募したら最終候補にのこったのです)。

 といえども、一次通過では結局までです。こんかい、群像新人賞受賞をめざしてこうかくしたのは、『実験ぶんがくでも南米ぶんがくでもないドのつく自然主義ぶんがくを応募してみよう』ということでした。『いやいや、群像といえば実験ものでしょう』といわれるかもしれません。ゆゑにこそ、人生で初となるリアリズムぶんがくに挑戦したのです。選考委員の高橋源一郎氏が『わたしが応募するとしたら、みんなと真逆の作品をおくるのに』とごうされていたこともあったからです(高橋源一郎著『デビュー作を書くための超「小説」教室』参照)。

 ようにして、実験ぶんがく傾向のたかい群像新人文学賞に自然主義ぶんがくたんぺんしゆうを応募するという発想になり、ぎようこうにも二次予選を通過させていただきました。ゆゑに、ぶんがく界新人賞にせよ、群像新人文学賞にせよ、今後も『傾向の逆をゆく』手法でゆきたいともおもいました。それが傾向と対策になるということです。が、正直、十九年もアマチュア作家をやっていると、すがいやになってきます。はや、新人賞を受賞してデビューすることよりも、自己満足でも、自己完結でも、自分の書きたいものを書きたい、というけいがくよく望だけがのこるようになったのです。

 愚生は統合失調症患者で、抗精神病薬をえんしているのですが、数年前、これが原因かとおもわれる呼吸困難におちいりました。愚生はまっさきにアナフィラキシーショックをうたがって『おれはもう死ぬのか』とじゆつてきそくいんします。でくりかえしおもったのは『あの小説だけは死ぬまでに書いておきたかった』というかつそうようの感慨だけだったのです。そのほかはほんとうにどうでもよかった。結句、アナフィラキシーショックではなく、たんなる過呼吸で、数時間くるしんだのち、煙草たばこんだらおちついたのですが(愚生は時代錯誤の愛煙家です、煙草たばこよありがとう!)、ほんとうに『小説を書くことそのものがとうとい』ことに気付かされました。

 統合失調症患者の平均寿命は六十歳です。病気のあまりのつらさに発病すると数年以内に五〇%は自殺するとんだこともありますし、前述のお薬の副作用の問題もあるのかもしれませんが、愚生は『それくらいで死ぬんだな』とおもっています。すると、のこり二十数年で、愚生の書きたいアイデア群は到底、執筆不可能です。こんな状態で、『新人賞でデビューして、それからそれから』とかんがえている余裕などありません。一応、すきなことだけ書いて、新人賞に応募できる枚数ならしてみよう、くらいの感覚になりました。

 最近、精神分析学のラカンに興味をもっておりまして(精神分析や心理学の学者様のかげで、精神病者はほんとうにたすかるようになりました、フロイト、ユング、フロム、そのほか、ありがとう!)、ラカンは『小文字の他者ではなく大文字の他者にみとめられなければ人間は永遠に満足できない』と分析しています。小文字の他者とは単純明快に『人間』です。大文字の他者とは『対象A(アー)』ともいい、諸説ありますが、『自分の死後数千年後の人類』や『宇宙・世界そのもの』信仰によっては『神様』などとされます。人間同士で評価しあっても、相手がノーベル賞受賞者であろうとも、人間同士対等であることはかわりません。さらに崇高なる対象を相手にしないと我々の精神はみたされないというのです。愚生は所謂いわゆる異端とされる神秘主義者であり、ゆゑに、有神論者です。ですので、現在では、『文学賞の選考委員にみとめられなくても、神様はいつだって愚生の作品をみとめてくださる』とおもって執筆することにしています。までゆかなくとも、ようにネット上で公開していれば、作品がビッグデータのざんとなって、歴史上のいつかは人類にみとめられるかもしれません。いい時代といえるかもしれない。

『新人賞の傾向と対策』という論点で起筆しましたが、ぜんたいをふりかえって結論をもうしあげれば、ようにしかいいようがありません。『傾向と対策なんてくそくらえだ。おれたちはみじかい一生のうちなんげつ、何年もかけて作品をつくる側なんだから、すきなものを書かせてくれ。純文学の新人賞にSFやミステリや時代小説やゾンビ小説や官能小説や日記を応募してなにがわるい。所詮、もののを決めるのは人間ではない。そんな偉業ができるのは神様だけだ。一次落ちだろうと最終落ちだろうと、おれたちの作品はお天道様が見てくださっている』

 予選通過の方法が識りたいかたにはすみませんでした。

 では、すべてのアマチュア作家に栄光あれ!



おすすめ文献一覧


あくたがわしよう・直木賞をとる!: あなたも作家になれる』(河出文庫)

(南木佳士氏もぶんがく界新人賞にたんぺんしゆうを応募したはなしが挿入されていたはずです。)


『小説家になる! ――あくたがわしよう・直木賞だって狙える12講』(ちくま文庫)

(本作を執筆するうえでかなり参考にしました。就中なかんずく、第五講「くろひようを殺せ」だったかは、アマチュア作家必読の傑作です。これをむだけで相当に文章がうまくなるとおもいます。)


『まだ見ぬ書き手へ』(朝日文芸文庫)

(技術論一切なし。窮極の精神論的小説入門書。あくたがわしよう最年少受賞らい、すべての文学賞を辞退しながら、孤独に執筆しつづけてきた理由とは怎麼生そもさん。クレイジーなほどきびしいことが書かれていますが、元気がでます。なのに絶版!)

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『TRAGEDY-人間-OF-悲劇-HUMAN』群像新人文学賞二次予選通過作品 九頭龍一鬼(くずりゅう かずき) @KUZURYU_KAZUKI

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