• エッセイ・ノンフィクション
  • 現代ドラマ

アマチュア作家としての人生

こんにちは。
九頭龍一鬼です。

『九頭龍一鬼(誰)はかく語りき』内の「天才宣言――貴方は天才だ――文藝賞、すばる文学賞、新潮新人賞、群像新人文学賞、文學界新人賞に落選したかたがたへ」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054886493150/episodes/16818093084537275201)および「新人賞応募終焉宣言――長い旅でした」(https://kakuyomu.jp/works/1177354054886493150/episodes/16818093084661849873)にて公表したとおり、このたび、愚生九頭龍一鬼が、プロの小説家になること、すくなくとも、新人賞への応募を、全面的にあきらめることとなったことから、短歌と俳句のコンテストへの応募も中止し、『九頭龍一鬼歌集』(https://kakuyomu.jp/works/16818093084912293980)ならびに『九頭龍一鬼句集』(https://kakuyomu.jp/works/16818093084912790817)として発表してゆくこととしました。

それにあたり、曩時に発表していた『九頭龍一鬼歌集 命-INOCHI-』を非公表とすることとしました。

本作を評価してくださったかたがたや、連載を愉しみにしてくださるかたがたには、誠に申し訳ございません。

今後は、『九頭龍一鬼歌集』『九頭龍一鬼句集』を、どうぞ、よろしくおねがいいたします。

――

また、小説に関しても、短編、中編、長編と、執筆済みの作品を推敲して、順次、カクヨム内などで発表してゆければとおもいます。

これら、過去作の推敲が終わったら、新作小説の執筆も再開してゆきたいとおもいます。

みなさま、愚生のプロ小説家への道程を応援してくださって、誠にありがとうございました。

今後とも、アマチュア作家として生きてゆく愚生を御見守りくださればうれしく存じます。

14件のコメント

  • 私は、あまりWEB小説を読まないで、商業小説ばかりを読んでいるので、知っているWEB作家の数は数少ないのですが、九頭龍一鬼は私の知る中でも実力のあるWEB作家であり、かつて、スゴい傑作を公開していたことのあるWEB作家です。私はSF小説好みであり、たまたま、私の知る九頭龍一鬼の傑作はSF短編小説でしたが、九頭龍一鬼はSFより文学を好むらしく、真に目指し、真に好んでいるのは文学であると私は考えています。私の知らないところで、おそらく、文学の傑作をたくさん書かれたのでしょう。
    九頭龍一鬼さんが生涯に書いた小説の枚数が原稿用紙8000枚に及ぶと知り、私は小説は2500枚ほどで(エッセイはそれ以外に1500枚ほどで)、だいぶ少ないなと思い、九頭龍一鬼がどれほど必死に小説を書いていたかを思い知ります。
    これから、カクヨムでかつて書いた小説を少しずつ公開していくと知り、興味がわきます。怠惰な私は、それをすぐに読むことはできないでしょうし、また、いつまでたっても読むことはできないかもしれないのですが、九頭龍一鬼の小説は、読む価値のある迫真に迫った文学であると、私の知る限りでは考えています。
    九頭龍一鬼さんは時々、欝になっているようで、その落胆を心配します。九頭龍一鬼の小説に、SFでは凄まじい傑作があった。どうか、それが、私の知らないところで、文学でも素晴らしい傑作があることを願ってやみません。九頭龍一鬼の全盛期はこれから来るかもしれないですが、やはり、九頭龍一鬼の作家の仕事はこれまでにが最も力が入っていたのであろうと推測して、これまでに書かれた8000枚に大きく期待します。私も読むのが疲れている。それらが公開されても読めないかもしれない。しかし、九頭龍一鬼の文学の中にどこかの読者が傑作を発見することをとても期待しています。
    これからも九頭龍一鬼さんに幸運がありますように。
  • 私は、九頭龍一鬼さんのことばも参考にして(他にも複数名が絶賛していたからなのですが)、トルストイの「戦争と平和」やプルーストの「失われた時を求めて」を読みました。確かに、素晴らしい傑作だった。読んだことにとても満足感を持っている。文学とは、こういうものなのかとやっと理解しました。そして、九頭龍一鬼さんのことばを思い出して、トルストイやプルーストのような傑作という意味をかみしめました。私は、いくつの人間性を発見できたか、あまり自信がありません。文学を書けといわれると、書けないのです。人間性を発見できない。かつてとちがい、今の私は重厚な文学の迫力の面白さを充分に知っているつもりです。現実にいる人物の話だと思うと感じられる迫力は、面白いものです。丸山健二を一冊は読みました。九頭龍一鬼さんの最も好きな作家だと聞いて、とても気になっている作家です。たくさんある文学の中で、人間性を発見できる文学はほんのわずかです。丸山健二の小説には、確かに人間性が見出せることを私は感じました。死と日常が隣り合っていて、死を扱う人々がどれだけ死を平凡に感じているかを書いた文学だった。面白かったです。
    難しいものですね。九頭龍一鬼の時を超える現代人の闘争は、なかなか面白い読み物でした。重厚な文学の恩恵が九頭龍一鬼に舞い降りることを願って、これを記します。
  • こんばんは!
    九頭龍一鬼です。

    木島別弥さん、コメントまことにありがとうございます。

    現在の愚生にとって、本当にあたたかいコメントをいただき、愚生の文學人生は間違っていなかったのだと安堵しております。

    ――

    正直なところ、愚生は、『日本語の極限に挑戦する』ことだけを使命と考えてきましたので、自分の作品が、純文學だろうが、SFだろうが、関係ないとおもっていました。

    実際に、木島別弥さんの高評価なさった「カクヨム・シンギュラリティー」はSFですし、「遙かなる遙かなる遙かなる現在此処へ」「百頭綺譚」あたりは、幻想文學だとおもっております。

    愚生のなかに、純文學とエンターテイメントというボーダーラインはなく、今後、カクヨム上で発表するであろう作品も、種々雑多なものになるかとおもわれます。

    そのうち、幾許かが木島別弥さんの慧眼にかなうかわかりませんし、まったく面白くないかもしれませんが、それは愚生の責任なので、けっして、木島別弥さんが怠惰なわけではないことを明記しておきます。

    ――

    どこで読んだかわすれましたが、小説は、3000枚を書くと、飛躍的に文章力が上がるといわれています。

    ひとによって個人差はあるかとおもわれますが、愚生自身、3200枚を超えたあたりから、自分でも喫驚するほどに、文章のレベルがステージアップしたのをおぼえています(現在の文体は、ほとんど、この時点で完成されました。つまり、今後、カクヨム上で発表できるであろう作品は、これ以降の、4000数百枚分となるかとおもわれます)。

    木島別弥さんも、(2500枚を書いたこと自体、尋常ではなくすごいことですが)3000枚くらいを超えたところで、きっと、木島別弥さんにしか書けない、一段と素晴らしい文章にレベルアップするのではないか、と期待しております。

    ――

    愚生は、たしかに『戦争と平和』は半年かけて読了しましたが、恥ずかしながら、『失われた時を求めて』のほうは、結局、最後まで読めませんでした。

    愚生自身、プルーストのほうは、ひとに勧めた記事を書いていたか失念しましたが、ここで、読了は出来なかったことを告白いたします。

    ――

    木島別弥さんも、丸山健二文學をお読みになったと識って、非常にうれしいです。

    愚生自身、ネット上で、丸山健二ファンを増やす活動をしてきた甲斐がありました。

    愚生の人生で出逢ったなかで、丸山健二氏の名前を識っていた人物はふたりしかおらず、おひとりは名前を識っているだけで、おひとりは、「夏の流れ」だけをお読みになっておりました。

    丸山健二氏の文學は、上下巻の『千日の瑠璃』を境界として、「夏の流れ」からはじまるシンプルな前期作品と、『風死す』にいたるまでの超重厚な後期作品にわかれます。

    木島別弥さんのお読みのなったのは、「夏の流れ」をはじめとする、前期作品だったのでしょうか。

    もしそうでしたら、後期作品のなかでも、『争いの樹の下で』か、『日と月と刀』の二巨編だけは、生涯のうちに一度はお読みいただきたいです(逆にいえば、この二作がずば抜けているので、丸山文學オタクでなければ、ほかの作品は、無理して読む必要はないとおもいます)。

    どちらも、現在絶版なので、図書館か、古本屋で見付かればよいなとおもいます(余談ですが、これらは『完本 丸山健二全集』版ではなく、新潮社と文藝春秋版の単行本をおすすめします。『全集』版は改行がおおすぎて、読みにくいですし、元来の字面の美しさがありません)。

    『争いの樹の下で』は純文學ですが、『日と月と刀』はエンターテイメントなので、木島別弥さんも楽しめるのではないか、とおもっています。

    愚生の文學的目標は、最終的に、この二編を凌駕することだったといってよいでしょう。

    ――

    じつは、愚生は、人間を書けることが、文學の重要な課題だとはおもっていません。

    木島別弥さんの作品へのコメントを拝読していると、人間が書けていない、というような批判が見られ、もしかしたら、木島別弥さんもお気になさっているかもしれませんが、まったく、気分を害する必要はないとおもいます。

    純文學でも、阿部和重氏や中原昌也氏などは、『人間なんて書けなくていい』『共感なんてくそくらえだ』というようなことを仰有っていたと記憶しています(中原昌也文學は、マニア向けなのでおすすめできませんが、阿部和重文學では、『インディヴィジュアル・プロジェクション』がおすすめです。芥川賞受賞作よりもずっと面白いです)。

    愚生が、いままで最重要視してきたのは、『日本語の限界に挑戦する』ことであり、木島別弥さんがどのような理想をもっているのか存じませんが、小説は、書き手それぞれ別々の理想をもって書いてゆけばよいのだとおもっています。

    木島別弥さんの中編、短編は、いくつか拝読いたしましたが、「世界の果てへと出かける旅」などは、いまでも、脳裏にイメージが浮かぶくらいの、傑作だとおもっております。

    プロへの道程は諦念したものの、愚生も、小説自体はあきらめたわけではありませんので、木島別弥さんも、今後、さらなる栄進をなされることを期待いたします。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。
  • 私が読んだのは「夏の流れ 初期作品集」です。
    「争いの樹の下で」と「日と月と刀」を注文してみました。楽しみです。
    しかし、さすがに、いぬわし書房のことをご存知なのですね。丸山健二が社長をやっている出版社。あの全4巻の大作は気になっています。
    今年はあまり面白い本を読めなかった。丸山健二に期待します。
  • そういえば、「遥かなる遥かなる遥かなる現在此処で」がありましたね。あれも時空を超える現代の闘争で、創造主とサタンと二十一世紀の精神病患者の関係が面白く、情熱的に読んだものでした。
    「百頭奇譚」は技巧的にはかなり凝った幻想文学で面白かったのですが、やはり、「遥かなる」の精神病患者の心理描写の方が私は好きですね。本当に、あのような精神病患者は実在するのですが、あそこまでの決意を秘めているのは、私の想像の上をいきました。むかしの読書を思い出して楽しいです。
  • こんばんは。
    九頭龍一鬼です。

    木島別弥さん、コメントありがとうございます。

    さっそく、丸山健二作品をご注文なさったとのことで、木島別弥さんの読書への情熱には、いつも、圧倒されます。

    『争いの樹の下で』は、エンターテイメント要素がないので、読破するには退屈かもしれませんが、文章の旋律が非常に美しく、現在の愚生の文体の基礎はここにあるといって過言ではありません(愚生は、中盤から最後まで、すべて音読いたしました)。

    『日と月と刀』は、内容は時代小説なのですが、丸山文學のなかでも最高峰の文章力を誇る作品で、愚生は、日本文學の代表作として、後世に残すべきだとおもっています。

    いずれにせよ、せっかく木島別弥さんがご注文なさったので、木島別弥さんの慧眼にかなうか、ちょっと心配です。

    ――

    いぬわし書房についてですが、『BLACK HIBISCUS』や『風死す』あたりの巨編は、無理をして読む必要はないかとおもいます。

    熱狂的な丸山文學マニアの愚生ですら、読んでいません。

    というのも、現在の丸山健二は、人間工学的に計算された文体ということで、非常に改行がおおく、真っ白なページの文章をお書きになり、これが、むしろ、読みやすさや字面の美しさを奪っているとしかおもえないからです。

    ――

    木島別弥さんの仰有る『九頭龍一鬼の時を超える現代人の闘争』というのは、てっきり、「遙かなる遙かなる遙かなる現在此処へ」のことかと勘違いしていました。

    では、『九頭龍一鬼の時を超える現代人の闘争』とは、どの作品なのでしょうか。

    非常に気になりますし、今後の参考にいたしたいので、可能ならば、題名をおしえてほしいです。

    「人間の罪名」か「百億の世界の片隅で」か、そのほかの短編あたりかとおもわれますが、愚生には判断できませんので、おねがいします。

    ――

    木島別弥さんのような読者様にめぐまれて、愚生は本当にしあわせです。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。
  • 題名は忘れました。SF短編かもしれないですが、そのような話があったように思っています。
  • こんにちは。
    九頭龍一鬼です。

    木島別弥さん、ご返信ありがとうございます。

    当該作品は気になりますが、お教えくださって、ありがとうございました。

    もしかしたら、「遙かなる遙かなる遙かなる現在此処へ」の一部を髣髴なさったのかもしれません。

    愚生の作品を覚えていただけるだけでうれしいです。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。
  • おそらく、時を超える現代の闘争のイメージのもとになったのは、「百億の世界の片隅で」ですね。文学の作品を挙げるべきところで、SFだったのは申し訳ありません。
  • こんにちは!
    九頭龍一鬼です。

    木島別弥さん、コメントありがとうございます。

    問題の作品は、「百億の世界の片隅で」でしたか!

    本作は、あまり評価されていなかったようなので、木島別弥さんの印象に残ってくれていたということで、非常にうれしいです。

    本作もSFですが、元来、純文學のコンテストに応募するために執筆した作品なので、とくだん、クライマックスでは盛り上がらず、あくまでも、文体実験をかなめとする作品になりました。

    なので、本作も、推敲する機会があれば、『クライマックスで、各宇宙の主人公が集合し、大団円をむかえる』という盛り上がりを挿入しなおそうかともおもっております。

    わざわざ、愚生のために、時間をお使いくださり、まことにありがとうございました。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。
  • これまでの熱の入ったやり取りを拝読させて頂きました。
    初めまして。
    水;雨と申します。
    アマチュア作家の道を歩まれるとのことですが、ぜひ提案したいことがあります。
    「Nola」という書き物をサポートしてくれるアプリをご存知でしょうか。パソコンでも使えるのですが、このアプリに「エージェント機能」というものがあります。これは、この機能をONにした作品はNola編集部で読んでくれ、良いと思ったものには商業出版なりの対応をしてくれるというものです。「Nola」に作品を保存する手間はかかりますが、手軽にコンテストにでも出したことになりますので、ぜひ導入のご一考をいただけますと幸いです。
  • はじめまして、水;雨さん!
    九頭龍一鬼です。
    コメント、まことにありがとうございます。

    「Nola」というサービスは、まったく存じ上げなかったので、水;雨さんのおすすめのとおり、早速、新規登録させていただきました。

    エージェント機能も確認しましたが、これは、『プロットの段階でも、優良だと判断されれば、商業出版の可能性がある』ということなのか、よくわかりません。

    愚生はずっと、Microsoft Wordでプロットと本文を制作し、一太郎でルビ振りと推敲をする、という形式で執筆してきたので、「Nola」内で、以上のすべてを遂行するのはむずかしいかもしれません。

    ですが、逆にいえば、プロットの時点で評価される可能性がある、というのならば、斬新で、非常に面白いとおもいます。

    うまく利用できるかわかりませんが、今後、さらに勉強して、挑戦してみたいとおもいます。

    水;雨さん、貴重な情報、まことにありがとうございました!

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。
  • こちらこそ、今後ともよろしくおねがいいたします。

    「Nola」にはお問い合わせもできるようなので、ご活用されると良いと思います(人のアイコンからいけます)。
  • こんにちは。
    九頭龍一鬼です。

    水;雨さん、コメントありがとうございます。

    水;雨さんの御蔭で、あたらしい希望が生まれました。

    上記の疑問については、生成AIに質問したら、きちんと理解できました。

    では、今後ともよろしくおねがいいたします。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する