兵士フィルの傷は異常なほど早く回復していった。


「それから、はどうなったのですか?」


 貫かれた肩や砕かれた左腕にはまだ多少の痛みは残っているが、熱も早々に引き、すっかり歩けるようになった。今では本人の希望で老人クオに連れられて、神殿の中をゆっくり歩きながら、彼らの思い出話を聞いているのだ。


「彼は――ベルンはなかなか笑ってくれませんでした。カプセルの中で生まれ育った彼に、笑顔の感情はプログラムされていなかったのか、それともグッと堪えていたのでしょうか。クオの――私のように、彼は笑いたかったはずなのに」


 2人は中庭にいた。

「クォーオォォォー」と、水鳥の泣き声が壁の向こうから聞こえてきた。近くに湖かなにかあるのだろう。


 兵士フィルが目覚めたベッドは、別館の一室だった。おそらく話の中で出てきたクオとベルンの部屋だろう。しかし、老人クオの話とは違い、の神殿には落ち葉が散乱し、窓や床を突き破って木々たちの枝や太い幹が入り込んでいた。

 中庭の芝生もすっかり枯れている。

 想像していた緑と空の青の賑やかさはなく、灰色の神殿と同化した淡い単色の静かで寂しい色しかなかった。


「思えば、ベルンは私にだけ心を開きかけていたのかも知れません。少しずつ、ゆっくりではありますが、彼の口数も多くなっていました。日中ではなく、皆が寝静まった夜中ではありますが、私たちはほぼ毎晩一緒に寝室を抜け出して、神殿の中を探検していましたから」


 中庭の真ん中には、無垢材のテーブルが見えたけど、雨と風と時間によって、くたびれていた。聞こえてくるのは子どもたちの笑い声ではなく、鳥たちの泣き声と風の足音。それから老人クオの穏やかな声だけ。


「ベルンには何か、思うところがあったのでしょうか?」

「ええ、きっとそうでしょう。彼の心の扉はひどく錆び付いていましたから、多少手荒く強引な方が良かったのかも知れません」


 そもそも扉など無かったのかもしれない。プログラムされる前に羽化したから。


 風がぐ。一度神殿から出てしまえば戦争の轟音が飛び込んでくるはずなのに、ここは怖いくらいに静かだ。まるで世界から隔離されたかのように。


「さて、そろそろ思い出話に戻りましょう。ベルンが私たちの輪に加わり、およそ半年ほど経ったころでしょうか。彼はターラ様の言い付けをしっかり守る模範少年でした。夜中に抜け出すことと、笑わないことが玉に傷でしたが……」


 クオは皮肉めいた顔を作って笑った。左の口角だけを上げて。


「あの夜も一緒に寝室を抜け出しました。同じように中庭に2人で並んで座り、それはそれは綺麗なお星さまを見上げて、ただただ夜鳥たちの穏やかな泣き声を聞いていました」


 そこで老人クオの笑みは消えた。

 正しくは、思い出を懐かしむ色が後ろめたい悲しみの濃い色に上書きされたのだった。


「そして、事件は起きました」

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