入ってきたのは1人の兵士だった。


 分厚い紺碧のマスクを被り、機関銃を構えていたけれど、ベルンを確認すると、その銃をスッと下ろした。


「もう、ここには誰もいません」


 ターラとクオはクローゼットに身を潜めている。兵士の意識がそっちに行かないように、ベルンは兵士に少しだけ歩み寄った。


「応答願う。目的ターゲットの数の確認を願う」


 兵士が腕に着けた通信機に向かって行った。ザーと電子音が鳴る。


(頼む。行ってくれ)

 ベルンは焦っていた。固唾を飲みたくても、喉が動いてくれなかった。


「ザザザ……1人足りない。森の中で見られた目的ターゲットだ」


 その返答を聞き終えた兵士は、部屋の中をぐるりと見渡した。


(バレた……)

 心臓がサイコロみたいに小さく、そして固くなった。


 兵士はジャケットのポケットから鋼の小さなボールを取り出して床に落とす。すると、ボールから青白い光が部屋の中を視覚化スキャンしはじめた。


 そこには、クローゼットに隠れるターラとクオの姿が、しっかりと写し出されていた。


 兵士は、一目散にクローゼットへ。しかし、ベルンが間に立つ。


「お願いします! 彼と――クオとターラ様だけは、助けてください!」


 兵士は一度だけ歩みを止めたが、何もなかったかのように、再びクローゼットへ足を進めた。


「すでに充分すぎるくらい回収はできたでしょう? 俺のは終わった。だから弟を返して!」


 止まらない兵士の腕を握ると、咄嗟にその手を払われ、銃を向けられた。


「応答願う。ベルンの処分の可否を願う」

「は?」


 兵士は無視して、通信機からの返答を待っていた。


「ザザザ……許可する」


 少年はきつく睨み返した。


「どういうことだ? 約束が違うじゃないか!」

「お前の弟はすでに処分されている」


 通信機を切った兵士は、再び銃を構えた。向かうはベルン。まだ幼き少年へ。


「え……? で、でも」


 処分された? 弟が? そんな訳ない。ならば、なぜ俺は――。


「弟はもう死んでいるんだよ。同情はしない。仕方をプログラムされていないからな」


 死んでいる――その言葉だけを残して、ベルンの頭の中は真っ白になった。


「ここまで導くのがお前の。それも終わり、お前も処分してもこの任務は終了だ」


 悪く思うなよ。

 カチャリと、不気味な機関銃の音が聞こえた。 

――どうして? 

 混乱の渦に落とされたベルンは、いよいよ分からなくなった。何が起こっているのか? なぜ、弟は死んだのか? なぜ、自分はここにいるのか? ああ、俺は死ぬんだな。でも、なぜ? 目の前の兵士が銃を向けてるからだよ。そっか……俺は死んだね。そうだよ。今にも、あの人差し指がトリガーを引く。ほら、


 部屋の中を銃声が響く。

 しかし、ベルンは無事だった。目の前にターラがいたから。彼女の背中に血が滲む。ベルンをかばって撃たれたのだ。ターラは笑っていた。優しく、温かく、まるで本物の聖母様のように。

 そして、ベルンに覆い被さるようにして、彼女は絶えた。


「うおおおお!」


 2発目を用意していた兵士に向かって、今度はクオが突進する。ターラの魔法がとけたのだ。お返しと言わんばかりに、クローゼットから飛び出し、兵士にタックルを決める。


 おかげで、ほんの少しだけ、ベルンは我にかえるのことができた。起き上がろうとする兵士に向かって、培った魔法を咄嗟に投げ掛ける。毎晩、自分に唱えていた魔法――睡眠魔法だ。兵士は立ち上がることなく、ガクリとそのまま寝込んでしまった。


「逃げよう!」


 かろうじて取り戻した自我を頼りに、ベルンはクオの手を引っ張った。部屋から出ると、2階の欄干から「いたぞ!」と数人の兵士が声をあげる。


 ベルンとクオは走った。

 別館を抜け中庭の廊下を通り、本館へ。途中、ベルンの頭の中には、様々な思いが巡った。


 弟が死んだ。ターラも死んだ。

 他の子どもたちも皆捕まった。俺のせいだ。全部、大人たちのせいだ! 


 神殿を出ようにも、玄関には兵士たちが陣取っていた。行き場を無くし、2人はある部屋へと逃げ込んだ。毎日、ターラから魔法を教わった教室へと。

 アーチ型の天窓から月明かりが差し込み、教室の中は青白く輝いていた。


 机の下に身を隠す。狭く、2人は顔を近づける。兵士たちの走る足音が聞こえてきた。こちらに向かっているのだろう。だんだんと、大きくなってくる。


 ベルンはクオの顔を見た。どうすれば良い? どうすればクオをこの窮地から脱出させられるのか。


「そんな怖い顔じゃダメだよ」


 小声で、クオは言った。例のヘンてこりんな笑顔で「大丈夫。君は死なせないよ」と。


「今度は、僕が囮になるよ」

「やめ――!」

「しー」


 クオは笑顔のまま、呪文をとなえた。とたんにベルンの体が固まり、身動きが取れなくなる。


「じゃあね。怖い顔しないんで、笑うんだよ」


 笑うんだよ――そう言って、クオはベルンの髪の毛を数本抜き取って、机の物陰から出た。そして、ほぼ同時に、兵士たちが扉を破って教室に入り込む。


 クオは冷静に、じっとその兵士を睨み付けた。


「ベルンは、殺しました」


 クオは持っていた髪の毛をパラパラと落とした。兵士はそれを確認し、「確かにベルンのものだ」と言う。


「応答願う。ベルン喪失、ならびに最後の目的ターゲットを発見。死亡確認を行いますか? 確認を願う」


 兵士は例の如く、通信機で確認をとる。その隙に、クオは素早く呪文を唱え、気づかれないように小声でこう言った。


「構わん。それより、早く最後の目的ターゲットを連れてこい」


 するとどうだろう。兵士の通信機からは、全く同じ言葉が返ってきたではないか。


 兵士は少しだけ違和感を残しつつも、結局はその偽の指令に従った。


 そしてクオは連れられた。

 抵抗しなかったためか、注射も打たれなかった。


 その時、一度だけ彼が振り向いた。机の隙間から目が合う。クオは、皆に笑われた、不細工な笑顔を向けてくれた。



 静寂が落ちる、落ちる。

 弟はいない。ターラもいない。他の子どもたちもみな拐われた。もうここには誰もいない。全部自分が悪いのだ。


 魔法が解けた後も、ベルンはひとり、息を殺して泣き続けた。

 ここにはもう、クオもいないのだ。


――笑うんだよ。


 いや、いるではないか。

 ベルンは思い出しかのように、ニコリと笑ってみようとした。

 。プログラムされていない笑顔は、難しかった。クオに負けないくらい、不細工な笑顔だった。


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