9
入ってきたのは1人の兵士だった。
分厚い紺碧のマスクを被り、機関銃を構えていたけれど、ベルンを確認すると、その銃をスッと下ろした。
「もう、ここには誰もいません」
ターラとクオはクローゼットに身を潜めている。兵士の意識がそっちに行かないように、ベルンは兵士に少しだけ歩み寄った。
「応答願う。
兵士が腕に着けた通信機に向かって行った。ザーと電子音が鳴る。
(頼む。行ってくれ)
ベルンは焦っていた。固唾を飲みたくても、喉が動いてくれなかった。
「ザザザ……1人足りない。森の中で見られた
その返答を聞き終えた兵士は、部屋の中をぐるりと見渡した。
(バレた……)
心臓がサイコロみたいに小さく、そして固くなった。
兵士はジャケットのポケットから鋼の小さなボールを取り出して床に落とす。すると、ボールから青白い光が部屋の中を
そこには、クローゼットに隠れるターラとクオの姿が、しっかりと写し出されていた。
兵士は、一目散にクローゼットへ。しかし、ベルンが間に立つ。
「お願いします! 彼と――クオとターラ様だけは、助けてください!」
兵士は一度だけ歩みを止めたが、何もなかったかのように、再びクローゼットへ足を進めた。
「すでに充分すぎるくらい回収はできたでしょう? 俺の役目は終わった。だから弟を返して!」
止まらない兵士の腕を握ると、咄嗟にその手を払われ、銃を向けられた。
「応答願う。ベルンの処分の可否を願う」
「は?」
兵士は無視して、通信機からの返答を待っていた。
「ザザザ……許可する」
少年はきつく睨み返した。
「どういうことだ? 約束が違うじゃないか!」
「お前の弟はすでに処分されている」
通信機を切った兵士は、再び銃を構えた。向かうはベルン。まだ幼き少年へ。
「え……? で、でも」
処分された? 弟が? そんな訳ない。ならば、なぜ俺は――。
「弟はもう死んでいるんだよ。同情はしない。仕方をプログラムされていないからな」
死んでいる――その言葉だけを残して、ベルンの頭の中は真っ白になった。
「ここまで導くのがお前の役目。それも終わり、お前も処分してもこの任務は終了だ」
悪く思うなよ。
カチャリと、不気味な機関銃の音が聞こえた。
――どうして?
混乱の渦に落とされたベルンは、いよいよ分からなくなった。何が起こっているのか? なぜ、弟は死んだのか? なぜ、自分はここにいるのか? ああ、俺は死ぬんだな。でも、なぜ? 目の前の兵士が銃を向けてるからだよ。そっか……俺は死んだね。そうだよ。今にも、あの人差し指がトリガーを引く。ほら、引いた。
部屋の中を銃声が響く。
しかし、ベルンは無事だった。目の前にターラがいたから。彼女の背中に血が滲む。ベルンをかばって撃たれたのだ。ターラは笑っていた。優しく、温かく、まるで本物の聖母様のように。
そして、ベルンに覆い被さるようにして、彼女は絶えた。
「うおおおお!」
2発目を用意していた兵士に向かって、今度はクオが突進する。ターラの魔法がとけたのだ。お返しと言わんばかりに、クローゼットから飛び出し、兵士にタックルを決める。
おかげで、ほんの少しだけ、ベルンは我にかえるのことができた。起き上がろうとする兵士に向かって、培った魔法を咄嗟に投げ掛ける。毎晩、自分に唱えていた魔法――睡眠魔法だ。兵士は立ち上がることなく、ガクリとそのまま寝込んでしまった。
「逃げよう!」
かろうじて取り戻した自我を頼りに、ベルンはクオの手を引っ張った。部屋から出ると、2階の欄干から「いたぞ!」と数人の兵士が声をあげる。
ベルンとクオは走った。
別館を抜け中庭の廊下を通り、本館へ。途中、ベルンの頭の中には、様々な思いが巡った。
弟が死んだ。ターラも死んだ。
他の子どもたちも皆捕まった。俺のせいだ。全部、大人たちのせいだ!
神殿を出ようにも、玄関には兵士たちが陣取っていた。行き場を無くし、2人はある部屋へと逃げ込んだ。毎日、ターラから魔法を教わった教室へと。
アーチ型の天窓から月明かりが差し込み、教室の中は青白く輝いていた。
机の下に身を隠す。狭く、2人は顔を近づける。兵士たちの走る足音が聞こえてきた。こちらに向かっているのだろう。だんだんと、大きくなってくる。
ベルンはクオの顔を見た。どうすれば良い? どうすればクオをこの窮地から脱出させられるのか。
「そんな怖い顔じゃダメだよ」
小声で、クオは言った。例のヘンてこりんな笑顔で「大丈夫。君は死なせないよ」と。
「今度は、僕が囮になるよ」
「やめ――!」
「しー」
クオは笑顔のまま、呪文をとなえた。とたんにベルンの体が固まり、身動きが取れなくなる。
「じゃあね。怖い顔しないんで、笑うんだよ」
笑うんだよ――そう言って、クオはベルンの髪の毛を数本抜き取って、机の物陰から出た。そして、ほぼ同時に、兵士たちが扉を破って教室に入り込む。
クオは冷静に、じっとその兵士を睨み付けた。
「ベルンは、殺しました」
クオは持っていた髪の毛をパラパラと落とした。兵士はそれを確認し、「確かにベルンのものだ」と言う。
「応答願う。ベルン喪失、ならびに最後の
兵士は例の如く、通信機で確認をとる。その隙に、クオは素早く呪文を唱え、気づかれないように小声でこう言った。
「構わん。それより、早く最後の
するとどうだろう。兵士の通信機からは、全く同じ言葉が返ってきたではないか。
兵士は少しだけ違和感を残しつつも、結局はその偽の指令に従った。
そしてクオは連れられた。
抵抗しなかったためか、注射も打たれなかった。
その時、一度だけ彼が振り向いた。机の隙間から目が合う。クオは、皆に笑われた、不細工な笑顔を向けてくれた。
◯
静寂が落ちる、落ちる。
弟はいない。ターラもいない。他の子どもたちもみな拐われた。もうここには誰もいない。全部自分が悪いのだ。
魔法が解けた後も、ベルンはひとり、息を殺して泣き続けた。
ここにはもう、クオもいないのだ。
――笑うんだよ。
いや、いるではないか。
ベルンは思い出しかのように、ニコリと笑ってみようとした。
左側の口角だけがあがる。プログラムされていない笑顔は、難しかった。クオに負けないくらい、不細工な笑顔だった。
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