大きな鳥を追いかけて、少年クオは森の中を走る。走る――。


 拓けた草原は天然の芝生だ。雲ひとつなく、燦々さんさんと太陽が照る。

 クオは飛行機を見たことがなかった。だから、あの大きな鳥をまるで飛行機だと思って追いかけていたのだ。


「遅いよ、クオ!」


 しかし、足が遅いクオは、他の子どもたちにどんどん抜かれてしまう。


「待ってよー!」


 やがて、追いかけるのは鳥ではなく、友達の背中となった。

 

「イテッ!」


 皆に追いつこうと必死になったクオは、勢い余って転んでしまった。膝小僧には擦り傷ができ、血が滲む。


「クオ、大丈夫?」


 他の子どもたちも、転んだクオを心配してやってきてくれた。


「うん……」

「帰ってターラ様に治してもらおう!」


 ターラ様とは、子どもたちの面倒を見る――クオが言ったのことだ。


「大丈夫! 僕が自分で治すから!」


 そう言ってクオが自分の膝小僧に手を当てようとしたところを、他の子どもたちが止めた。


「ダメだよ! 外で魔法を使っちゃ」

「えー。だって、ここもお庭みたいなものじゃないか」

「ダメなのはダメ! それに、クオはは苦手でしょ!」


 ちぇ、とクオは不服そうにして立ち上がった。


「ターラ様に見てもらおうよ。クオがしたらお花でも咲いちゃうかもしれないから」


 その言葉に、他の子どもたちは笑った。からかわれたクオも、「えへへ」と恥ずかしそうに笑ってみせた。

 そして、小さな擦り傷を負ったクオを連れて、子供たちは神殿へと戻ったのだ。


 森の中にある神殿。それは、自然との境界線がはっきりとしていた。堅牢な白い石壁。窓には透明なガラスがちゃんとあり、てっぺんには色鮮やかなステンドグラスも見えた。


 クオたちが神殿に到着すると、その入口には聖母ターラと見知らぬ人影――子どももいた。


「ターラ様!」

「おかえりなさい」


 白玉のような肌は幼樹のように細く、日を浴びて彼女自身が光っているように思えた。小川のようになめらかで、それでいて絹糸シルクのような長い白髪を留めるのは、銀で出来たカチューシャだ。

 穢れを知らない少女のようにも見える聖母ターラは、大勢の子どもたちを守る継母だった。


「みんなで大きな鳥を追っかけていた、クオが転けちゃったんです」

「あら、怪我は?」

「ここを少し擦りむいて……」


 クオが自分の小さな膝小僧を指差す。さっきよりも血が滲んでいた。


「これくらいなら安心ね。後で消毒だけしましょう」


 ターラのひと言に、子どもたちは安堵の表情を浮かべた。


「クオが魔法で治そうとして、みんなで止めたんです」

「ターラ様に見てもらおうって。クオがしたら、余計に悪くなっちゃうから」


 茶化されたクオは、恥ずかしそうに目を伏せた。ターラも、優しく笑っていたから。


 そして、ターラの隣にずっといた、初めて見る顔の子どもと目が合った。


「ターラ様、その子は?」

「この子はベルンです。今日から一緒に住むのですよ」


 クオと同じくらいの歳だろう。ベルンと紹介された彼はムスッとした仏頂面のままで、クオたちに目をやった。


 こんにちは、はじめまして――と、他の子どもたちが挨拶をしても、ベルンは何も答えなかった。


「はじめのお世話係はクオに任せましょう。みんなも仲良くするように」

「は、はい!」


 そうして、ベルンはターラに連れられて神殿へと入っていった。残されたクオたちは2人の背中を見送った後、今度は枝で地面に絵を描く遊びを始めたのだった。



 その夜。

 新人であるベルンはクオと同じ部屋で寝ることとなったのだけれど、ターラの許しを得て、その前に神殿の中をクオが案内してやることになった。


「ここが大広間だよ」


 そう言って、燭台を持つクオが広間を照らした。玄関ホールからそのまま続く「大広間」は、神殿の中でも一番大きな空間であり、高い天井には立派な絵画が描かれていた。


 左右には2階へと続く階段があって、風呂場やお手洗い、食堂へと続く。それから、大広間のあるこの建物には、他にもやターラの部屋もあった。


「ここが中庭だよ。お天気が良い日はここで朝ごはんを食べたりするんだ」


 中庭には芝生がひかれてあった。その中央には木の机と椅子。見上げると満点の星空だった。


「そして、この中庭の廊下を通った先が、僕たちのお部屋だよ」


 大広間や教室がある「本館」と中庭を挟んでクオたちの子ども部がある「別館」と、神殿は大きく分けて2つの建物から成る。


 子ども部屋がある別館は、すでに火が消されてあって、静かだった。仏頂面のベルンは何も言わずクオの後ろをついてくる。


 小さなロビーには二人がけのソファと本棚、それから暖炉もあった。さっきの本館と同じように、ロビーの左右には2階へと続く階段があって、子どもたちの部屋がある。


 短時間の探検を終えて、クオはベルンを連れて部屋の中へと帰って来た。

 6畳くらいの小部屋には、小さな机と小さな窓。それから2人が寝る2段ベッドがきちんと収まっていた。


「僕はずっと下で寝ていたから、ベルンが上で寝てね」


 クオは部屋の扉を閉めて、持っていた燭台の火を壁の蝋燭に着け変えた。


「あ、高いところが苦手なら、僕が上にいくよ」

「上でいいよ」


 クオは、ベルンが初めての返事をしてくれたことに、驚きつつも嬉しそうに笑った。


「じゃあ、もう遅いし寝よう。あと、お手洗いは階段を降りて右側にあるからね」


 言い終える前に、ベルンはスタスタとハシゴを登ってベッドに入った。

 まだ薄ら笑いを残したままのクオは、蝋燭の火をふぅと消して、自分もベッドに入ったのであった。



 上段からの物音でクオは目を覚ました。部屋の扉か空いて、光が入ってきている。きっと、ベルンがトイレに行ったのだろうと考えたけれど、しばらく待っても帰ってこない。


 迷ったのかしら?

 クオは眠気眼でベッドから出ると、寝間用の麻のガウンを羽織った。

 案の定、1階のお手洗いには誰もいなかった。


 しん、と闇が蔓延る。


 どこに行ったのだろうか。

 やがて、本館へと続く中庭の廊下の向こう側から、ゆらゆらと蝋燭の火が近づいてきた。


「ターラ様……」


 ベルンの手をとり、導くターラ。


になったようですね。しっかり案内することよ、クオ」

「は、はい!」


 ベルンをクオに託して、おやすみなさい、とターラは引き返していった。


 2人は、蝋燭の火が見えなくなるまで、中庭の廊下を見つめて、やがて足音と聞こえなくなったところで、今度はベルンがクオの手を引っ張った。


「チッ……」


 クオは、前を歩くベルンの、その渇いた舌打ちに何の意味があるのか分からなかった。



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