第四十四話 そして風は風に還る(ラビエス、パラ、マールの冒険記)

   

「まさか! 暗黒竜を召喚したというのか!」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――は、確かに聞いた。衝撃を受けたような、魔王の言葉を。

 魔王は『暗黒竜』と呼んでいるが、上空に現れたのは、どう見てもモコラだ。雛だった頃にリッサが飼っていたという、あの黒い竜だ。

 ガイキン村の人々は『大黒魔竜』という呼び名を使っていたが、魔王が『暗黒竜』というからには、おそらく、そちらが正式な種族名なのだろう。

「モコラ、あとは頼んだぞ……」

 そう言い残して、リッサは、その場に崩れ落ちた。ダンジョン脱出の場合と同じで、やはり魔力を使い切って、疲労で眠りについたようだ。

「キヒィー!」

 暗黒竜モコラが、一声大きく、空で鳴いた。リッサの言葉に応じて「あとは任せろ」と言っているようにも見えた。

 間髪入れずに、モコラの口から、鳴き声とは違うものが飛び出してくる。

 大きな炎の塊だ。

 しかも、一つではない。数えられないくらい次々と、モコラは炎球を吐き出したのだ。

 当然、その全てが、風の魔王に襲いかかる!

「忌々しい暗黒竜め!」

 風の障壁バリアと、風魔剣ウインデモン・ソードと。

 魔王の二重のガードを突き破って、モコラの攻撃が、魔王に直撃。大爆発が巻き起こった。


「げほっ、けほっ……」

「みんな、大丈夫?」

 辺り一帯に立ち込めた爆煙で、一時的に視界が奪われた。

 女たちの呻き声が聞こえて、とりあえず返事をする。

「俺は大丈夫だぞ、マール!」

 それにしても。

 凄い威力だった。さすがは、魔王すら驚く暗黒竜といったところか。

 あの炎の球、一つ一つが、パラの最大の爆炎に匹敵するのではないだろうか。それでいて、魔王との戦闘距離の範囲内にいた俺たちには、直接的な被害はない。パラの副次歌唱バージョンのように、広範囲を巻き込むわけでもないのだ。まさに理想的な『爆炎』だった。

 どうやら、同じことをパラも思ったらしい。

「今の攻撃が……。私の目指すべき、究極の爆炎なのですね」

 彼女の呟きが聞こえる。今回のモコラをイメージすることで、この先パラが、少しでもこれに近い爆炎を放てるようになれば良いのだが。

「キヒィー!」

 頭上で再び、モコラが鳴き声を上げている。

 続いて、バサッ、バサッという大きな翼の音。

 煙で視界が悪い中、上を向くと、モコラが飛び去っていくのが見えた。どうやらモコラは「一仕事終えた」と判断したらしい。

「ありがとう、モコラ」

 聞こえないのは承知で、俺は小声で礼を述べる。

 そして、魔王が立っていた場所へと視線を戻した。

 今のモコラの羽ばたきによる風のおかげか、元から山頂に吹いていた風のおかげか、あるいは、その相乗効果か。ようやく、煙が晴れてきたのだ。

 煙が消えると共に現れてきたのは……。

 まだまだ健在の、風の魔王の姿だった。


「やりおったな……。さすがは余が見込んだラビエスと、その仲間たちだ」

 魔王が、まるで人間のように、口元をニヤリと歪めた。

 最初に見た瞬間、俺は『健在』と思ってしまったが、冷静に観察すると、魔王だって、かなりのダメージをこうむっているようだ。

 全体的に滑らかだった体は、所々がえぐれていた。その周囲が逆に盛り上がっているのは、熱で溶け落ちた一部が、周りに広がって固まったのだろうか。体の表面には、焼け爛れて引きつったような箇所も、随所に見られた。

 そして、人間『モック』の時から変わらなかった短い銀髪は、焼け落ちて、完全に消滅していた。足腰にもガタが来ているようで、右手の風魔剣ウインデモン・ソードを、まるで杖のように、地面に突き立てている。

 そんな俺の視線に気づいたらしく、魔王が叫んだ。

「ラビエス、余を侮るでないわ!」

 左手の風魔剣ウインデモン・ソードを振るう。

 斬撃が飛び出すという感じではなかったが、強風が押し寄せてくる。俺たちは四人とも吹き飛ばされ、さらに真上からの風で追撃されて、地面に叩きつけられた。

「くっ!」

 体中が痛むが、先ほど似たような攻撃を食らった時と比べれば、衝撃は小さい。代わりに、今回の風攻撃では、気流が真空の刃のような働きをしていたらしい。鎧で覆われていない部分には、無数の小さな切り傷が出来ており、チクチクと痛む。

 いくら『衝撃は小さい』とはいえ、俺やマールやパラとは違って意識を失っていたリッサは、受け身も取れずに、さぞや大きなダメージを受けたに違いない。

 それでも、この『衝撃は小さい』というのを重視したのが、マールだった。

「さっきより威力も弱まってる……。魔王が弱っている証拠だわ!」

 立ち上がりながら叫ぶマール。

 俺やパラに聞こえるように大声で告げたのは、俺たちを鼓舞する意図もあったのだろう。

 確かにマールの言う通り、今が攻撃のチャンスかもしれない。

 一瞬、パラと目が合った。いよいよ『禁断の秘奥義』を使う場合か、と問いたげな目をしている。

「だが、パラの爆炎は危険だ」

 俺は、今までの懸念を、もう一度確認の意味で口にした。この場の雰囲気に飲まれて、俺たちまで巻き込むような規模の魔法を使われては、たまったものではないからだ。

「わかってる! 私が炎魔剣フレイム・デモン・ソードで斬り込むわ!」

 マールが、急いでパラの近くに歩み寄る。

「一応、この場で魔力最大のパラにチャージし直してもらってから……」

 彼女の言う通りかもしれない。パラに爆炎を使わせないのであれば、パラの魔力を温存しておく必要もない。ならば俺ではなく、パラに魔力を込めてもらって、炎魔剣フレイム・デモン・ソードの破壊力を少しでも増した方がいい……。

 俺も一瞬そう納得しそうになったが、

「いや、違う」

 そんな言葉が自然に、俺の口から飛び出していた。

 そう、パラに魔力を込めてもらうのであれば……!

 マールの言葉のおかげで、俺は閃いたのだ。パラの爆炎を活かす方法は、これしかない!

「パラ! 魔法剣だ! マールの炎魔剣フレイム・デモン・ソードに、魔法をかけろ!」


――――――――――――


 私――パラ・ミクソ――の耳に、ラビエスさんの言葉が飛び込んできました。

 その『魔法剣』という単語を聞いて、彼が何を考えているのか、私にもピンと来ました。

 これこそ、転生者同士の阿吽の呼吸でしょう。

 魔法剣。

 あちらの世界の、RPGゲームでは結構頻繁に出てきた概念です。

 普通に攻撃魔法を放つよりも、断然威力が出るはずです。

 もちろん、ゲーム的に考えれば、剣によっては『魔法剣』には使えないものもあります。でもマールさんの炎魔剣フレイム・デモン・ソードは、もともと魔力を込めて使う武器です。ならば、呪文を詠唱した魔法でも大丈夫でしょう。

 それに、炎魔剣フレイム・デモン・ソードは当然、火属性のはずです。私が得意の炎魔法を使うには、最適の武器です。

「マールさん、しっかり握っていてください」

「よくわからないけど……。ラビエスのアイデアなら、私も、それに賭けるわ!」

 こうして私たちが準備している間、風の魔王は攻撃してきません。

「ほう。ラビエス、まだ何か、余に面白い芸当を見せてくれるというのか?」

「ああ、そうだ! これが人間の、冒険者の力だ!」

 ラビエスさんが会話で時間を稼いでくれているようです。いや魔王自身、リッサの召喚したモコラの攻撃で、弱っているのかもしれません。余裕の発言は一種のハッタリであって、追い討ちをする元気もないのかもしれません。むしろ魔王の側でも、時間を稼いで、体力を回復させたいのかもしれません。

 どちらにせよ。

 今がチャンスです。焦らず、しっかり、私に出来ることを実行する時です。

「では、行きます」

 炎魔剣フレイム・デモン・ソードを握るマールさんの手を、さらにその上から握って、二人で一緒に剣を持つ形になりました。

 そして、私は歌い始めます。


「おお神よ 炎の神よ

 すべてを燃やす 業火の神よ

 我はなんじに すべてを捧ぐ

 我が命 魔力に変えて

 我が魔力 炎に変えて

 風の魔王を 燃やし尽くせ

 唯一無二の 神の爆炎」


 魔法剣ならば、攻撃魔法の範囲云々を心配する必要もありません。だから出し惜しみすることなく、副次詠唱ではなく副次歌唱バージョンです。

 歌うことで、私自身の気持ちを高めていきます。

 気持ちの高揚が頂点に達したところで、全ての炎を、炎魔剣フレイム・デモン・ソードに集めるイメージで……。

「アルデント・イーニェ・フォルティシマム!」

 さあ、マールさん。あとは、あなたに託します……。


――――――――――――


 私――マール・ブルグ――は、感じることが出来た。

 一緒に炎魔剣フレイム・デモン・ソードを握るパラの両手から、急に力が抜けたのを。

「パラ!」

 そのまま崩れ落ちた彼女に対して、反射的に私は声をかけてしまった。

 だけど心配する必要はないのだろう。いつものように、パラは魔力を使いきっただけだ。今は、ゆっくりお休み……。

 それよりも。

 私は私で、自分のことで手一杯だった。

 パラが魔法をかけてくれた炎魔剣フレイム・デモン・ソードは、その刀身が、かつてないような状態になっていたからだ。これまでは『炎のやいば』という感じだったが、今や、そんな言葉では収まらないレベルだ。

 炎魔剣フレイム・デモン・ソードは今、大きな火柱となっていた。見上げても、その切っ先がわからないくらいだ。

 炎に重さはないはずだが、ずっしりとした感触まであった。これは、魔力の重みなのかもしれない。重さを感じさせるほどの、濃厚な魔力ということなのかもしれない。

 ラビエスが『魔法剣』という言葉を口にした時、私には意味がわからなかったが……。同じ魔法士のパラには、それだけで通じたのだろう。その結果が、これだ。やはりラビエスの考えは凄い。

「マール、その剣で……」

「わかってる!」

 私はラビエスに最後まで言わせず、魔王に斬りかかった。

 自分の身長の何倍もの長さの剣を扱うというのは、簡単なことではない。だが、今ここで炎魔剣フレイム・デモン・ソードを振るうことが出来るのは、おそらく、戦士である私だけだ。

「面白い! 再び、余に剣で挑もうというのか!」

 先ほどまでは風魔剣ウインデモン・ソードの二刀流だった魔王も、今は違う。右手の風魔剣ウインデモン・ソードは、もう単なる杖となって、魔王自身の体を支えるのに使われている。私の突撃に対して魔王が構えているのは、左手の一本のみ!

 魔王自身、それでは心もとないと思っているのだろう。体を取り巻く風の障壁バリアを二重三重に、さらに厚くしている。

 しかし。

「きええええっ!」

 私の気合の叫びと共に、我が炎魔剣フレイム・デモン・ソードは、魔王の風を切り裂いて進む!

「人間ごときが!」

 魔王は風魔剣ウインデモン・ソードで受け止めようとしたが、それすら断ち割った感触があった。

 でも、その『感触』を確かめている余裕は、私にもなかった。

 炎魔剣フレイム・デモン・ソードの斬撃が、魔王にヒットした瞬間。

 込められていた魔力が解放されたみたいで、大爆発が起こったからだ。

 そして私は爆風で吹き飛ばされ、そこで私の意識は暗転した……。


――――――――――――


「マール!」

 俺――ラビエス・ラ・ブド――が慌てて、幼馴染の名前を叫んだのも当然だろう。

 こちらへ向かって、彼女が吹き飛ばされてきたのだから。

 放っておいたら地面に叩きつけられるところだったマールを、しっかりと俺はキャッチする。

「おい! 大丈夫か?」

 俺の腕の中で、彼女は力を失って、ぐったりとしている。どうやら、衝撃で気絶したらしい。

 とりあえず、目立った外傷は見当たらなかった。爆発に巻き込まれたわけではなく、あくまでも、爆発の余波で弾き飛ばされただけだ。むしろ、飛ばされたからこそ、あの大爆発に巻き込まれずに済んだのかもしれない。

 安心した俺は、彼女をその場に横たえて、視線を前方へと戻した。

「魔王は……」

 言葉に出しながら、その姿を確認しようとする。しかし、魔王のいた場所は再び爆煙に包まれており、すぐには視認できない。


 リッサが呼び出したモコラ。あれは一種の、召喚魔法なのだろう。

 そして、パラの副次歌唱バージョンの爆炎。その威力を込めた炎魔剣フレイム・デモン・ソードで斬りつけた、マールの一撃。

 現時点で、俺たちに出来る限りの、最大の攻撃だった。今その三人は、意識を失って倒れている。残るは俺一人。これで倒せていなかったら、もう、どうしたらいいのか……。

 少しずつ、煙が晴れてきた。だが完全に煙が消えるより先に、俺の耳に、魔王の声が届く。

「賞賛に値する攻撃だったぞ、ラビエス」


 魔王の健在を知って俺が絶望する中、徐々に、その姿が見えてくる。

 さすがに、魔王もボロボロだった。モコラの攻撃を食らった時よりも、さらに酷い状態だ。

 体のあちらこちらの肉がげ落ちて、黒くて硬そうな、骨らしき構造が露出していた。手にしていた風魔剣ウインデモン・ソードは二本とも消失しており、右手の指も、何本かくなっている。左腕に至っては、肩口から、腕そのものが失われていた。

 左脚は欠損していないが、右は足首から先が消えており、もはや立っていられないのだろう。右膝で、体を支えていた。

 顔も、右側の一部が、削り取られたような状態になっている。ヒト型モンスターの顔が欠損しているというのは、見るからに気持ち悪い姿だった。

 しかし。

 ここまで来れば、あと一歩だ。

 もう俺しか残っていない以上、俺がやるしかない。

「風の魔王! ボロボロのお前を、俺が介錯してやる!」

 だが風の魔王を相手に、風属性と思われる武器は、なるべく使いたくない。勧誘された際に手に入れた風魔剣ウインデモン・ソードは、とりあえず下に置いて……。

 腕の中のマールに目を向ける。意識を失いながらも剣を手放さなかった彼女の指をそっと緩めて、俺は炎魔剣フレイム・デモン・ソードを手に取った。


 魔法剣として使った場合は、呪文詠唱せずに魔力だけを注いだ場合とは、事情が違うらしい。パラが込めた爆炎の魔力は、すでに失われていた。俺が炎魔剣フレイム・デモン・ソードに、魔法を注ぎ直さなければならない。

 風魔法が使えない状態の上、これは炎魔剣フレイム・デモン・ソードだ。火系統の魔法がいいだろう。しかし俺は、超炎魔法カリディガを使えない。第二レベルの、強炎魔法カリディダまでだ。

 少しでも、その攻撃力を増すために。

 見よう見まねで、副次詠唱を試みることにした。

 もちろん、俺にはパラのような十二病的な気質はないから、副次詠唱で俺自身の気分が向上するなんて効果はない。しかし一般的に、副次詠唱には「わかりやすい言葉で、より強い想いを込めて『神』に祈りを捧げる」という側面もある。ましてや今の俺は、その『神』の正体を悟っているのだから、誰よりも強い気持ちを込めることが出来るはずだ。


「おお魔王よ 炎の魔王よ

 すべてを燃やす 業火の魔王よ」


 真実を知らぬマールもリッサも倒れている今、わざわざ『神』と言い換える必要もない。俺は、魔王の力を借りるのだ。それを真摯に頼み込むための副次詠唱なのだから、正直に『魔王』と呼ぶべきだと思った。


「我はなんじに すべてを捧ぐ

 我が命 魔力に変えて

 我が魔力 炎に変えて」


 そして炎の魔王を頭に浮かべたところで、つい先ほど風の魔王から聞いた話を思い出した。四大魔王の人間関係の話だ。

 炎の魔王と水の魔王が対立していること。その水の魔王が風の魔王に友好的ということ。つまり、風の魔王は、炎の魔王の対立派閥に属しているのだから……。

 その点を盛り込んで、パラの副次詠唱のラストを、さらにアレンジする。


なんじの嫌う 風の魔王を

 この世界から 消してしまえ

 唯一無二の 悪魔の爆炎」


 炎の魔王への懇願を、そのまま力に変えて、俺は強炎魔法カリディダを唱えた。

「アルデント・イーニェ・フォルティテル!」

 おお!

 パラの爆炎と比べたら恥ずかしいほど弱々しいが、それでも、普通に魔力を込めた時とは桁違いの炎が、炎魔剣フレイム・デモン・ソードの刀身に纏わりつく。

 威力が弱い分、パラの副次詠唱や副次歌唱ほど、俺は魔力を吸われていない。しかし、こうして炎魔剣フレイム・デモン・ソードを握っているだけで、俺の魔力がドンドン持って行かれている気がする。長くはちそうにない!

 あとは、いつも近くで見てきたマールの剣術を真似るだけだ。

「行くぞ、魔王!」

 叫んで俺は、風の魔王に斬りかかった。

風魔剣ウインデモン・ソードなどなくとも、余は負けんぞ!」

 魔王は、殺意のこもった風で応戦してきたが、俺の炎魔剣フレイム・デモン・ソードは、そんな風など物ともしなかった。

 そして、俺の剣が魔王に届いた瞬間。

 刀身の炎が爆発した。


「くっ!」

 先ほどより、ひと回りもふた回りも小さな爆発だ。それでも俺は、弾き飛ばされてしまう。

 マールが飛ばされた時とは違って、俺を受け止める仲間はいない。地面に叩きつけられて倒れこんだ俺は、凄まじい疲労感もあって、その場から立ち上がることすら出来なかった。

 またもや、山頂が爆煙に包まれる。その煙の中から、魔王の声が聞こえてきた。

「やるではないか、ラビエス。さすがは、神の差し向けた刺客……」

 ああ、もう、おしまいだ。俺では、ボロボロの魔王に、とどめを刺すことすら出来なかったのか……。

 疲労に絶望が重なって、意識を失いそうになる中。

 俺は、魔王の声を聞き続けた。

「もはや余は、力を失った。これでは、この世界に影響を及ぼすことは出来ぬ。この世界に顕現することも出来ぬ。あとは、魔の世界へ帰るのみ……。そこで大人しく、お前たちと神と、他の魔王たちとの諍いを見届けるとしよう」

 朦朧とする頭で、なんとなくだが、魔王の言葉の意味を理解して。

 俺は、顔だけを上げる。

 薄れゆく意識の中で、消えつつある煙の向こう側に、はっきりと見た。

 土塊つちくれか何かのように、ポロポロと崩れていく魔王の姿を。

 そして魔王が完全に崩れ去り、塵となって風に飛ばされていくのを。

「ああ、ついに……。風の魔王が、風に乗って、魔王の世界へ帰還する……」

 そう呟いて。

 俺は眠りについた。


 目が覚めた時には、かなりの時間が経っていたらしい。

 俺の右側で、ちょこんと座り込んだマールが、じっと俺の顔を眺めている。

「おはよう、マール」

「よく眠ったわね、ラビエス」

 ああ、ラゴスバット城での宿泊を思い出す。あの時とは違って、やわらかいベッドではなく、硬い岩の上だが。

「私が気づいた時には、三人とも眠りこけていたから……。私は、一晩中起きていたのよ」

 マールが、軽く笑う。

 風の魔王は倒したとはいえ、山道からモンスターが上がってくる可能性を警戒して、彼女一人で見張りをしていてくれたらしい。

「ありがとう。『一晩中』ということは……。今日は、登山四日目。曜日としては、火曜日ということか」

「そういうことになるわね。それより……。ラビエス、そこに座って」

 唐突な指示だ。

 はて、どういうつもりだろう?

 マールの意図はわからなかったが、とりあえず、俺はその場に座る。ところが、リラックスして胡座あぐらをかいた俺に対して、マールは、さらに要求してきた。

「そうじゃなくて。足を伸ばして座ってね」

 やはり意味不明なまま、言われた通りの姿勢に変えると……。

 マールは、俺の太ももを枕にして、ゴロンと横になった。

「おい、マール?」

「これくらい、いいでしょ。私だって眠い中、頑張ったんだから……。見張りの交代、お願い。じゃあ、おやすみ……」

 それだけ言うと、彼女は目を閉じた。すぐに、マールの寝息が聞こえてくる。

 いやいや、見張りも何も……。マールを膝枕したままでは、モンスターが現れても、俺は戦えないぞ。

 まあ、その場合は、仲間を起こせばいいだけか。

 そう思いながら、周りを見渡す。

 風がんだ山頂には、濃い霧が立ち込めていた。

 視界が悪い。魔王の立っていた辺りは、俺の場所からでは、よく見えない。それでも、近くにいる仲間の姿は確認できた。

 俺以外、三人とも、疲れて眠っている。特に、魔力が空っぽになったパラとリッサは、熟睡しているようだ。

 そのまましばらく、かなり長い間、マールの重さと温かさを脚に感じていると……。

「あ、ラビエスさん。おはようございます」

 ムクッと、パラが起き上がった。


――――――――――――


 私――パラ・ミクソ――は、目が覚めてすぐは、ぼうっとして状況が理解できませんでした。

 でも、マールさんを膝枕するラビエスさんを見て、彼に挨拶したことで、頭がはっきりとしてきました。

 ラビエスさんの膝の上で、安らかな寝顔を見せるマールさん。そんな彼女の様子が、全てを物語っているのでしょう。

 風の魔王との激闘は、終わったのです。私たちは、力を合わせて、魔王討伐に成功したのです!

「私が魔法をかけた炎魔剣フレイム・デモン・ソード……。あの一撃で、魔王を倒せたのですね?」

 一応、確認の意味で尋ねます。

「ああ。厳密には、あれだけじゃ足りなかったが……。でも、パラのおかげで、魔王を瀕死にまで追い込めたことは間違いない。もう、俺の力でも、とどめを刺せたくらいだ」

「では、ラビエスさんが、風の魔王を倒したことになるのですね!」

「いやいや、そういう言い方は、やめてくれ。俺たち四人全員で、倒したんだ」

 そうです。

 四人のうち、誰一人欠けても、無事に生き残ることは出来なかったでしょう。

 マールさんだけでなく、リッサも、今は眠っています。この場で起きているのは、私とラビエスさんだけです。

 よく見ると、ラビエスさんは、何か警戒しているようにも見えます。もしかすると、二人きりになったことで私が「実は私は転生者で……」なんて言い出すかもしれない、と思っているのでしょうか。

 確かに。

 昔の私ならば、是非そうしていたことでしょう。ずっと待ち望んでいた、絶好の機会です。

 でも。

 今の私は違います。

 頑なに正体を隠すラビエスさんと行動を共にするうちに、私も、転生者を公言するのは危険な行為だとわかってきました。だから、たとえ同じ転生者が相手だとしても「私は転生者です」と口に出すつもりはありません。あくまでも、それとなく匂わせる程度に留めるべき、と考えています。

 ですから、この場でも『匂わせる程度』の会話をしましょう。せっかく二人きりなので、全く無関係の話をするのも、少しもったいないです。

 はっきり転生者だと認めることはなく、それでいて、転生者同士でないと出来ない話題……。

 そうです!

 以前に誤魔化された質問を、もう一度、ぶつけてみましょう。

「ラビエスさん。ウイルスって何ですか?」


――――――――――――


 突然のパラの言葉に、俺――ラビエス・ラ・ブド――は驚いた。

 今さら、その話を蒸し返すとは……。

「それなら、前に説明したよな? 風の魔王が用意した、透明化の原因となった病原体。特殊なものだから、新しい名称を……」

「でもラビエスさんは、あの時『あんなウイルスがあるとは』って、言いましたよね? わざわざ『あんな』と付けたのは、もっと広い意味で『ウイルス』を定義して、その一部が、例の病原体だったというニュアンスに聞こえたのですが……」

 それは当然だろう。パラも転生者なのだから、ウイルスという言葉の本来の意味を知っているはずだ。しかし、ここで二人きりになったにもかかわらず、はっきり転生者だと告白せずに、こんな言い方をするということは……。

 もしかするとパラは、本気で「言葉は聞いたことあるけれど、意味は知らない」ということで、ウイルスについて知りたがっているのだろうか?

 それならば……。

「ああ、うん。あの時は、ああ言ってしまったが、厳密には……。マイナス型の病原体全般を『ウイルス』って命名しようと思ったんだ。プラス型とかマイナス型とかでは、味気ないからな」

「ああ、なるほど!」

 パラの顔が、パッと明るくなった。

 演技しているようには見えない。この様子だと、パラは本当に、今まで知らなかったらしい。俺の元の世界にも結構存在する、ウイルスと細菌バクテリアを同じものだと考えている人間の一人だ。

「では……」

 少し考え込むような顔を見せた後、パラが続ける。

「……プラス型の名称を『サイキン』とするのはどうですか?」

 彼女の表情は、まるで「この問題の解答は、これでいいですか?」と先生に向かって尋ねる学生のようだった。

「うん、悪くないな。俺も賛成だ」

「ああ、やっぱり!」

「でも、ほら、マールに『ウイルス』という名称自体、語感が悪いという理由で却下されただろう? だから、こういう新しい命名はボツだけどな」

「そういえば、そうでしたね」

「だから『ウイルス』も『サイキン』も、マールとか他の人の前では、絶対に使うなよ?」

「はい!」

 パラが元気よく返事する。

 この様子ならば、もう少しだけ、話を続けても大丈夫そうだ。

「だから、あくまでも、ここだけの話だぞ。俺とパラの、二人きりの話だぞ。俺が思うに、『ウイルス』つまりマイナス型と『サイキン』つまりプラス型の違いは……」

 お互いに、転生者だと口に出して明かすことなく。

 俺は、即席のウイルス学講座を始めたのだった。




(第二章「魔の山に吹く風」完)

(『「ウイルスって何ですか?」――ウイルス研究者の異世界冒険記――』完)

   

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「ウイルスって何ですか?」――ウイルス研究者の異世界冒険記―― 烏川 ハル @haru_karasugawa

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