第四十四話 そして風は風に還る(ラビエス、パラ、マールの冒険記)
「まさか! 暗黒竜を召喚したというのか!」
俺――ラビエス・ラ・ブド――は、確かに聞いた。衝撃を受けたような、魔王の言葉を。
魔王は『暗黒竜』と呼んでいるが、上空に現れたのは、どう見てもモコラだ。雛だった頃にリッサが飼っていたという、あの黒い竜だ。
ガイキン村の人々は『大黒魔竜』という呼び名を使っていたが、魔王が『暗黒竜』というからには、おそらく、そちらが正式な種族名なのだろう。
「モコラ、
そう言い残して、リッサは、その場に崩れ落ちた。ダンジョン脱出の場合と同じで、やはり魔力を使い切って、疲労で眠りについたようだ。
「キヒィー!」
暗黒竜モコラが、一声大きく、空で鳴いた。リッサの言葉に応じて「
間髪入れずに、モコラの口から、鳴き声とは違うものが飛び出してくる。
大きな炎の塊だ。
しかも、一つではない。数えられないくらい次々と、モコラは炎球を吐き出したのだ。
当然、その全てが、風の魔王に襲いかかる!
「忌々しい暗黒竜め!」
風の
魔王の二重のガードを突き破って、モコラの攻撃が、魔王に直撃。大爆発が巻き起こった。
「げほっ、けほっ……」
「みんな、大丈夫?」
辺り一帯に立ち込めた爆煙で、一時的に視界が奪われた。
女たちの呻き声が聞こえて、とりあえず返事をする。
「俺は大丈夫だぞ、マール!」
それにしても。
凄い威力だった。さすがは、魔王すら驚く暗黒竜といったところか。
あの炎の球、一つ一つが、パラの最大の爆炎に匹敵するのではないだろうか。それでいて、魔王との戦闘距離の範囲内にいた俺たちには、直接的な被害はない。パラの副次歌唱バージョンのように、広範囲を巻き込むわけでもないのだ。まさに理想的な『爆炎』だった。
どうやら、同じことをパラも思ったらしい。
「今の攻撃が……。私の目指すべき、究極の爆炎なのですね」
彼女の呟きが聞こえる。今回のモコラをイメージすることで、この先パラが、少しでもこれに近い爆炎を放てるようになれば良いのだが。
「キヒィー!」
頭上で再び、モコラが鳴き声を上げている。
続いて、バサッ、バサッという大きな翼の音。
煙で視界が悪い中、上を向くと、モコラが飛び去っていくのが見えた。どうやらモコラは「一仕事終えた」と判断したらしい。
「ありがとう、モコラ」
聞こえないのは承知で、俺は小声で礼を述べる。
そして、魔王が立っていた場所へと視線を戻した。
今のモコラの羽ばたきによる風のおかげか、元から山頂に吹いていた風のおかげか、あるいは、その相乗効果か。ようやく、煙が晴れてきたのだ。
煙が消えると共に現れてきたのは……。
まだまだ健在の、風の魔王の姿だった。
「やりおったな……。さすがは余が見込んだラビエスと、その仲間たちだ」
魔王が、まるで人間のように、口元をニヤリと歪めた。
最初に見た瞬間、俺は『健在』と思ってしまったが、冷静に観察すると、魔王だって、かなりのダメージを
全体的に滑らかだった体は、所々が
そして、人間『モック』の時から変わらなかった短い銀髪は、焼け落ちて、完全に消滅していた。足腰にもガタが来ているようで、右手の
そんな俺の視線に気づいたらしく、魔王が叫んだ。
「ラビエス、余を侮るでないわ!」
左手の
斬撃が飛び出すという感じではなかったが、強風が押し寄せてくる。俺たちは四人とも吹き飛ばされ、さらに真上からの風で追撃されて、地面に叩きつけられた。
「くっ!」
体中が痛むが、先ほど似たような攻撃を食らった時と比べれば、衝撃は小さい。代わりに、今回の風攻撃では、気流が真空の刃のような働きをしていたらしい。鎧で覆われていない部分には、無数の小さな切り傷が出来ており、チクチクと痛む。
いくら『衝撃は小さい』とはいえ、俺やマールやパラとは違って意識を失っていたリッサは、受け身も取れずに、さぞや大きなダメージを受けたに違いない。
それでも、この『衝撃は小さい』というのを重視したのが、マールだった。
「さっきより威力も弱まってる……。魔王が弱っている証拠だわ!」
立ち上がりながら叫ぶマール。
俺やパラに聞こえるように大声で告げたのは、俺たちを鼓舞する意図もあったのだろう。
確かにマールの言う通り、今が攻撃のチャンスかもしれない。
一瞬、パラと目が合った。いよいよ『禁断の秘奥義』を使う場合か、と問いたげな目をしている。
「だが、パラの爆炎は危険だ」
俺は、今までの懸念を、もう一度確認の意味で口にした。この場の雰囲気に飲まれて、俺たちまで巻き込むような規模の魔法を使われては、たまったものではないからだ。
「わかってる! 私が
マールが、急いでパラの近くに歩み寄る。
「一応、この場で魔力最大のパラにチャージし直してもらってから……」
彼女の言う通りかもしれない。パラに爆炎を使わせないのであれば、パラの魔力を温存しておく必要もない。ならば俺ではなく、パラに魔力を込めてもらって、
俺も一瞬そう納得しそうになったが、
「いや、違う」
そんな言葉が自然に、俺の口から飛び出していた。
そう、パラに魔力を込めてもらうのであれば……!
マールの言葉のおかげで、俺は閃いたのだ。パラの爆炎を活かす方法は、これしかない!
「パラ! 魔法剣だ! マールの
――――――――――――
私――パラ・ミクソ――の耳に、ラビエスさんの言葉が飛び込んできました。
その『魔法剣』という単語を聞いて、彼が何を考えているのか、私にもピンと来ました。
これこそ、転生者同士の阿吽の呼吸でしょう。
魔法剣。
あちらの世界の、RPGゲームでは結構頻繁に出てきた概念です。
普通に攻撃魔法を放つよりも、断然威力が出るはずです。
もちろん、ゲーム的に考えれば、剣によっては『魔法剣』には使えないものもあります。でもマールさんの
それに、
「マールさん、しっかり握っていてください」
「よくわからないけど……。ラビエスのアイデアなら、私も、それに賭けるわ!」
こうして私たちが準備している間、風の魔王は攻撃してきません。
「ほう。ラビエス、まだ何か、余に面白い芸当を見せてくれるというのか?」
「ああ、そうだ! これが人間の、冒険者の力だ!」
ラビエスさんが会話で時間を稼いでくれているようです。いや魔王自身、リッサの召喚したモコラの攻撃で、弱っているのかもしれません。余裕の発言は一種のハッタリであって、追い討ちをする元気もないのかもしれません。むしろ魔王の側でも、時間を稼いで、体力を回復させたいのかもしれません。
どちらにせよ。
今がチャンスです。焦らず、しっかり、私に出来ることを実行する時です。
「では、行きます」
そして、私は歌い始めます。
「おお神よ 炎の神よ
すべてを燃やす 業火の神よ
我は
我が命 魔力に変えて
我が魔力 炎に変えて
風の魔王を 燃やし尽くせ
唯一無二の 神の爆炎」
魔法剣ならば、攻撃魔法の範囲云々を心配する必要もありません。だから出し惜しみすることなく、副次詠唱ではなく副次歌唱バージョンです。
歌うことで、私自身の気持ちを高めていきます。
気持ちの高揚が頂点に達したところで、全ての炎を、
「アルデント・イーニェ・フォルティシマム!」
さあ、マールさん。
――――――――――――
私――マール・ブルグ――は、感じることが出来た。
一緒に
「パラ!」
そのまま崩れ落ちた彼女に対して、反射的に私は声をかけてしまった。
だけど心配する必要はないのだろう。いつものように、パラは魔力を使いきっただけだ。今は、ゆっくりお休み……。
それよりも。
私は私で、自分のことで手一杯だった。
パラが魔法をかけてくれた
炎に重さはないはずだが、ずっしりとした感触まであった。これは、魔力の重みなのかもしれない。重さを感じさせるほどの、濃厚な魔力ということなのかもしれない。
ラビエスが『魔法剣』という言葉を口にした時、私には意味がわからなかったが……。同じ魔法士のパラには、それだけで通じたのだろう。その結果が、これだ。やはりラビエスの考えは凄い。
「マール、その剣で……」
「わかってる!」
私はラビエスに最後まで言わせず、魔王に斬りかかった。
自分の身長の何倍もの長さの剣を扱うというのは、簡単なことではない。だが、今ここで
「面白い! 再び、余に剣で挑もうというのか!」
先ほどまでは
魔王自身、それでは心もとないと思っているのだろう。体を取り巻く風の
しかし。
「きええええっ!」
私の気合の叫びと共に、我が
「人間ごときが!」
魔王は
でも、その『感触』を確かめている余裕は、私にもなかった。
込められていた魔力が解放されたみたいで、大爆発が起こったからだ。
そして私は爆風で吹き飛ばされ、そこで私の意識は暗転した……。
――――――――――――
「マール!」
俺――ラビエス・ラ・ブド――が慌てて、幼馴染の名前を叫んだのも当然だろう。
こちらへ向かって、彼女が吹き飛ばされてきたのだから。
放っておいたら地面に叩きつけられるところだったマールを、しっかりと俺はキャッチする。
「おい! 大丈夫か?」
俺の腕の中で、彼女は力を失って、ぐったりとしている。どうやら、衝撃で気絶したらしい。
とりあえず、目立った外傷は見当たらなかった。爆発に巻き込まれたわけではなく、あくまでも、爆発の余波で弾き飛ばされただけだ。むしろ、飛ばされたからこそ、あの大爆発に巻き込まれずに済んだのかもしれない。
安心した俺は、彼女をその場に横たえて、視線を前方へと戻した。
「魔王は……」
言葉に出しながら、その姿を確認しようとする。しかし、魔王のいた場所は再び爆煙に包まれており、すぐには視認できない。
リッサが呼び出したモコラ。あれは一種の、召喚魔法なのだろう。
そして、パラの副次歌唱バージョンの爆炎。その威力を込めた
現時点で、俺たちに出来る限りの、最大の攻撃だった。今その三人は、意識を失って倒れている。残るは俺一人。これで倒せていなかったら、もう、どうしたらいいのか……。
少しずつ、煙が晴れてきた。だが完全に煙が消えるより先に、俺の耳に、魔王の声が届く。
「賞賛に値する攻撃だったぞ、ラビエス」
魔王の健在を知って俺が絶望する中、徐々に、その姿が見えてくる。
さすがに、魔王もボロボロだった。モコラの攻撃を食らった時よりも、さらに酷い状態だ。
体のあちらこちらの肉が
左脚は欠損していないが、右は足首から先が消えており、もはや立っていられないのだろう。右膝で、体を支えていた。
顔も、右側の一部が、削り取られたような状態になっている。ヒト型モンスターの顔が欠損しているというのは、見るからに気持ち悪い姿だった。
しかし。
ここまで来れば、あと一歩だ。
もう俺しか残っていない以上、俺がやるしかない。
「風の魔王! ボロボロのお前を、俺が介錯してやる!」
だが風の魔王を相手に、風属性と思われる武器は、なるべく使いたくない。勧誘された際に手に入れた
腕の中のマールに目を向ける。意識を失いながらも剣を手放さなかった彼女の指をそっと緩めて、俺は
魔法剣として使った場合は、呪文詠唱せずに魔力だけを注いだ場合とは、事情が違うらしい。パラが込めた爆炎の魔力は、すでに失われていた。俺が
風魔法が使えない状態の上、これは
少しでも、その攻撃力を増すために。
見よう見まねで、副次詠唱を試みることにした。
もちろん、俺にはパラのような十二病的な気質はないから、副次詠唱で俺自身の気分が向上するなんて効果はない。しかし一般的に、副次詠唱には「わかりやすい言葉で、より強い想いを込めて『神』に祈りを捧げる」という側面もある。ましてや今の俺は、その『神』の正体を悟っているのだから、誰よりも強い気持ちを込めることが出来るはずだ。
「おお魔王よ 炎の魔王よ
すべてを燃やす 業火の魔王よ」
真実を知らぬマールもリッサも倒れている今、わざわざ『神』と言い換える必要もない。俺は、魔王の力を借りるのだ。それを真摯に頼み込むための副次詠唱なのだから、正直に『魔王』と呼ぶべきだと思った。
「我は
我が命 魔力に変えて
我が魔力 炎に変えて」
そして炎の魔王を頭に浮かべたところで、つい先ほど風の魔王から聞いた話を思い出した。四大魔王の人間関係の話だ。
炎の魔王と水の魔王が対立していること。その水の魔王が風の魔王に友好的ということ。つまり、風の魔王は、炎の魔王の対立派閥に属しているのだから……。
その点を盛り込んで、パラの副次詠唱のラストを、さらにアレンジする。
「
この世界から 消してしまえ
唯一無二の 悪魔の爆炎」
炎の魔王への懇願を、そのまま力に変えて、俺は強炎魔法カリディダを唱えた。
「アルデント・イーニェ・フォルティテル!」
おお!
パラの爆炎と比べたら恥ずかしいほど弱々しいが、それでも、普通に魔力を込めた時とは桁違いの炎が、
威力が弱い分、パラの副次詠唱や副次歌唱ほど、俺は魔力を吸われていない。しかし、こうして
あとは、いつも近くで見てきたマールの剣術を真似るだけだ。
「行くぞ、魔王!」
叫んで俺は、風の魔王に斬りかかった。
「
魔王は、殺意のこもった風で応戦してきたが、俺の
そして、俺の剣が魔王に届いた瞬間。
刀身の炎が爆発した。
「くっ!」
先ほどより、ひと回りもふた回りも小さな爆発だ。それでも俺は、弾き飛ばされてしまう。
マールが飛ばされた時とは違って、俺を受け止める仲間はいない。地面に叩きつけられて倒れこんだ俺は、凄まじい疲労感もあって、その場から立ち上がることすら出来なかった。
またもや、山頂が爆煙に包まれる。その煙の中から、魔王の声が聞こえてきた。
「やるではないか、ラビエス。さすがは、神の差し向けた刺客……」
ああ、もう、おしまいだ。俺では、ボロボロの魔王に、とどめを刺すことすら出来なかったのか……。
疲労に絶望が重なって、意識を失いそうになる中。
俺は、魔王の声を聞き続けた。
「もはや余は、力を失った。これでは、この世界に影響を及ぼすことは出来ぬ。この世界に顕現することも出来ぬ。
朦朧とする頭で、なんとなくだが、魔王の言葉の意味を理解して。
俺は、顔だけを上げる。
薄れゆく意識の中で、消えつつある煙の向こう側に、はっきりと見た。
そして魔王が完全に崩れ去り、塵となって風に飛ばされていくのを。
「ああ、ついに……。風の魔王が、風に乗って、魔王の世界へ帰還する……」
そう呟いて。
俺は眠りについた。
目が覚めた時には、かなりの時間が経っていたらしい。
俺の右側で、ちょこんと座り込んだマールが、じっと俺の顔を眺めている。
「おはよう、マール」
「よく眠ったわね、ラビエス」
ああ、ラゴスバット城での宿泊を思い出す。あの時とは違って、やわらかいベッドではなく、硬い岩の上だが。
「私が気づいた時には、三人とも眠りこけていたから……。私は、一晩中起きていたのよ」
マールが、軽く笑う。
風の魔王は倒したとはいえ、山道からモンスターが上がってくる可能性を警戒して、彼女一人で見張りをしていてくれたらしい。
「ありがとう。『一晩中』ということは……。今日は、登山四日目。曜日としては、火曜日ということか」
「そういうことになるわね。それより……。ラビエス、そこに座って」
唐突な指示だ。
はて、どういうつもりだろう?
マールの意図はわからなかったが、とりあえず、俺はその場に座る。ところが、リラックスして
「そうじゃなくて。足を伸ばして座ってね」
やはり意味不明なまま、言われた通りの姿勢に変えると……。
マールは、俺の太ももを枕にして、ゴロンと横になった。
「おい、マール?」
「これくらい、いいでしょ。私だって眠い中、頑張ったんだから……。見張りの交代、お願い。じゃあ、おやすみ……」
それだけ言うと、彼女は目を閉じた。すぐに、マールの寝息が聞こえてくる。
いやいや、見張りも何も……。マールを膝枕したままでは、モンスターが現れても、俺は戦えないぞ。
まあ、その場合は、仲間を起こせばいいだけか。
そう思いながら、周りを見渡す。
風が
視界が悪い。魔王の立っていた辺りは、俺の場所からでは、よく見えない。それでも、近くにいる仲間の姿は確認できた。
俺以外、三人とも、疲れて眠っている。特に、魔力が空っぽになったパラとリッサは、熟睡しているようだ。
そのまましばらく、かなり長い間、マールの重さと温かさを脚に感じていると……。
「あ、ラビエスさん。おはようございます」
ムクッと、パラが起き上がった。
――――――――――――
私――パラ・ミクソ――は、目が覚めてすぐは、ぼうっとして状況が理解できませんでした。
でも、マールさんを膝枕するラビエスさんを見て、彼に挨拶したことで、頭がはっきりとしてきました。
ラビエスさんの膝の上で、安らかな寝顔を見せるマールさん。そんな彼女の様子が、全てを物語っているのでしょう。
風の魔王との激闘は、終わったのです。私たちは、力を合わせて、魔王討伐に成功したのです!
「私が魔法をかけた
一応、確認の意味で尋ねます。
「ああ。厳密には、あれだけじゃ足りなかったが……。でも、パラのおかげで、魔王を瀕死にまで追い込めたことは間違いない。もう、俺の力でも、とどめを刺せたくらいだ」
「では、ラビエスさんが、風の魔王を倒したことになるのですね!」
「いやいや、そういう言い方は、やめてくれ。俺たち四人全員で、倒したんだ」
そうです。
四人のうち、誰一人欠けても、無事に生き残ることは出来なかったでしょう。
マールさんだけでなく、リッサも、今は眠っています。この場で起きているのは、私とラビエスさんだけです。
よく見ると、ラビエスさんは、何か警戒しているようにも見えます。もしかすると、二人きりになったことで私が「実は私は転生者で……」なんて言い出すかもしれない、と思っているのでしょうか。
確かに。
昔の私ならば、是非そうしていたことでしょう。ずっと待ち望んでいた、絶好の機会です。
でも。
今の私は違います。
頑なに正体を隠すラビエスさんと行動を共にするうちに、私も、転生者を公言するのは危険な行為だとわかってきました。だから、たとえ同じ転生者が相手だとしても「私は転生者です」と口に出すつもりはありません。あくまでも、それとなく匂わせる程度に留めるべき、と考えています。
ですから、この場でも『匂わせる程度』の会話をしましょう。せっかく二人きりなので、全く無関係の話をするのも、少しもったいないです。
はっきり転生者だと認めることはなく、それでいて、転生者同士でないと出来ない話題……。
そうです!
以前に誤魔化された質問を、もう一度、ぶつけてみましょう。
「ラビエスさん。ウイルスって何ですか?」
――――――――――――
突然のパラの言葉に、俺――ラビエス・ラ・ブド――は驚いた。
今さら、その話を蒸し返すとは……。
「それなら、前に説明したよな? 風の魔王が用意した、透明化の原因となった病原体。特殊なものだから、新しい名称を……」
「でもラビエスさんは、あの時『あんなウイルスがあるとは』って、言いましたよね? わざわざ『あんな』と付けたのは、もっと広い意味で『ウイルス』を定義して、その一部が、例の病原体だったというニュアンスに聞こえたのですが……」
それは当然だろう。パラも転生者なのだから、ウイルスという言葉の本来の意味を知っているはずだ。しかし、ここで二人きりになったにもかかわらず、はっきり転生者だと告白せずに、こんな言い方をするということは……。
もしかするとパラは、本気で「言葉は聞いたことあるけれど、意味は知らない」ということで、ウイルスについて知りたがっているのだろうか?
それならば……。
「ああ、うん。あの時は、ああ言ってしまったが、厳密には……。マイナス型の病原体全般を『ウイルス』って命名しようと思ったんだ。プラス型とかマイナス型とかでは、味気ないからな」
「ああ、なるほど!」
パラの顔が、パッと明るくなった。
演技しているようには見えない。この様子だと、パラは本当に、今まで知らなかったらしい。俺の元の世界にも結構存在する、ウイルスと
「では……」
少し考え込むような顔を見せた後、パラが続ける。
「……プラス型の名称を『サイキン』とするのはどうですか?」
彼女の表情は、まるで「この問題の解答は、これでいいですか?」と先生に向かって尋ねる学生のようだった。
「うん、悪くないな。俺も賛成だ」
「ああ、やっぱり!」
「でも、ほら、マールに『ウイルス』という名称自体、語感が悪いという理由で却下されただろう? だから、こういう新しい命名はボツだけどな」
「そういえば、そうでしたね」
「だから『ウイルス』も『サイキン』も、マールとか他の人の前では、絶対に使うなよ?」
「はい!」
パラが元気よく返事する。
この様子ならば、もう少しだけ、話を続けても大丈夫そうだ。
「だから、あくまでも、ここだけの話だぞ。俺とパラの、二人きりの話だぞ。俺が思うに、『ウイルス』つまりマイナス型と『サイキン』つまりプラス型の違いは……」
お互いに、転生者だと口に出して明かすことなく。
俺は、即席のウイルス学講座を始めたのだった。
(第二章「魔の山に吹く風」完)
(『「ウイルスって何ですか?」――ウイルス研究者の異世界冒険記――』完)
「ウイルスって何ですか?」――ウイルス研究者の異世界冒険記―― 烏川 ハル @haru_karasugawa
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