114 二人(最終話)

 身支度を整えた一希は、部屋を出て玄関に向かう。庭のイチョウもだいぶ染まった。作業服もそろそろ中綿入りの冬物に衣替えが必要だ。


 普段は前日には工具類を用意しておくのだが、今日は実際使う予定がないものだからすっかり忘れていた。出がけに玄関先で一応ひと通り道具を揃えていると、背後から夫が声をかける。


「なあ、晩飯、鶏鍋とりなべでいいか?」


 一希は内心苦笑する。考えるのが面倒だと大抵これに落ち着くのだ。微妙な味付けにまだ自信がない夫は、出汁だしだけで何とかなる鍋料理を冬場の特権だと思っている節があった。


「うん、いいね。あったまるし。材料あったっけ?」


「どうせ出るから買ってくる。お前は今日は麻戸あさどだったな」


「うん」


 努めて何食わぬ顔を維持する。壁に貼ってある一希の予定表には、麻戸で探査、と書いてあった。麻戸市に行くこと自体は嘘ではない。


 夫がカレンダーを眺めて呟く。


「来週以降は今んとこすっきりしてるみたいだな」


「うん。でも、ここんとこ忙しかったから、ちょうどいいかも。ちょっと小休止」


「なるほど。それはいい心がけだ」


 微熱が続いていて時々目まいもするなどと言おうものなら、心配もされるだろうし、また変に期待を持たせてしまうかもしれない。夫に気付かれないうちに病院に行きたくて、今日の予定として探査をでっち上げたのだ。心の中で、ごめんね、と呟く。


 中に普段着を着ておいて、車の中で作業服を脱げば変身完了、という算段だ。さすがにこのオレンジ色で院内をうろつくわけにはいかない。内科や外科ならまだしも……。


 廊下を戻っていく後ろ姿を一希も最後までは見届けず、外へ出た。お互い大体の居場所ぐらいは知っておきたい。でも、いちいち特別な見送りはしない。


 いつ何時命を落とすか知れないのは、別に不発弾処理士に限ったことではない、というのが二人の共通の見解だ。毎度別れを惜しんだからといって、助かる確率が上がるわけでもない。おのれの五感を、師が与えてくれた知識と技術を、信じるだけ。


 荷物を積み終え、運転席に座る。エンジンをかけながら、何となく予感のある下腹にそっと手を触れた。と、そのわずかに上、おへその位置にあるボタンが存在を主張する。目に見えて他よりも大きいのが微笑ましいやらおかしいやら。しかし今日は何だか頼もしくも見える。


 縁起をかつぐようなことはやめておけという師匠の教えを忠実に守り、作業服は機械的に手前から順に使っている。だからこの一着も全く平等な頻度で回ってくるはずなのに、今日という日を知ってでもいるかのようにこうしてお出ましになるから不思議だ。夫の自信作の鶏鍋を前に、いい報告ができればいいが。


 車の窓から吹き込む風は、秋の気配に満ちている。一希はいつも通り安全運転を誓い、晴れやかな気持ちでアクセルを踏んだ。


                                    (了)

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爆弾拾いがついた嘘【旧バージョン】 生津直 @nao-namaz

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