113 誓い

「わかりました。つつしんでお引き受けします。その


「まあ、そう言うなって。心配いらん。捕まるようなヘマをする連中じゃない。お前が言いふらしさえしなきゃそれでいい。ただし……」


 新藤が言いよどむ。


「言うまでもないが、俺がスムであることはほぼ間違いないぞ。しかも、それを確かめるすべは今のところない。まあ、そっちの技術も鋭意開発中だとは言ってたが、いつになるかわからん」


「もちろん構いません。実は、以前ある人に言われたんです。くくりを忘れろって」


 新藤の片頬がひゅっとへこむ。


「でも、敢えて忘れようとするまでもないっていうか……括りなんて自動的に吹っ飛ぶものですね。恋をすると」


 床に目を落とした新藤は一瞬涙ぐんだように見え、それをごまかすように後頭部をポリポリとく。


「……そうだな」


と、答えた声はかすれていた。


 一希は今さら悟った。おもびとを一度完全にあきらめざるを得なかったおのれの強さを。


 未練だけはずっと引きずっていたけれど、もう叶うことはないのだと自分に言い聞かせ続けた甲斐かいあって、これは一希にとっては、一度は失った恋。いわば拾い物だ。


 一方、新藤はこの二年間、きっと手を尽くして探し回ったに違いない。自分の実親の行方ゆくえや、一希との繋がりの裏付けを。一希がいつ誰にとついでいってしまうかもわからない中で、無駄になるかもしれない心血を注いだことだろう。その成果が、この遺伝子検査という選択肢だ。


「それから、もう一つ問題というか……」


「はい、何でしょう?」


「親子関係を調べるのと兄弟関係を調べるのでは、解析方法が違うらしくてな。親子の方は結果も早いが、兄弟の場合は今の技術では不明瞭な結果しか出ないと言われてる。それが異母兄弟となればなおさらで、血縁の有無を結論付けるだけの精度にたどり着くのが……一年から三年後だそうで」


 一瞬、気が遠くなりそうになる。なんと長い待ち時間だろう。しかし、一希の意思は明白だった。


「じゃあ……今すぐお願いして、急いでもらいましょう、その研究」


「ん」


 しかし、新藤は今ひとつすっきりしない面持おももちだ。


「まあ、そうは言っても……あれだな。まあ、わからんよりわかった方がいい、ぐらいに考えとけばいいんじゃないか?」


「つまり?」


「つまり、検査を受けるからといって、お前の行動は……何ら制限を受けない」


 そう来ると思った。


「要するに?」


「要するに……お前には結果を待つ義務はない、ってことに……なるな、まあ、一応」


 露骨に歯切れが悪くなる新藤の気持ちは、痛いほどわかった。残念ながら今はまだ、ちぎりを交わす時ではない。


「それはまあ、お互い様、ってことで……」


 それぞれが自分自身に誓いを立てる以外に、何ができよう。ふと見つめ合った数秒のに、新藤の疲労とうれいがじわりとにじみ出してくる。


 どうにかしていたわってやりたい。元気づけてやりたい。できることなら抱き締めてやりたい。


「お前今いくつだ?」


「二十三になりました」


「三年経ったら?」


「しわくちゃのお婆ちゃんです」


 新藤が露骨に青ざめる。


「冗談ですよ。……わかってます。何も気にせず好きにしますからご安心を。でも、結果が出るまで……出てからも、どうなっても、他人同士だなんて言わないでくださいね」


 先日新藤から電話をもらうまでの二年の空白を思った。一方的に手紙を送り、ただ無事を祈ることしかできなかった長い長い二年を。


「たまには電話で仕事の相談ぐらいさせてください。結果がどうであれ、先生は……私の先生なんですから」


 もちろん、できれば先生で終わってほしくはない。そんな自分の心の声に、照れ臭くなってうつむく。新藤の視線を感じるが、顔を上げることができなかった。


 新藤が低く呟く。


「例のカルサ六の時にな」


「はい」


 誰もが初めて目にした希少な兵器。新藤と檜垣が最終的に爆破処理したあの案件だ。


「檜垣に見捨てられた」


「えっ?」


 一希は一瞬耳を疑ったが、新藤の表情はなぜか幸福そうにすら見える。


「お前がやるなら俺も付き合う、と、あいつなら言うだろうと思った。そう言われちまえば、こっちだって巻き込むのは嫌だから安全策の方を取るだろ」


「そうですね」


 危険な選択肢を諦めさせるには、それが一番手っ取り早い。


「しかし、実際にはな」


 新藤はあの日を懐かしむように目を細める。


「悔いのないようにしろ。……そう言われたんだ」


 一希は言葉を失った。


「責任者交代の署名をしてやるから、やりたきゃ一人でやれ、と」


 あれほどにこやかで優しい檜垣が、そんな冷たいことを?


 新藤があのカルサの安全化に未練を残していたのは、後日映像で見ただけでも一目瞭然だった。そんな様子の親しい同僚にかけたのがその言葉とは、確かに見捨てたとしか思えない。いくら相手の実力を信頼しているとはいっても……。


「まあ、あいつがそんなことを言うとは驚きだったが、それ以上に……俺は自分が迷ってることに驚いた」


 一希はあの現場映像を思い出す。長い迷いだった。一体何分かかっただろう。眉をぎゅっと寄せたままたたずむ新藤の姿を見つめ、一希は結末を知りながらも祈らずにはいられなかった。


「よくわからんが、迷いがある以上はやめだと決めた」


 一希は改めて安堵に震える思いだった。新藤を突き放して選択を委ねた檜垣を恨みたくなる。


「爆破を終えて家に帰ってみたら……」


 新藤の目がこちらを向いた。


「お前が泣いてた」


 一希はあの日に引き戻されたような錯覚を覚え、思わず涙ぐむ。


「それを見て……ああ、これだったのか、と」


「え?」


 不意に手を握られ、一希は息を呑んだ。


「俺の死ねない理由だ」


 つやを帯びた新藤の瞳に、吸い込まれそうになる。繋がれた手をそっと握り返すと、新藤の鼓動が伝わってきた。


 このぬくもりを、今度こそ信じよう。一希はそう決意した。


 病室の窓から見える西の空には、桃色に染まった雲。奔放ほんぽうに浮かぶその姿は、明日の晴天を予感させた。

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