英雄の横顔はなぜかくも醜くそして美しいのか

左安倍虎

英雄皇帝の実像

 私が手にしている一枚の銀貨は、エトルニア皇帝の即位三周年を記念してつくられたものだ。指の腹で銀貨を撫でると、ざらついた感触がある。翼竜の炎を浴び、焼けただれた皇帝アレクシウスの横顔が、ありのままに打刻されているからだ。かつてエトルニアを苦しめていた邪竜を打ち倒し、民を塗炭の苦しみから救ったアレクシウスは皆に乞われ、この地を治める皇帝として即位したのだといわれている。


 今回の発掘調査では、エトルニアの上級市民の家屋がほぼ完全な形で出土した。甕のなかに大量に保管されていたこの銀貨は、もしネットオークションにでも出品したならたちまち好事家が集まってきて値をつり上げ、私はキュプロスに豪邸を立てることができるだろう。もちろん、私はそんな愚かなまねはしない。エトルニアの建国皇帝の治世が長続きした理由を、私はこのコインに見出しているのだ。自説を裏付ける貴重な物証をみずから手放すわけがない。


 即位三周年を記念して新しい銀貨を発行するのは、一見奇妙に思える。自分の姿を彫ったコインを発行するなら即位当時か、あるいは即位して十年くらい経ってからでいいのではないか。アレクシウスの治世が三年目に入っても、これといって記念すべき出来事があったわけでもない。なぜ、かれは三周年という中途半端な時期に銀貨を発行しているのか?私の考えを以下に記しておこう。


 史官ディオドロスの記録によれば、アレクシウスは即位三年目にして完全に視力を失ったという。以前からこの英雄は眼病に悩まされていたというが、おそらくは邪竜が断末魔の際に唱えた呪言に身体をむしばまれていたのだろう。邪竜の言霊は並の者なら聞くだけで即死するほどの効力があるが、アレクシウスだからこそ失明程度の後遺症ですんだのだ。


 さて、視力を失ったアレクシウスは、おのが横顔を刻んだ銀貨の鋳造をはじめた。ディオドロスは皇帝は二種の銀貨のうち、より真実に近いほうを採用したと簡潔に記すのみだ。だが、目が見えないアレクシウスがどうやって銀貨の出来を評価するのか。アレクシウスは、せいぜい銀貨に触れて感触を味わうことくらいしかできまい。いや、むしろここにこそ重大なヒントがあるだろう。この偉大な皇帝は、二種のコインに実際に触れてみたのだ。そして、手触りがなめらかでない──つまりは邪竜の炎に焼かれたありのままのおのが横顔──を彫ったコインを選んだということではないか。もう一方の手触りのなめらかな銀貨には、美化されたアレクシウスが刻印されていたのだろう。


 ディオドロスは、アレクシウスは目を見ればその者の心根を見抜くことができたと書いている。アレクシウスの治世は順調だったが、それは補佐役に恵まれたからでもあるだろう。かれは戦場の勇者ではあっても、政治の経験があったわけではない。暁の賢者レグルスの諫言に耳を傾け、大法官マルケルスの献策に従ったからこそ、この皇帝は道を誤ることがなかった。アレクシウスはかれらの目に真実の光が宿っていることをよく知っていたのだ。


 だが、アレクシウスが光を失ったらどうなる?かれは臣下の表情からその真意を読み取ることができなくなる。誰の言葉を信用してよいかわからなくなってしまうのだ。かれが失明するころ、ちょうどレグルスは病を得て職を辞し、マルケルスは隠居している。これから誰を頼みとするべきか、かれは頭を悩ませたことであろう。そこでアレクシウスは二種の銀貨をつくらせた。そして、ざらついた手触りを感じる銀貨を皆の前に示し、それを流通させることに賛同したものを顕職につけたのではないか。事実、レグルスとマルケルスの退任後、人事は一新されている。かつてのレグルスのような直言の士を求めるため、かれは即位三年目にして銀貨を発行することにしたのではないか。ありのままの姿を刻んだ銀貨に賛同する者を選べば、己に媚びへつらうものを退けられるとアレクシウスは考えたのだ。


 ──いや、こんなものは贔屓の引き倒しにすぎないかもしれない。だが、私はアレクシウスがそのような人物だったと信じたいのだ。現にこの銀貨を発行したのちエトルニアはその領域を広げ、周辺の五十三の部族が朝貢するほどの大国に成長している。しかもアレクシウスはその三十五年の治世をつうじて、一度も反乱を起こされていないのだ。これはつまり、かれが人材登用に成功していたからではないのか。そのきっかけを、この銀貨が作り出したのではないか。いずれにせよ確かなことは、皇帝の顔が焼けただれていたことが事実だったということだ。わざわざ己を醜く描かせる為政者などいるはずがない。であれば、アレクシウスが邪竜と戦っことも史実と考えてよいだろう。かれは火傷の跡を名誉の負傷と思っていたであろうから、めしいた皇帝はこの銀貨を撫でるたびに、誇らしい気持ちになったに違いない。なぜそんなことがわかるのか、想像をたくましくし過ぎだと思われるかもしれないが、これくらいは許してほしい。私とこの偉大な皇帝との唯一の共通点は、視力を失っていることにあるのだから。

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