走れメロス 短距離走編

和希

走れメロス 短距離走編

 瀬戸際高校の演劇部の部室。


 部長、出雲いずも綾香あやかは難しい顔をして腕を組み、長机の前に座っていた。


「……で、どうしてこうなったんですか、部長?」


 演劇部副部長にして脚本チーフの近松ちかまつはじめが台本を丸めて綾香につめ寄る。


「うちの上演時間がどうして3分になってしまったのかと聞いているんです」


 文化祭を間近にひかえ、演劇部の練習にも熱が入っている。例年、演劇部の上映時間は1時間だと決まっていた。


 綾香は頬をぷうっとふくらませ、そっぽを向いた。


「仕方ないじゃない! ホールの使用許可ねがいを出し忘れちゃったんだもの。不慮の事故だわ」


「事故ではなく、どう考えても部長のせいですよね」


 厳しい視線を浴びせる創。綾香は冷や汗をだらだらと流している。


 だが、ついに耐え切れなくなったのか、綾香はバンッと机をたたくと立ち上がった。


「だーかーらー、ホールですべての部活の発表が終わったあとの、最後の3分間だけもらってきたんだってば! 演劇部をねじこんでもらうの、本当に大変だったんだから! 少しは感謝してよねっ!」


 文化祭でホールを使いたい団体は多い。吹奏楽部やダンス部、軽音楽部など、数多くの団体が発表の時間を少しでも長く確保しようと躍起になっている。


 そんな状況で使用許可願を出さなければどうなるか? 演劇部の上演時間がなくなるのは至極当然のことだった。


「そこで開き直りますか」


 創は呆れたように言い、さらに続けた。


「事情は分かりました。でも3分でいったい何ができるって言うんです? 今年の舞台は『走れメロス』ですよ? 台本だって1時間用で仕上げてあるんです」


「いいじゃない、メロスが3分で走って行って帰ってくれば」


 ぶすっと不機嫌そうに言い返す綾香。たちまち創に冷たい視線を浴びせられ、再びぷいっとそっぽを向く。


「いいですか、部長」


 創はマジックを手に取ると、ホワイトボードに『走れメロス』の概略を書き出した。



① 人間不信の暴君ディオニスにメロスは激怒する。

② 親友セリヌンティウスを人質に差し出し、必ず戻ると約束する。

③ 家に帰ると妹と婿に結婚式を挙げさせる。遺言をのこし、城へと引き返す。

④ 大雨の影響で氾濫した川の激流を泳ぎ切る。

⑤ 山賊に襲われるも撃退する。

⑥ 疲れ果てたメロス。ついに倒れて動けなくなり、諦めかける。

⑦ 湧き出る清水を飲み回復。再び走り出す。

⑧ ほとんど全裸で刑場に到着。親友を救い出す。

⑨ メロス、諦めかけた罪を告白し、セリヌンティウスに殴られる。

⑩ セリヌンティウス、疑いを抱いた罪を告白し、メロスに殴られる。

⑪ 絆を確かめあった二人は信実のありかを証明して抱擁。王を改心させる。



 創は書き上げるとマジックに蓋をした。


「……部長はこれを3分でやれ、と」


 非難の目を向ける創。


 しかし綾香はひるまない。長い髪を手でばさっと掻き上げると、勝気な顔を見せた。


「ええ、そうよ。近松君、悪いんだけど台本を3分用に直してちょうだい」


 綾香は異論は認めないわ、と一方的に言いわたす。


 創は悩ましげに深いため息を吐いた。


「メロスの物語は3日間なんですよ。3分なんかじゃとても」


「城のとなりにメロスの家があればいいじゃない」


「……は?」


 創のとまどいをよそに、綾香は名案だとばかりに胸を張る。


「メロスの家が遠いからいけないのよ。近ければいいんだわ」


 綾香はフフン、と得意げに鼻を高くした。たちまち創が反論する。


「仮にメロスの家と城が近かったとしましょう。でも川はどうするんです? たいした距離じゃなければ泳いでも疲れ果てることはない。すぐ陸に上がれますよ」


「そうだわ! 川を泳いでいる時に山賊に襲われることにしましょう! これならさすがのメロスも疲れ果てて倒れるでしょ」


「部長はメロスを殺す気ですか!」


「近松君、私たちには3分しかないの。④と⑤がいっぺんにできれば時間が短縮できて一石二鳥だわ!」


 創はさらに抗議する。


「じゃあ部長がこだわっている⑧『ほとんど全裸で』の部分はどうするんです? 短時間でこんなボロボロな状況になるわけがない。削りますか?」


「ダメよ! ぜったいに削ってはダメ。そこは文化祭で盛り上がること間違いなしだもの」


「じゃあどうするんです? 泳ぎ切った後にダッシュで舞台袖に駆けこんで、早着がえでもさせますか?」


「もう最初からほとんど全裸でいいんじゃない? 早着がえする時間も惜しいわ」


「……はあァ~!?」


 創がすっとんきょうな声を上げる。


「じゃあ妹の結婚式はどうするんです!? ほぼ全裸で結婚式に参加する兄がいますかっ!?」


 しかし綾香は少しも意に介しない。


「宴会芸よ! メロスはお盆で大事なところを隠して式場に登場するの。きっと大盛況だわ!」


 創は負けじと応戦する。


「じゃあ部長の考えだと、もう①からメロスはほぼ全裸でお盆を持って城に登場するんですね! 暴君じゃなくたって捕まえますよ!」


「大丈夫よ。テレビで放映されてたもの。セーフセーフ」


「たしかに……じゃなかった! お盆が取れたらどうするんです! 文化祭自体がなくなりますよ!」


「仕方ないわね。三角の海パンなら履いてもいいわ。どうせ川で泳ぐんだし」


「もう部長が暴君ですよ」


 創は頭を抱えた。


 綾香はそれからもアイデアを出し続けた。


「⑦はカットでいいわ。川で山賊に襲われたら、どうせ水もたくさん飲むでしょ。それと⑨と⑩も短縮しましょう。二人は順に殴るんじゃなくて、いっぺんに殴りあうの。こう、クロスカウンターって言うの? 二人の腕が交差して、拳が同時に相手の顔面をとらえたら、きっといい絵になるわ!」


 黙りこむ創をよそに勝手に盛り上がる綾香。


 そして創に向けて満面の笑みを輝かせた。


「そういうわけだから、台本お願いね! 近松君!」


 こうして創が台本を書き直し、綾香が脚色を加えた3分版『走れメロス』がついに誕生してしまった。



***


舞台『走れメロス 短距離走編』




 舞台上手に城がそびえ、下手にメロスの家が建っている。


 城では暴君ディオニスが、お盆で大事なところを隠したほぼ全裸のメロスをにらみつけていた。


「お前の親友は預かった。返してほしくば3分で帰って来い、この変態」


「おのれ、言わせておけば! 必ず帰ってくるからな!」


 メロスはお盆を持って城を飛び出すと、全速力で家へとダッシュした。


 ちょうどその時、メロスの家では妹たちの結婚式が行われていた。


 メロスが式場に駆けこむと、たちまち妹が悲鳴をあげた。


「お兄ちゃんっ! なんて格好なのっ!?」


「サプライズ登場だよ。ドキッとしたんじゃない?」


「むしろ寿命が縮んだわっ!」


「私は城へ行く。兄を誇りに思うがよい」


「誰が思うかっ! さっさと行け~っ!」


 こうしてメロスは家から追い出されてしまった。


 城へとダッシュする途中、舞台中央に置かれた大きなビニールプールを見つけるメロス。


「わあ、川が氾濫してるぞー! でも親友を死なせるわけにはいかないやっ!」


 メロスはわざとらしくそう叫ぶとプールに飛びこみ、その場でじたばたとクロールをした。


 すると突然山賊が現れ、泳いでいるメロスに襲いかかる。


「野郎ども、かかれっ!」


「ゴボッ! ブクブク……」


 クロールしている背中を、山賊たちが手にしたモップや箒、ムチで一方的に叩かれてしまうメロス。


 やがて10秒ほど経つと、山賊たちは気が済んだのか、お盆を奪って去って行ってしまった。


 メロスはプールからはい出ると、舞台に用意された草の茂みに身を隠すように倒れこんだ。


 まもなくメロスは立ち上がり、お盆を持たない指で海パンをさして言った。


「安心してください。ちゃんと履いています」


 ついにメロスは再び猛スピードで走り出し、セリヌンティウスの元へとたどり着いた。


 そして勢いそのままに右の拳を握り、強烈なパンチを繰り出しながら声高に叫んだ。


「俺を殴れ、セリヌンティウスゥゥ――ッ!」


 セリヌンティウスもまた拳を突き出し、メロスを迎え撃つ。


「お前、言ってることとやってることが滅茶苦茶だなッ!」


 両者の拳が互いの顔を確実にとらえる。二人は殴り合ったまま固まり、同時に膝から崩れ落ちた。


 そして互いに抱きあうと、甘い声で口々にささやき合った。


「ごめんね、痛くなかった?」


「……ううん、僕こそごめん。痛いの痛いの飛んでいけー♡」


 二人は涙を流しながらねんごろに慰めあう。


 そんな二人の仲むつまじい様子を目の当たりにした王は、顔を赤らめて言った。


「わしも仲間に入れて」


 こうして三人は温かい友情で結ばれ、「万歳、万歳!」と声をそろえた。


 そして劇がはじまって3分、幕が静かに下りるのだった。




〈 了 〉

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