今もどこかに

九十九 千尋

あの小山はもう無い



 それは十数年前の事。八月、ある熱い夏の日のことだった。


 その日は、僕とタカちゃんとシゲくんと、三人で山へ探検に行った。

 家からかなり離れた小さな小山に三人で踏み入って、その小山の中に何があるのかを確かめる、小さな冒険だ。肝試しも兼ねていたかもしれない。


 小山の中には、小さな建物があった。僕らがそれぞれ一人は入れるぐらいの、大人にはすこし狭そうな大きさの。


 その建物の脇には、崩れた縄みたいなのと、小さな箱と大きな箱がある。それ以外は木々が生い茂り、なにも無い。


 シゲくんは辺りを見渡しては、タカちゃんにぴったりくっついていた。


 タカちゃんがその様子をニヤニヤしながらからかった。

「シゲ、お前は怖いのか? 俺は怖くないぞ」

 そういうものだから、シゲくんも言い返した。

「怖くない。ボクも怖くない」


 そういって、シゲくんはタカちゃんから離れたけれど、シゲくんは寒さに凍えるように震えていたのを、僕は見ていた。


 タカちゃんが乱暴に小さな箱を蹴り開けた。その中からぼろぼろの本が見つかったので、三人で肩を寄せ合って覗き込んだ。

 当時の語学力では、その本の内容を全部読むことなんてできなかったけれど、ここは神様を祀っていた場所だと分かった。そして、その神様は今はここには居ないだということも。

 その神様は、豊かさをつかさどる神様で、蛙とか蛇とかの姿をしていたとかそんなことを書いてあった。


 どうしてその神様は居なくなってしまったんだろう? そう思いながら、本のページをめくる最中、シゲくんが小さく悲鳴を上げた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。許して下さい。知らなかったんです。ごめんなさい。お父さんとお母さんに合わせてください。嫌です。嫌です。嫌です」

 そう言いながら、シゲくんは誰も居ない場所に頭を下げて泣き始めます。辺りに響く蝉の鳴き声に合わせて、シゲくんの辛そうな声が響いた。


 流石に怖くなってきた僕とタケちゃんも、本を放り出した。そして、今なお誰かに泣きながら謝っているシゲくんを連れて、小山から急いで逃げることにした。



 小山を出た直後、知らないおじさんに怒鳴られた。

 よく覚えてないけれど、「どこの子だ」「なぜ入った」「親はどこだ」「誰か呼んでこい」そんなことを言っていた気がする。

 なぜ僕が覚えていないのか、それは、僕の目の前に、おじさんの隣に、白い服を着た子供がいたから。その子供……いや、子供らしきモノが、僕らをじっと見ていたからだ。

 白い和服の首から上は、緑色をしていた。黄色い目をして、耳も鼻もなく、大きく割けた口をしている。その子供が、じっと、僕らを見ていた。大きな目で……じっと……

 おじさんが言った言葉で一番覚えていた言葉は……



「蛇の頭をした奴を見つけても見つめるな。話すな。応えるな」



 僕は咄嗟に、目線を逸らした。

 おじさんはそれを察して、僕らを抱え上げてどこかへ走って行った。僕は怖くなって目をつむっていたので、どういう道を通って誰の家へ逃げ込んだのかもわからなかったが、その日はそれ以降なにもおかしなことは無かった。






 後日、僕とタケちゃんは、こっぴどく怒られた。

 わざわざ村の偉い人やお坊さんや、そういう大人が集まって、直々に説明とお説教をしてきたのを、今も覚えている。


 聞いた話によると、あの山には遠くの神様の分霊が祀られていたらしい。その神様は、毎年新しい神子を欲しがる神様だったが、豊穣をつかさどる神様なので、周囲の村人は毎年新しい神子を選んでいたのだとか。

 明治に入ってから、その神様は邪悪な神様だということで、その風習もなくなったらしい。けれどそれまでは……


 毎年、八歳の子供を神子として祀り、子供が九歳になったら、人身御供として殺していた。八歳の誕生日を迎えた子供を神子としてあの社に閉じ込め、社の中で何が起きているかも実の父母すら知らされず、神様と接することが許された一部の人間だけが接し、そして、一年後には、その首を刎ねる。首を受け止めた大きな箱を、次の神子へのお供え物とするために。


 そういえば、シゲくんはどこへ行ったのか、僕は聞いてみた。


 大人たちは少し困った顔をしたが、答えてくれた。

「神様は長い間、神子を与えられていなかったから、どうしても神子が欲しかった。そして、その場に居合わせた子供の中で、一番神様が良いと思った子が神子に選ばれた」


 僕は自分の血が引く音というのを、生まれて初めて聞いた。シゲくんは、その神様の神子に選ばれたのだと。シゲくんは殺されるかもしれないのだと。そう思うと怖くて仕方がなかった。


「あの子がきっと、周りを取り囲む蛇の頭をした神様の使いに応えてしまったから、あの子が選ばれたんじゃないか」

 大人がそういったのを聞いて、シゲくんが怖がっていた理由がようやくわかった。


 そうして肩を落として今にも泣きそうになっている僕らに、大人たちは言った。

「でも安心してほしい。神子を人身御供にしていたのは昔の話だ。今の平成の世の中ではそんなことはしない」


 それじゃあ、どうして今ここには居ないのか、僕は聞いた。

「あの子は、分霊じゃなく、神様の本体の方に許してもらうため、もうご両親と一緒に旅立った。ひと月は帰れないだろうけれど、必ず帰ってくるから安心しなさい」

 そして、僕とタケちゃんは、二度とあの小山に近づかないことを誓わされた。


 一つ、気になったことが有って、僕はもう一つ質問をした。

 なぜそんな危険な物があると分かっているなら、あの小山を取り壊したりしないのか。


 大人たちはまた少し押し黙ってから答えてくれた。

「あの神様の荒魂は、あそこに縛り付けておくのが一番いい。あの山に居るというルールが有れば、あの山から動かない。もし、あの山から離れてしまえば、次はどこで神子を求めるか分からない。神子の求め方も変わるかもしれない。あの神様にとって、あの山で神子を求めて、あの山で神子を殺すことはあの神様のルールなのだから」




 一月後、シゲくんは普通に、何事もなく学校に通ってきていた。その時のことを何も話そうとしない(話してはいけないと言われているらしい)以外は、何事もなさそうで安心した。

 忘れるしかないと聞かされていたが、僕はそれ以降、この小山も神様のことも、すっかり忘れて過ごしていた。



















 さて、なぜこんな話をしたかというと、これが大事な話だと、僕は思ったからだ。

 察しが良い人なら、もう気付いている事だと思う。あの小山は、開発で今は既に跡形もなくなっている。小山を崩す際に、地元の自治体などと揉め、地鎮祭などを行っていたらしい。

 でも、もうあの神様は小山に縛られなくなってしまった。


 当時話をしてくれた大人が、今一度、十数年ぶりに僕らを集めて話をしてくれた。

「もう、あの神様は小山があった場所には居ない。小山に居るというルールがなくなった以上、人身御供周りのルールもなくなっている可能性が高い。子供に限らなくなっているかもしれないし、一年も生かさずに殺すかもしれない。あの神様は、今どこに居るか分からない」



 果たして次も、子供だけが神子に選ばれるのか、それとも、積年の飢えで、はもはやルールを破ってでも新しい神子を迎えるのか……殺すのか……

 次は、この神様はどこで神子を求めるのか……




 逃げられることを祈るしかない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今もどこかに 九十九 千尋 @tsukuhi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ