しゃべってはいけない

八百十三

しゃべってはいけない

 しゃべってはいけない。


 着ぐるみやゆるキャラ、マスコットキャラの「中の人」をやる際に、九割九分の割合で課せられるルールだ。


 ゆるキャラやマスコットキャラは「中に人間がいるキャラ」として存在するのではなく、「そのキャラそのもの」としてそこにいる。

 だから、中に人間が入っているということを、周囲の一般の人々に感じ取られてはいけないのだ。

 すなわち「中の人などいない!」というやつである。

 喋りまくって大ブレイクした某梨の妖精は、あれは究極のレアケースである。


 とある企業の短期バイトに応募した俺こと宇川うがわも、たった今そのことを念入りに伝えられた。


「宇川くん、いいですね?君は今日一日、サンベルズ株式会社のマスコットキャラクター、サンベルちゃんになるわけです。

 サンベルちゃんはかわいく、元気いっぱいで、明るい、そういうキャラクターです。

 今日の間は、宇川うがわ 康征やすまさという人格は捨て去って、全身全霊でサンベルちゃんになりきって、一日頑張ってください」

「それを、一言も喋らずに……って難しくないですか?」


 きっぱりと、厳しい口調で俺に告げる坪口つぼぐちさんに俺が恐る恐る問いかけると、指導役兼アテンドの坪口さんは大きく頷いた。


「難しいです。ふとした拍子に声が出てしまうこともある、それは認めます。

 しかし、サンベルちゃんはしゃべってはいけない・・・・・・・・・・のです。一言も、本来は。

 それにこんな可愛らしい猫の女の子の中から、野太い男の声が聞こえてきたら、子供も大人も幻滅するでしょう」

「確かに、そうですね……」


 坪口さんの言葉に頷きながら、俺は目の前に置かれたサンベルちゃんの着ぐるみ・・・・を見やった。

 黄色い毛皮をした猫をモチーフにしたサンベルちゃんは、緑色の瞳が大きく、元気に口を開いていて、とても可愛い。

 今から俺がこの中に入って、サンベルちゃんになりきるのだと思うと、俺自身とのギャップが大きくて精神的にくるものがある。

 ちなみに俺は一般的な男性から比べたら身長が低い。それでも160はあるけれども。

 可愛らしいキャラクターは大概身長が低いせいでか、着ぐるみ業界で身長低めの男性というのは重宝されるのだそうだ。


「とりあえず、まずは一式着てみましょう。そこにあるスポーツインナーに着替えてきてください」

「……分かりました」


 有無を言わさない坪口さんの言葉に、俺は大人しくテーブルの上に置かれた上下揃いのスポーツインナーと水泳キャップ、軍手を手に取った。

 なんでも、着ぐるみに汗が付かないようにすることが長持ちさせる秘訣なんだそうだ。確かにゆるキャラの身体は容易に洗濯できないだろうから、汗がつくことを予防した方がいい。


「こんな感じでいいですか」

「いいですね、それじゃこちらに来てください」


 服を脱いでスポーツインナーに袖を通した俺を手招きする坪口さん。その手元にはずんぐりむっくりとしたサンベルちゃんの身体がある。

 何も言わずに従う俺の身体が、体型保持用の分厚いベストを着せられ、サンベルちゃんのボディを被せられ、ファーで出来たブーツを履かされ。

 そして最後に、テーブルの上に乗せられたサンベルちゃんの頭に、坪口さんの手が伸びる。


「……っ」

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、宇川くん。これを被ってすぐに外に出なさい、とは言いません。まずはこの中で軽く動きを練習しましょう。

 ただし、もう一度言います。絶対にしゃべっちゃだめですよ?」

「……っ、はい」


 サンベルちゃんの頭を抱えた坪口さんが、俺の頭の方へとゆっくりそれを持ち上げながら、にっこりと笑った。

 その表情のまま、俺の視界がどんどんと上から暗くなってくる。


「(あぁ……いよいよ俺はサンベルちゃんになる・・のか……)」


 天井の蛍光灯に照らされた頭の内部のウレタンが少しの間見えて、再び目に明るさが戻ってくる。サンベルちゃんの頭は目からそのまま覗く形のようだ。視界が悪くないのはありがたい。


「さて、宇川くん、いやサンベルちゃん。私の姿はちゃんと見えていますか?」


 俺から数歩距離を取って、坪口さんが俺に向かって手を振ってくる。

 頷こうとも思ったけれど、頭が大きいから頷いてもあんまり傍目からでは分からないし、そもそもぐらついて安定しない。

 とりあえず右手を上げてゆるゆると振ると、坪口さんは満足したように頷いた。


「いいですね。着ぐるみは頭が大きいから、首を前後させるとバランスが悪いです。

 なるべく頷いたり首を振ったりしないように、意思表示は手を使って行っていくといいですね。

 これからヘッドを頭に固定します。そうしたら動きの練習をしましょう」


 そう言いながら再びこちらに近づいて、俺の頭の傍に手を入れてくる坪口さんだ。

 そのまま大人しくしていると、顎の下で頭と繋がるバンドが繋がるパチンという音がする。これでサンベルちゃんの頭が俺の頭に固定されたらしい。


 それからは基本的なポーズを坪口さんの指導の元で勉強したり、坪口さんに手を引かれて倉庫の中を歩いたりした。

 そうして一通り動けるようになったところで、坪口さんが倉庫の扉に手をかける。


「さぁ、それじゃグリーティングデビューです。サンベルちゃんとして、たくさん子供たちと触れ合ったり、大人の人と写真を撮ったりしてください。

 ここからは本当に、一言もしゃべっちゃだめですよ。もし問題があったら私の肩をトントン、と二回叩いてください」

「あの……」


 倉庫の扉が押し開かれる前に、俺は空いている右手をぐいと持ち上げた。声を出せるうちに主張はしておきたい。


「暑いんですけれど、一回汗拭いてもいいですか……?」

「そうですね、今のうちに拭いておきましょうか。そのまま動かないでください」


 俺の主張を聞き入れた坪口さんが頷くと、顎の下のベルトを外す。そうして頭を持ち上げられると、一気に顔周りが涼しく、開放感に満たされた。

 坪口さんの首にかけられたタオルで顔周りを拭われながら、俺は動かない。というより動きようがない。

 俺の汗を拭きながら坪口さんが口を開いた。


「今日はそんなに暑くないですけれど、着ぐるみの中はどうしても蒸し暑くなります。一時間を限度に動いていきましょう。つらくなったらすぐに肩を叩いてください」

「分かりました」


 俺の返事を確認した坪口さんが、再びサンベルちゃんの頭を俺に被せて固定する。

 そうして俺はサンベルちゃんとして、子供たちが待つイベントスペースへと踏み出していった。




「あっ、サンベルちゃんだー!!」

「サンベルちゃん、握手してー!!」


 倉庫から出て程なくした頃から、サンベルちゃんの姿を見つけた子供たちが駆け寄ってきた。

 自分の姿を見つけた子供たちが自分から駆け寄って交流をせがんでくる、日常生活ではまず経験しえないことだろう。


「(おぉ……)」


 俺は内心で嬉しさを感じながら、子供たちにハグして、握手した。それを受けて益々興奮する子供たち。

 その声を聞きつけて、さらに子供たちが集まってきた。まさしく引っ張りだこである。


「(すげぇ……着ぐるみパワーって偉大だなぁ)」


 そう感心していると、俺に着きそう坪口さんの声がかかった。と同時に俺の腕を引かれる感覚が左腕に。


「はーいぼくー、順番ですよ順番、サンベルちゃんが困っちゃいますからねー」


 どうやら子供の一人が俺の腕を引っ張っているらしい。取り合いというわけか。

 人気者だなぁ、サンベルちゃん、と思っていながら左側の子供とも触れ合おう、と頭をそちらに向ける。と。


「わーっ、サンベルちゃんだ、サンベルちゃん!」


 また新しい子供の声が聞こえてきた。本当に子供たちの人気者である。

 今目の前にいる子供の頭を両手でぎゅっと挟む。きゃーという可愛い声が上がった。

 そうして新しくやって来た子供の相手もしようか、とそちらに向こうと身体を反転させようとした時である。


「あっ、ぼく、止まって!ストップ!」


 坪口さんの鋭い声が、恐らく子供にむけてだろうが飛んだ。それと同時に俺の脇腹に何かがぶつかる衝撃が走る。


「(ふぐぅっっ!?)」


 突然の衝撃に俺の口から息が漏れる。同時に呻き声が漏れそうになったが、何とか堪えた。

 サンベルちゃんは鈍く低い呻き声など上げてはならない、そういうルールだからだ。

 恐る恐る視線を下に向けると、頭の隙間から俺の胴体にひっつく子供の姿がちらりと見える。勢いよく抱き付くかしたのだろう。

 坪口さんが言っていた。子供は身長が低いから着ぐるみの視野の外になりやすいし、急に抱き付いてきたりする。酷いのになると殴ったりしてくる悪ガキもいるそうだが、それらは坪口さんのようなアテンドが止めるとのことだった、が。

 この抱き付いてきてにこにこしている子供をどうしようか。今でも嬉しそうだが、もう一つ何かサンベルちゃんらしいことを。


 数瞬思考を巡らせた俺の両手が、そっと抱き付く子供の両腋の下を掴む。

 そして身体から引き離すと、ぐいっと立ち上がりながら持ち上げてみせる。


「きゃーははは!」


 突然に持ち上げられて破顔する子供。周りの子供たちも一気に目をキラキラさせ始めた。

 そうしてしばらくの間、サンベルちゃんによるだっこ大会が繰り広げられ、写真もバシバシ撮られていった。


 しばしの後、子供たちの波が引いたところで、俺が深く息を吐くと、坪口さんがポンと俺の肩を叩いた。


「やるじゃないですか、サンベルちゃん」

「……」


 内心ではほくそ笑みながら「まぁ、ざっとこんなもんですよ」とか言いたかった俺だが、今の俺はサンベルちゃんだ。声を出すわけにはいかない。

 何故なら「しゃべらない」ルールは今も有効だからだ。

 代わりにぐっと、短い右手の親指を持ち上げてサムズアップしてみせる。


「さぁ、掴みは上々です。この調子で触れ合っていきましょう」


 返事の代わりに、右手をぐっと握って応える俺。

 初めてのグリーティング、無言のままに行われる触れ合いは始まったばかりだ。

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しゃべってはいけない 八百十三 @HarutoK

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