バッドエンドなんてくそったれ

肥前ロンズ

病気モノで感動を呼ぶ小説のルールに、トリッパーのババアが文句をつける話

「くそったれな小説だったよ。アンタがヒロインの話はね」

 私の病室に突如現れたババア、じゃなくて老女は、全く意味のわからないことを言い出した。



「春野あやめ、十六歳。『金剛病』に罹った、薄幸の美少女。

 生きる希望を捨て一人ぼっちで生きていたある日、これまた人間関係にクソなほど悩みまくったヘタレ男と出会い、恋に落ちる。すったもんだの上恋人関係になり、彼のために難易度が高い手術を受けるが、数年後病死。

 男はアンタのことを回顧しながら、アンタとの想い出の場所を巡っていく――。ホント、陳腐に『感涙』とかつけられるWebだったさ」

「……あの、私今十三歳なんですけど。というか、何言ってるんですか?」



 頭がおかしいババアか?(二回目) 病気の人に死ぬって言うとか失礼すぎ。

 そもそも、誰なのこのババア。



「あたしは誰かって? 他のやつらからはトリッパーって呼ばれてるね。あらゆる物語を鑑賞し、自由にその物語に介入できる存在。本名はすっかり忘れちまったけど」


 このババア、さっきから物語とか架空とか、やっぱ頭おかしいんじゃないの。『金剛病』はそりゃ世間的には有名じゃないだろうけど、実際私はそれに罹ってる。



「おばあちゃん、この左手の薬指が見えないの? 架空なワケないでしょ、こんな

ザマで」


 ひらひらと左手を振ってみれば、薬指の根本が窓の光で輝く。

『金剛病』は、炭素となって硬くなった肉体が、ダイヤモンドのように輝く病気だ。ダイヤモンドになる場所はとても小さいが、なった周囲はかなりの激痛を伴う。左手を振るだけで、とても痛い。でもそんなの当たり前になって、今じゃ健康に暮らしていた頃の感覚なんて思い出せない。

「チッ」舌打ちされた。ホント下品なババアだ。



「美少女とか難病とか死とか恋愛とか並べれば本が売れると思いやがって。そもそも『金剛病』って何だい。ダイヤみたいに美しく死ぬなんて、発想からして『風立ちぬ』の結核にかかった節子じゃないか。大体病気ネタはね、最後死ぬか手術成功してハッピーエンドかの二択なのが気に食わない。そんな需要ルール、どーして読み手は求めるかね」

「患者本人の前でよくそこまで言えるわねババア。アンタあたしに恨みがあるの? ババアに恨まれる覚えないんだけど?」

「とんでもない。あたしは、アンタを励ましに来たのさ」



 その言葉に、私は自分でも過剰に反応した。

 ああ、いるわこういうタイプ。生きることに諦めた私に発破かけようとして、喧嘩ふっかけてくる奴。

 おまけに私より年上のババアよ。こういう奴って、「親より先に死になんて許さない」なんて年功序列説くし、「あきらめるな」って根性論説くし、「私が若いときはね……」って自分語り始めるのよね。



「……アンタはこの時期、手術を断るつもりだ。

 この年でもう、生きるつもりはないってかい」


 この時点で手術したら、未来は変わるかもしれないよ。

 その言葉に、私はカッとなった。




「アンタに何がわかるの⁉ 手術なんてしんどいの、もうしたくないの!! 成功したって、一度じゃ終わらない。やる度に期待して裏切られてやっぱり辛いだけなのよ⁉ 生きて幸せになんかなりたくないわ、死んで終わらせたいの!!」



 治る見込みはないって、自分がよくわかっている。

『金剛病』には、明確な治療法は見つかっていない。ごく最近、研究が始まった病気だから。

 それを調べて、治そうとするたび、両親の疲労した顔がいつも思い出される。

 お金と時間と、自由と。気の休まるひと時。私が全部、親から奪っていく。

 そんなの引き伸ばしたくない。静かに終わらせたい。



「大体皆うざいのよ、知ったかぶって人を憐れんで! 可哀そう、辛いよねって、あんたに何がわかるのよ、私の代わりに病気になってくれるわけ⁉ 同情して満足するための道具じゃないわ私は!!」

「――いいじゃないか、同情される分だけ」


 激昂する私に、ババアの静かな声が遮った。

 それは、冷や水を被せられたような心情だった。


「……まだあたしが普通の人間として生きてた頃、子ども作った娘と一緒に住み始めたら、急に弱り始めてね。頭痛とか、吐き気とか、咳とかを繰り返して。眠れなくなって、鬱みたいになった」


 ああやっぱり自分語りか、とがっかりする。

 それでも、目を奪われた私は、遮ることが出来ない。


「その時まで全然気づかなかったんだけど、あたしは『化学物質過敏症』……柔軟剤とか芳香剤とかタバコとかがダメだった。判明してからあたしは、娘と旦那に説明して使用しないよう頼んだ。

 最初は頷いてくれたけど、あたしと他の家族とじゃ、感覚が随分違った。娘とジジイは、自分たちには理解できなくて、ただひたすら嫌だと喚くババアが嫌になった。だからあたしは家を出た。戸惑う気持ちもわかったから、何とも言えなかったけどね」



 この人の口調は、とてもじゃないが上品じゃない。それなのに、ベッドの上にいる私が見上げた彼女の瞳は、とても慈悲深い、聖女のように見えた。

 だって、この人全然、恨んでないんだ。そんな風に、家族から拒絶されても。仕方なかったと微笑んでいる。

 私なんか、いつ、両親に『産まなきゃよかった』と言われるか恐れて。お前はお荷物だ、そう言われて見捨てられるんじゃないかって思って。優しくされるたび、不安は積もって。

 愛されてるはずだ、子どもを愛さない親はいないはずだってずっと頭で言い聞かせて、それでも心はいつも否定した。……多分、愛されてはいるだけろうけど、疎ましく思われているのも真実だから。それはしょうがない、私が迷惑かけてるから。

 でも直接言われたら絶対に立ち直れない。弱い私はきっと、攻撃される前に攻撃する。



 そんな醜い人間、誰が愛すか。

 この後恋人が出来ても、きっと私が傷つけるだけだ。

 病気という負い目を持っている以上、私は自分すら愛せない。



「……アンタの苦しみはアタシにゃわからない。アタシが欲しいのを、アンタは全部持っているからね。

 アンタがアタシの病気が死なないだけまだマシだって思うなら、アタシの気持ちもアンタにはわかんないさ。――なのに、世界の不幸全部知ったかのような顔で、死んでほしくはない」



 アタシが病気で死ぬ話が嫌いなのはね、まるで健康な人間だけが幸福なように見せるからさ。

 病気をする。孤独を抱く。いつか死ぬ。

 誰だってそうなのに、それをさも特別なようにして美しく描くのが嫌いなんだ。



「無病息災ではなく、一病息災だ。

 アンタは病気を受け入れて死ぬんじゃなくて、病気と共に生きてみろ」



               ◆



 変なおばあさんと出会って、時は流れて。

 十六歳になって好きな男の人と付き合うようになって……不思議なことに、あのおばあさんのいう通りになった。

 ただ違うのは、大きな手術が成功してから、私の症状は幾分かましになったってこと。十三歳のころに受けた手術が、功を為したらしい。奇跡だとメディアは報じた。完治したわけではなく、ひょっとしたら症状が悪化するかもしれないと言われつつ、結婚もして、十年間平和に暮らした。



 ……だけど、十三歳の頃の私には、考えられないことが起きる。





「まさか私が、置いて行かれるなんて思わなかったよ」



 車椅子に乗った私は、夫の遺影を眺めていた。

 先に死んだのは夫の方だった。スキルス性胃がんで、気づいた時には症状は悪化していたのだ。



 電気が消された式場。明るい廊下から、誰かの影が伸びた。

 人の気配に気づいた私が、入口の方を見る。


 それはいつかのおばあさんが、あの時の姿のまま現れたのだ。



「……うちの旦那オタクでさ、ネット小説教えてくれたのよ。転生ものとかトリップ物とか。

 あなたも、その一人だったってこと?」



 私が笑う。おばあさんは、しわくちゃの顔を更にゆがめる。

 ああ、多分あの時と逆だ。

 きっとあの時、私は迷子で、おばあさんは道を教えてくれた。

 今は、このおばあさんが迷子の様に見える。



「おばあさん。そこに立ってないで、おいでよ」



 私が微笑むと、おばあさんは私の前まで来て、そしてその場で崩れた。



「……おばあさんは、

 それで、



 なんというファンタジーだろう。他所から聞けば、きっと私は最愛の人を亡くして狂ったように思われる。だけど今の私の心は、悲しくても正常だ。



「……結局アタシは、アンタに酷いことをした」

 震える声で、おばあさんは言った。


「アンタは誰よりも寂しがり屋だった。そんなの、ファンであるアタシにとって常識だったのに。読者に物語を改変する権利はない。そのルールを破ってでもアンタを幸せにしたかった。アンタの苦しみは、アタシの苦しみに似てたから。なのにアタシのエゴで、置いて行かれる悲しみを味合わせた」

「うん。辛いわ。とっても」



 泣いても泣いても、悲しみはつきそうにない。

 だからわかったのだ。

 病気になっても、仕事をやめても、何もできなくなっても、彼が愛おしかった。愛おしくて、彼のために何も出来ない自分が、彼の代わりになれない自分が歯がゆくて。

 彼も、ベッドで寝込む私にそう思っていた。

 そう確信できるのは、ベッドに寝ていた彼が、こう言ったから。「今なら、きみの気持ちがわかるよ」と。そう言われた時、私は嬉しくて、悲しくて泣いた。わかってくれた嬉しさと、わかってもらおうと願った後悔が、何度も繰り返された。毎日全身痛んでばかりで死んだ心が、彼の気持ちがわかるなら痛みすら愛おしくなった。

 私は病気に罹った彼を愛することで、自分が今までどれだけ愛されていたかを知ったのだ。



「おばあさん。私たちの物語は、あなたの孤独を癒す何かになった?」


 誰かの痛みを知ることが、愛すると言うことならば。

 私は、涙を流す彼女の頬を撫でる。



「……ないよ、そんなの」



 バッドエンドなんてくそったれ。彼女は毒づく。

 その涙は左手の薬指の輝きと、よく似ていた。

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