そして彼女の明日は変わる

如月 仁成

~そして彼女の明日は変わる~


 なに? 現場を見たいって?

 ……ふう。面倒ですね、君は。真犯人は現場に戻ると言うが、まさか君が僕の父を絞殺したという訳ではないだろうね?


 境内という心安らぐ場所に不似合いなブルーシート。

 あれを潜れば、現実との境界を見失うことになるやもしれないが。



 それでもかまわないなら。

 どうぞこのまま読み進めるが良かろう。



 しかし不愉快な嗜好をお持ちのようだね、君は。……ああ、なるほど。紙とペンとを題として、明日までに小説を書かねばならんと言っていたね。そのために随分と太い万年筆など持ち歩いて。変わったクラスメイトを持ったものだよ、僕は。


 褒められた人格では無かったとはいえ、自分の親の死を物書きの題材にされるというのは非常に胸が痛むのだが、まあ、いいだろう。まずは背景など参考にするがいい。



 ――被害者は僕の父。雑賀さいが庄之助しょうのすけ

 一時間ほど前に、ちらりと君も見かけただろう。あの白髭の男だ。


 まあ、他人から羨まれ、そして恨まれる程度に有名な資産家だ。僕達が通う高校の理事長という肩書など、父の数々の役職からすれば小さなものさ。


 それが手水舎ちょうずやのそばで絞殺されていた。棒状のものを首にあてがわれた跡があったらしい。だから、境内を囲むテープの内側に閉じ込められた二十人程……、僕らを含めて、皆が容疑者というわけだ。

 春らしい陽気に緑のさざめきが実に心地よい午後だというのに、実に腹立たしい扱いだ。僕の心はこの空のように晴れわたることは無いものさ。


 ……ほう。僕が冷静だと分析するかい? まあ、そういうことは口に出さないでくれたまえ。君に疑われているようで不快だ。

 確かに君とは別々に行動していたが、僕に父を殺す動機など皆無だよ。


 女にだらしのない、他人に誇ることのなかった父だがね、彼は僕の望みをいつか叶えてくれると約束してくれる程度には、父親らしい存在だったのだよ。

 それに父は、天文に通じていてね。よく、僕に星座の話をしてくれたものさ。



 おっと。どうやらシート内へ入る許可が出たようだな。向かうとするか。



 なにを惚けているのだね? ……ああ、今、許可を伝えてくれた彼女のことか。

 沢良木さわらぎ小糸こいとは父の専属メイドなのだよ。クラスメイトがメイド服で銀のトレーを持って歩いていたら、確かに事情を知らねば驚くのも仕方なしか。


 ……僕はね、彼女に特別な感情を抱いている。ありていに言えば、好いている。


 金糸を思わせる髪に切れ長の目元。白魚の様な指も実に美しい。

 父も彼女を随分と気に入っていたようだが、それも頷けるものだ。


 そんな彼女の境遇を変えることが、俺の望みだったのだよ。先ほど話した通り、父はいつかそれを叶えるとは約束してくれたが……、これがなかなか、ね。


 小糸に対してどのようなことをして来たか。考えるだけでもおぞましい。

 高校生の僕には話せるものではないと父は言っていたが、だったら高校生である小糸に対して、あってはならないことをしていたということになる。


 ……ああ、少し話し過ぎたようだな。そんな顔をしないでくれ。

 父は、こんな形だが彼女を手放してくれたのだ。喜ばしいことじゃないか。

 では、そんな男と対面することにしようか。


 玉砂利の軋みすら心地よく感じる。

 あの場所は、そんな彼女が再生する舞台なのだろうよ、きっと。



 ――ふむ。随分綺麗な死に顔だが。首を絞められて、こんな死に顔になるものなのか? ……ああ、ええ。父に間違いありません。そして……、なんです? そのメモは。普通、容疑者と疑う者に見せますか? いえ、そちらを見て分かることと言われましても。



 『糸氏とへい>と〇。』、ですか。


 そんなものを見せられても。





 ……真犯人くらいしか分かりませんよ。





 ええ、真犯人と言いました。分かりますよ、僕にはね。

 推理を? ええ、面倒ですが。構いません。


 その懐紙は父の懐にいつも入っているものですし、メッセージが血で書かれていることから、ダイイングメッセージなのでしょう。


 『糸氏とへい>と〇。』


 これは、犯人を告発するものです。……いえ、暗号ではありませんよ? 首を絞められている間に、夢中で自らの指を切り、そして書いたものです。読みづらくて当然でしょう。


 まず、『糸氏と』は『紙と』と書きたかっただけです。

 次に『へい>と』ですが、これは『ペンと』と書こうとして崩れたものでしょうね。

 そして最後には丸がふたつ。


 …………さて。

 もうおわかりですね?


 この中に一人だけ、今の説明を正確に理解できた者がいます。




 犯人は。

 この文章を読んでいるあなたです。




 今、僕と一緒に殺人現場に入ってきて。

 棒状の凶器である万年筆をポケットに隠し。

 危険と念を押したのにも関わらず。

 現場を確認したかった。



 あなたです。



 ……面倒ですね。知りませんよ。

 メッセージはただ一人。

 あなたを示しています。


 さあ、短い付き合いでしたが。

 ここでお別れです。


 願わくば、事情聴取の最中。

 明日までに作品を仕上げることがでますように。



 


 ………………

 …………

 ……




 さて、そんな顔をしていないでこっちに来るがいい。

 お前が恨み続けてきた男も、もう酷い命令などすることが無い。


 明日から、お前の人生は大きく変わる。

 …………しばらく旅に出る?

 なるほど。

 言いたいことはよく分かる。


 でもね、ちょっと待ってほしい。

 僕は知っているからね。

 父が君を、『糸』と呼んでいたことを。



 ……なあに、そう怯えることは無い。

 父のおかげで、僕にも権力はある。君の罪はもみ消そう。

 さっきの冤罪を真実にすることなど簡単さ。



 え? どうして自分を疑っているのかって?

 いや、ダイイングメッセージにはっきりと書いてあるのだよ。


 もっとも、僕にしか読めないだろうが。



 手水舎ちょうずやだからね。凶器は、ひしゃくの持ち手だね?

 ……北斗七星のひしゃく型。その持ち手の部分を、こう呼ぶのだよ。


 斗柄とへい、とね。



 『糸氏とへい>と〇。』



 つまり、犯人は『糸』。

 凶器は斗柄とへい


 『>』以降は凶器の隠し場所を示し……。


 と〇。…………その、胸に抱えた銀のトレーの裏にある、ということだね?



 ……さて、退屈な時間に付き合わされたが、この男は僕の願いを叶えてくれた。

 僕はね、君の境遇が代わることをずっと望んでいたのだよ。



 嬉しい? ほう、そうか。おかしなことを言う女だ。



 ……そんなに嬉しいものかね。

 明日から、僕に脅迫されて生き続けることが。 





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