愛しの殺人鬼

庵字

愛しの殺人鬼

 打渡うちわたりが殺された。

 俺たち大学のサークルメンバー以外に誰もいないはずの絶海の孤島。こんな、いわゆる〈閉じられた輪クローズド・サークル〉内で殺人事件など起きたら、これはもう「犯人は俺たちの中にいる」と相場は決まっているではないか。係留していたロープが切断されボートが流れてしまったのも、犯人の仕業に違いない。

 疑心暗鬼の不穏な空気が支配する中、さらなる殺人は続いた。茂宮もみや逸藤いつふじと殺され、これで残るメンバーは、蔦瀬つたせ雷野らいの、そして俺、鈴地すずちの三人だけ。

 俺は自分が犯人ではないと当然知っている。よって、残る二人のどちらかが犯人、憎むべき殺人鬼であるはずだ。

 疑惑濃厚なのは蔦瀬だ。金持ちの御曹司でいつも俺たちを見下していたし、高校時代はサッカー部所属で体力的にも申し分ない。少なくとも、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けていて背も低い、見るからにオタク丸出しの雷野に殺人は無理だろう。大の大人を三人も、首をロープで絞めて絞殺するなどという芸当は。

 だが、俺の予想は裏切られることとなった。俺たちの中に犯人はいなかった。犯人は「女」だった。しかも、見たこともないような絶世の美女。

 俺は目撃してしまった。突き当たりの廊下で、蔦瀬が背後から女にロープで首を絞められているところを。口から泡を吹いていた蔦瀬は全身の痙攣を止めた。それからさらに数秒して、女がロープを引き絞っていた手を緩めると、蔦瀬の体は糸が切れた操り人形のように、どう、と床に倒れた。いや、崩れ落ちたという描写が相応しいだろう。ぴくりとも動かない蔦瀬の死体を、犯人である美女は軽蔑するような冷たい目で見下ろし、顔を踏みつけた。

 まずい、と思った。俺は、サークルの友人たちを次々に惨殺したこの謎の美女のことを好きになってしまっていた。一目惚れというやつだった。

 目が合った。廊下の角から俺が覗いていたことがばれた。一瞬どきりとさせた表情も、あまりに魅力的だった。彼女は、持っていたロープを隠すように、スカート(かなり短い)のポケットに手を入れた。そして、俺のことを見つめ、淡い笑顔を浮かべた。一撃で俺はノックアウトされる。さらに、

「ねえ、私のこと憶えてる?」

 小さな桃色の唇が動き、そう訊かれた。否、断じて否。「君のような美しい女性、ひと目会ったら忘れるわけないじゃないか」心の中だけで叫んだつもりだったが、無意識のうちに口に出してしまっていたらしい。彼女は一瞬意外そうな顔をして、次に安堵するようなため息を漏らし、最後にまた微笑みに戻った。ポケットから手を出して額の汗を拭う。俺が拭ってやりたいくらいだ。

「お嬢さん、こんなところで何をしているのですか?」

 場違いすぎる質問をしてしまった。人を殺したところです、とマジボケを返されるかと思ったが、彼女は無言のままだった。

「こんな夜更けに、あなたのような美しい女性がひとりだけでいては、危険ですよ」

 今の彼女以上に危険な存在はここにはないと思うが、言わずにいられなかった。期せずして発したギャグが通用したのだろうか、彼女は笑みを浮かべた。と、蔦瀬の死体をまたいで廊下を歩き、俺の横を通り過ぎようとする。

「待って……」

 伸ばした手をするりとかわされてしまった。彼女は微笑むと、片手を挙げてひらひら振る。バイバイ、という意味なのか。きびすを返すと、背中を向けて遠ざかっていく。

 蔦瀬が死に、この島に残るのは今や俺と雷野の二人だけ。あんなオタクなど、この美女が相手をするわけがないだろう。もっと気持ちを大きく持っていいはずだったが、俺はこうも考えてしまった。ひ弱な雷野が俺に敵うわけがない、つまり、「俺のことを邪魔するやつは誰もいない」そう思った瞬間、目の前を遠ざかっていく美女の、躍る後ろ髪、触れたら折れてしまいそうな細いウエスト、その下で揺れるスカート、そこから伸びる白く細い脚が、衝動的に俺を突き動かした。床を蹴って駆け出すと、謎の美女に飛び付き、背中から抱きしめた。

「おわっ!」

 聞き覚えのある声が悲鳴となって聞こえた。

「……雷野?」

 ぽかんとした俺が力を緩めたためか、俺の腕から抜け出した「美女」は、自分の頭を掴んでカツラを取った。いかにもオタクといったぼさぼさの髪が中から現れた。


「僕にはひとつ上の姉さんがいたんだけど、一年前に死体で発見されたんだ。体には乱暴された形跡があって、このサークルのメンバー複数名が犯人だと見られてたんだけど、どうしても証拠が出てこなくて、捜査は行き詰まった状態だった」

「それで、お姉さんの仇を討とうと、この大学に進学して、うちのサークルに入ったんだね」

 雷野はこくりと頷いた。俺は、美女の殻を脱ぎ捨てた雷野と廊下に並んで座り、彼の身の上話を聞いていた。

「僕、体もこんな小さくて、昔から顔もお姉ちゃんに似てるって言われ続けてて、それがコンプレックスだったんだけど、これは利用できると考えたんだ。サークルメンバー全員での合宿。そこで、僕がお姉ちゃんに変装してメンバーと一対一で会って、これを聞かせれば……」

 と雷野はポケットからボイスレコーダーを取りだしてスイッチを入れた、『ねえ、私のこと憶えてる?』美しい女性の声が流れた。

「お姉ちゃんの遺品にあった動画から取りだした音声なんだ。相手にしたメンバーがもし犯人なら、絶対に普通じゃいられないはずだ」

「自分たちが殺したはずの女性が化けて出てきたと思っても、無理はないね。でも、俺以外全員殺されたということは……」

「うん。鈴地さん以外全員、判を押したように同じ反応を返してきたよ。その隙を突けば、僕でもあいつらを殺すのは容易だった」

「あいつら……。よりによって、俺以外の全員が雷野のお姉さんを殺した犯人だったなんて……」

 言いたくはないが、俺は雷野が入ってくるまで、サークル内でひとりハブられ気味だった。今となっては助かったのだが。

「でも、これで雷野くんの復讐は終わったわけだ。あ、安心していいよ。俺、ここであったことは一切口外しないから」

 俺が言うと、雷野は笑みを漏らした。あの瓶底眼鏡とぼさぼさの髪の下に、こんな端正な顔を隠していたとは。

「さて、明日には約束していた連絡船が来る。それに乗って帰ろう」俺は立ち上がると、「もう全て終わったんだ――」

「終わってないよ」

「え?」

 俺は座ったままの雷野を見下ろした。

「鈴地さん、さっき、僕にことを襲おうとしたよね」

「えっ? い、いや、あれは、だって……正体が雷野くんとは知らなかったから……」

「あれが僕じゃなかったら、そのまま襲ってた?」

「そ、それは……」

「だよね。僕が逃れられたのは、僕の地声を聞いてびっくりした鈴地さんが力を緩めたからだもんね」

 乱れた髪が邪魔をしているせいで、雷野がどんな表情をしているのか、知ることが出来ない。

「しかも、あの犯人が僕だと知らなかったってことは、まだ僕がここにいるのに、あんな行為に及ぼうとしたってことだよね。僕みたいなオタク、簡単にねじ伏せられると思ったんでしょ」

「……」

 俺は返す言葉を失っていた。

「結局、鈴地さんもあいつらと同じだったんだね」

「そ、そんなことは……」

「僕、鈴地さんとなら友達になれると思ってた。変装した僕を見ても、お姉ちゃんの録音の声を聞いても、何も狼狽えた様子がなかったから。僕、嬉しかったんだよね。ああ、やっぱり鈴地さんはあいつらとは違うんだって……」

「雷野く――」

 足を取られたらしい。俺は背中から倒れ、したたか後頭部を床に打ち付けた。次の瞬間、腹部に重みを感じ、息が詰まった。馬乗りになった雷野が、俺の首にロープを巻き付けていたのだ。ロープを引っ張ることも、雷野を振りほどくことも不可能だった。脳が酸素の供給を絶たれたせいで、神経の伝達が滞ってでもいるのか、体に全く力が入らないのだ。

 目の前には雷野の顔があるはずだが、ぼやけていく視界と、例によってぼさぼさの髪のせいで、ついにあいつがどんな表情をして俺の首を絞めているのか、知る機会はなかった。

 雷野、殺すならせめて、お姉さんの変装のまましてほしかった……。

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