シングルストーリーの危険性

 先日TEDを見ていると、たまたまナイジェリア人作家のアディーチェの講演を見つけて拝聴した。

 アディーチェは『アメリカーナ』などで知られる若い女性作家で、その著作は読んだことないものの、近年注目を集めていることだけは知っていた。

 このTEDの講演「シングルストーリーの危険性」が面白いのなんの。けらけら笑って見てしまった。


 彼女が言う「シングルストーリー」とは、一つの物語が集団全体を定義してしまうということ。

 アメリカ、中国、イラク、国名を聞くとなんとなくどんな人間が住んでいるのか、僕らはイメージ出来てしまう。

 ムスリムと聞けば危険な信者、韓国は反日、中国、厚顔無恥、等々。でもそれは単なる偏見であって、決してその国の全体を要約したものではない。

 アフリカのサバナの民族がiPhoneを持っていると、少し面食らう。が、よく考えると何も彼らは先史時代を生きているわけではなく、同じ時の流れの中を生きているのだから、iPhoneの一つや二つ持っていたって驚くことはないはずだ。同じように、韓国人のみんなが反日的なわけがないし、ムスリムがみんなテログループに所属しているわけではない。程度の差こそあれ、一言で決めつけてしまえるほど、国や信仰や人間は単純なものではない。

 恐らくメディアの力がそのような偏見を作り出す一端を担っている。と言うとリテラシーの問題になってくるが、それは今回のテーマではない。


 でも多かれ少なかれ人間は相手の実態がわからないと、恐怖が先に立ってしまう。得体の知れない相手というのは幽霊とかと同じで恐怖の対象でしかない。

 シングルストーリーの作り出す偏見というのは、いわば精神の防衛本能と言えるものだろう。ただ、それが一般にまかり通ると、つまり世論を形成すると、手に終えない化物に変わってしまう。

 するとどこからか優劣の考えが出て来て、アメリカ>日本、日本>中国、中国>韓国みたいな不等式が不当に出来上がる。こんな馬鹿げたこともないだろう。


 ではシングルストーリーを撃破するために、何が必要となるかというと、たぶん、これは文学の出番。

「小説なんて読んで何になる?」とはよく問われる質問。僕も頻繁に問われました、リーマンショック後の不幸な就活で。じゃあ外国語なんて勉強して何になる?経済なんて勉強して何になる?と問い返してやりたい気持ちでしたが、ぐっとこらえた、という話は余談。


 少なくとも、小説(視野の広い優れた小説)はシングルストーリーを撃破する視座をくれる。

 偏狭で偏見に満ちた(再び満ち始めた)世界を照らす灯台みたいな役割を担ってくれると思う。じゃあ現代文学のどれがそういう小説なんだ、と聞かれると、正直にわからないと答えるしかないが、たぶん、今書店でもてはやされているような物の大部分は近いうちに消えるんじゃないかな。


 でも別に小説なんて読まなくても、100年以上前に優れた文筆家が、含蓄に富んだ言葉を残してくれている。


「定義することは限定することだ」

 オスカー・ワイルド

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